腐れ教師に猫あれ……
夕方。雨はとっくに上がり、遠くの空から夕焼けが差している。
そんな黄昏時に俺は、閑散とした教室に来ていた。
戸棚にはよくわからない書類が無造作に散らばっており、部屋の真ん中には大人が三、四人寝れる大きさのデスクがある。
俺はデスクの片隅に座ってさっきもらったジュースをちびちび飲んでいた。
「クラス店の方はどうだ、順調に進んでるか?」
不健康そうな顔つきで、対角に三木が腰掛ける。
目元には隈が張り付いており、栄養失調で倒れないか心配してしまうほど痩せていた。
が、見た目によらず、俺はこの人が仕事を休んだところを見たことがない。
「あんたがいないおかげで順調だ、と言いたいところだけど、生憎と難航している」
「ま、昨年があんなんだったからな。さすがの諏訪でも簡単にはいかないか」
昨年のあれとは、クラス店のことだろう。
安曇ヶ原高校は基本的に三年間クラス替えがない。
だからというべきか、担任も基本的には変わらないので先生が俺たちの状況を、あらかた予想していたこともわかるのだが―――。
「いい加減、皮肉れてないで教室に来たらどうだ。職務放棄もいいとこだぞ」
「勘弁してくれ。担当の授業にはしっかりでているし、文化祭の打ち合わせも諏訪に全てを任せた方がいいと俺が判断したことだ」
「まあ、諏訪ができる奴なのは否定できねえが……」
「安心しろ、今はまだ俺の出る幕じゃない。今はまだ」
そう言って、口元にコーヒーカップをつけた三木は、何か算段がありそうだった。
「もしかして、文化祭で他のクラスに対抗できる手段でもあるのか?」
気になった。
すでに白芸祭でぼろぼろになった俺たちが、逆転勝ちできる手段なんてあるのかどうか。
演劇ができるようになれば話は早いが、それができないから諏訪たちは困っている。
もちろん、仮にも教師である三木がそれを把握していないとは到底思えないので、これ以上の策なんてあるのだろうか……。
「あるにはあるが、これは奥の手だ。お前らが血まみれで手も足も出ねぇようになってようやく使うものだな」
「血まみれになる文化祭なんて御免だね」
「はは、それもそうだな」
まあ、俺にとってはどうでもいい話だ。
先生が煙草に火をつける。
「それにしても、相変わらずここはあんたの喫煙所か」
「俺がいつ喫煙者になった」
「じゃあ、右手にもっているそれはなんだ」
「あ?」
まるで得体の知れないものをみるような目で先生は自分の手元を見て、灰皿に煙草を擦潰した。
マジか。こいつ、無意識に学校で煙草吸い始めてるぞ……。しかも生徒の前で。
教師という立場にも関わらず俺がこの人にため口で話すのはただ一つ。
「教師としての意識が欠如している」
「そういうお前は、学生としての意識が欠如しているんじゃないか?」
「成績普通、スポーツは人並み。誰に迷惑をかけたわけでもない。これのどこがわるい」
先生は呆れたように一呼吸置いて、
「そういうところだよ。お前みたいな生意気な奴が教師としていちばん扱いに困るタイプだ」
「こうやって茶会に誘っておきながら言う奴の台詞じゃねえ……」
「まあそういうな。お前のおかげでこの教室が借りれてるんじゃねえか」
俺らがいるこの部屋は、昨年まではオカルト部が使っていたらしいが、そのオカルト部が今年に入るところで廃部になったらしく、現にこうやって使用しているのだが、無論、俺らは何か用事があって使っているわけじゃない。
俺だってこんな所でちやほやせず、さっさと帰りたいくらいなのだが……。
「雨宮、なぜこの世の中から、授業中に居眠りをしてしまう生徒が絶えないとおもう?」
「知るかよ」
白けた表情をするも先生は窓の外を眺めながら黄昏ていた。
夕焼けが差し込んで、相手が学生なら思わず見とれていたかもしれないが、残念。
目の前にいるのは頬の肉が消えた不健康そうな教師。俺の目に留まったのはただの哀愁だった。
「ぶ、部活とかで疲れているからとか、じゃないのか?」
可哀そうになってきたので適当に答えてやる。
「それが違うんだなぁ」
いや、なんでドヤ顔なんだし……。
やっぱり答えるべきじゃなかった。ミイラみたいな顔しやがって。
「俺は思うんだ。学校には休む場所が皆無だと。生徒には授業やら大量の課題を与えるくせに、一呼吸つける場所は存在しない。それじゃまるで収容所じゃないか」
「それで、休憩所の名目であるのがこの教室か……」
「ご名答。まあ、公には猫同好会ということで通っているが」
「猫同会だ?」
あたりを見回しても猫一匹うろついていない。
俺が首を傾げると先生は「チッチ」と指を振る。だからうぜえって。
「おいおい、何寝ぼけた顔してやがる、雨宮。人生っていうのは、焼き肉、焼き肉より女、女より猫。この三段法則で成り立ってんだ」
「最後に女がこなかったところは褒めてやる」
というかこの人、猫好きなの?
ぜんぜんそう見えないし、初耳なんだが……。