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Scene2「学校潜入」



雲は厚く、空は曖昧な灰色に覆われていた。

朝というには遅く、昼というには沈んでいる。

そんな空の下、探偵は校門をくぐった。


正面に広がるのは、白とガラスで構成された四階建ての校舎。

その横に、時代から取り残されたような古い建物がひっそりと佇んでいる。

旧病棟——廃墟ではないが、現役でもないその存在は、どこか人の気配を拒む空気を纏っていた。


「おぉ、来た来た。これが現場ってやつだな」


スマートグラス越しに、エコーの声が届く。

今の学校ではホログラムは表示できず、彼は探偵の耳元で軽口を叩く存在に過ぎない。


「気乗りしないかと思ったけど、どう? ワクワクしてきた?」


「多少はな」


探偵は短く返しながら、校舎の正面扉へ向かう。



受付と案内を経て、職員室のドアをノックした。

応じたのは、穏やかな声の女性教員だった。


「臨時講師の方ですね? お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


彼女は端正な白衣の上に薄手のカーディガンを羽織っていて、

一目で“校内の空気に馴染んだ人間”だと分かった。


「今日の午前の授業、お願いできますか。

電子カルテと情報処理の基礎。AIとの連携についても話していただけると助かります」


「承知しました。ところで……」


探偵は柔らかい口調を保ちつつ、視線を資料から彼女へ移す。


「教育支援AIの“アル”について、簡単に教えていただけますか?

授業内でも触れる予定ですので、現場の先生方の印象を伺えれば」


「アルですか……」


女性教員は少しだけ表情を曇らせた。


「よくできたAIですよ。学習支援から生活指導、成績の管理や進捗チェックまで、ほとんど任せています。

ただ……最近、少し不自然な反応があって。原因は調査中ですけど……」


「不自然、ですか?」


「何かこう、“予測よりも人間的すぎる”反応というか……いえ、気のせいかもしれません。

それより、最近の“幽霊騒動”で生徒が神経質になっていて……アルまで気にされるのは困るというのが本音ですね」


「ありがとうございます。参考になります」



教室に入ると、生徒たちは既に私服で着席していた。

制服ではないぶん、それぞれの雰囲気がよく見える。

少し眠たげな者、真剣にノートを開く者、他愛もない話をしていた者たちが慌てて体勢を整える。


探偵は教壇に立ち、プロジェクターにスライドを表示させた。

が、すぐには本題に入らず、まずはゆっくりと生徒たちを見渡す。


「初めまして。今日から何回か、皆さんに情報処理の授業をさせてもらう臨時講師です。

肩書きは“情報管理のエンジニア”ですが、難しい話は抜きにしておきましょう。

みなさんが将来、カルテを読み書きする側になるために、

“情報とどう向き合うか”を一緒に考える、そんな授業です」


スライドを操作し、次の画面に「記録」「忘却」「ログ」といった単語が並ぶ。


「さて、“AIは忘れない”とよく言われます。

人間は忘れることで前に進みますが、AIは記録を残し続けます。

でも、それって本当に正しいんでしょうか?」


生徒たちの目線が少しずつ前を向き始める。


「たとえば、あなたが1年前に告白してフラれた相手へのLINE履歴が、

AIに逐一記録されているとしたら……どうです? アルに励まされたくなりますか?」


小さな笑いがいくつか漏れる。

探偵はうなずいて、もう一枚スライドをめくる。


「——大丈夫です。授業中にフラれた人の名前を検索したりはしませんから。

たぶん、アルもそのあたりは空気を読んでくれる……はずです」


くすくすと笑いが広がった。

この空気なら、最初の授業としては上出来だ。



午前の講義が終わり、生徒たちは次々と教室から出ていった。

喧噪というほどではないが、廊下には軽やかな足音と会話の音が満ちていく。

探偵は教壇から少し身を引き、プロジェクターの電源を切る。


その時、ひとつの足音が他の流れに逆らうように戻ってきた。

それは遠慮がちで、それでも確かな意思を持った歩調だった。


「……先生」


声の主は、黒髪を一つに束ねた少女。

先ほどの授業で後方に座り、じっとこちらを見ていた生徒だ。


「ああ、どうかしたか?」


探偵は肩の力を抜いて、柔らかい声で返した。

少女は少し迷ったように唇を開き、それから視線を探すように彷徨わせる。


「……授業の話、ちょっとだけ。

“ログが後から現れる”って……本当に、そんなことがあるんですか?」


「そう思う何かが、君の周りで起きた?」


質問には答えずに、探偵は逆に問い返す。

少女は目を伏せたまま、わずかに頷くような動作を見せた。


「うちの友だちが……前に、カメラに映ってなかったはずの“影”を見たって。

後からログに浮かび上がった、って」


「そうか」


探偵はそれ以上深くは追及せず、ふと廊下の時計に目をやる。

昼休みの開始を知らせるチャイムが鳴るまで、あと少し。


「その話、長くなりそうだ。よければ、放課後に相談室で続きを聞かせてくれないか?」


少女はわずかに驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。


「……分かりました。行きます」


「ああ。ありがとう」


それだけを交わすと、少女は一礼して去っていった。

探偵はその背を静かに見送る。


「お前のファンじゃないか、あれ」


エコーの茶化すような声が耳元に届く。


「違う。あの子は、俺の話をしに来たんじゃない。

“誰かのために”来ていた」


「へぇ……優等生かもな」


探偵は教室を出て、食堂への階段を降り始める。

昼の喧噪が、別の角度からの情報をくれるはずだと期待しながら。





チャイムが鳴ると同時に、校舎内の空気がふっと緩んだ。

午前の講義から解放された生徒たちが一斉に廊下へ流れ出し、

教室は笑い声と話し声であっという間に満たされていく。


探偵は資料を片付けながら、時計に目をやる。

昼休み。学内の生徒と自然に話ができる、貴重な時間だ。


「……どうする? 職員室戻る? それとも食堂で生徒とランチ?」


スマートグラス越しにエコーの声が届く。

もちろんホログラムは表示されていない。今の彼は探偵の耳元に潜む、目に見えない相棒だ。


「決まってるだろ。生徒の中に入る」


「だよなー。先生、人気出るやつだコレ」


探偵は教室を出て、学生たちと同じ流れに乗って食堂へ向かった。



学内の食堂は想像していたよりも広く、清潔感がある。

壁際には大きな窓。昼の光が静かに差し込み、天井には柔らかな照明。

セルフサービス形式のカウンターには、数種類のランチセットと日替わりのプレートが並んでいた。


探偵は手にしたトレイにチキンの照り焼き、炊き込みご飯、野菜の小鉢と味噌汁を載せていく。

さりげなく学生たちの選ぶメニューや言葉に耳を傾けながら、自然に列に混ざる。


そして、あえて空いている学生用のテーブルに腰を下ろした。

ほんの一瞬、周囲の会話が止まる。


「あれ……あの人、先生だよね?」


「えっ? 教壇にいた……新しい講師の人?」


「先生が食堂……え、マジで? 先生って職員室で食べるもんじゃないの?」


ひそひそと、だがどこか好意的なざわめき。

探偵は気にするふうもなく、黙々と箸を進める。


と、その時。


「あの、先生っ」


元気な男子学生がトレイを持って近づいてきた。

その後ろには、女子学生がふたり。笑顔で、けれど少し緊張気味。


「ここ、座っていいですか?」


探偵は穏やかに頷いた。


「ああ、もちろん」


彼らが腰を下ろすと、それをきっかけに他のテーブルからも数人が集まってくる。

四人、五人、あっという間に小さな輪ができあがった。


「先生、授業おもしろかったです!」


「“記録って幽霊に似てる”って言い方、ゾクッときましたよ」


「でも、あれってほんとにあるんですか? AIが勝手に記録残してるとか……」


「ドラマみたいな話ですよね。先生、前にテレビ出てません?」


最後のは余計だったが、場が和んでいる証拠だ。


探偵は笑みを浮かべながら、周囲の顔ぶれに目をやる。

様々な反応がある。真面目に話を聞こうとする者、興味本位で質問する者、

そしてただ“人気者の先生”に惹かれて集まってきた者。


——それでいい。全員から情報を得る必要はない。


「なあ……“先生モード”で飯食ってるつもりかもしれないけど、

これ、完全に“文化祭のイケメン講師役”じゃん」


エコーの声が、やや嫉妬混じりに耳元で囁く。


「ちょっとモテオーラ出すのやめてもらえます? 本業、探偵だよね?」


「仕事の一環だ」


「“たまたま人気出ちゃいました”みたいな顔しやがって……」


探偵は苦笑しつつ、ある女子生徒に視線を向けて話しかけた。


「そういえば、ちょっと聞いたんだけど……

この学校、“幽霊が出る”って噂があるらしいね?」


その言葉に、食卓が一瞬だけ静まり返る。

だがすぐに、興奮を含んだ声が上がる。


「ありますあります! 旧病棟ですよ、旧病棟!」


「夏に誰かがカメラで“影”見たって!」


「夜、誰もいないはずなのに扉が開いたとか……マジで怖いやつ!」


「うちの友達、マジでビビって旧病棟の廊下通れないって言ってた」


探偵は彼らの言葉を受け止めながら、冷静に返す。


「なるほど。いつ頃から、そんな話が出るようになった?」


「えっと……去年の終わりごろ? 先輩が卒業する前くらいからですね」


「最初は“気のせい”だったのが、夏前から騒ぎ始めたんですよ」


「カメラに映った“影”が、本当に人みたいだったって……」


「でも、その映像って……誰もちゃんと見たことないって話もあるし」


断片的な証言が重なり、少しずつ輪郭を成していく。

目撃者は不明。だが、旧病棟という“舞台”は一致している。


「これは……確かに、ただの噂じゃないな」


耳元で、エコーが呟いた。


探偵は頷きながら、味噌汁をひとくち口に含む。

湯気がふっと立ち上り、空気の中に微かな重さを漂わせた。


——幽霊は実体ではない。

だが、誰かの“記憶”や“記録”が揺れるとき、そこに影は生まれる。


その影が、本当に過去の亡霊か、それとも誰かの消された記憶か。

答えはまだ、霧の向こうだった。





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