純血の犬とは何か?血統書の意義
犬の純血種には大きく分けて2つの型がある。一つはディンゴ、日本犬を初めとする古代犬種、もう一つは秋田犬や、ドーベルマン等近代に入って品種改良によって生まれた西洋犬種である。
前者の純血を守る事に意味がある事は明らかだろう。彼等古代犬種は犬と狼の中間に位置する貴重な存在であったり、共に暮らしてきた民族を忍ぶ事が出来る伝統的な存在だからだ。
後者とてそれを作出する迄の過程に数多のドラマと過程と淘汰と言う犠牲の上に成り立っているもので蔑ろにして良い物ではない。
しかし後者の近代の犬とその辺の雑種との明確な違いは、目的を持った繁殖がされているかどうか!この一点に過ぎない。だがこの一点が大きな違いなのだ。
前者の古代犬種とて遥か昔は猟犬であったり、厳しい環境で使役される家畜であったことは間違いない。かつては犬種団体が発行する血統書も無く、人々は優れた使役犬を掛け合わせ増やしてきたのだろう。
つまり犬種とは使役目的に沿って共通の特徴、性質を持つ遺伝的に近い集団であり、代々その特徴を受け継いでいる家畜の一群の事だと定義する事が出来る。
飼い主のいないディンゴの様な野生犬とて、オーストラリアの厳しい自然環境を生き抜くと言う自らの生存本能による明確な目的を持ち共通の特徴を代々有している事から明確に純血種の犬種であると言える。
この犬種の定義に照らし合わせた時、血統書の有無は雑種か否かに関係がない事がわかるだろう。
血統書とは繁殖に使われた代々の犬の記録であり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし奇妙な事に世の中の犬種団体や多くの人々はこの常識、前提を知らないのである。
血統書が無ければたとえ遺伝的に100%その犬種であろうとも雑種である…犬を見ずに紙を見る。犬種の定義も知らず紙を偏重すると言う本末転倒な事をする。血統書のついた歴史等犬の歴史と比べたら紙より薄いのだ。大体人間でも一代遡るごとに倍人数が増える。電子記憶媒体ならまだしも一枚の紙切れでその犬の血統を網羅し続けれる筈がない。
そして血統書が本当に意味を持つ場面は品種改良を
行う際に違う血統を掛け合わせる場面に違いない。
そう実は雑種にこそ血統書は必要なのだ。何故なら1代雑種、F1はどの様な個体が生まれるか分からない為、データとして貴重だからだ。似たり寄ったりの近親交配を重ねた純血犬を掛け合わせて似たり寄ったりの犬が生まれるのは当たり前で血統書、つまりデータとしての価値は低い。
しかし多くの人は無知故に血統書は純血を証明する為だけの物だと思い込み1番必要な場面で必要なデータをとらなかったり、秘匿してきたのである。
犬種団体は自らが囲い込んだ犬種のブランド化を図る為、血統書を利用し自らが発行する血統書偏重の態度を貫いてきた。だがそれは犬種の為では無く自分達の利益の為に過ぎない。
現代の犬種団体やそれに追従するブリーダーには
ここに上げきれない程の問題があるが、第一の問題は犬種の定義、血統書の本当の意味を知らない事にある。