御剣 2-1
「おお……」
翆嶺村を離れて、二日目の朝。久世楼という温泉が自慢の宿に一泊し、駅舎にたどり着く。木造二階建ての小さな建物で、切符売り場では初老の男性があくびを零し、待合室に人気はない。歩廊には、線路の上でずしりと重厚で墨を押し固めたような列車が鎮座している。その存在感たるや飲み込まれる錯覚を受けるほど雄大であった。
「SLってやつか」
映画や写真の中で見ることはあったが、本物の蒸気機関車を目にするのは初めてであった。機関車や電車という代物に六之介《りゅうのすけ》は関心を抱くことはなかったが、それを愛好する人々の気持ちが分かるような気がした。
「えすえる?」
「スチームロコモティブの頭文字を取ったものだったかな……ん?」
全体を観察していると、違和感を覚える。SLには詳しくないが、その特徴は分かる。玩具なり子供の落書きだったり、SLの顔とも呼べる部分は煙突だろう。
蒸気機関車は湯を沸かし、発生した蒸気を動力源として走行する。煙突は湯を沸かす際に必要とされる燃料、すなわち石炭の燃焼によって生じる煙を吐き出す上では必要不可欠だったはずだが、それがない。
「何を言っているのかさっぱりわかりませんが、これは魔導機関車ですよ?」
華也は大きな旅行鞄と車内で食べる弁当を持って、乗車時間の確認をしている。
「魔導、機関車?」
六之介は後々届けてもらう荷物以外の手持ち出来る品々、衣類や工具などを風呂敷に詰めて、背負っていた。それを駅員に渡す。
「はい、効子結晶を燃料に動くんです。この辺では走っていませんが、車や自動二輪車なんかもそうですよ」
「車があるの?」
「ええ」
当然であると言わんばかりの表情だ。六之介はいつもののんべんだらりとしてだらしない表情は消え失せ、驚愕の色に染まっている。
「そうか……文明レベルは江戸時代ぐらいだと思ってたけど、かなり進んでいるな……大正、明治時代あたりか……?」
ぶつぶつと独り言を呟く六之介を見ながら、華也《かや》は思考を巡らせる。
六之介は魔導官として勧誘された形となる。それ自体は前例がないわけではない。ただし、魔導官になるためにはある程度手続きが必要だ。
まずは簡易的な個人情報の提示だが、これは問題ない。翆嶺村を出身地とし、本名と生年月日を登録するだけでいい。
次に魔導、魔導官、禍鬼の知識。これは本来ならば魔導官養成学校で学ぶことであり必要不可欠な知識であるが、その点も問題はない。決して長い付き合いではないが十分に分かる。この稲峰六之介という人間は聡明だ。辺境の村にいたとは思えないほどに。きちんと専門の書籍を与え、助力すれば我々と大差はなくなるだろう。
そして、異能。これは魔導官であるという証明でもあり、欠かせぬ自身の一部である。魔導官が有する異能は養成学校中に与えられるものであり、それから時間をかけて能力の使い方、戦い方を覚えていく。異能は基本的に後天的なものだ。しかし、中には生まれつき異能を有している者も存在する。六之介はその類であろうか。
未だに彼の能力について聞き出していない。それどころか異世界から来たという、聞きようによっては狂人と思われそうなことも彼は言っている。その真偽も聞き出していない。
いまだ謎の多い連れのことを考えていると、機関車の乗車口が音を立てて開いた。
車内に人はいなかった。列車は徐々に速度を上げ、最高速度で走っている。ガラス越しに映る田園風景を、六之介は口を開けたまま見ている。その様がなんだか可愛らしく、華也は笑みを零す。
「そんなに物珍しいですか?」
視線を対面に向け、頷く。
「電車や新幹線に乗ったことはあるから、速度的な驚きはないよ。でも、景色がすごい」
むしろ速度は遅いぐらいだ。だからこそ、じっくりと景色を眺めることができる。
「こんなに風景を見るのは初めてだ」
華也にとって、車窓からの風景はなんてことのないだ。この地域は水気を多く含んだ土地柄であり、そのうえ粘土質の土が多い。それゆえに稲作を生業としている人々によって形成された村が点々と存在している。
梅雨明け間近の暖かな風を受けて首を垂れた稲穂が海原の様に波打っている。
「ここは田園ですが、隧道を二つほど抜けますと畑が多くなるんですよ」
「へえ、それは楽しみだ」
目がきらきらと輝いている。
「……あの、六之介様」
「ん?」
「いくつか伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
華也は特定の答えを要求するための遠回りな問い方、いわゆる誘導尋問のような器用な真似は出来ない。罪悪感がまず先に出る上に、そもそも口が上手くない。そのため、真っすぐに問うようにしている。誠心誠意を込めて、嘘偽りない態度をとる。
だからこそだろう。多くのものはそれを感じ取り、応じてくれる。のだが。
「やだ」
「……え」
六之介は視線を外に向けたまま、隣に置かれた弁当をあさり、おにぎりを一つ取り出す。宿の女将がこさえてくれたもので、大の大人の握りこぶしを包めるほど大きい。それにかぶりつく。
「やら。めんろくふぁい」
「そ、そうおっしゃらずに! 魔導官になるうえで必要なのですよ!」
咀嚼し、喉を鳴らし飲み込む。美味しかったらしく、目を輝かせている。
「別に魔導官になるとは言ってないし」
「え? で、ですがヨイ様が……」
彼女を見向きもせず、再度車窓の外に視線を戻す。
六之介の言葉に、はっとする。その通りであった。確かに彼は言っていない。
翆嶺村の村長であるヨイから、六之介を魔導官にしてほしいと頼まれていたのだが、彼からそれを聞いたことはなかった。
「あー、ばあちゃん、余計な事言った感じか」
何となく察したのだろう。困ったなといった具合に頬をかく。
「自分は街には行くけど、魔導官になるとは言ってないよ」
二口目。そして飲み込む。
「で、ですが……」
「だいたい、魔導官てアレでしょ? 上司の命令とかには従わなきゃいけないんだよね?」
「基本的にはそうです」
「じゃあ、死ぬ可能性が高い仕事を押し付けられたりするじゃん。やだよ、そんなので死ぬの」
隧道に入り、彼の顔は見えなくなる。その上、声色はいつにも増して平坦なものである。それがひどく不気味で名状しがたい威圧感を孕んでいた。華也の背筋に冷や汗が流れる。
「赤の他人のために、それも自分の意思と関係なく命を失うなんてまっぴらごめんだね。自分はやりたいことを、自分の意思でやる。誰かに言われたことなんて、命令なんて絶対にやってやらない」
はき捨てるかの物言い。しかし、それは華也にとって聞き覚えのある内容だった。
「……ふふ」
思わず笑う。同時に隧道を抜け、日が差し込む。その眩さに思わず、瞠目する。
「何かおかしなこといった?」
「いえ、すみません。ただ、署長が……私の上司が同じことを仰っていたもので」
一年ほど前、正式に魔導官となったその日に言われた、上司からの言葉を思い出す。激励や新人への期待を示すものは一切なく、あの人は言ってのけた。
『誰かに命じられたから従うような奴はいらん。自分がやりたいことを、自分の意思でやれ。気に食わない命令ならそれを無視しても構わん』
不敵な笑みを浮かべ、他者を見下すような態度だった。しかし、高圧的な雰囲気だというのに、不思議と嫌悪感はなく、それどころか好感すら抱いた。
理屈ではない。ただ伝わってきた、としか言えない。署長は決して粗悪な人物ではない。あくまでそう振る舞っているだけである、と。
六之介は、自らの存在をぼかすように振る舞っているが、内心では強い思いを、意思を宿しているように見えた。そうでなければ翆嶺村を救うために尽力などしない。
「へえ、そんな上司がいるんだ」
意外そうにつぶやく。
稲峰六之介という人物は、普通の魔導官署に属するには不向きであろう。しかし、第六十六魔導官署であれば話は別だ。彼のあり方は署長の思考と適合し、大きな力となるだろう。だが、魔導官になるというのは危険と隣り合わせになるということでもある。故に、強い意志がないのであれば、勧めるわけにはいかない。
だからこれは、魔導官になる云々とは無関係な質問であった。純粋な疑問をぶつける。
「あなたは、異世界から来たと仰っていましたけれど、それはどんな世界なのですか?」
完全に信用したというわけではない。しかし、興味はあった。元々そういった超常現象、未確認生物、幽霊、妖怪などの話を好んでいる。書籍や口伝によって情報を収集し、まとめるのがちょっとした趣味であった。
「そうだなあ、どこから話すべきか……」