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リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
8/19

7 試される忍耐力



 フリードリヒがやって来てから、早五日が過ぎた。

 昨日までは連日「案内役に」と彼方此方に連れ回され、その度にチクチクネチネチと嫌味を言われて嫌な気分にされ続けた。


 フリードリヒは物腰も柔らかで口調も優しいし、暴力的な態度をとるわけでもない。上位者からの命令という形で連れ回しているという事実を抜けば、横柄ではない分、その横暴さが目に見えてわからないのが迷惑な話だと思う。従者達の態度も立場を弁えた様子で丁寧であるから、まさかリーゼロッテがこんなに嫌な気分にさせられているとは誰も気づいていないだろう。

 自分よりずっと年下の者に嫌がらせして愉しんでいるなんて、物凄く性格が悪い。しかも、それを周囲には悟らせないようにしているあたり、実に陰湿だと思う。


 ジークヴァルト曰く、リーゼロッテは完全に巻き込まれているだけなのだという。

 普段から仏頂面ともいえる無表情でいるジークヴァルトでは、なにをしても態度が一切変わらないので、虐める側としてはつまらないのだ。それが幼いリーゼロッテだと、取り繕っていても必死に我慢している様子が明らかに見えるので実に愉快であり、庇護者であるジークヴァルトにも守り切れていないという屈辱を与えられるので、二重に悦楽を感じられるようなのだ。


 そんな理不尽に対し、なにも対策を講じていなかったわけではもちろんない。

 領地内の案内を頼まれれば筆頭文官であるアロイスが案内役を買って出たり、少し遠出をしたいと言われれば騎士団長であるウーヴェが護衛兼案内を申し出たり、それ以外の場合はヘンドリクスが応対してくれたり、要請に適した人材が率先して接待をしようと動いていた。

 けれど、最後には必ず「リーゼロッテにお願いしたいです」と言われる。


 どんなに理不尽なものであろうとも、王族からの要求は基本的に断ることは出来ない。案内係などという半人前でも出来そうな仕事であれば尚更だ。

 フリードリヒの行いを知らない家臣達からは、幼い姫様でも簡単に出来るようなことなのだから、快く引き受けてくださればいい、という空気まで漂ってきている始末だ。リーゼロッテはフリードリヒの要求に付き合うしかなかった。


 そんな状況をさすがに見兼ねたのか、これ以上の面倒事を呼び込まないように、となるべく距離を取っていたジークヴァルトがとうとう前に出た。

 リーゼロッテはペンを置いて溜め息をついた。


「……おじ様は、大丈夫でしょうか?」


 あのネチネチした嫌味に晒されているかと思うと、胸が痛い。


「大丈夫ですよ。ジークは大人ですし、自分が原因でリーゼロッテ様が虐められているのを見る方が、よほどつらかったと思います」

「でも……」

「心配するほどのことでもなかろうよ」


 マリウス相手に愚痴っていると、ヘンドリクスがやって来た。今日はジークヴァルトが不在になるので、執務代行をしてくれるのだ。


「そんなに不安ならば、これをあげよう」


 いつもはジークヴァルトが座っている執務机に案内すると、その前に、とヘンドリクスは革袋を差し出した。


「なんですか、これ?」


 受け取ってみると結構大きい。リーゼロッテの顔よりは小さいが、両手で持たなければいけないぐらいの寸法だし、ちょっと重たい。


「竜の卵だ」


 首を傾げていると、ヘンドリクスは笑いながら答えた。

 リーゼロッテは目を真ん丸にして革袋を見つめ、同じように覗き込んでいたマリウスも驚いた顔になる。


「本物ですか?」

「さあて。魔獣の卵であることは確かだがな」


 革袋は魔力や空気中に漂う魔素を遮断するものだ。余分な魔力を与えるとなにか変化が起こるということなのだろうか。

 厳重管理をされている様子のそれを、リーゼロッテは恐る恐る開けて見た。

 中身は確かに卵だった。鳥類の卵と形は似ているが、殻の色がなんとも複雑怪奇だ。一見白に見えるが、角度によって赤系にも青系にも見えるし、縞模様や水玉模様も浮かんで見える。青系の色合いが強い虹色と表現した方がいいのだろうか。


「竜の卵を持っていると、願いが叶うと昔から言われている。ジークヴァルトと王子がこれ以上喧嘩せんようにとでも願いながら撫でていなさい。効果があるかも知れん」


 竜族は元々数が少ない稀少種だったのだが、牙も角も爪も皮膚もなにもかもが高魔力含有の高級な素材であり、猟人達に狙われてきた歴史がある。すべてが高級素材なので卵まで乱獲された為、竜族の数は激減して今は絶滅寸前の種族だ。

 そんな貴重なものを何故ヘンドリクスが持っているのだろう、と首を傾げると、それは彼が幼い頃に自分の叔父からもらったものだという。


「わたしが幼い頃は今よりまだ少し竜もいてな、このクラウゼヴィッツの上空を横切って行く姿なども時折見かけたものだ」


 その頃に騎士団長をしていたヘンドリクスの叔父が、遠征先で狩って来たものらしい。


「わたしは文官見習いだったから幸運のお守りである卵だったが、騎士見習いをしていた兄上――リチェのお祖父様は、皮膚で作った籠手をもらっていた筈だぞ」

「竜の皮膚ですか? とても防御力が高そうですね」

「とても強固な守りになりますよ。例えば火竜の素材を使った防具なら、火属性の魔術はほとんど効かなくなるのですから」


 竜の防具だなんてとても強そうだ、と頷いていると、横からマリウスがこっそりと教えてくれた。

 竜族は水火風土の四元素のいずれかの属性を必ず持っているので、その系統の魔術の補助魔術具作りに使われることが多いのだという。魔術具に生成していなくても、相手からの攻撃をそんなに強くなければ跳ね返したり、逆にこちらからの攻撃を増幅させたりする程度のことは出来る強力な素材らしい。


「補助の魔術具を持っていると、呪文を唱えなくても魔術が発動するのですか?」


 それはとても便利だ、と思いながら卵を撫でていると、ヘンドリクスが少し首を傾げて瞬いたあと、ぽんと手を打った。


「あぁ、リチェはまだ学んでおらんかったか。――そうか。もうすっかり出来るものだと思っていたわ」


 普段からの受け答えがしっかりしているので、魔術を習うような年齢になっているものだと思っていた、とヘンドリクスは苦笑する。よくよく考えてみれば、七歳のお披露目をしてからまだ半年も経っていなかったのだ。


「補助の魔術具は、文官よりは騎士の方が持っているな。マリウスは持っておらぬか?」


 戦闘中では悠長に呪文を詠唱することなど出来ないので、武器や防具に補助魔術を付与していたり、投擲して扱えるようなものを持っているのが一般的なのだとか。

 其方は騎士としての訓練も受けていただろう、と文官ばかりの部屋の中で話を振られたマリウスは、腰のベルトから釘のような形の棒を何本か取り出した。


「今はこれくらいですね」

「効果は?」

「これは小規模な爆発を起こさせるもので、こちらは閃光を発生させて、これは煙幕を焚くものです。なにかあったときの逃走の補助目的の効果しかないです」

「なかなか面白いものを持っているな。組み込んだ術式は?」

「興味がおありなら、あとでお見せします」


 苦笑しながら答えたマリウスは、そのうちの一本をリーゼロッテに見せてくれる。


「どうやって使うのですか?」


 水を汲んだり火を熾したりと生活を補助する魔術具は身の回りにいくらでもあるが、攻撃系のものは初めて見た。興味津々で棒を見ながら尋ねると、ちょっと魔力を込めて敵に投げつけるだけだ、と教えてくれる。


「思ったより簡単に使えるものなのですね。私でも使えそうです」

「そうですよ。だから、魔力を流さないように気をつけてくださいね」


 そんなことを言われてしまっては少し恐い。慌てて、けれど落とさないように丁寧な手つきでマリウスに返した。


「作るのも簡単なのですか?」

「リーゼロッテ様は先日、ご自分の騎獣を作ったでしょう? やり方はほとんど同じです」


 必要な属性を持った素材を用意して、発動させる効果の命令書である魔術式を組み込むというのが、魔術具作りの基本作業なのだという。その作業に、効力を高める為に高品質の素材を集めるとか、必要魔力の総量を減らせるように術式を改良するとか、そういった採集や研究などが加わって『魔術具開発』という学術分野になるらしい。

 文官の中にはそういう研究を専門にやっている者達がいて、騎士達武官には素材採集に特化した部隊があり、文武の垣根を超えた共同の研究開発部署があるのだと言われ、ちょっとだけわくわくとした。なんだか面白そうだ。


「リチェの将来は、文官寄りの領主になるのかな」


 文官であるヘンドリクスは少し嬉しそうに目許を和ませた。

 クラウゼヴィッツの領主はリーゼロッテで十四代目であるが、女性領主は他に二人しかいなかった。そのどちらも騎士寄りの女傑達だったという。


「? まだわからないです」


 文官というのが書類仕事などを中心に、領地運営や外交という政治的な役割を担っているのはわかる。以前までは勉強をするのも本を読むのも得意な方だと思っていたが、最近はそうではないような気もするので、あまり文官寄りではないのかも知れない。

 けれど、騎士寄りかというと、それもよくわからない。エッダによく叱られるが、飛んだり跳ねたり駆け回ったりするのは好きな方だが、要塞にいる騎士達のように武器を扱って戦うことが出来るかというと、今はまだ出来ないような気がする。

 父はどちらかといえば文官寄りだったというが、騎士としての才能もあったらしい。どちらも平均的にこなす方が領主には向いている、と前にジークヴァルトに言われたことがあったので、自分もそうなるのだろう、とリーゼロッテは思っていた。


「まあ、リチェの場合はジークヴァルトもおるからな。マリウスもどちらもこなせるし、どちらかに偏ろうとも逆に偏らずとも、安定的に統治出来よう」


 ジークヴァルトもマリウスも変なところで器用だ、とヘンドリクスは笑う。リーゼロッテも笑って、傍らに立つマリウスを見上げると、彼は微苦笑を浮かべた。


「さあ、そろそろ仕事を始めましょうか。王子様のお陰で決裁書類がたくさん積み上がっていますよ」


 五日間も執務が滞っていたので当たり前のことなのだが、リーゼロッテが署名と捺印をしなければならない書類が薄っすらと山になっていて、思わず引け腰になる。もう確認が終わっているから許可をするだけだといっても、このすべてに名前を書いて魔力を使って印を押さなければならないので結構疲れるのだ。

 けれど、嫌がっていても仕方がない。ここで逃げてもどんどん溜まっていくだけなのはわかっているので、座ってペンを手に取った。


「――…これは驚いた! 本当にリーゼロッテが書類仕事をしているのですね」


 マリウスに文面を要約してもらって押印を続けていると、突如としてフリードリヒの声が室内に響いた。

 在室の全員が驚いて顔を上げれば、戸口にフリードリヒが立っている。訪問の先触れがないどころか、ノックすらもせずに入室して来たらしい。いくら王族といえども、この行動はあまりにも礼を失し過ぎているのではなかろうか。


「如何なさいましたか、フリードリヒ王子?」


 傍若無人な振る舞いを当然としているフリードリヒと、それを諫めもしない従者達への不快さが僅かに漂った空気を取り去るように、ヘンドリクスが立ち上がった。


「本日はジークヴァルトが案内を申し出たかと思いましたが……」

「ええ。リーゼロッテは仕事が溜まってしまっているので、今日はどうしても執務をしなければならないので、彼が代わりに、と伺いました」


 微笑んで頷き返しながら、つかつかと足早に部屋の中を横切ると、リーゼロッテの手の中から書類を奪い去る。


「あっ」

「これはなんの書類ですか?」

「公共整備予算の決裁書になります」


 マリウスは一瞬だけ眉をひそめてから、簡潔に説明した。フリードリヒはどうでもいいことのように「へえ」と小さく頷くと、それをひらひらと振って見せる。


「こんな難しい書類が、リーゼロッテにわかるのですか?」

「わかるように、文官達に説明してもらっています」


 指示されたものに認可をしているだけではあるが、内容を一切確認していないわけではない。自分の名前が責任者として使われるものなのだから、どのような案件であるのかぐらいは教えてもらっている。

 リーゼロッテはそっと両手を差し伸べた。


「書類を返して頂けませんか? 領地に必要なものなのです」


 誰かさんの所為で何日も執務が滞っていてとても忙しいのだ、という言葉は飲み込みながら、なるべく丁寧に下手からお願いする。

 フリードリヒは意地の悪い笑みを浮かべたが、決裁書などという公文書になにかするつもりはさすがになかったようで、すぐに返してくれた。ホッとして受け取り、署名をして領主の印章を捺しつける。

 そんな執務の様子をフリードリヒは無言で眺めている。すごくやりづらい。

 早く出て行ってくれないかな、と迷惑に感じていたそこへ、ジークヴァルトが駆け込んで来た。


「……っ、フリードリヒ王子」


 相手が上位者であるとわかっている筈なのに、眉間にきつく皺を刻んで双眸を細め、あまり表情を変えない彼らしくもなく怒りが顕わになっている。


「やあ、ジークヴァルト。そんなに慌ててどうしたのですか?」


 対するフリードリヒは涼しげな表情で微笑む。


「どうした、ですって? それはこちらの台詞です。あなたが国境を視察したいと仰せだから手配していたというのに、なにも言い置かずに姿を消したうえ、領主の執務の邪魔をしているのはどういうことですか?」


 口調は丁寧に、声音も抑えられているが、青灰色の瞳は明らかに怒っている。眉間に拳を当ててもいないので、これは無理矢理に感情を押さえ込んでいる状態だ、と幼馴染みであるマリウスはすぐにわかったし、リーゼロッテでさえもその苛立ちの大きさを感じ取った。それを無視しているのはフリードリヒだけだ。


「邪魔なんてしていませんよ。――ねえ、リーゼロッテ?」


 心外だ、と言わんばかりの口調でにこりと微笑んで同意を求められるが、リーゼロッテは同意などしたくはない。そちらにそのつもりがなくとも、邪魔は邪魔なのだ。


「リーゼロッテは、何日も不在にしても問題ないとされるあなたとは違うのです。これ以上の身勝手な行動は、たとえ王族であろうとも、クラウゼヴィッツに対する敵対行為と見做してわたしが叩き潰しますよ」

「クライシェ殿! お言葉が過ぎますよ」


 強い言葉で捲し立てるジークヴァルトに、王子の従者が顔色を変えて咎めた。その制止を特に気にするようなこともなく、ジークヴァルトはフリードリヒを睨んでいる。

 相対するフリードリヒはというと、唇を引き結んで睨み返していた。握り締められた拳が僅かに震えて更に力が込められている様子から、彼が相当に怒っているのではないか、とリーゼロッテは思った。

 今までずっと王子を怒らせないように、なるべく関わらないように、と気を遣っていた筈なのに、どうして急にこんな態度に出てしまったのだろう、と不安になってジークヴァルトを見る。事情を知っているヘンドリクス達も書類仕事の手を止め、固唾を飲むようにして成り行きを見つめていた。


「過日、あなたはおっしゃられた。クラウゼヴィッツはフロイデンタールの最強の楯であり剣であり、それを王家の者としてとても誇らしく思っている、と。――本当にそう思っていらっしゃるのですか?」


 周囲の視線を感じながらも、ジークヴァルトは言葉を続ける。

 これ以上王子を責めるようなことは言わない方がいいのではないだろうか、とハラハラするリーゼロッテ達を一度見回すと、フリードリヒはにこりと微笑んで頷いた。


「もちろんですとも。ですから今日も、国境守備について見学がしたい、とお願いしたのです。クラウゼヴィッツの騎士達が如何にして……」

「ならば何故、わざわざわたしを撒いてまで領主執務室などへ来て、領主の邪魔をするのです?」


 滔々と流れる言葉を遮ってぴしゃりと言い放たれ、フリードリヒは無言になった。


「……人聞きの悪い」

「事実を申し上げたまでですが」


 ムッとしたように唇を尖らせるフリードリヒに、ジークヴァルトはにべもなく答える。


「あなたが客人として滞在される限り、その対応に我々は振り回されます。成人してからでさえも責任ある役目を任されていない殿下には、責任ある立場というものがどういうものかおわかりにならないかも知れませんが、あなたの我儘の皺寄せはすべて、幼いリーゼロッテに負わされることになるのです」

「おじ様……」


 それはさすがに口が過ぎる、と止めようとしたが、ひと睨みされて口を噤まされる。


「上位の者であればこそ、下位の者を気遣わねばならないものです。そして、主の不足を補うべきは側近の役目だ」


 黙り込んでしまったフリードリヒから視線を外し、周囲で不愉快そうな目つきを向けてきている従者達に、ジークヴァルトははっきりと言った。主が間違ったことをしているのならば止めるべきなのに、お前達はいったいなにをしているのか、と。

 そんなジークヴァルトの言葉に、言われてみればそうだ、とリーゼロッテは思った。リーゼロッテがなにかよくないことをしたときは、必ずエッダが注意してくれるし、なにがよくなかったのかも説明してくれる。それは乳母という教育係だからこそのことだと思っていたが、大人になったら従者達がその役目を負うものなのだろう。


 今まで公的な場に出ることがなかったリーゼロッテは、お客様をもてなしたことがなかった。だから、王子達の振る舞いにどう対処すればいいのかわからなかったし、自分よりも身分が上の人がすることなのだから、振り回されても黙って従うべきなのだと思っていたのだが、あまりにも理不尽な要求の場合は、側近が止めるべきなのだとジークヴァルトは言っている。


 では、今までのことは側近達の職務怠慢なのか、とリーゼロッテがちらりと視線を向けると、彼等はさっと顔色を変えた。けれど、反論のようなものをしてくることはなかった。

 言いたいことがあるのなら言えばいいのに、と思ったが、身分差を気にしているのだろうことに思い至る。

 彼等は王子の従者として、王子につき従って振る舞っているが、爵位を受けているリーゼロッテよりは下なのだ。王子と同じように上位者として振る舞うと逆に不敬となる。


 まだ幼いリーゼロッテを侮っているのだろうということは、初対面のときからなんとなく感じてはいた。心の内では、下に見て馬鹿にしているのだろうが、現実では自分達の方が身分が低いので、そっと控えていなければならない。フリードリヒに振り回され、嫌がらせを受けて耐えている姿を眺めて溜飲を下げていたのだろう。

 そんな彼等の態度も、ジークヴァルトにはお見通しだったのだ。叱責を受けてなにも言い返せないのは、領主一族という上位者からの言葉であると同時に、彼の言葉が事実だったからなのではないだろうか。


「――…誤解ですよ」


 しばらくして、黙り込んでいたフリードリヒが口を開いた。ゆったりとした笑みは、本心を綺麗に覆い隠した、実に貴族らしい社交仕様の顔だ。


「わたしは、リーゼロッテの仕事ぶりを確認しているのです。これは王命の一環だと思ってください」


 急になにを言い出すのだろう。リーゼロッテは思わず首を傾げてしまったし、ジークヴァルトもマリウスも、ヘンドリクスさえも怪訝そうな表情を露骨に出してしまった。


「わたしの訪問理由をお忘れではないですか? わたしはクラウゼヴィッツ辺境伯への任命証を持参した国王の使者なのですよ」


 悠然とした口調で告げられる言葉に、リーゼロッテは内心ムッとした。

 フリードリヒが突然訪問して来たのは、国王から辺境伯への任命証を与える為の使者として、という理由からだった。初代が拝命して以降は世襲制になっていて、ほとんど形骸化しているので必要がないというのに。

 しかも、そんな理由を掲げてやって来たというのに、彼は任命証を渡すのを渋ったのだ。

 それからの五日間、なんだかんだ理由をつけて授与を先延ばしにして、何処に連れて行け、なにが見たい、とリーゼロッテを振り回すだけ振り回していたというのに、今更なにを尤もらしく言い出すのか。


 形骸化しているものなのだから特に必要ではないし、重要視もしていない。そういうものだと言われている。それでも、リーゼロッテがまだ幼いということもあるので、箔をつける為にはあった方がいいと判断した結果、フリードリヒをもてなすことになったのだ。ハーゲンドルフからの侵攻を警戒している大事なこの時期に、わざわざ。

 そんなこちらの本音など知らないフリードリヒは、滔々と語る。


「わたしがいろいろとお願いしたことで、クラウゼヴィッツの人々にも負担を強いたのはわかっています。そのことについては詫びましょう。けれど、わたしはリーゼロッテが領主として相応しいのか、立派にやっていけるのか――例えば不測の事態にもどれだけ対応出来るのかなど、そういった資質を見極めたかったのですよ」


 実に嘘臭い。いや、事実なのかも知れないが、まったく以て取ってつけたような理由だ。

 そんな話に納得出来るわけないだろう、と思うのだが、フリードリヒもその従者達も、それで問題ないと思っているようだ。なにやら満足しているような表情で頷き合っている。


 これはなにを言っても無駄だ、とクラウゼヴィッツ側は判断した。この場はさっさとお引き取り願う方が建設的だ。これ以上執務が滞るのは本当に困る。


「フリードリヒ王子のお気遣い、実に痛み入ります。して、我が領主に不足はないとご確認頂けたでしょうか?」


 ヘンドリクスが尋ねると、フリードリヒは悲しげに首を振った。


「幼いながらにとても努力されているとは思います。けれど、わたしにはまだ、少し判断材料が足りないと思えます」


 つまり、まだしばらく滞在する気なのだ。

 うんざりした気分になったが、先程ジークヴァルトからあれだけはっきりと指摘されたことだし、執務の邪魔をするようなことは控えるようになると思いたい。従者達も、過ぎた態度を諫めるようになってくれると願いたいところだ。


「ああ、いけない。これでは時間がなくなってしまいますね。そろそろ国境へ案内してくれませんか、ジークヴァルト?」


 まるでこちらが引き留めていたかのような口振りで告げると、くるりと踵を返す。

 指名されたジークヴァルトは一瞬苦々しげに顔を歪め、小さく溜め息をついたあと、リーゼロッテの傍に来た。


「邪魔をしてすまなかった」


 そう言って、ちょっとだけ頭を撫でてくれる。

 数少ない褒め言葉のときでも頭を撫でられたことはなかったので、びっくりすると同時に、リーゼロッテは嬉しくなった。悶々ムカムカしていた心地が少し軽くなる。


「大丈夫です。おじ様も、気をつけて行ってきてくださいませ」


 明るい声音で発せられた見送りの言葉に、ジークヴァルトは少し安心したような表情で頷き返し、ヘンドリクスに「あとを頼みます」と告げて王子のあとを追い駆けて行った。

 その足音が遠ざかって行くのを確認してから、リーゼロッテはマリウスを振り返る。


「さあ、次の書類を読んでください。お昼までにもう少し進めたいです」

「かしこまりました」


 読み上げられる予算の使い道について聞きながら、リーゼロッテは竜の卵を引き寄せる。そうして、一生懸命念じながら、その不思議な手触りの表面を撫でた。


(おじ様が何事もなく、どうかご無事で戻られますように……。あと、王子様がさっさと帰りたくなりますように!)





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