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リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
9/19

8 提示された条件



 国境の見学から帰って来たフリードリヒは「疲れた」と言って、昼も夜も食事の席に顔を出さなかった。

 翌日の朝食のときも体調が思わしくないと言っていたらしく、連絡係としてつけていた側仕えが困ったように報告してくる。これはどうしたものだろうか。


「どうせ仮病だろう」


 食後のお茶を飲みながら一緒に報告を聞いていたジークヴァルトが、嫌そうな顔で言った。


「憎らしいわたしに、正論での苦言を食らったからな。(はらわた)が煮え繰り返っていて、取り繕うのに難儀するほどだから出て来ないのだ。側近達も同様だろう」


 もう成人したというのに、まだ七歳のリーゼロッテよりも幼稚な行動をとる、とうんざりしたように呟く。その言葉にリーゼロッテは首を傾げた。


「……あの、おじ様?」

「なんだ?」

「おじ様は以前、フリードリヒ王子はとても大人しい気性の方だと言っていらしたと思うのですが、私、とてもそのように思えないのですけれど……」


 どちらかというと苛烈なのではないだろうか、と尋ねると、不思議そうな顔をされる。


「大人しいではないか。自分より格下だと思う相手にしか大きく出られないのだから」


 それはなにか意味合いが違うのではないだろうか、と思ったが、的確な指摘の言葉が思い浮かばなかったので、リーゼロッテはひと口お茶を飲んだ。


 ジークヴァルトは時々なんかちょっと感覚が違うなぁ、と感じる部分があるのだが、それは性別の差なのか、年齢差の所為なのか、それとも立場の違いからなのか、リーゼロッテにはまだ理解が出来ない。けれど、エッダもたまに困ったような顔をしているときがあるので、彼の性格に因るものが大きいのかも知れない。

 部屋の隅に控えているエッダをちらりと見ると、やっぱり困ったような顔をしている。ではやはり、ジークヴァルトの言っていることは一般的ではないのだろう。


 最後に今日の予定を確認して、朝食の時間を終えた。

 フリードリヒが体調がよくないと引きこもっているのなら、今日は外出はしないことだろう。何日も要塞に行く時間がなかったので、この隙に魔力を蓄えに行かなければ。


 部屋に戻ってから、フリードリヒへのお見舞いとご機嫌伺いをするように、とエッダから進言を受けた。


「おじ様は仮病だと言っていましたよ? そういうときに真面目にお見舞いをされたりしたら、気不味くないですか?」

「それでも、ですよ。客人をもてなす立場としてお手紙を書いてください。医師の派遣は必要か、お薬の用意は必要かとも尋ねてくださいませ」


 指示されたとおりに手紙を書き、早く回復されますように、と定型文で結んだ。言われるままに書いただけであまり心はこもっていないが、今までのことを考えれば仕方がないことだろう。しかし、封をしながら「早く王都に帰ってくれますように」という念はたっぷりと込めておく。

 お見舞いの品として滋養にいい蜂蜜を準備してもらい、届けるようにドロテアに頼んでおく。お菓子の好みなどもよく知らないし、本当に具合が悪かったら食べ物は受け付けないかも知れないが、蜂蜜なら日持ちもするから問題ないだろう。


 その間にさっさと着替えを済ませて要塞に向かうことにする。いつまたフリードリヒから無茶な要求が来るかわからないのだし、不在にする用事は急いで処理しなければならないのだから、出来るだけ急がねば。

 一応、ジークヴァルトとマリウスに要塞に向かう旨を連絡し、ディードに迎えに来てもらう。彼に送迎を頼むことが、リーゼロッテ一人で往復する条件なのだ。


 屋上に上がって出発の準備をしていると、ほとんど待つことなくディードの騎獣が空を駆けて来た。彼の騎獣は風山猫(ゲヴィッタールクス)という猫科の魔獣だ。すばしっこくて従えるのに苦労したそうだ。


 会わなかった数日の報告を聞きながら要塞に向かうと、到着の連絡を隊長のニコラウスへ伝えてもらえるように頼み、核の魔石がある部屋へ行く。ひと月程前までは空っぽだった核には、もう半分以上の魔力が満ちて淡く光っていた。

 順調だな、と自分の成果に満足しながら部屋を出ると、ニコラウスが挨拶の為に待っていてくれた。


「少し日にちが空いてしまいましたが、変わりはありませんでしたか?」

「はい。リーゼロッテ様が小まめに魔力を注いでくださっていますので、機能に不足が出ることもありません」

「満杯にはまだ遠いのですけれど……」


 二日置きぐらいに少しずつしか注げていないので時間がかかっている、と申し訳なく告げると、ニコラウスは首を振って笑った。


「常時稼働させる戦時中でもなければ、三分の一ほど溜まっていれば大丈夫だそうですよ。それだけあれば、咄嗟のときに全力で稼働させても五日は凌げる筈です」


 先の戦闘では想定よりも激しい攻撃を受けた為、半分ほど溜まっていたものを使い切ってしまった。機能が完全停止してしまうと最低限の防御すら出来ずに陥落してしまうので、途中からジークヴァルトが魔力を注ぎ込みながら動かし、なんとか防いでいたのだという。


「ジークヴァルト様が魔力の多い方でなければ、十日も凌げずに陥落していたでしょう。お戻りになられていて本当に助かりましたよ」


 今はそのときよりもたっぷりと魔力が溜め込まれているので、攻め込まれてもまったく問題ない、と実に頼もしい言葉がもらえた。

 安心して頷き返しながら、ふと気がついたことがある。


「途中で尽きたということは、私が寝ていた間のことですよね? おじ様はどうやって魔力を注いでくださっていたのでしょう?」


 核の魔術具がある部屋は結界が張られているので、領主とその代行許可のある者しか入れないと言っていた。リーゼロッテの僅かな覚醒のときに代行許可証を使えるようにしたので、それまでは部外者と判断されていた筈だ。あの部屋に入れなければ魔力を注げないのではないだろうか。


「保守の為に、領民であれば魔力を注げる場所があるのですよ」


 他領の人間に簡単に使われては大変なので、クラウゼヴィッツの領民であることが入室条件になっているが、核へ魔力供給の出来る場所があるらしい。ただ、それは応急処置的な手段になるので、そこから魔力を送り込むと少々無駄が多くなってあまり効率はよくないのだとか。


 緊急事態に対する備えがあるのはよいことだ。けれど、一定の条件を満たせれば領主以外でも使えるということは、それを悪用される可能性が僅かにでも存在するということだろう。だからジークヴァルトは、リーゼロッテへの領主教育を急いでいるのだ。


「今はお客様もいらっしゃっていますし、どんな小さなことでも、なにか気にかかるようなことがあればすぐに連絡してください」

「心得ております。どうぞお任せください」


 ニコラウスと別れたあとは、訓練場に顔を出して皆を激励し、ディードに送られて城へと戻るのがすっかり習慣となっている。

 騎獣を片付けて自室へと急ぎ戻れば、帰城時間を予想していたエッダが着替え一式を揃えて待ち構えていた。大急ぎで着替えて執務室へ向かわなければならない。


「普段からズボンを穿くことは出来ませんか?」


 着替えさせてもらいながら、リーゼロッテは最近感じていた不満を口にする。

 騎獣には跨って乗るので、下着が見えたりしないようにスカートではいけないと言われている。その為、出かけるのにいちいち着替え、戻って来てまた着替えるという手間をかけているのだ。

 汚してもいないのに何度も着替えるのは、とても時間がもったいないと思う。それなのに、無駄を嫌う筈のジークヴァルトがそのように指示しているのだから不思議なものだ。


「異性装など、淑女としてはあるまじきことですね」


 エッダは恐い顔で返しながら、背中の釦を手早く留めていく。


「何故、駄目なのですか?」

「女性は女性らしくあるべきです。姫様は領主であるのですから、品格も大事にしなければならないのですよ」

「時間の無駄よりも、品格の方が大事なのですか? 私は何度も着替えをする時間よりも、少しでもお仕事を進めたり、お勉強をする方が大事だと思うのですけれど……」


 身分を示すマント替わりの上衣を着せかけてもらいながら、リーゼロッテは唇を尖らせる。この上衣を着るのも夏に近づいてきた最近はちょっと暑いので、どうにか簡略したいと思っているのだが、きっとそれも許してもらえないだろう。

 騎獣の魔石をマント留めに嵌め込んでくれたエッダは、少し悩むような表情でこちらを見下ろしてきた。


「確かに、お忙しい姫様には、このような着替えの時間は無駄だと感じられるのかも知れませんが……ですが、やはり必要なことなのですから、ご理解くださいませ」


 大変にがっかりな結論だった。リーゼロッテはちょっと肩を落として溜め息をつきながらも、仕方なく頷くしかない。まだ子供の自分は、本来なら導いてくれる両親を亡くしてしまった以上、教育係であるエッダの言葉に従うことが必要なのだから。


「……そういえば、女性騎士は、男性と同じような騎士装束を纏いますね」


 しょんぼりと執務室へ向かう準備をしていると、エッダが思い出したように呟いた。


「彼女達は確か、切れ込みの入ったスカートを上から穿いていたような気がします。……私の記憶違いかもしれませんし、詳細はわかりませんので、針子達に訊いてみなければはっきりとは申し上げられませんが」


 女性騎士は元々なり手が少なく、隣国との緊張地帯であるクラウゼヴィッツでは特に男性の方が圧倒的に多かったので、エッダはあまり接したことがないらしい。記憶を辿りながらそんなことを言ったが、リーゼロッテはその言葉に少し気持ちが上向いた。


「そのような服装なら、普段から着ていられますか? 領主の品格には足りますか?」


 騎士装束ならばあまり華美ではないだろうし、執務の際の仕事着にしても問題ないだろうと思う。規定されている型に近ければ、外出も問題なく出来ることだろう。

 期待に満ちた目を向けるリーゼロッテの様子に、エッダは苦笑した。


「まだ断言は致しかねますよ。針子に相談して、ジークヴァルト様やヘンドリクス様にも確認して、許可を頂けたら仕立てましょうか」

「はい!」


 元気よく頷いてから、寝台の上に置いてある竜の卵を撫でる。おじ様が許可をくれますように、と念じて満足すると、今度こそ執務室へ向かおうと歩き出した。

 そこへドロテアが戻って来た。


「姫様。恐れながら、今から少々お時間はございますか?」

「少しなら大丈夫ですけれど、なにか急ぎですか?」


 側仕えからの申し出ということに身構えてしまう。文官達からこういう言い回しをされるときは急ぎの決裁がほとんどなのだが、身の回りの世話をしてくれる人からこういう言葉を受けたことはない。


「フリードリヒ王子がお話があるそうなのです。待合室でお待ち頂いておりますので、急いで向かって頂きたく存じます」


 見舞いの品を届けに行ってくれていたドロテアは、そこで王子に引き止められ、リーゼロッテとの面会時間を設定して欲しいと頼まれたらしい。所用でしばらく外出していると断ったのだけれど、戻り次第すぐに、と強く押し切られたのだとか。

 客室のある離れに行き来するのは時間がかかるので、本館の待合室のひとつを用意して待ってもらっているということだ。既に待っているのならば行くしかないではないか。


「ドロテア、いくら王子のお言葉とはいえ、このような急な面会は姫様のご負担になります。時間を改めて設けるか、お断りするべきでしょう」


 そういう時間調整は側仕えの役目だ、とエッダは尖った声を出した。


「エッダ、ドロテアを叱っても仕方がないです。フリードリヒ王子にこちらの都合を考えてくださいと言っても、たぶん聞いてくれなかったでしょう」


 溜め息をついてうんざりしつつ、執務室へ向かう時間が遅れる、と伝えてくれるようにエッダに頼み、待合室へ向かうことにした。

 少し申し訳なさそうな表情のドロテアに案内された待合室には、悠然とした雰囲気で腰を下ろしているフリードリヒの姿が在った。


(……やっぱり仮病だったんだ)


 顔色もよく元気そうな様子に、少々呆れる。


「お話があると伺いました」


 うんざりしながらも礼儀正しく呼び出しの用件を問うと、フリードリヒは「取り敢えず座ってください」と対面の席を示した。

 お茶の用意をしようとする側仕えに断りを入れてから腰を下ろし、嫌々な本心を笑顔で包み隠しながら、フリードリヒに微笑みかける。


「お元気になられたようで安心しました。お夕食はご一緒出来るのでしょうか?」


 基本的に会食というものは昼食と夕食に設定されている。フリードリヒ達ともそうしていたのだが、今日は体調が思わしくないそうなので、夜までには回復するのだろうか、と確認してみる。

 フリードリヒはお茶をひと口飲んで微笑んだ。


「そう出来れば幸いですが、はっきりとは……」


 急に体調が悪そうな態度を出してくる。今は少しマシだけど、これからまた具合が悪くなるかも、と言いたいのだろう。

 それならばそれでもいい。微妙な雰囲気の中での食事はなかなかに疲れるのだ。


「お見舞いの品もありがとう。とても嬉しかったですよ」


 礼を言っているが、目が笑っていない。気に入らなかったのだな、と判断し、リーゼロッテは微笑んで頷き返しておくだけに留める。

 それから当たり障りなく、天気の話などが出てきた。仕方なく頷き返して聞いていると、こちらに来てから見聞きしたことなどをつらつら述べ始める。

 取り留めもない世間話に、リーゼロッテは困惑する。急ぎの話があったから呼び出したのではないだろうか。

 そこでハッとした。これもきっと、リーゼロッテに対する意地悪のうちなのだ。


(私、これでも忙しいのに!)


 この意味のない世間話に付き合っているうちに書類は溜まっていくし、勉強は遅れるし、ジークヴァルトは苛々しているだろうし――いいことがない。面倒事ばかりが積み重なっていく様子が頭の中に浮かんだ。

 こういうとき、エッダなら気を利かせて話題を切り替えるなり、退出出来るように仕向けてくれたりするのだが、まだ若いドロテアにはそういう技量が足りていないようだ。静かに微笑みを浮かべて控えている。


「――…そういうわけで、わたしと結婚して頂きたい」


 どうすればいいのだろう、と頭を悩ませていたら、なにか変なことを言われた。

 瞬きをして顔を上げ、ちょっと首を傾げた。そのまま数秒間考えてみるが、なんの話なのかわからない。


「…………申し訳ございません。よく聞こえなかったので、もう一度言ってもらってもいいですか?」

「人の話は、きちんと聞くものですよ、リーゼロッテ」


 少し呆れたような口調で言われる。苛々して聞いていなかったのは事実なので、なにも言わないでおく。


「わたしと結婚しなさい。それがクラウゼヴィッツの為になります」


 今度はちゃんと聞き取れたが、さっきと同じことを言われているような気がする。どうやらあれは聞き間違えではなかったらしい。

 結婚という言葉が指す意味をわからないわけではない。けれど、フリードリヒの口から出るには違和感しかない。


(えぇ? なんで突然そんな話に……? さっきまでなにか他の話……あ、うちのこと褒めてたんだ)


 なんの脈絡もなく出てきた言葉だから困惑したが、見て回った領地の様子を褒めていたので、そこからの繋がりでの話らしい。

 それでもわけがわからない。初日から散々馬鹿にしていたではないか。


「もちろん今すぐの話ではありませんよ。父上の許可は頂きますので、あなたが十二歳になったらでいいのです」


 一般的に婚姻するのは、十五歳の成人を経てからになる。貴族でも平民でも早ければ十六歳頃で、一番多いのは二十歳前後だ。貴族女性は二十五歳を超えると行き遅れと言われて嫁の貰い手もなくなり、その後は生涯独身で過ごす人の方がほとんどらしい。

 上級貴族の、特に王族や領主などに連なる家系の場合は、政治的な意味合いで成人を待たずに結婚する場合も稀にある。その場合は嫁婿ともに十二歳以上であり、出来ればどちらかが成人していて、両家の家長と王からの許可があることが絶対条件だ。


 許可を出し、国王に申請する家長が誰かといえば今はリーゼロッテ本人だし、未成年のリーゼロッテはなにをするにも後見人であるジークヴァルトに指示や判断を仰がなければならない。リーゼロッテは意地悪をしてくるフリードリヒと結婚なんかしたくないし、ジークヴァルトだって許可しないだろう。いくら国王の許可があったとしても、それが通らないことぐらいは、最低限の法律を教えられているリーゼロッテにだってわかる。


「どうしてそれが、クラウゼヴィッツの為なんですか?」


 はっきり断言されるその理由が理解出来ない。

 今のクラウゼヴィッツは幼いリーゼロッテが領主に納まり、不安定といえば不安定なのだろう。だが、有能な後見人もいるし、先代や先々代の頃から仕えて支えてくれている文官も騎士も大勢いる。領主死亡の混乱の最中に起こった隣国からの強襲にも、見事耐えぬいて今がある。問題はなにもない。


 ふふっ、とフリードリヒは小さく笑った。そうして、幼い子供に言い聞かせるような口調で理由を説明してくれた。


「あなたが十二歳になるまでは婚約期間となります。たとえ婚約期間であろうとも、幼いクラウゼヴィッツ領主が近い将来は王族の伴侶を得るとなれば、その約束だけでも大きな効力を持ちます。籠絡しようと狙ってくる他領の者でも、王族という後ろ盾の前にはなにも出来ないでしょう」


 これがあなた自身への利です、と言われるが、まったくそう思えない。


「王族であるわたしは、上級貴族に比べれば魔力量が圧倒的に多いです。その魔力があれば、クラウゼヴィッツの守護を今よりも強化出来ることでしょう。この地を死守することは即ちフロイデンタールを守ることに相当します。それがクラウゼヴィッツに与えられる利であり、わたしの利です」


 リーゼロッテはますます首を傾げる。

 フリードリヒが語る言葉は、果たして本心なのだろうか。耳触りがいいことを言っているが、なにか裏があるように感じてしまう。

 その不信感の原因は、この数日間の嫌味や嫌がらせの数々だ。散々仕事の邪魔をしてくれていたこともあるので、とてもこの領地のことを考えてくれているとは思えない。絶対になにか裏がある筈だ。


 フリードリヒはリーゼロッテの答えを待って、ただ微笑んでいる。その笑顔も本当の意味で友好的なものだとも思えない。

 だいたいにして、保護者の一人も同席していない場所で、領地の将来に関わるような重要事を決めさせようとするのが不自然すぎる。散々子供扱いしていたくせに、こういうときだけ一人前扱いして決断を迫り、追い詰めようという魂胆か。


「素晴らしいお申し出ではございませんか、姫様」


 下手なことを言って言質を取られるわけにもいかないし、すっぱりお断りしようとした先を、ドロテアの明るい声で遮られた。

 必要なときにはなにもせずに黙って控えていたのに、突然なんなのだろう。驚いて振り返ると、彼女は心から喜ばしそうな笑みを浮かべていた。


「王族の後ろ盾を得られ、魔力の豊富な方をお迎え出来るなんて、利益しかないではありませんか。姫様が苦労して魔術具の維持の為に魔力を注いで回る必要もなくなりますし、成人した婚約者がいらっしゃれば後見人など必要ありません。お血筋のしっかりとした方に領主代行も任せられるのですから、領地にとってはこの上ない厚遇です。是非お受けするべきですよ」


 満面の笑みで捲し立てられ、リーゼロッテは思わず身を退く。

 そういえばドロテアは、ジークヴァルトに対してなにか思うところがあるようなことを、以前に言っていた。追い出せる好機だと思っているのが言葉からはっきりと感じられる。


「侍女の方もこう言ってくれていますよ」


 お茶をまたひと口飲み、優雅な笑顔で回答を迫る。どうやら本気で、保護者不在の状況下で重要な決断をさせるつもりだ。

 フリードリヒは意地が悪いだけでなく、相当な卑怯者だったようだ。こういう人を大人しい気性だとは言わないですよ、とジークヴァルトの認識を早々に改めさせた方がいい。


 期待に満ちた笑みを浮かべているドロテアを軽く睨みつけたあと、フリードリヒに笑みを向けた。


「有益なことだと言われましたが、私にはよくわかりません」


 ぴくりとフリードリヒの眉が跳ねる。


「魔力が多いと言っていらっしゃいましたが、私もかなり多いそうです。大きくなれば魔力も増えるのですよね? フリードリヒ王子に来て頂かなくても問題ないと思います」


 今の状態でも必要な魔術具に魔力を満たすことが出来ている。領地運営になんの支障もないので、あまり好感を抱けない人にわざわざ来てもらう必要はない。


「私としてはお断りしてもいいと思うのですけど、王子様からのとても利益のある申し出たというお話なので、一応、私の後見人達にも確認を頂いてから、改めてお話の席を持たせて頂きたいです」


 領主の結婚ともなれば政治的な問題も絡んでくる筈だ。首脳陣の介入なくして勝手に進めることなど出来ないのは、王族でも同様のことなのではないだろう。こんな騙し討ちのようなものではなく、正式な手順を踏んで話し合いを申し込んでくれないだろうか。

 こんな非常識な申し入れには応じない、と気持ちを込めて見つめると、フリードリヒは一瞬眉根を寄せたあと、ゆっくりと息を吐き出した。


「残念です、リーゼロッテ……。非常に残念でなりません」


 ゆるく首を振りながら、背後に控えていた従者の一人へ向かって軽く手を差し出す。指名された従者は細長い箱を手渡した。


「すぐに頷いてくだされば、こちらをお渡ししましたのに……」


 嘆かわしげにそう言いながら、留め紐をするすると解いていく。中から出てきたのは、真新しい羊皮紙の巻き物だ。


「国王陛下からの任命書ですよ」


 いったいなんなのだろう、と首を傾げていると、教えてくれた。

 巻き物の意外な正体に驚いて目を瞠ると、にやりと嫌な笑みを向けられる。


「けれど、あなたは王族のわたしに、反抗的な態度をとった。反抗的な者に国家防衛の要衝など任せておけるわけがありません――父上にはそうお伝えしておきましょう」


 優しげな声音で告げられたその言葉に、思わず愕然とする。

 彼はいったいなにを言っているのだろうか。あまりにも不可解な申し出を断ったら、反抗的だと判断されたということなのか。

 これはもう嫌がらせの域を出ている。あまりのことに言葉を失った。


「さあ、どうしますか、リーゼロッテ? 今ならまだ間に合います。それでも断るのなら、わたし達はすぐに王宮に戻って、このことを報告させて頂きますよ」


 更に追い詰めようとする言葉に、リーゼロッテは膝の上で拳を握り締め、一呼吸置いてから顔を上げた。


「先程も言いましたが、私一人で決めていいことではないと思うのです。お話は改めてさせてください」

「何故ですか? 最終的な決定権は領主であるあなたにあるのだから、今ここで決めても問題ないではないですか。場を改める必要性がありません」


 示される先には、領主の証である指輪がある。その視線から覆い隠すように右手で握ってから、もう一度睨むように視線を向ける。フリードリヒは唇の端を持ち上げ、明らかに喜悦を浮かべていた。


「ああ、領主の印章は執務室に保管されているのでしょうか? 必要になりますよね。取って来て頂けますか、侍女の方?」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

「なりません、ドロテア!」


 頷いてすぐに出て行こうとしたドロテアを鋭く咎める。彼女は驚いたような顔で振り返ったが、その視線に向けて毅然とした怒りを込めた。


「あなたは私の側仕えでありながら、私の言葉は聞かず、私の意に添わない他の方の言葉を聞くのですか?」


 厳しい口調で投げかけられた指摘にドロテアは狼狽える。


「そのようなつもりは……。ですが、王子殿下からのご命令ですし……」

「そもそもあなたは侍女ではない筈です。私は任命した覚えがありませんが、誰か他の方から拝命しましたか?」


 文官でも側仕えでも、平民の下働きでさえも、指示系統を確立させる為に階級がある。ドロテアは物心ついた頃から仕えてくれている側仕えだが、侍女という上級職に就かせてはいない。そこまでの技量に足りていないとエッダが言っていた。

 ドロテアは小さく息を飲み、羞恥に頬を染めた。


「部屋を出るつもりなら、おじ様か大叔父様を呼んで来てください。フリードリヒ王子は、今すぐ、このお部屋の中でお話を終わらせなければ気が済まないそうなので」


 日を改めたくないというのなら、保護者を呼んで来れば済むことだ。

 通信機の傍には従者が一人立っている。ドアの両脇にも護衛騎士らしい男達が立っていて、外部との連絡はここから出なければやはり出来ない。


 どう立ち回るのが最善かわからないが、今はこれが精一杯だ。

 そんなリーゼロッテの心の内を読み取っているのか、フリードリヒは不敵に笑った。





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