表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
5/19

4 大切な贈り物



 いつもどおりに魔術の基礎の勉強を終えたあと、リーゼロッテは執務室の隅の方でナハトと睨み合っていた。

 魔石を変形させる術式の場合、どのように変化させるのか、明確に理解して脳裏に思い描きながら作成の為の魔法陣を起動させるのが正しいらしい。明確な指示を核となる魔石に与えて馴染ませることに因って、騎獣として使えるようになるのだという。

 その為、ナハトと同じような形にしたいと言ったリーゼロッテに「よく観察するように」と呼び出してくれたのだ。


 尤も、合成素材としてナハトの毛を少々使うことになっているので、リーゼロッテの騎獣はナハトと同型のものにしかならない。つまり、そんなにはっきりと思い描けなくても問題はないのだが、これは基本を教える為のものでもあるので、ジークヴァルトはそれを黙っていた。


 付き合うように言い聞かせられたナハトは大人しい。じっと見つめれば、同じように見つめ返していてくれる。鋭い牙の並んだ大きな口なんかリーゼロッテを頭からぺろりと食べてしまえそうなほどだが、襲いかかってくるような雰囲気はない。本当にお利口だ。


「足見せて」


 言いながら前脚に手を伸ばすと、するりと持ち上げてくれる。大きな足はリーゼロッテの頭ぐらいの寸法で、踏みしめられて逞しい肉球は掌よりも大きい。爪だって指三本分ぐらいの太さがある。

 むーんと唸りながら見ていると、不意に力を入れられ、顔面を踏んづけられた。


「わあっ」


 痛くはなかったが、予想していなかった動作に驚き、思わず声を上げてしまう。押された勢いで後ろに引っ繰り返った。

 固い肉球で鼻をぐいぐいと潰される。退かそうと思っても、大きくて力強い足はリーゼロッテの力では簡単に持ち上がってくれない。


「うえぇっ、……お、お鼻、潰れちゃう……」


 必死に抗議の声を上げると、グッグッと小さな唸り声が零れる。どう考えても遊ばれているのがわかった。


「ナハト」


 見兼ねたようにジークヴァルトが呼び止めると、ナハトはすぐに足を退けてくれた。

 不満を込めて睨みつけるが、大きな白い狼はすーんとおすまし顔でそっぽを向いている。

 やり返してやろうと思って手を振り上げると、それよりも早く、また肉球を頬に押しつけられた。そのままむぎゅっと床へ押さえつけられてしまう。


「んぅ、むぅっ!」


 相変わらず痛くもないし重くもないのだが、押さえつけられていることには変わりない。頭が押さえられているので満足に身動きが取れず、自由な両腕をパタパタと動かして抗議の呻き声を上げると、少ししてからパッと放された。

 大きく息をつきながら起き上がろうとすると、今度はお腹のあたりをころりと押される。なにをするつもりなのかとハッとするが、そのままころころと左右に転がされた。


「きゃあ! やめてくださいませ、ナハト! 私は玩具じゃありません!」


 制止の声を上げるが、ナハトはまたグッグッと小さく声を漏らしつつ、左右に動かす前脚の動きをやめようとはしない。真っ赤な瞳がにんまりと細められている。


「おじ様、ナハトが意地悪をします!」


 これはもうご主人様にしっかりと止めてもらうしかない、とジークヴァルトに助けを求めるが、指示を書きつけている書類から目を上げてくれもしない。これぐらいは自力でどうにかしろ、ということだろうか。


 為す術もなく大きな前脚でころころ転がされていると、慌てた様子の文官が「ジークヴァルト様はご在室ですか?」と断りもなく駆け込んで来た。


「ひっ、姫様!?」


 急ぎらしい文官だったが、報告の為に開きかけた口から洩れたのは悲鳴だった。

 驚いて当たり前だろう。自分達の主君たる小さな姫が、凶暴そうな外見の大きな魔獣に弄ばれているのだから。足の下敷きになっていることからも襲われていると見える筈だ。

 身構える文官の姿を見て、ナハトは前脚を引っ込める。転がされていたリーゼロッテはようやく解放された。


「用件は?」


 はあはあと荒い息をつきながらも起き上がる様子を見てホッとしていた文官は、硬質な声にぴしゃりと問われ、慌ててジークヴァルトへと向き直る。この部屋に駆け込んで来た用件を果たす為に姿勢を正した。


「王宮から火急の報せにございます」


 報告をする文官の声を聞きながら、リーゼロッテはナハトを睨む。再びのおすまし顔にムッとして、大きな口の端に手を突っ込んで引っ張った。

 さっきのお返しだとばかりにぐいぐい引っ張ってみると、紅い瞳がにんまりと見つめてくる。そうして、大きな口をぐわっと開かれた。

 まるで頭からぱっくりと来ようとする勢いに驚き、双眸を瞠って硬直するが、咬まれる代わりにべろりと舐められた。温かくて少し生臭い唾液塗れにされ、リーゼロッテは閉口する。――完全に遊ばれている。


「リーゼロッテ」


 仕返しにもっふりとした胸の毛で唾液塗れの顔を拭ってやっていると、ジークヴァルトのピリッとした声音に呼ばれた。

 乱れた髪をさっさっと手櫛で直しながら執務机の方へ向かい、姿勢を正す。


「はい、おじ様」

「十日後、王都から第四王子がお越しになられるらしい」

「王子様……ですか?」


 予想だにしていなかった言葉に、頭の中を疑問符でいっぱいにしながら首を傾げる。

 そんなリーゼロッテに向かい、ジークヴァルトも溜め息を零した。


「訪問理由は、領主就任への国王からの承認と、祝いだということだ」

「承認……なにか書類に署名でもすればいいのですか?」


 あまり字は上手ではないのだけれど、と思いながら尋ねると、眉間に皺を寄せられる。


「まあ……そんなところだろうと思っておきなさい」

「本来はそんなもの必要ないのですよ」


 この報告を持って来た文官が、こっそりと教えてくれた。

 領主就任の承認というものは国王の仕事のひとつとして確かに存在するし、命令書が渡されることになっているのだが、大抵の領主は世襲制であるし、移封でもされない限りは形骸化しているものらしい。今回のリーゼロッテの場合も、就任を認める書状が送られてくるだけで済む筈だったのだ。

 それをなんでわざわざ王子が携えて来ることになったのか。表情が僅かに険しいジークヴァルトもそれが気にかかっているのだろう。


「……私、なにか失敗をしてしまったのでしょうか?」


 執務はすべてジークヴァルトが行ってくれているし、要塞の魔力はまだ半分ほどしか溜まっていない。言われたとおりのことはなんとかこなしているつもりだが、王族がわざわざ確認に足を運ぶほど不出来だと思われてしまっているということだろうか。

 不安を感じてへにゃりと眉を下げていると、ジークヴァルトは大きく息を吐いた。


「此度のことは、お前の所為ではない。恐らく原因は――わたしだ」


 忌々しそうな声音が呟き、軽く握られた拳が皺の酔った眉間をトントンと叩き始める。苛々し始めたようだ。


「おじ様が原因……?」


 何故なのかわからなくて瞬いたとき、不意にドロテアの言葉が思い出された。

 そうだった。リーゼロッテはジークヴァルトについて知っていることの方が少ないのだ。その知らないことの中に、王子がこちらにやって来る原因となっていることがあるのかも知れない。


 どうやって尋ねればいいのだろうか、と僅かに思案する間に、ジークヴァルトはなにか書きつけ始めた。


「リーゼロッテ、署名と印章を」


 書きつけていたのは先程の訪問連絡の書簡に対する返事だったようだ。一応宛て名と文面を確認したあと、緊張しながら自分の名前を書き記し、領主の印章を握り締めて魔力を通す。指輪が軽く光ったのを確認してから署名の傍に押しつければ、そこに光が走り、その光がじわりと赤黒いインクへと変わってクラウゼヴィッツ辺境伯の紋章が刻まれた。


「こちらを転送したあと、マリウスを呼んでくれ」


 封緘をしたその書状を先程の文官に渡すと、また新しい紙を出してなにか書き始める。


「お前は先見の明がある」

「え?」


 突然の言葉の意味がわからなくて首を傾げると、面倒臭そうな目つきを向けられた。


「騎獣を作る術式は覚えたのか?」

「……はい」

「魔法陣は描けるようになったか?」


 矢継ぎ早に尋ねられるので、慌てて自分の机に行き、練習した魔法陣を持って来た。なかなか上手く描けるようになったと思う。

 緊張しながらジークヴァルトの合否確認を待っていると、ふむ、と小さい頷きが返されたあと、練習用紙を返された。


「これくらい出来ていれば問題なかろう。順番は前後するが、このあと騎獣を作る」

「えっ!?」


 驚いて目を真ん丸にし、思わず大きな声を出してしまう。


「感情を剥き出しにするな。はしたない」


 弱味になるような感情や体調などの内面的な部分は、決して他人に悟られないようにしなければならない。それが貴族の鉄則だ。幼いリーゼロッテにはそれがまだ難しいのは事実だが、今回のことは予想外のことを口にしたジークヴァルトが悪いと思う。

 取り敢えず口許を手で覆い、ひとつ深呼吸して動揺を治めた。


「まだ馬に乗れるようになっていませんけれど……?」


 練習を始めてまだほんの数日だ。ゆっくり歩かせることは出来るようになってきたが、走らせることなど出来ないし、乗り降りも補助がないと覚束ない。いつもの調子であれば、決して合格点には到達していないどころか、落第とされている程度だ。

 ジークヴァルトは不満そうな表情で鼻を鳴らした。


「事情が変わった。他領の者を迎え入れなければならないのならば、お前には咄嗟のときの逃走手段が必要だ」

「逃走……ですか?」


 よくわからなくて首を傾げると、恐い顔をされた。


「ハーゲンドルフの襲撃からまだ三月しか経っていない。よそ者には最大限の警戒をするものだ。――例え、王族であろうとも」


 リーゼロッテの身に危険が起こるだろうと予想しているような口振りだ。

 けれど、訪問予定なのは自国の王族だ。大事な領土防衛を任せている筈の臣下に対して、攻撃でも仕掛けるつもりだとでも思っているのだろうか。


「……やっぱり、私はなにか失敗してしまったのでしょうか?」


 国王の使者から攻撃を受けることになるということは、なにか逃れようのない重罪を犯し、その咎の為ではなかろうか、と不安と恐怖に震え上がると、大きな溜め息をつかれた。


「お前に問題があるとすれば、その年齢だけだ。十歳にもならない者が要衝の領主などと前例がないからな」


 要衝どころか、建国からの国内を捜してもいないだろう、と言われる。十代目になる王族にもいない。

 当主の直系後継者が未成年である場合、近親の成人から中継ぎの当主が立つことになるのが普通らしい。リーゼロッテの場合は先代が死の直前に継承させてしまった為、中継ぎを立てることが出来ず、代行許可を与えられた後見人がつくことになったのだ。


 因みに、代行ではなく中継ぎという名目でも別の成人を当主に立てようとすると、バウムガルテン家からクラウゼヴィッツ辺境伯の地位を剥奪して新しく任命するか、リーゼロッテを亡き者にして一族から他の者に継承させるかのどちらかになるらしい。不要な混乱を招くという点ではどちらも同じで、それ故に、国王からは継承に関して特に沙汰はなかったのだという。


 魔術具を動かす為に重要な魔力量に関しては、この幼さにしては多い方らしく、まったく問題はないとジークヴァルトは考えているらしいことも説明された。一族からも家臣達からも、今のところ不満の声が上がってこないのも、問題なく要塞を稼働させられる力があると判断されているからだ。

 執務の経験不足を補う為にジークヴァルトがいて、内政に関わる文官や、国境の攻防に関わる騎士達の統率にも問題は起こっていない。混乱も特には生じていない。

 毒を受けて瀕死だったリーゼロッテも順調に回復していて、後遺症もなく、大きな健康被害は今のところ見つかっていない。それ故に、領主はリーゼロッテで一切の問題はないのだ。万が一のときには中継ぎに妥当と思われていた大叔父も、今の状況に納得しているのだという。


 そういう説明を受けても、苦々しい表情で淡々と告げられるので、本当のことなのか信じ難く感じる。

 そんな不安そうなリーゼロッテの表情に、ジークヴァルトは面倒臭そうにもう一度溜め息をついた。


「年齢以外でお前に問題はない。問題があるとすれば、王子の方だ」

「え?」


 意外な言葉に目を瞬く。


「問題のひとつは、第四王子というお立場」


 指を一本立てながら言われるが、リーゼロッテにはよくわからない。

 第四王子ということは、今の国王の四男だということはわかる。けれど、それがいったいなんの問題になるというのだろう。

 頭の中に疑問符を並べているうちに、指がもう一本立てられた。


「もうひとつの問題は、フリードリヒ王子と、わたしが――とても仲が悪いということだ」


 問題点は以上の二つだ、と言われるが、どっちの理由もよくわからない。

 もっと詳しい説明を求めて口を開きかけたところにノックの音が響き、まだ若い文官が入って来た。


「リーゼロッテ、こちらはマリウス。魔力量、魔術に関する知識、文官としての実務、処理能力のどれをとっても若手の中では一、二を争う実力のある男だ」

「お初にお目にかかります、リーゼロッテ様」


 簡潔ながらも、相当な実力者であることを紹介されたマリウスは、琥珀色の瞳に柔らかい笑みを浮かべて礼を取った。後ろで軽く束ねられた優しげな茶色の髪は、ジークヴァルトの耳の下あたりの高さだ。


「騎士としての訓練も一時期受けていた経歴がある。お前の補佐官として任命したい」


 付け加えられたその説明に、先程言っていた「咄嗟のときの逃走手段」という言葉が思い起こされた。もしも文官しか同行出来ない場面になったとしても、護衛として動ける人物という意味での人選なのだろう。


 領地外の人々と接するということは、それほどまでに警戒しなければならないことなのだろうと理解するが、同時にとても重たい気持ちになった。

 リーゼロッテは静かにマリウスを見つめ返す。


「おじ様が信頼されている方ならば、私も信じようと思います。よろしくお願い致します、マリウス」


 諦観のようなものを少し滲ませた口調に、マリウスは僅かに双眸を瞠った。そうして何処か悲しげな笑みを浮かべると、跪いて「誠心誠意お仕え致します」と応えた。

 二人で挨拶を済ませている間に、ジークヴァルトは机の上の書類などを片付け、一連のやり取りをつまらなさそうに見ていたナハトを影へと呼び戻す。


「では、外に行くぞ。裏庭が適当か」


 リーゼロッテが初めて魔術を使うので、失敗しても被害が少なく済むように、広い場所で騎獣を作ることになるようだ。

 慌ててエッダを呼び、これからの予定をジークヴァルトから説明してもらった。エッダは目を丸くする。


「おやまぁ……。それでは、姫様の心宝珠(ヴィレゼーレ)が必要ではございませんか?」

「ああ、そうだな。身に着けてはいないようだが、用意はしてあるのか?」

「もちろんですとも」


 すぐにお持ち致します、とエッダは踵を返した。


 ヴィレゼーレとは、魔力を持った子供が握り締めて生まれてくる魔石のことだ。母親の胎内にいるときに、母から注がれた魔力と生まれ持った自分の魔力を凝縮させて出来上がるもので、長じてからの魔力の放出を助け、魔術の行使を楽にさせるという特性がある。

 七歳の披露目のとき、平民の子供は見習い仕事に必要な道具を親から贈られるように、貴族の子供は持ち歩きやすい装飾品に加工されたヴィレゼーレを贈られるのが慣習だ。

 それを両親から受け取る前に、リーゼロッテは襲撃を受けた。


 急いで戻って来たエッダの手にある小箱を見て、少しだけ悲しい気持ちになる。

 本当ならば、親族や知人などの招待客達に祝われながら、両親の手によって贈られ、貴族社会の一員として迎えられる喜びと誇らしさの許に受け取る筈だったものだ。けれど、その情景に自分が入ることは二度とない。


「リーゼロッテ」


 裏庭に辿り着いたところで、ジークヴァルトに呼ばれる。振り向いて見上げれば、僅かに思案するような表情を向けられていることに気づいた。


「なんでしょうか、おじ様?」

「お前はヴィレゼーレを初めて手にするのか?」

「はい」


 頷きながらエッダを振り返る。リーゼロッテの部屋には置いてなかった筈なので、彼女は両親の部屋から持って来たに違いない。お披露目の日まで両親の手許に保管されているのだと、ずっと前に聞いたことがある。

 そうか、と頷いたジークヴァルトは、エッダから小箱を受け取り、少しだけ目を細めた。


「マリウス、エッダ。立ち会いを頼む」


 呼ばれた二人は驚いたように瞬いたが、すぐに意図を察したらしく、エッダはリーゼロッテの後ろに、マリウスは小箱を受け取ってジークヴァルトの後ろについた。


「ヴィレゼーレを授かるのは生涯に一度のことで、とても誇らしいものだ」


 いったいなんなのかわからなくて目を丸くしていたリーゼロッテに、ジークヴァルトは静かに告げた。その声音がいつもより少し硬くて、けれど穏やかな響きを含んでいることに気づき、何事かと首を傾げる。


「わたしはお前の父ではないが、後見人だ。お前が嫌でなければ、ヴィレゼーレを贈る役目をさせてもらってもいいだろうか?」


 こちらの様子を探るような言葉に、リーゼロッテは目を丸くした。けれど、その言葉の意味はすぐに理解出来たので、急いで頷き返した。

 勢いよく何度も首を振ってしまったので、少しくらりとする。目を回しかけてよろけてしまった姿はしっかりと見られてしまい、エッダとマリウスが思わず微笑み、ジークヴァルトは少し呆れたような表情をした。それでも嬉しかったのだから仕方がない。


 期待にいっぱいになる胸を高鳴らせながら、付き添いの位置に立つエッダを振り返り、ジークヴァルトへと向き直る。

 きらきらと輝く赤紫の瞳に見つめられたジークヴァルトは、一瞬目を伏せ、合図を送るように小さく頷いた。それを待ち構えていたようにマリウスが口を開く。


「過日、先代クラウゼヴィッツ辺境伯ラウレンツ様のご息女、リーゼロッテ様は七歳をお迎えになられました。我等家臣一同、謹んでお慶びを申し上げます」


 僅かに文言が違うが、お披露目のときの定型句がすらすらと述べられた。祝いの宴の一番初めに貴族台帳に魔力の登録をして戸籍を得たあと、貴族の一員となったことを報告する宣言であるが、この言葉を聞いた直後に襲撃を受けたのだ。

 本来ならば、このあとに招待客達から拍手による祝福を受け、親からヴィレゼーレを授与される筈だった。

 少し緊張してマリウスの声を聞きながら、目の前のジークヴァルトを見つめる。


「ラウレンツの娘、リーゼロッテ・フラウリーゼが皆に認められ、クラウゼヴィッツの民になった証にこれを贈る」


 マリウスの捧げ持った小箱から取り出したのは、銀色の腕輪だった。

 リーゼロッテの前に跪いたジークヴァルトは、その細い腕を取り、そっと嵌めてくれる。


「これは其方と共に生まれた其方の半身、幾年共に生きるもの――大事にしなさい」


 親指の爪ぐらいの大きさの白っぽい色の魔石が淡く光ると、少しだけ魔力が吸い出されるような感覚があり、大きめだった腕輪の寸法が手首に丁度いいものになってぴったりと嵌まる。ただの装飾品なのではなく、これも魔術具の一種なのだと知った。


 両親が遺してくれたものだ。リーゼロッテは嬉しく思って腕輪を撫でてから、ジークヴァルトに向かって跪く。


「私、リーゼロッテは、クラウゼヴィッツ辺境伯の娘として、亡きお父様とお母様に恥じぬように生きていくことと、民の為に尽くし、導くことを誓います。今後ともよろしくご指導くださいませ、ジークヴァルト様」


 ヴィレゼーレを受け取ったらお礼と決意表明をするものだ。これはお披露目の為に何度も練習していたものだったので、今の状況に合わせて少しだけ言葉を変えて、この場にいる人々に宣言する。エッダは満足そうに微笑み、マリウスも笑いかけてくれる。


 ちらりと視線を向ければ、残念なことに、ジークヴァルトはいつもどおりの無表情だった。認めてくれたのかどうなのかわからない。

 窺うように青灰色の瞳を見つめていると、不意に目の前に手を翳された。


「リーゼロッテの未来が健やかで、穏やかでありますよう」


 囁くような小さな声でジークヴァルトが告げると、彼の魔力が白い光となって、ふわりとリーゼロッテを包み込む。

 白は光の属性を示す色だ。生命を寿ぐ癒しの属性である光の祝福は、とても清らかで優しく、なによりも温かい。その光が願うのは、リーゼロッテの未来が安寧であり、健やかであることだった。


「ジークが光属性の加護とは……珍しいことをする」


 ふわふわと消えていく光の残滓を見守っていると、マリウスが面白がるような口調で呟いた。それを受けたジークヴァルトはムスッといつも以上の不機嫌顔になる。


「他者へ魔力を使うことは滅多にしませんし、ジークヴァルト様は闇の属性が強い方なので、光属性の魔術はあまりお得意ではないのですよ」


 首を傾げるよりも早く、エッダがこそっと教えてくれた。

 魔力を持つ者は必ず光か闇のどちらかの属性を持っている。光は癒したり育んだりする性質が強く、医者などを志す者が多い。闇は戒めたり奪ったりする性質が強く、攻撃的な魔術が強力になるので戦闘が有利になる特性がある為、騎士を志す者が多いらしい。


 光属性が強く反映する補助魔術は多種存在するが、癒しの術以外は基本的には自分に施すものなのだという。だから、闇属性が強いジークヴァルトが、決して得手ではない光属性の魔術を使い、リーゼロッテに対して加護を願ったことが珍しいのだとか。

 随分と貴重なことをしてもらえたようだ。リーゼロッテは嬉しくなってジークヴァルトを見上げた。


「ありがとうございます、おじ様」

「……たいしたことではない。ラウレンツならしたことだろうと思ったから、代わりを務めただけだ」


 ムスッとした表情のまま少し早口で言うと、さっとリーゼロッテの描いた魔法陣を差し出した。


「ヴィレゼーレを手に入れたのだから、問題なく魔術を使えるようになった筈だ。早々に騎獣を作るぞ」


 リーゼロッテは「はい!」と元気よく頷き、魔法陣の描かれた紙を受け取った。


 あとからマリウスがこっそりと教えてくれたことだが、ジークヴァルトが少し早口になるときは、照れ隠しをしていることが多いらしい。珍しく慣れないことをして照れていたのだという。

 それがちょっとだけ嬉しくて、おかしくて、思わず笑っていると、ジークヴァルトに睨まれた。

 慌てて口許を隠し、何事もなかったかのようにすまし顔をして見せる。今度は嫌そうな顔をされた。

 怒らせてしまったかしら、と少し不安になっていると、片付けをしていたマリウスが堪えきれないように笑い出す。


「ご安心ください。ジークはリーゼロッテ様のことを相当気に入っていますよ」


 楽しげに告げられた言葉に、ジークヴァルトが物凄い目つきで振り返る。傍にいただけのリーゼロッテが震え上がってしまうような恐ろしい目つきだったが、それを向けられていたマリウスはものともしないようで、笑いながら自分の仕事に戻って行った。


「……失敗したな」


 立ち去って行く背中を見送りながら呟く声音が、心底うんざりとした響きを含んでいる。

 なにがですか、と首を傾げると、舌打ちでも零しそうなほどの苦々しい表情が見下ろしてくる。


「お前の補佐官に任命してしまった。これから毎日、あれの顔を見なければならない」


 仕事が出来る有能な男なのは確かなのだが、性格がとても面倒臭い、と珍しく愚痴のようなことを零している。その様子がリーゼロッテにはおかしくなる。


「でも、おじ様はマリウスと話していると、なんだか楽しそうに見えます」

「そんなことはない」


 嫌そうな目つきを向けられた。


「姫様のおっしゃるとおり、マリウス殿といるときは、ジークヴァルト様も年相応に見えますよ」


 控えていたエッダが口を挟むと、ジークヴァルトは大きく顔を顰め、出来栄えの確認を終えた騎獣の魔石をリーゼロッテに渡すと、溜め息混じりに「仕事に戻る」と言って城内へ戻って行った。


「お二人は同じ年の幼友達なのですよ」


 エッダは楽しげにそう囁いた。

 そういう友人があまりいないリーゼロッテは、それが少し羨ましく思えた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ