私の英雄
それはきっと私の憶測でたかが噂に過ぎないのだが、気づけば頭より足が先に動いていた。
最近はこの街も梅雨入りしたらしく、雨が止むのをひたすら待っていたら、黒猫を探し始めるまで随分と時間がかかってしまった。
噂もどこで聞いたものか分からない。
でも私は手あたり次第探した。
近所の路地裏、通っている八百屋さんの近く、今度転入することが決まっている学校の周囲やその近くにある裏山も。
でも黒猫どころか猫一匹見当たらなかった。
―――黒猫に出会った人間は、その人にとっていちばん大切な人と出会うことができる。
随分とロマンチックで、聞いているこっちが恥ずかしくなってくるような噂話だ。
でも仮にそんな猫がいるとして、本当に―――本当に大切な人に会せてくれるのなら、あの人に会えるかもしれない。
昔、友達もいなくて泣いてばっかりだった私に寄り添ってくれたあの人に。
もし会えたらお礼が言いたい。そして伝えきれなかったことも全部伝えたい。
でもなぜか分からないが、私とあの人は気づいた時には、会うことも、すれ違うことも無くなっていた。
というのも、記憶がぼやけていて、その間のことがよく思い出せない。
だから彼に会って―――会って色々聞きたい。話したいことがたくさんある。
でも私は馬鹿だ。馬鹿でドジで、どうしようもない、昔からの性格は今になっても健在だった。だから河川敷で黒猫を見つけても、うっかり崖から落ちてしまう。
「なんで、いつも……、いつも、私は誰かに助けられなきゃ、生きていけないわけ……?」
自分のことが嫌いになってくる。
こんな私を見かねて、彼も私から距離を取ったのかもしれない。
「はは、そうだよね……。どうしようもないよね、私なんか」
自分で自分を追い詰めれば少しは楽になると思ったのに違った。
感情だけはいつも素直で、目頭が熱くなる。
涙も目下にどんどん溜まっていく。
こんなところ、二度と誰かに見られたくないのに……。
彼がカルミアと名乗っていたように、今度は私がその名前を借りて、彼に恩返しがしたい。
なのに、私は私のままだった……。
すると―――。
「なにしてんだ?」
聞き覚えの無いはずの声なのに、うっかり顔を上げてしまう。
目の前には膝まづいた私を見下ろす制服を着た男の人がいた。
あまり整えられていない黒髪に、覇気がない表情。
不審者かなぁ、と失礼なことも考えた。
私も誤魔化すことはいくらでもできたはずだ。
なのに、
「黒猫を追っていて、でも崖の上に行っちゃって……」
彼のダルそうな雰囲気に怖気づいてしまい、つい本当のことを喋ってしまった。
「で、猫を追っていて崖から落ちたと」
「そ、そう……だけど」
「なんだ。猫を追って崖から落ちたとか、ただのバカだったか」
「う、うっさい! バカ言うな! バカって言った方がバカなんだから!」
「とんだ常套句を」
もっと言い返してやる! と思ったが膝がズキズキ痛んだ。
そんな高い場所から落ちたわけでもないのに、膝から血が流れていた。
「ちょっと待ってろ」
そう言って彼は、そんな無様な私にハンカチを貸してくれた。
よくわからなかった。
この人とは初対面のはずなのに、なんでここまでしてくれるのか……。
制服からして安曇ヶ原高校の人だろとうのは察しがついたが、それ以外は何もわからない。
名前くらい聞いといた方がいいだろうと思ったのだが、彼は私に絆創膏代だけ渡してその場から立ち去って行ってしまった。
また私は助けられてしまった……。
得を積むつもりも無いのに、払っていく物だけが増えてゆく。
拳を強く握りしめる。自分の無力さが腹立たしい。
いや、考えていても仕方がない。
今は黒猫を探そう。それが私に与えられた使命にも感じたから。
黒猫に出会えれば、こんな私も何か変わるかもしれない。
そして、あの人に会えるかもしれない。
そんな論理もへったくれもない希望をもって私は歩き出した。