黒猫
「てか何だ。俺はその猫同好会っていう得体の知れないもののために必死こいて部活の申請書類とかを提出させられていたわけか」
「教師に教室の所有権はないからな。管理はできるが、使用するのはお前らだ。さすがの俺も書類云々になってくると手が出せなくなってくる。あの時は助かった」
なるほど、よくわからん。
とにかく、俺がこのよくわからん同好会のために、生徒会長の諏訪に土下座してまで部活の申請用紙を提出しに行ったわけか……まあいい。終わった話をしても仕方がない。
それに、教室にいるよりも人の少ないこの部室(?)にいた方がいくらか気が楽なので、これ以上とやかく言うのもどうかと思った。
「それにアイツの活動場所にもなってるわけだし、別にいいだろ」
「アイツ?」
先生が親指で後ろを指す。
そこには粘土で作られた人間の上半身と、にらめっこしながら鉛筆を走らせている小柄な少女がいた。
佐倉双葉―――詳しくは知らないが、栗色のボブヘアを肩口で切り揃えている彼女は、一年生で、もともと美術部員だったらしく、今年度に入って美術部が無くなったいまでも、放課後この教室に来て一人で活動している。
正直それしかわからない。
大きな丸眼鏡をつけており表情は読み取れず、何を考えているかわからないのでこちらとしても話かけづらく、詳細も聞いていない。
「先生、猫好きなんだよな?」
「ん? まあ、」
俺は話を変えるべく、
「じゃあ、黒猫の噂って知ってるか?」
今朝、あの少女が言っていたことを一樹にもしたように、先生にも訊いてみる。
「ああ、知ってるよ」
先生はぼんやり頷いた。
え、知ってるのかよ……。
ってか、そんな噂が本当にあったのか……。
「お前は〝鍋島の化け猫騒動〟って知ってるか?」
「なんだそれ……」
訊き慣れない単語に首を傾げてしまう。
「じゃあ、佐賀藩は」
「それは歴史の授業で聞いたことある」
「なんだ。てっきり知らないと思ってた」
「バカにし過ぎでは……」
「まあいいさ。本題はここからだ。その鍋島騒動ってのは昔、肥前佐賀藩で起こったお家騒動のことだ」
「かつて二代目藩主・鍋島光茂の碁の相手を務めていた家臣・龍造寺又七郎は、とあることをきっかけに、光茂の機嫌を損ねてしまい惨殺されてしまう」
「又七郎の母親はそんな身勝手な藩主に恨み言を言いながら、息子の死に耐え切れず自害してしまう。この時、母親から流れた血を舐めた猫が〝化け猫〟となり、光茂の側近であったお豊を食い殺し、化け猫は着々と光茂のもとへ近づく」
「それ以降、家臣が突然発狂したり、奥女中が惨殺されたりと、様々な怪異的現象が多発する」
「光茂もそんな化け猫に苦しめられるが、結局、化け猫は忠臣が化け猫を退治して佐賀藩を救う―――という話だ」
「随分と現実味の無い話だな」
つらつらと話を終えた先生に俺は本音を漏らす。
「フン、当たり前だ。化け猫騒動ってのはそもそも佐賀藩が成立したときに起きた鍋島家と旧主家の龍造寺家との間の権力闘争から生まれたでっち上げ話だ」
「とすると?」
「どういう流れで来たのか知らんが、化け猫騒動の話はこんな小さな田舎に流れ込み、小さい子までにもその言い伝えは教えられた」
「そんな残酷な話を教えても大丈夫なのか? 教育的に………」
「だから教師や学習させる側は、幼稚園児に楽しんでもらえる話になるように内容もろとも改変したんだと。残酷な場面は全て取り除き、『親のいない黒猫が、困っている人々の願いを叶えていく物語』に………」
「黒猫なのは、何か意味があるのか?」
「さあな、俺はストーリーテラーじゃないから、知ったことじゃない。まあ俺の推測だが、黒猫は海外では縁起の悪い猫とされてるから、その揶揄じゃないのか………?」
「ちなみに日本では、江戸時代から黒猫は縁起の良い動物とされてる」と先生が付け加えて、俺はなんとなく得心がいった。
「ふ~ん」と、俺は適当に相槌を打ってから、
「今朝、その黒猫を探している人と会ったぞ……」
すると、きょとんとした顔で俺の方を見てから、
「へ~、大層な暇人がいるんだな……。でもまあ、無理だと思うよ」
「無理……?」
なんとなく話しているつもりだったが、途中から先生の表情は真剣―――というよりも、一種の諦めのようなものさえ感じられた。
何か地雷を踏むような真似でもしただろうか……。
俺には知ったことではないが。
しかしそれも束の間で先生は、すぐに気だるげな表情に戻ってから、
「言っただろ? これは作り話だ。どれだけ黒猫を追いかけてたって無駄ってことさ。いや、黒猫は日本にもたくさんいるが、恐らくその暇人ちゃんが探している黒猫に会えることはない………」
残念だが、ともう一度フッと笑う。
たしかにそうかもしれないが、じゃあ、あの少女は一体何のために黒猫なんかを追っかけていたのだろうか。
怪我をしてまで黒猫を探す、あるいは探さなきゃいけない理由。
それはなんなのか………。
「その黒猫をみつけたらなんかあるのか?」
「大したことはない。ただ、」
「ただ?」
「見つけると、〝大切な人に出会うことができる〝……らしい。何度も言うがたかが作り話だ。あてにするもんじゃない」
「大切な人に会うことができる、か………。随分とロマンチックな噂があるもんだな」
「本当かどうかは知らないが。でも俺もこんな年だ、そろそろ結婚相手を探さないといけないと思っていたころなんで、その猫と会って将来の奥さんを見つけたいところではあるがな」
「おいこら」
冗談冗談と手を振る先生を差し置いて、俺はペットボトルを鞄にしまってから立ち上がる。
カルミアが必死に黒猫を追いかけている姿を思い出して、てっきりその猫を見つけたら世界最強の力を手に入れることができるとか、大富豪になれるとか思っていたのだが、もっと小さいものだった。でも、
「大切な人に出会える、か」
独り言ちたのはとある考えが頭をよぎったからだ。勘違いしないでほしいのは、彼女がいないこの生活に飽きたからだとか、友達を増やしたいだとかそんな大それた理由じゃない。
そもそも幽霊もスピリチュアルな話も信じちゃいないが、それでも、もしその猫の噂が本当だとしたら……。
―――俺はあいつにも会えるんじゃないか。
「いや、馬鹿か俺は」
死んだ人間に、再び会うことなどできるはずがない。
違うか。会ってはいけないんだ。
きっとあいつは俺のことを憎んでいる。
殺したいほど、復讐したいほどに……。