借金なら結構だ
「おい、どこへ行くつもりだ?」
「あ? 帰るに決まってんだろ」
「まだ本題を話していないんだが?」
扉に手を掛けると先生は侮蔑の目でこっちをみていた。
「現に体育教師、もと警察官から逃れられるとは思うなよ」
「警察官ではなく、捕まる側の間違いじゃないのか?」
「お前も一服どうだ」
「共犯者にはなりたくない」
この先生が体育担当なのは事実だが、警察官だったかどうかまでは分からない。
というか信じたくない。
こんなもやしのようなガタイの男が、竹刀を振り回している姿とか想像できなし、どうみても凶悪殺人犯との一騎討ちなんかになったら真っ先に狙われそうなポジションにいるタイプじゃん。
しかし先生は俺の考えもお構いなしに、
「お前には、諏訪と、その他クラスの面々を後ろから支えてやってほしい」
そう切り出した。
「唐突だな」
「嵐山しか話す相手がいない哀れなお前だからこそ頼めることだ」
「それって褒められてるの?」
「無論、貶している。最高に楽しい」
アンタ最低すぎるだろ……。さっさと教師やめちまえ………。
「だいいち、クラスの奴等は置いといて、諏訪のバックヤードになれなんて御免だね。いつ俺の脛を消されるか知ったもんじゃない」
「白芸祭まででいい、お前がこうした方がいいと思った部分を、ちょっとアイツに吹き込むだけだ。そうすれば、二年B組は軌道修正できる」
「勝敗とか、承認欲求とかどうでもいいんだけど」
「そんなものに興味が無いのはお前だけだ。高校生っていうのは基本、現金な生き物なんだよ」
「無理だな、他をあたってくれ」
白芸祭という一大イベントにおいて、俺のクラスの地位が下がっているのは言わずもがな。それはクラスメイトである俺の目からしても明らかなこと。
だから先生は青春という概念に無頓着であるからこそクラスでいちばん冷静になっていると見込んだ俺にこのような鬼畜過ぎるミッションを課してきたのだろう。
が、かくいう俺も、このクラスを一新できる名案など持っているはずもなく……。
「というか、諏訪にできないんだったら俺にも無理だ」
アイツの性格は嫌いだが、才色兼備な諏訪に凡人の俺が指図できることなど一つも無い。
悔しいがそれは認めている。
「いや、お前の頭脳には端から期待していない」
射抜くような声音で先生は言った。
いや、だから普通にひどいこと言うな。事実だからいいんだけど。
だが、と先生がペットボトルを置いて続ける。
「お前ならなんかしてくれるだろうと、希望的観測にかけてみる」
俺が眉間に皺を寄せるも、すっと目の前に一枚のカードが現れた。
「タロット占い?」
「正位置、運命の輪。俺だって適当に言っているわけじゃない」
そういえば、元々ここはオカルト部が使っていた場所だったな。
先生の持ってるカードは、散らかった戸棚から適当に引きずりだしたのだろう。
俺は頭を掻きながら、
「ったく、報酬とかはあるのか?」
「ああ、そりゃお前の身に余るようなどでかいものを用意してある」
「金も名誉もいらないぞ?」
「そんなくだらない物じゃないさ。まあ、嫌でも報酬は見れると思うから、そのために頑張ってくれ」
「いや、それでも」と言いかけて、止まった。
ここまで言われて反論するのも面倒くさくなってしまった。
いまのクラスの状況を一変できる名案もない。
諏訪に勝るような頭脳だって俺にはない。
そもそもこういうことは、青春に全てを捧げた者たちが汗水ながして、死に物狂いで他クラスよりポイントを稼ぐ方法を考えるとかじゃないのか? そして成功した瞬間を仲間と共に笑って労う。それが物語としても正しい筋書きの筈だ。
俺なんかが出る幕ではない。
それでも先生の言う報酬には些か興味があった。
やっぱり俺も高校生である限り現金な生き物かもしれない。
「わかった、やりゃいいんだろ、やりゃ」
教師としての仕事を俺に投げつけていることには敢えて触れず一瞥すれば、先生は「そうこなくっちゃ」と言わんばかり不敵に笑っていた。
一様この教師モドキにも借りがある。
これ以上負債を背負わないように願いながら、俺は教室を出た。