再会
俺・雨宮真白はこの日初めて、河川敷で猫を探している幽霊を見つけた。
いや、見つけてしまったと言うのが妥当だろうか。
雲は一つなく、怪獣みたいな唸り声をあげながら横で川の流れる音だけが心臓に響く。
登校中だというのに学校とは真反対の河川敷に来たのは俺の捻くれた「学校さぼりたい」という気持ちが理由の大半なのだが、その反抗心が裏目に出たらしい。
彼女を無視することはいくらでもできたはずだ。
見過ごすことができなかったのは、おおよそ彼女の顔が痛みで歪んでいたせいだと思う。
普通に過ごし、普通を愛す。
そんな心情を掲げている俺でも、隣で泣くのを堪えている少女を見過ごせるほど肝は据わっていなかった。
実際に少女は塀にもたれて膝から鮮血を垂らしていた。
「で、猫を追っていて崖から落ちたと」
とりあえず少女から事の成り行きを聞きながら、膝の傷口を洗ってゆく。
「そ、そう……だけど」
「なんだ。猫を追って崖から落ちたとか、ただのバカだったか」
「う、うっさい! バカ言うな! バカって言った方がバカなんだから!」
「とんだ常套句を」
俺が真顔で言うと彼女は罰が悪そうに俯いた。
お互いにしばらくの沈黙が流れる。
水で傷口を洗うも、少々の血は流れ続けてしまう。
「ったく、ちょっと待ってろ」
俺は川の流れが緩いところをみつけて、そっちに向かった。
近頃、学校の周辺で幽霊が出たとはしゃいでいる輩が多くいる。
なんで今になって心霊が流行るのかわからない。
初夏に差し掛かって、肝試しが盛んになり始める時期だからだろうか。
とにかく、俺は幽霊なんていう存在を信じているわけではない。なんならそんなオカルトじみたものに興味もないし湧くこともないだろう。
それでも生徒に挟まれて一日のほとんどを過ごす高校生の身分として、その幽霊とやらの特徴や外見―――憶測でしかないが―――はある程度耳に挟んでいた。
昨日は唯一学校で話す友人の一樹が、
「この学校の近くに超絶可愛い幽霊がいるらしいけど、明日の放課後見つけに行こうぜ。しかも話によれば、ななかなかの巨乳らしい」
と変態じみたことを言いながら誘ってきた記憶がある。
事実(とある部分を除いて)学校で出回っている情報は当たっていたと言っていいだろう。
透き通るような銀色のロングヘア、世界中のガラス細工を結集したような、美しく、触れれば割れてしまうのではないだろうかと錯覚してしまうほど華奢な体格。少し垂れ目だが鼻立ちや顔も美術品なのではないかと思うくらい、目の前の少女は綺麗だった。
ここまでは、学校の噂で聞いていた容姿と全く同じなので、彼女が幽霊であると判断した根拠なのだが、一つだけ事前情報と全く違ったのは―――胸だ。
「ほら、水で濡らしてきてやったから傷拭いとけ」
「え、あ、……ありがとう……」
若干戸惑っている様子を見せながらも、彼女は俺からハンカチを受け取る。
でもまあ、本当に小さいな。
何が?
胸が。
「Aもないか……」
「?」
「あ、」
うっかり口に出ており、慌てて彼女から目を逸らす。
そう。噂で聞いた事前情報と違ったのは―――胸の大きさだった。
もちろんそれを楽しみにしていたわけではない。
バストのサイズで相手の美的価値を決めつけるほど俺も落ちこぼれてはいないのだが―――。
いかんせん俺も男だ。
噂というのは、良いように妄想も肥大させ、淡い期待すら抱かせてしまう。
何が巨乳だ……。
平たい胸板を見て、嘘をついた友人に心の中で悪態をつく。
アニメや漫画でよく見る、美人で成績優秀。それに胸も大きい、なんていう理想はここにはなかった。
しかしまあ、美貌だけはなかなかのものだった。
思わず凝視してしまうくらいには綺麗で、美人といっても過言ではない。
隣の花子さんもこの子くらい容姿も整っていれば、ホラーへの世間の認知は変わるかもしれないな。
なんていう俺のくだらない考えなんか気にした様子もなく、
「私、この街で〝黒猫〝を探してるの」
梅雨のジメジメした時期にふさわしいTシャツとスカート姿の少女―――幽霊はそう言ってきた。
俺は及び腰になりながら、
「黒猫……?」と、何の気なし首を傾げる。
「あー、飼ってた猫を逃がしたのか?」
「ちがうちがう。君は知らない? この街にいる黒猫の噂」
「さあ……」
黒猫の噂?
聞いたこともないな。
なんだ、最近の若者の間では噂が流行っているのか?
幽霊だったり、黒猫だったり。
すでに頭の中がパンクしそうなのだが……。
「そっか~。知らないかぁ~、有名な話だと思ったんだけど……、君友達いる?」
「なんだよ急に」
「いやだって、黒猫の噂ってこの街にいる限りほとんどの人知っていると思うよ。だから気になって」
「まあ、友達が少ないのは……認める」
「ボッチなんだぁ~」
「うっせぇ、友達くらい、まあ、いるっちゃいるが……」
「へぇ~、何人?」
ニヤニヤと、まるで馬鹿にする獲物を捕らえたような表情を作りながら、少女は俺を見上げてくる。
「……そりゃあ……ひ、一人、しか……いないな……」
「ホントに⁉ 少なすぎない?」
「別にいいだろ。俺が好きでやっていることだし、誰に迷惑をかけるでもないんだから」
「ふーん、変な人……」
「ほっとけ」
学生生活は友達と過ごしなさいみたいなルールはどこにも存在しない。少なくとも俺の学校では。
だったら俺がどう青春を謳歌しようが俺の勝手だ。
他人にちやほや言われる筋合いも権利もない。
「君は安曇ヶ原高校の生徒?」
「そうだけど、なんでわかった」
「いや制服着てるじゃん」
お前馬鹿なの? みたいな顔で薄ら笑いする少女に鞄でも投げたくなる。
それはさておき、安曇ヶ原高校というのは俺の通っている学校だ。
この地域では随一の進学校であり、就職やその先の進学にも力を入れている学校―――なのだが……。
残念なことにただそれだけ。
学校自体は山の麓にある陳腐な木造校舎で、悪い意味で目立っていない。
普段は自転車で片道一時間かけて通っているのだが、学校の前には「谷間坂」という生徒の間で名づけられた坂を二十分ほど上下しなければならず、体力を労す。
谷間坂という名前の由来は、坂の起伏の仕方が女性の胸を上から見下ろした時の形状と似ているからという理由が由来だそうだ。
一体どんな顔した変態が命名したのかいささか気になるが、雨の日などはその坂を自転車で疾走するのは危険なので、駅から二時間に一本出ているローカルバスに乗って通学しなければいけない。
何が言いたいかと言うと、この地域は誰がみても、ドがつくほどの田舎ということ。
「安曇ヶ原高校っていうことは、君、実は頭いい?」
「実はとか言うな。まあ世間一般からみたらそう映るかもしれないが、実際入ってみたらロクなことないぞ」
「どんな風に?」
「俺が授業中寝てたら脛蹴って起こしに来る奴いるし、担任が未使用の教室の管理を俺に押し付けてくるとか……」
「君ってトラブルメーカーなの?」
「否定はできない。だからこそ、こうやって幽霊さんと軽口言い合ってるのかもな」
「幽霊?」
俺の言葉に彼女はきょとん、と首を傾げた。
え、違うの?
俺はてっきり彼女のことを霊的な何かだと思っていたのだが……。
「あはは、幽霊なんかじゃなよぉ。もしかして学校とかで変な噂流れてる?」
幽霊疑惑、難なく解決……。
やはり噂というのはあてにならない。
「まあ……。俺の知り合いに関しては巨乳の幽霊がいるなんて言ってはしゃいでいたぞ」
「たった一人の友達のこと?」
「うるせ。そして憐れむような目で俺を見るな」
「ふふ、冗談冗談」
ったく、何が冗談だよ。
明らかに俺をボッチキャラだと認定しましたみたいな顔してるじゃねえか。
事実だし、その点にコンプレックスも抱いてはいないから、言い返す気も起りはしないが……。
見知らぬ他人と喋りすぎたことに後悔しつつ俺は来た道を戻ろうとする―――が、
「カルミア」
「ん?」
「それが私の名前……です」
自分で言い出したのに、恥ずかしかったのだろうか。
少し頬を染めながら、今にも消え入りそうな声で彼女は言った。
カルミア―――花言葉で、「希望」。
「急に名乗り始めて、どうかしたのか」
「いや、ここまで助けてもらって名前言うくらいは礼儀かなと……」
「大袈裟な。ハンカチ貸したくらいで」
「それでもだよ。今度何かお礼するから」
「やめてくれ。化けて出そうだ」
「だから、私は幽霊じゃないってば!」
「まあ、カルミアっていういい名前があるってことはそういう事なんだろうな」
「いい名前……? ほんとに、そう思う?」
「なんで自身なさそうにしてるんだよ」
素直な感想を言ったはずなのだが、なぜかカルミアは頬を染めながら俯いていた。
何が幽霊だ。
感情のある、ただの少女じゃないか……。
「いや、揶揄われるかなぁって思ってたから……」
別に恥ずかしく思う必要はないだろ。
たしかにちょっとは変わった名前だなと思ったが、自分の名前も女の子みたいな名前という理由で揶揄われたことがあったので人の名前に色々言う筋合いはない。
「いい名前、か……」
カルミアは俯きながら、くるくると銀髪の髪を弄っている。
しかし俺はある部分に納得がいっていない。
カルミアという名前はいい。
だが俺が来るまで彼女がしていた表情―――。
今回はたまたま俺が来たからよかったが、もし誰も来なかったらどうなっていたんだろうか。
とにかく、あの歪んだ―――痛みに耐えるような表情は希望という彼女の名前にふさわしくないし、少なくとも見てるこっちとしても居心地が悪い。
希望というからには笑顔だったり明るくしているのが妥当じゃないのか?
まあ彼女が明るくないかと聞かれれば、そうではない気がするが……。
「ほら、これ」
「え、」
だから俺は、財布からワンコイン出しカルミアに投げ渡した。
恩を売るつもりも返されるつもりもない。
勇気を振り絞って名前を名乗ってくれたのに申し訳ないが、どうせ彼女とはもう会わないだろうし、会ったとしても何かが起きるわけじゃない。
だからこれくらいのことをしていっても罰は当たらないだろ。
さすがに、天国にいるあいつも俺が人助けすることに悪く思わないはずだ。
「生憎、絆創膏は持ち合わせてないんだ。近くにコンビニあるから、そこで買って貼っておけ」
「え、い、いや、いいよ別に……。家だって、まあ……ここから三十分くらいかかるけど……」
段々と小さくなっていく声と背中に思わずため息がもれる。
「買わないんだったら、とっととその名前を変えろ。名前詐欺はほどほどにな」
「詐欺ってひどくない⁉ これが私の名前なんですけど⁉」
よし、自分の名前に堂々とできるくらいには回復したらしいな。
カルミアの声を無視して、倒していた自転車に跨る。
「え、ちょ、ちょっと、まだ君の名前訊いてないんだけど!」
後ろから声がした気がするが、構わず学校の方へと自転車を走らせた。
段々と夏が近づいてきている。
並木は桜色から新録に変わり、公園で遊ぶ子供たちの服装も半袖に変わっていた。
永遠に広がる青空を見上げながら昔のことを思い出す。
遅刻をしても、公園で俺を待っていた人のことを。
あいつは今頃、天国で何をしているんだろうか。
楽しく過ごしているだろうか。
「それはないか」
あいつを殺してしまったのは自分なのに。
守ってやると約束したのに、その約束さえ守れなかった。
だからあいつは今頃、俺のことを憎んでいるだろう。
きっと―――いや、絶対にそうだ。
だから俺がカルミアという少女に情けをかけてしまったのはきっと、あいつに似ていたからだと思う。
あいつに少しでも許してほしくて、自分の罪を少しでも軽くしたかった、ただの欺瞞。
そんな浅ましい考えを持つ自分に、人との関係なんていらない。
俺は人並みの青春を送ってはいけないのだ。
普通に過ごし、普通を愛す。
くだらない心情を持ってから五年が経った今だからこそ言える。
カルミア〈希望〉なんて、俺の前から死に失せた。
はじめまして、このしろと申します。名前の由来は、まんま魚からです。この度、初の長編小説に挑戦させていただくことになりました。キャラクターたちに全てを委ねて書いているので、当たって砕けろみたいなところはありますが、読んでいただけたならばこれ以上幸せなことはありません。真白君が大分捻くれておりますが、温かい目で見守ってやってください(親目線)。