俺の脛を守れ
朝から変わったものを見てしまったせいだろうか、それとも、二時限目あたりで降り出した穏やかな雨の音に負けて寝てしまったのだろうか。
午前中の記憶はまるでない。
すると、
「おい、起きろ」
ガンッ、と脛を蹴られた。
体中に電撃が走ったような感覚になる。
飛び起きて悲鳴を上げようとするも、目の前にいた女の姿に声を押し殺した。
「部活もやらず成績も普通、そんなやつに授業中眠る資格なんて無いはずだが」
「だから、普通に起こせって言ってるだろ! なかなか、というか普通に痛いんだよ!」
「ほう、私に指図するのか。貴様も頭が高くなったようだな」
「うぐ……す、すみません」
「文化祭クラス展示のアンケート、提出していないのはお前だけだ、雨宮」
そう言って鋭い目つきで俺を見下ろしてくる女―――否、安曇ヶ原高校の鬼軍曹。
彼女の名は、諏訪渚沙。
この教室、二年B組のクラス長でもあり、二年にして生徒会会長の座に君臨している諏訪はこの学校の支配者といっても過言ではない。
目鼻立ちはしっかりしていて、美人かどうかと聞かれれば間違いなく美人だし、学校でも上位にくるであろう容姿の持ち主だ。綺麗な紫のロングヘアをポニーテールにしており、うなじが色っぽく見えているし、胸も健康的な盛り上がり方をしている。「成績優秀、容姿端麗」とは彼女のためにある言葉かもしれない。
そんな彼女に実は―――というか当たり前かもしれないが―――彼氏もいる。
しかし一部の男子には諏訪に彼氏がいることを知っているのにも関わらず、まだ諦めきれきれない男連中が多数存在しており、必死にアピールしたりしている。
当たり前だがすべてバッサリと切り捨てられている。
そんな絶大な人気を誇る諏訪だが、なぜか俺への当たり方だけ異常に強く―――もちろんツンデレなどではなく―――本気で俺を憎んでいるような目つきをするため、俺はこいつが苦手だ。
諏訪は空を切るように、俺の机に一枚の紙を置いた。
「この昼休みが終わるまでにアンケートを出せ。いいな? さもなくば―――、」
「さもなくば?」
「ここで貴様の家系を終わらせる」
うわ、この人俺の金玉跡形もなく消滅させる気だ……。
「わかったな?」
「は、はい……」
渋々返事をすると、諏訪は、はあ、とため息を吐きながら自分の席へと戻って行った。
「見つかっちまったなぁ」
卵焼きを口に入れながら、俺の一つ前の席で一樹が呑気に苦笑いしていた。
どうやら俺はまた、昼食の時間まで見事に熟睡していたところを諏訪に叩き起こされたようだ。
「あんな奴とデートできる人間の気が知れねえ……」
「真面目な性格なんだよ。ああみえて可愛いところあるんだぜ」
「優しいのは結構なことで」
適当にあしらっておいて俺も弁当を取り出す。
蓋を開けると玄米、それから作り置きしておいたハンバーグとだし巻き卵、そして煮物が入っている。
「あいかわらずうまそうな弁当だな。専属シェフでも雇ってるのかってくらい」
「一人暮らしにそんな金はない」
「そっか、真白って一人暮らしだもんな。じゃあ彼女に作ってもらったとか」
「親から作り方を教わっただけだ。だいたい彼女なんていないし、作る気もない。あと俺に彼女がいるとでも?」
「あ~、それはないな。お前、彼女どころか俺以外友達いなさそうだし」
「まあな」
「否定しないところお前らしいわ」
もしゃもしゃ口を動かす一樹に躊躇いなく言われたが、事実なので否定はしない。
それに彼女を作って青春を謳歌できるほど俺は得を積んでいない。
なんなら払っていく物の方が多いと思う。
一樹より見た目が劣っていることが幸いなことに、告白されたことも一目置かれたことも今までにないのだが俺からすれば、言い訳とかではなくそっちの方がありがたい。
「真白も彼女出来たら雰囲気変わりそうなんだけどな」
「ほっとけ」
「はやくその根暗モードから脱却した方がいいぞ? 彼女なんていても面白くないっていうのは恋愛に疎い奴の言い訳だ」
「リア充に言われてもな」
何度も言うが、彼女を作る気は本当にない。
もし彼女がいなければ高校生活を謳歌できないというなら、高校なんて行かない方がマシだ。
「そういえば、お前がこの前言っていた幽霊とやらに会ったぞ」
「ふーん、どんなんだった? 巨乳だったか?」
適当に話題を変える。
嘘だと思っているのか、一樹は興味なさそうにしていた。
「Aも無かったな。黒猫を探してるとか言って、河川敷にいた」
「黒猫?」と、一樹は何のことか分からなさそうに首を傾げる。
どうやら一樹も黒猫のことは知らないらしく少しだけ安堵した。
「黒猫ってあれか? 見つけた奴は不運に見舞われるとか言われてるその黒猫か?」
「知らねえ。詳しくは聞かなかったが……」
「というか、河川敷って、お前学校さぼろうとしてただろ」
「う……」
「やっぱりな」
「ちゃんと来たから問題ないだろ」
こいつは察しと言うか、妙なところで頭が回るな……。
でもたしかに、なぜカルミアは黒猫なんて探していたのだろうか。
怪我をしていたあたり、相当真剣に探していたっぽけど……。
まあいい。
もう会わないだろう人の事を考えてもしょうがない。