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検索除外

【短編】霊払師令嬢のエコな婚約破棄

作者: 紺青

「シャロン・オールディス、今この時をもって、お前との婚約を破棄する!」


いつものように睡魔と疲労でうとうとしていたシャロンは、自分の名前を呼ばれた瞬間、ぱちりと目を開けた。


「おい、シャロン、聞いているのか?」


目の前で、唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴っている男の顔をぼんやりと見る。

金髪碧眼でまるで絵本の中の王子様のような出で立ちの男が、その綺麗な顔を醜く歪ませている。

目は覚めたものの、頭が全然働いていない。


えーと、ここはどこだっけ?

今、何時だ?


王宮のホールの煌びやかなシャンデリアが目に入る。

婚約破棄を告げられたシャロンの周りには着飾った貴族達が集っていた。

そうそう、今日は『隠れ月の舞踏会』だったわ。


サテリット王国では社交シーズンに入る、初めての新月の晩に王宮で舞踏会が開かれる。

王国中の主要な貴族が集まっているはずだ。

皆が待ち望んだ社交シーズンの開幕の舞踏会で、なぜシャロンは怒鳴られているのだろうか?


「お前はただ由緒ある伯爵家の令嬢というだけで、王太子である俺の婚約者になれたというのに……」

見た目だけはご立派な王太子が苦々しい顔でシャロンを見る。


「みすぼらしい外見、型の古いドレス、おまけに学業もできない。王妃教育どころか、王太子妃教育もまるで進んでいないそうじゃないか」

王太子が指摘するごとに、周りからもグサグサと同意するような視線が刺さる。


確かに、王太子の言う通りだ。


シャロンの腰まである髪は暗い灰色でところどころ白髪のように色が抜けている。

なにより髪に潤いがないせいで、まるで老婆のように見える。

目はぱっちりとした二重だが、チャームポイントになりそうな瞳も目の下に黒々とした隈があり、眠くて常に半眼なため台無しだ。

ドレスはオールディス伯爵家に代々伝わるもので生地は良いけど、いかんせん型が古くて洗濯を繰り返したおかげでくたびれている。

そして、シャロンは王太子妃に必須の語学力も知識もマナーも身についていなかった。


「こ……」

こっちだって、こんな婚約望んでないよ!

そう言いたかったけど、婚約破棄に加えて不敬罪も追加されてはたまらないので口をつぐむ。


それに、疲れているのも眠いのも陛下に霊払師(はらいし)に任命されたせいだし。

そのせいで、勉学やマナーを習得する時間もないし、髪の毛のみならず体もボロボロだ。

この型の古いドレスだって、霊払師として動きやすいように機能的にできているのに。

ただ、古くてくたびれていて流行遅れであることは間違いない。


「まったく、父上がなぜお前のようなものを選んだのか理解に苦しむ」


ほんと、それ。

それにはシャロンも完全に同意するので、黙って心の中で頷く。

この婚約は王家のゴリ押しで決まったものだ。

シャロンだって望んでいない。


陛下だって、深く考えていなかったのだろう。

ただ、代々霊払師であるオールディス伯爵家の最後の生き残りであるシャロンを囲いたかっただけだろう。

王家に縛り付けて、酷使するために。


「安心しろ。父上も納得するような新しい婚約者が見つかった。アンジェロ・ニューマン侯爵令嬢だ。お前のようなうさんくさい霊払師と違って、本物の聖女だ」


静々と父親らしき人物にエスコートされて、王太子の隣にお人形のように美しい令嬢が並んだ。

シャロンと違って、王太子と並んでも遜色ない外見をしている。


「せ……」

好奇心がむくむくと湧いてきて、聖女ってなんですか?と聞きかけるも、どうでもいいかと口をつぐんだ。


「アンジェロはな、結界を張ったり、傷を癒したりできるんだ。最近、力が発現した」

王太子がまるで自分のことのように胸を張る。

周りからも感嘆のため息がもれる。


それはすごい!

シャロンは尊敬のまなざしでアンジェロを見た。

輝く金色の髪が波打ち、長いまつげに縁どられたグリーンの瞳は春の新芽のように瑞々しい。

聖女の名にふさわしく、後光が差している気さえする。


サテリット王国では時折、不思議な力を持つものが生まれた。

それは植物の成長を促進するという小さな力から、未来を見る力まで様々だ。

成長して、後発的に力が発現することもある。


「というわけで、お前との婚約を破棄して、アンジェロと新たに婚約を結ぶ」


満足げに宣言した王太子が懐から金色の印を取り出した。

ささっと侍従が盆に乗せた書類を差し出す。


「これがなにかわかるか?」


王太子はシャロンだけでなく、先ほどから固唾を飲んで状況を見守っている貴族達に見せつけるように書類をかざした。

それは王太子とシャロンの婚約証書だった。


「へ……」

陛下の許可は取ったのか?

シャロンは問いただそうとして口をつぐんだ。

確か陛下と王妃は帝国の王太子の婚姻の儀のために国を出ており、今回の夜会は不在だ。

このまま婚約破棄されるなら、それにこしたことはない。


王太子はその書類にさらさらと署名すると、玉印を押した。

すると押印した瞬間、ぱぁっと光が散る。


おそらく、王太子とシャロンの契約を無効にすると追記したのであろう。


サテリット王国では王命は絶対だ。

王家には秘伝の玉印がある。

書類に玉印を押すと、その契約に縛られてしまうのだ。

この玉印を使った契約の有効範囲は明かされていない。

おそらくだが、この国の中で交わされた証書で、貴族の籍を持つ者に対して有効なのだろうと言われている。


だから、代々の王が浪費癖があったり、女癖が悪くても、賢王でなくとも、国は維持された。

貴族は玉印の契約に縛られて王族に逆らうことはできない。

しかし、締め付けすぎても契約の穴を縫ってなにをされるかわからない。

王族はほどほどに貴族にも褒美を与えた。

歴代の王はそのあたりも加味して、生かさず殺さず貴族を支配して、この国を牛耳っていた。


「予定通り来年、アンジェロと婚姻する予定だ」

王太子はもう一枚の用意された書類にアンジェロに続き、署名をすると玉印を押す。

その書類からも光が溢れた。

おそらく、二人の婚約の証書なのだろう。


周りの貴族達も歓声をあげてわっと盛り上がる。

来年、シャロンと婚姻予定だったので、結婚の日が迫り焦っていたのであろう。

確かに、陛下と王妃が不在のチャンスはここを逃すとない。


「もう、時代は変わった。古き良き時代は終わったんだ。この意味がわかるよね、シャロン?」


「えっ?」


てっきり、自分が主役、いや悪役のターンは終わったと思っていたシャロンは再び尋ねられて目を見開く。

王太子は物覚えの悪い生徒を諫める家庭教師のような目をしている。


「オールディス伯爵家は領地を持たない。王宮で役職についているわけではない。それなのに、代々、霊払師だからという名目で王国から多額の給金が支給されている」


「……」


それは事実なので、シャロンは話の続きを待った。

オールディス伯爵家は代々、霊払師として働いており、その対価として多額の給金を賜っている。

シャロンは四年前に最後の親族である母親を亡くしてから、王太子の婚約者に据えられ、王宮でなに不自由なく暮らしている。

そのことを疑問に思う貴族も多かったであろう。

霊払師としてシャロンのお世話になったことのない貴族は特に。


「なのに、お前ときたら王宮内をふらふらとさまようばかりで何もしていないじゃないか!」


「……」


まぁ、それも事実といえば事実なのでシャロンは反論しない。


「というわけで、オールディス伯爵家との霊払師の契約は破棄する。爵位は没収とする。もちろん、今後は給金は支払われない」


そう言うと、王太子は年代物の黄ばんでボロボロになった証書にさらさらと筆を走らせると玉印を押した。

婚約破棄の証書の時より大きな光が溢れた。


「えっ? えええ……」

光のまぶしさに目が開けていられない。


「ははっ。婚約破棄では動揺しなかった貴様もさすがにこれは堪えるだろう?」


王太子と同じように理不尽に思っていたのであろう、若者を中心とした事情を知らない貴族達からわーっという歓声があがり拍手が起こっている。

シャロンは周りをそろっと見まわした。

でも、その中でお得意さんである古い貴族の何人かは顔色を悪くしている。


でも、仕方ないよね?

王族が絶対ですから、この国は。


「婚約者でもなく、オールディス伯爵家の特権もなくした。お前はただのシャロンだ。城から出て、庶民として好きに生きていくがよい」


まぁ、王宮に囲われていた令嬢がどのくらい生き延びられるかは知ったところではないがな。

そんな王太子の心の声が聞こえた気がした。


その横で微笑む聖女で新たなる王太子の婚約者のアンジェラは天使のような微笑みを浮かべて、虫けらを見るような冷たい目でシャロンを見ている。


「あっ……」

その時、王太子の肩の辺りに黒い影が見えて、反射的に手が出そうになった。


いやいや、もうお役ごめんですから。

シャロンはゆるゆる首をふると、手をひっこめた。


大丈夫だよね?

だって、聖女様が隣にいるし。

結界とやらが、生霊とか亡霊とかに効くのかはわからないけど。


「さぁ、新たな時代の幕開けにふさわしい夜会だ。皆の者、存分に楽しんでくれ!」

王太子の声に周りからは歓声が再び上がる。

楽隊が音楽を奏で、給仕達がとっておきのシャンパンを配り始めた。


こうして、シャロンはほとんど言葉を発することなくあっさりと婚約破棄されたのであった。


労力を極力抑えて、効果を得る。

そういうのをエコっていうんだっけ?

最近やたら王宮の役人がエコ、エコうるさい。

はじめは環境に配慮するというところからはじまり、最近では労力は抑えて最大の効果を得るときにまで使われているようだ。

この婚約破棄もその一環なのかもしれない。


お互いウィンウィンでいいじゃない。


盛り上がる人々の群れをかき分けて、シャロンはそっとホールを後にした。


城門から外に出ると、シャロンは立ち止まり振り返って、豪華絢爛な城を眺めた。


イェエエエエエエエイ!!!

シャロンは心の中で叫んで、ガッツポーズを決めた。


自由だ。

それはあっけなく、突然に起こったことで、契約が解除された実感はない。


でも、これでシャロンはサテリット王国の霊払師ではない。


もう、王宮に漂う陛下が手をつけた女達の愛憎入り混じった怨念を祓う必要もない。

陛下をはじめとした王族への貴族の憎悪の念を祓う必要もない。

お家騒動があった屋敷を一軒まるごと浄化する必要もない。

事件や争いのあった現場の怨霊を祓う必要もない。


これからは、たっぷり食べて、たっぷり眠れる。


クゥーン


足元に小さな黒犬がまとわりついてくる。

「スノウ!」


シャロンはスノウを抱き上げると、そのふわふわの毛並みを堪能する。


「やったよ! やったぁ! お肉食べたい! 甘いもの食べたい! たくさん眠りたい! ふふふ、まずはこの国から脱出しなくちゃね」

この国に陛下が戻ってきて捕まったら、また新たな契約を結ばれてしまうだろう。

でも、今この瞬間は解放された喜びを味わいたかった。


「シャロン」

懐かしい声が聞こえてふりかえると、暗闇に美しい女性が佇んでいた。

月のない闇の中でも、銀色の髪が光って見える。

後ろにすらりとした長身の黒ずくめの男を従えて。


「えぇぇぇぇぇ! お母様?」

そこには四年前に亡くなったはずの母が佇んでいた。

生前も美しかった母は、顔色が透けるくらいに白いのを除けば、元気そうだ。

ただ、シャロンとお揃いの黒に近い灰色だった瞳がなぜか赤色に変わっていた。

亡くなる前の病的でガリガリに痩せていた面影はない。


「シャロン、急ぐわよ。王や王妃はまだ帰ってこないけど、オールディス伯爵家がいなくなると困る貴族家が動き出すわ」

シャロンの腕を掴むその手は人とは思えないほどひんやりして冷たかった。


「お母様……」

再会の喜びと、そして母にいつも対峙しているものの気配を感じて、一瞬胸の奥に悲しみが走る。


それでも、これはお母様だ。

確信したシャロンは迷わず、母の手をとる。


「シャロンは僕が抱きかかえます。その方が早いでしょう?」

そこにはいつのまにか大きな毛むくじゃらな、なにかがいた。


「人狼?」


「スノウだよ、シャロン。気づいてなかったの?」

スノウは雪深い山で、猟師に獲物と間違えて撃たれていた子犬だ。

保護して、看病した結果、シャロンの側から離れなくなった。

だから、犬好きの侍女たちの手を借りて、王宮の私室でこっそりと飼っていた。


「ほら、銃創もあるでしょ?」

脇腹のあたりに見覚えのある傷跡がある。

それに黒にさび色の混じった毛並みとお月さまみたいな金色の瞳も見覚えがある。


「ん」

全てを思考より感覚で処理するシャロンは抱っこしてもらうために両手を差し出した。

スノウはしっぽを千切れんばかりにふって、シャロンを横抱きにする。


「着いてきて」

母の方を見ると、母も黒の正装でびしっと決めた紳士に抱きかかえられている。


そうして、三人と一匹は夜の闇に姿を消した。



◇◇



「それで、国を三つもまたいだこんな辺鄙なところにある屋敷までわざわざやってきたのはどういう用件でしょうか?」


サテリット王国からシャロンが解放されて三年。

今はきちんと脳みそが働いているシャロンは冷たい声色で招かれざる客人に尋ねる。


「本当に、シャロン・オールディスなのか?」


「今はただのシャロンです」


そう問われるのも仕方がない。

サテリット王国にいた頃の面影は一つもない。

そこには幼い顔をした美少女がいた。

銀色の髪はつやつやとして輝き、暗く淀んでいた瞳も見惚れてしまうほど美しい銀色だ。

眠たそうにおちていたまぶたはぱっちりと開き、肌は相変わらず白いが頬には赤みがさしていて健康的だ。


サテリット王国に居た頃に、やつれる前には好色な王に迫られたこともある。

はじめは王はシャロンを愛人にしようとしたのだ。

王に手を出されたら、舌を噛むといったシャロンから王は渋々手を引いたのだ。


王太子も今のシャロンだったら、婚約破棄していなかったかもしれない。


そんなことを思って、ぞっとして身を震わせる。

シャロンを抱きかかえる人狼の喉奥からグルルルルと威嚇音が聞こえる。

なだめるように、ふさふさの腕をなでると、シャロンの頭に顎をこすりつけられた。


「……今、サテリット王国は大変なことになっている」


「だから、なんだというのです?」


三年前の断罪劇の時とは外見が正反対になっている王太子がそこにはいた。


「戻ってきてくれないか? 今のお前なら俺の婚約者に戻してもいい」


「ふふっ、ふふっ」


過酷な旅路だったのだろう、王太子はボロボロの姿でやつれていた。

みすぼらしい姿になっても、その尊大な物言いは変っていない。

自分の立場をまったくわかっていない王太子に思わず、シャロンの口から笑いがこぼれる。


「ふふっ、悪い話じゃないだろう。お前をオールディス伯爵籍に戻してやる。霊払師として働いてくれ。報酬も出すし……」


「お断りしますわ」


王太子が話している途中で、シャロンは食い気味に返答した。

断られると思っていなかったのか、王太子がぽかんとした顔でこちらを見た。


野営を続けたせいか汚れていてひどく匂う王太子とお付きのものたちは屋敷には入れてもらえず、庭で対面している。

シャロンは大柄な人狼のスノウに抱きかかえられて、庭のベンチに腰掛けて上から彼を見下ろしている。

地面で這いつくばる王太子を見ると、シャロンの気持ちがすっとした。


「今、お前の祖国は大変なことになっているんだぞ?」


王太子がみなまで言わずとも、シャロンにも想像できる。


はじめに影響が出たのは王宮かしらね?


今代の王は女癖が悪い。

正妃に五人の側妃。

数えきれないほどの愛妾。

さらには城で働く女官や侍女、下働きの女達まで。

自分の気の向くままに、無責任に手を出していった。


そこに渦巻くのは女達の愛憎の念。


死霊より生霊の方がよっぽど質が悪い。

王宮はおどろおどろしい気が満ちていた。


それを祓って回っていたのはシャロンだ。

碌に睡眠も食事もとれずに、祓っても祓ってもわいてくる。


古の王族とオールディス伯爵家との契約で縛られているのでさぼることはできない。


目には見えないが、禍々しい気が満ちている場にいると気分や体調が悪くなる。

シャロンがいなくなった後、祓われない怨念が王宮に静かに積もっていったのは想像に難くない。

そうしてじわりじわりと、王宮の者達の覇気がなくなっていったのであろう。


王宮だけではなく、貴族のお家騒動や事件や事故があった時には死霊やそこに残る怨念を祓った。

シャロンがいなくなってからは、そういった場所は事故や事件がその後も起こり続け、廃墟と化していっただろう。


王宮にはじまり、貴族家や街など暗い空気がじわじわと広がり、それを感じ取った庶民は他国へと流れただろう。

税を徴収する民がいなくなれば、貴族なんて無力なものだ。

王族との契約のない貴族はまっさきに逃げ出したであろう。

王国に残っている王族や貴族はまさに生き地獄を味わっているはず。


「ゴーストタウン……」

その様を想像してくふふっっとシャロンから笑いがこぼれる。


「貴様! なにを笑っているんだ!」

叫んでシャロンに王太子が飛びかかろうとする。


ガンッ!!


「え? オールディス伯爵夫人?」

地面で平伏していた王太子の浮き上がった背中に赤いヒールがめり込んでいる。


「痛い痛い……」


「態度にはお気をつけなすって。王太子殿下」

王太子をヒールで踏みつけ、スリットの入ったスカートから白い足を覗かせてお母様がのたまう。


「あなた様は王宮内をふらふらとさまようばかりで何もしていない霊払師など不要なのでしょう?」


「なぜあなたが……? 亡くなったはずでは?」


「ふふっ。サテリット王国に霊払師として使い潰されそうな娘が心配で冥界から蘇ってしまったんですよ?」

白い犬歯を輝かせて、にこりと笑うお母様の美しさに王太子はぼーっと見惚れている。


正確に言うと、廃墟を祓う仕事をしてる最中に出会った吸血鬼に見染められて口説かれていたお母様が死に際に番となることと引き換えに蘇ったのだ。

人間でも死人でもなく、吸血鬼として。


王太子は霊払師を大したことない職業だと思っていたみたいだが、そうではない。

領地も持たず、王宮に出仕するわけでもない。

それなのに莫大な報酬が得られる。

それだけの価値のある仕事だからだ。

精神力や命を削っているからだ。


そのおかげかオールディス伯爵家の者は代々、短命だ。

今代の王が節制しないせいで、父は早逝し、母も若くしてその後を追うことになった。


「どんなにシャロンが苦しんだかも知らずに……」

シャロンを抱きしめる人狼のスノウからうめき声が漏れる。

子犬として、仕事にも付き添ってくれたスノウはシャロンをずっと見守っていてくれた。


霊払師は人の念や生霊、死霊を祓う。

しかし、それは特殊能力ではない。

なにか言霊を唱えるとか、作法があるわけではない。

誰でもできる仕事だ。

しかし、その内容は過酷だ。


その場で悪いものを取り込むと意識して深呼吸するだけ。

自分の身を媒体にして、念や生霊や死霊を体に一旦取り込む。

そして、浄化して流すだけだ。


言葉にすると簡単だ。

でも、その憎悪の感情や、望まない死を与えられた場面、苦しみ、痛み全てを疑似体験しないといけない。


体に与えられる痛みより、心に与えられる痛みの方が毒になることもある。

そのたび、シャロンの小さな体のうちはどす黒く染まって、憎悪や怨念が体中を駆け巡る。


それを早くに通過させるためには、普段から節制し、体を清めなければならない。


何度も泣いて叫んで吐いて、命を終わらせたいと思った。

オールディス伯爵家の霊払師であった時のシャロンは終わらない地獄の中にいるようだった。

寄り添ってくれる子犬のスノウがいなかったら、シャロンは今生きていなかったかもしれない。


本当は子犬じゃなくて、人狼だったわけだけど……。


シャロンは落ち着きたくて、自分を抱きしめるスノウの胸元に顔を寄せてその匂いをすんすん嗅いだ。

スノウの少し硬い毛はいつもお日様の匂いがする。

スノウはシャロンの頭を優しくなでてくれた。


「聖女様がいるでしょう?」


唐突に、王太子の婚約者となった美しい女性のことをシャロンは思い出した。

シャロンの言葉を聞いた王太子の顔は苦々しく歪んだ。


「結界も癒しの力も、一つも効果がないんだ……」


「そう……」


シャロンはなんの感情もなくつぶやいた。

結界ってすごそうだけど、人の念とか霊はやはりはじけないんだろうか?

国全体を覆う混沌とした雰囲気は結界ではなんともできない気はする。

やはり地道に祓っていくしかないのだ。


「いいことを教えてあげましょう。シャロンを連れ帰らなくても、霊払師を作る方法はあるんですよ」

お母様がやっと王太子の背中からヒールをどけると、伴侶の吸血鬼がやってきてお母様のハイヒールを拭っている。

お母様の言葉に、王太子は褒美を与えられた犬のように目を輝かせた。


そう、霊払師は誰にでもできる仕事だ。


でも、誰も心の汚物を処理する仕事なんてしたいと思わない。

それを押し付けられたのがオールディス家だ。


オールディス家は特殊能力を持つ。

それは、人の想念や霊を見たり、聞いたり、感じる力だ。

でも、それだけだ。

祓うべきものがいる場所や人がわかる、ただそれだけの能力だ。


想念や霊を簡単に祓う技術や力もないし、浄化する力もない。


なのに、爵位を押し付けられ、王族との契約に縛られ霊払師として生きてきた。


多額な報奨金だって、伯爵家の維持費や霊払いする場所へ移動する費用、自分を清めるために使用する高額な塩や水晶などの道具代に消えていった。


そう、オールディス家にとってなんの得にもならない契約だったのだ。


「霊払師を作る方法だと?」


「生霊や死霊を祓うのは誰でもできます。なにかよろしくない気配のある場所に立って、悪いものを取り込むと意識して深呼吸するだけでいいのよ」


「たった、それだけ?」


「そうたったそれだけ。ホラ、王族の契約で婚約者や高位貴族を新たな霊払師に任命すれば解決するでしょ?」


悪魔が契約を持ちかける時のような蠱惑的な笑みをお母様は浮かべた。

王太子はもうシャロンのことなど頭から抜けて、お母様に魅入られている。


「本当だな?」


「ええ、オールディス伯爵家に誓って」


王太子とお母様とのやり取りを見ながら、ふわぁとシャロンはあくびをした。

もう飽きてきたな……。

嫌な過去を思い出したら、なんだかお腹もすいてきたし……。


シャロンの口元にチョコが差し出されて、ぱくりと口に含む。

口の中に広がる甘さとスノウの優しさにシャロンの頬が緩む。


シャロンがスノウに身を預けてうとうとしている間に、王太子一行は帰っていったようだった。


「意外と生命力の強い王太子ね。ここまでたどり着くなんて」


「念のため、この屋敷は引き払って、違う国に移りましょう」


「そうね、追い詰められたネズミってなにするかわからないものね」


ぼんやりと母とその伴侶の会話を聞く。


シャロンの脳裏に、その後のサテリット王国が浮かぶ。

バカで単純な王太子は、得意げに王にお母様から伝え聞いたことを伝えて実行に移すでしょう。

霊払師に任命された貴族達の断末魔が聞こえるようだわ。

一度味わったら、もう二度とやりたくない。

でも、王族との契約でやるしかない。

そして、霊払師達の怨念でさらに王国の影は濃くなっていく。

先に倒れるのは払いきれない怨念に包まれる王族か? 怨念をその身で味わう霊払師となった貴族達か?

サテリット王国が亡霊の国になるのは遠い日ではなさそうだ。


この世界でひっそりと暮らす吸血鬼は大陸中にネットワークがある。

お母様とその伴侶の吸血鬼がいなかったら、シャロンはスノウと二人行き倒れていたかもしれない。

サテリット王国の城から逃れてから、全ての段取りを整えてくれる二人にこれからも全てを委ねて行こう。

それで万事、大丈夫。


シャロンはスノウの腕の中ですやすやと眠りについた。


「シャロンちゃんはよく眠るね」


「ふふっ。これまで自分を酷使していたから、きっとその反動ね。守れなかった分、これからはずっと守るわ」


シャロンの母の誓いのような言葉に、シャロンを宝物のように大事に抱きしめている人狼のスノウも頷く。


こうして、霊払師令嬢であったシャロンの婚約破棄の後始末もきわめて効率的に行われたのだった。

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