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リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
3/19

2 領主と要塞の役割



 ジークヴァルトによる集中講義を受け始めて二日程で、魔力の扱いの基本である『魔術具に魔力を流す』ということが出来るようになったリーゼロッテは、要塞に連れて行かれることになった。整備も兼ねて実地で稼働してみろ、ということだ。


 国境に近い場所にある要塞は、城からも目視出来る程度の距離なのだが、実際に行ったことはない。


「初代クラウゼヴィッツ辺境伯イザーク・バウムガルテンがこの地を賜ったときは、あの要塞が居城だった。代を重ねて親族が増えるにつれ、女子供の安全の為に現在のクラウゼヴィッツ城が建造されることになった。百五十年ほど前の六代目シュテファニーのときだな」


 女性だった六代目は、母として戦時中の我が子のことが気にかかり、集中を欠くことが度々あったらしい。隣国との防衛の要である地の領主としてこれではいけない、と己を律しようとも上手くいかず、苦渋の決断として居城を移す計画を立てた。家族がいる場所が最前線でなくなっただけで安心感が全然異なったということだ。

 居城を移して以降、平民達を含めた人々の中心地もそちらの方へ移されていき、要塞周辺は戦闘で被害に遭っても問題がないように僅かながら閑地になっている。障害物になる住居がなくなったことで兵達の物資の運搬も楽になったので、戦略的にはいい判断だったということだ。


 なるほど、と簡易的な歴史の講義に頷きながら、馬車の外を見遣る。


「でも、国境からの伝令や、攻撃に備えて移動するという時間が無駄ではないのですか?」


 司令官でもある領主が要塞に住んでいたときならば、襲撃があれば即座に反応し、あまり間を置かずに攻撃態勢に転じられただろう。だが、今は少し離れたところに住んでいる。

 そんな疑問を、ジークヴァルトは「問題ない」と言い切った。


「要塞には緊急連絡用の魔術具もあるし、騎士ならば騎獣を従えている」

「騎獣?」

「……なんだ。見たことがないのか?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げると、意外そうな声で問われる。リーゼロッテは素直に頷いた。


「まあ、自分で魔獣と闘う力がなければ、従わせられないからな。城からあまり出たことがなければ、騎士が連れているのも見たことがないだろうし」


 知らなくて当然だな、と納得したように呟かれたので、少しだけホッとする。知っていなければいけないことを、また知らなかったのではないかと思ったのだ。


「用事が済んだら、わたしのものを見せてやろう。実際に見た方が理解が早い」

「ありがとうございます。楽しみです」


 そんなことを話しているうちに、要塞の入り口に到着した。


「お城から見ているときは気づきませんでしたが、こちらの方が市街よりも少し高くなっているのですね」

「ああ、そうだ。先程通って来た旧市街門があるだろう? 元はあそこまでが要塞の内側で、戦闘になれば住人はあの門よりもこちら側に入ることになっていた。今はその逆で、あちら側の方が主要市街地として扱われている」


 領地の拡大と共に、要塞をぐるりと囲んでいた高い塀は今ではほとんどなくなっているが、見張り台や待機場の在った門の周辺だけは残っているし、今の市場が近いので役場の出張所として機能している。その門から要塞に向かって丘のようになっているのだ。


「高い方が見晴らしがよいからですか?」


 見晴らしがよければ見張りもしやすいだろう。その為に見張り台は三階以上の高さに据えられているものだ。


「それもあるが……あちら側から攻め入られたときに、こちらが高ければ戦いやすいという利点がある」


 高所からの方が攻撃がしやすい、と言われるが、具体的にどのようなことをするのかは想像がつかず、曖昧に頷き返していると、それに気づかれたらしい。不出来な生徒を憐れんで見つめるような目つきを向けられた。


「兵法が関わってくるから、お前にはまだ少し難しかったか。……まあ、こういったことも追々教えていこう」

「はい。申し訳ありません」

「謝らずともいい。そもそも女性は騎士になる者も少なく、戦仕事については関わらない場合が多いからな」


 まだ子供であるし、知らない方が当たり前だろう、と言われる。

 しかし、領主となれば最高司令官という地位になる。大抵は騎士達に任せておけば問題はないだろうが、それでも、時と場合によっては自ら指揮を執り、戦場に立たねばならないこともあるものだ。領主が後方で身の安全を気にしているようでは、騎士や兵士達の士気に関わる。


 知識として得ておくことは必要だ、と言われ、リーゼロッテは慎重に頷いた。

 なんだか『学ばなければいけないこと』や『知っておかなければならないこと』というものが、どんどん増えていくような気がする。実際そのとおりなのだろうが、消化しなければならない課題が、消化しきる前に次々と積み上げられていくようで、とても陰鬱な気分になった。


 常駐している騎士達の敬礼を受けながら要塞の中へ足を踏み入れる。

 石造りの内部は、城と違って敷物や壁掛けなどの布製品がほとんどなく、とても寒々しい。休憩室のようなところを通りがかりに覗けば、もう春も終わりの頃になっているのに暖炉に火が入っているので、やはり冷え込むのだろうと思われた。


「ここが領主の執務室だった部屋だ」


 三階の一室に通される。


「今でも戦中の領主の居所になっている。戦闘が始まったらここに詰めて、戦況報告を聞いたり、指示を出したりする」


 部屋の奥には甲冑を従えた執務机があり、中央には大きな会議机が鎮座している。その上には広げられた地図と巻き物がいくつかと、作戦会議に使用するのか、三色の駒が詰め込まれた箱と指示棒が置いてあった。

 この部屋の真下は常任守備隊長の執務室になっていて、直接行き来出来るように裏階段が繋げられているという。使用人達が使う通路を改築して作られたという階段を見せられ、連携が取りやすくて合理的だろう、と言われたので頷いておいた。


 いくつか部屋の中の様子を説明されたあと、下階の住人である隊長に紹介しよう、と言われ、きちんと表側の階段から向かう。さすがに隠し階段から突然のご挨拶は失礼だ。

 現在の常任守備隊長はニコラウスという三十代後半の大柄な人だった。


「お初にお目にかかります、姫様――いえ、新しきクラウゼヴィッツ辺境伯リーゼロッテ様」


 丁寧に礼を取ってくれたニコラウスは、先達ての襲撃事件からまだふた月しか経っていないので、警戒の為にこの指令室からなかなか動けないらしい。到着の出迎えに出られなかった非礼を詫びられたので、リーゼロッテは頷いて受け入れた。


「ハーゲンドルフの侵攻を食い止められたのは、ニコラウス達の尽力があったからだと伺っております。ほとんど機能しない要塞の戦力で十日も凌げたのは、日々の鍛練を欠かさなかったあなた方のお陰だと、おじ様はおっしゃっていました。私はまだとても頼りない主であると思いますが、これからもこのクラウゼヴィッツの為に、延いてはフロイデンタールの為に、変わらぬご尽力を頂きたく存じます」


 ここに来るまでの道中でジークヴァルトに教え込まれた言葉をなんとか諳んじると、ニコラウスは跪いたまま少しだけ目を瞠り、太い笑みを浮かべた。


「もちろんでございます、リーゼロッテ様。わたくしは先代ラウレンツ様に忠誠を誓った身ではございますが、そのご息女様たるあなた様に望まれて否やがございましょうか。是非ともお仕えさせてください」


 快く承諾してくれたようなので、ホッと息をつく。

 代替わりの際には人事面が少々荒れることもある、とジークヴァルトに指摘されていた。隊長格の騎士ともなれば忠誠心が厚く、場合によっては、家よりも主個人に忠誠を誓っている者もいる。そういう人間は、新しい当主が自分の側近を優遇する人事異動を行ったりするので、代替わりを機に一線を引く場合も多いらしい。要職から降格されたりしたら、さすがに矜持が許さないのだろう。


 貴族社会の一員とようやく認められたばかりのリーゼロッテには、様々な要職を任せられる側近もいなかったし、人員を入れ替えようにも判断がつきかねた。父の代の人達にそのまま動いてもらえるのが最善だと進言を受けていたし、内政官はそのまま任じている。


 このニコラウスは、リーゼロッテが生まれるよりも前から常任隊長として駐留していると聞く。十年も配置換えされずに任されているのだから、有能であるのだろう。

 確認するようにジークヴァルトの方を振り返れば、軽い頷きが返される。


「そう言って頂けて嬉しいです。今後もこの要塞の常任守備隊長として、よろしくお願い致します」

「お任せください」


 どっしりと力強い声が頷いてくれる。まだ足場がしっかりと固まっていないリーゼロッテにはとてもありがたいものであり、幼いながらもそれは確実に感じ取れた。

 引き続きここを任せることになったが、代替わりの手続きに伴って任命書は再度作らなければならず、後日改めて届けることをジークヴァルトが申し渡していた。そういうことさえもリーゼロッテは知らない。

 少し気落ちして俯いていると、肩を叩かれた。


「疲れたか?」


 尋ねる口調はいつもどおりのものだったが、そんなことをわざわざ尋ねてくれるのだから、とても気遣ってくれているのだとわかる。


「いいえ、まだ大丈夫です」


 微笑みながら首を振ると、僅かに眉を寄せて見下ろされる。


「まだ病み上がりだ。無理をすることはない」


 本当に大丈夫なのに、と思いつつ、慣れない場所や顔触れに緊張していて、ほんのりと気疲れしていたことは事実だ。けれど、ここには案内役の騎士もいるし、公的な場で体調や気分を悟らせるようなことはしてはならない、と幼い頃から言い聞かせられている。態度を崩すわけにはいかない。


 そんなリーゼロッテの胸の内を読み取ったのか、ジークヴァルトは少し思案するような表情になったあと、その小さな身体を抱え上げた。


「おじ様!?」

「少し風に当たろう」


 驚くリーゼロッテにそう囁いたかと思うと、ニコラウスには離席する旨を伝え、すたすたと階段に向かって歩き始める。案内役達は慌ててついて来た。


 抱え上げられたまま連れて来られたのは、屋上だった。爽やかな風が頬を撫でていく。


「あちらがハーゲンドルフだ」


 遠くに山影が見える方角を指し示す。


「ハーゲンドルフは険しい山岳地帯が領土のほとんどを占めている。北方からの寒気が山々に堰き止められて留まりやすく、冬はとにかく寒さが厳しい。温暖で平原の多い我が国を欲する事情はわかるだろう?」

「民が飢えぬように心を砕くのは、王の役目ですものね」


 山ばかりならば畑を作るのにも苦労するだろう。農耕生産が滞れば、それは食糧の枯渇に繋がる筈だ。冬が長く厳しいのであれば尚のこと、食糧の備蓄に気を配らねばなるまい。

 王や領主たる為政者は、従える民を守らなければならないものだ。自国の民を飢えさせない為に実り豊かな土地を求めて他国を攻めるのは、今までの歴史から振り返っても自然なことだろう。

 その考えはわからなくはないが、自分が当事者になっていると迷惑この上ない。他人から奪うことばかりに目を向けないで、もっと自力でどうにかして欲しいものだ。


「……間違っておりましたか?」


 ジークヴァルトから不思議そうな顔をして見つめられていたことに気づき、首を傾げる。

 いいや、と首を振られたが、その表情はなんだか物言いたげだ。


「あの、おじ様。間違っていたのならば、指摘してください。私はまだ学び始めたばかりで、なにもわからないのです」


 自分の無知を恥じて目を伏せながら告げると、小さく溜め息を零され、ゆるく首を振られた。


「間違っているわけではない。――ただ、お前の考え方は優しすぎる。それは得難い美点であるのは事実だが、欠点にもなり得る」


 欠点という言葉に気持ちが沈む。やはりなにか間違っていたらしい。

 僅かに困惑しながらジークヴァルトを見つめると、彼は珍しく、慰めるように頭を撫でてくれた。


「悲しむことはない。欠点になり得るものではあるが、その優しさを持ったまま、素直に育って欲しいという気持ちはある。わたしにも、ラウレンツにもなかったものだ」


 そう言う声音はいつものように感情をあまり感じさせないものだったが、眩しいものを見るかのように双眸を細めている。その様子にリーゼロッテは少し首を傾げた。


「……よくわかりません。欠点はなくした方がいいのではないですか?」

「確かにそうだ。だが、お前の持つ欠点は、努力次第で利点になる。そうする為に多くのことを学びなさい」

「はい」


 よくわからなかったが、取り敢えず頷いておく。欠点だと言われているものは、一生懸命勉強していれば補えることなのだろう、と自分を納得させて。


 高いところから辺りを一望出来るので丁度いい、とジークヴァルトは簡単な地理と歴史の講義を始める。教科書も書き留めるものもなくて焦るが、取り敢えず聞いていろ、と言われたので、リーゼロッテは相槌を打ちながら説明を聞いた。


 フロイデンタールと北西方面に接するハーゲンドルフと、北東側に接するアングリアと南西のバルヒェットは、元々はメッサーシュミットという名の大帝国だったのだという。それが何百年も前にアングリア地方の領主が独立を宣言し、それに追従していくつもの領主達も独立を求め、大きな内乱となった。いくつもの小国が興っては潰し合って吸収して分裂して、最終的にこの四国に分かれて現在の形に落ち着いたらしい。


「嘗てのメッサーシュミットの首都が在ったのはハーゲンドルフで、皇帝の血筋や近しい貴族もハーゲンドルフに多い。それ故に、我が国を含めた三国を吸収して、元の国土に戻そうとする向きがある」


 侵攻を仕掛けて来るのはその為だ、と説明され、自分の予想は外れていたのだと知った。


「もちろんお前の考えも間違いではない。このフロイデンタールのあたりは、昔から農耕が盛んだ。メッサーシュミット帝国時代ももちろん穀倉地帯として名を馳せていて、国土の食糧庫として重宝されていたのだ」


 帝国の南側の地域は本当に実り豊かな土地で、そこが離れてしまった結果、急峻な山岳地帯と深い森の土地しか残らなかった帝国の首都地域は、厳しい冬が訪れる度に衰退していった。

 その影響もあってここ二十年程は侵攻されることもなくなっていたのだが、ここにきて突然の強襲だった。


「あれが突発的なものだったのか、今後の大規模侵攻に向けての前哨戦であるのかは定かではない。代替わりをしたという噂もあるし、経過年数的にもその可能性は高く、そうなると、近年の方針が転換されたと見ていい。だからこそ、お前には早急に領主としての意識を持って欲しいと思っている」


 出来るか、と短く問われ、否定したい気持ちを必死に抑えながら、リーゼロッテは頷き返した。

 出来る出来ないの話ではない。出来なくても、やらなければならないことだ。左手に嵌まる指輪を包み込むように握り締め、きゅっと唇を引き結んだ。


「……よろしい」


 幼い胸の内に宿った決意を認めたジークヴァルトはひとつ頷き、腰の高さに在る小さな頭を撫でた。


「ではまず、ここに来た本来の目的を全うしよう。執務室に戻るぞ」


 行ったり来たりさせて悪いな、と軽く謝りながら、階段の方へと促される。

 三階の執務室に戻ると、重厚な執務机の後ろに立つ二体の甲冑の間に広げられている領地の紋章を示された。


「あのタペストリーに隠されている扉が、この要塞の核となる魔術具へ繋がっている」


 案内役につき従ってくれていた騎士達が、丁寧な手つきでタペストリーを持ち上げてくれる。そこには言われたとおりに隠し扉があった。


「ここに入るのは、本来は領主だけだ。……一人で行けるか?」


 一人で行くのはちょっとだけ恐い。けれど、リーゼロッテは真剣な面持ちで頷いた。

 そうか、と頷いたジークヴァルトが扉を開けてくれる。


「中には大きな魔石があるから、そこに魔力を注ぎ込んで来るように。やり方はもうわかるだろう?」


 ここ数日散々練習していたことだ。たぶん出来ると思う。


「先日使った為にほぼ空になっていると思うが、満杯にしようなどと思わなくていい。最低限維持出来る量を注いで来なさい」

「はい」


 要塞の魔術具というのは、どうやら魔力を溜め込んでおくことが出来るようになっているらしい。稼働させる為に魔力を大量に消費すると言っていたし、いざというときの為にコツコツ蓄えておいて負担を減らしているのだろう。それが空になっているのだったら大変だ。


「わたしはここで戻りを待つ。なにかあればすぐに戻って来なさい。中は守護の結界が張られていて、許可なき者は弾かれる」

「はい。行って参ります」


 緊張しながらゆっくりと扉の中へ進むと、三歩分程の間のあとに、なにか引っかかるような僅かな抵抗を感じた。蜘蛛の巣のような薄く細いものが一瞬絡まったような、そんな小さなものだったが、恐らくこれが守護の結界なのだろう。


 その奇妙な感覚にビクッとして身を竦ませたが、それは瞬きの内に消え、気づくと淡く光る不思議な部屋の中にいた。


 足許も壁も天井も、板や石の継ぎ目などもないつるりと白いもので出来ていて、そこが灯りもいらない程度に淡く光を放っている。光っている所為で遠近感が掴めなくて、部屋の広さがよくわからない。

 恐々と一歩踏み出せば、コツリと小さな踵が鳴るけれど、反響するわけでもなく消えていく。そんなに広くはないのだろうか。


 部屋の中央と思われるあたりに、リーゼロッテ一人では抱えきれないぐらいの大きな魔石が浮いている。その周りを、拳の大きさ程の小さな魔石がいくつかくるくると不規則に回っていて、これが核の魔石なのだろう、とすぐにわかった。


 大きな魔石の下には魔法陣が七色に光っている。これが要塞を成立させている魔術なのだろう、とすぐに理解した。魔術具を作る為には、核となる魔石と用途を成り立たせる魔術式が必要で、それらを機能させる為の魔法陣が埋め込まれているものだと習ったからだ。

 その魔法陣の縁に立ち、大きな魔石へと手を伸ばす。綺麗に磨き上げられたような表面はつるりと手触りがよくて、ひんやりとしていた。


 その心地よい冷たさに、生死の境を彷徨いながらなんとか目覚めたときに額を撫でてくれたジークヴァルトの掌を思い出しながら、自分の魔力をゆっくりと流し込んでいく。魔力の流れに反応してか、領主の証である指輪が光った。

 自分の中の熱を伝えるように少しずつゆっくりとするのがコツだ、と教えられていた。一気に流し込むと具合が悪くなるらしいし、やりすぎると命の危険が訪れるとか。


 慎重にゆっくりと、魔石に掌の温もりを移すようにしていると、何処からかぴちゃぴちゃと水音が聞こえ始める。瞬いて音源を捜せば、触れている魔石の内部に淡く光る水が溜まり始めているのが見えた。


「本当に空っぽだったんだ……」


 下の方に僅かに溜まっているだけだったところに、空中から水滴が落ちていく様子が見える。あの水溜りが溜め込まれていた魔力だったというのなら、なくなる寸前だったということがわかる。

 どれくらい満たせばよいのだろう、と考えながら、魔力を注ぎ込んでいく。恐らくこの魔石の中をいっぱいに満たしておくのが正しいのだろうが、そんなにいっぱい送り込めるほど、リーゼロッテの魔力量は多くないと思う。


 取り敢えず、足首が浸かる程度の高さぐらいまで溜めてみよう、と決めて魔力の流れを意識する。最低限の量でいいと言われたのだから、足りなければまた後日追加に来ればいい筈だ。


(お父様も、こうして魔力を溜めていっていたのかな……?)


 それならば、下の方に僅かに残っていた魔力は、父のものだったのだろうか。

 いや、ジークヴァルトのものだろう、とすぐに思い直す。領主代行として彼が大量に魔力を消費しながら稼働させたと言っていたではないか。


 ちょっとだけ寂しい心地になって魔力を注ぎながら、溜め息と共にあたりを見回す。淡く光っているお陰で恐怖感はないが、なにもない真っ白な空間というのがなんとなく落ち着かない。後ろを振り向けば出入り口である場所が虹色に光っているのが見えるが、他はすべて白だ。

 窓すらもないこの部屋からは外の様子とかが一切わからなくて、戦時中は指揮官としていったいどうするつもりなのだろう、という疑問が首を擡げた。


 作戦立案とか指揮とかはすべて騎士達に任せて、領主はただここで消費される魔力をどんどん送り込んでいくだけなのだろうか、と考えを巡らせていると、白一色だった部屋の風景が急に変わった。


「……わっ!?」


 驚いて思わす淑女らしくない声が漏れる。エッダがいたら注意されたかも知れない。けれど、そんなことに気を回せないくらいに驚いたのだから仕方がない。

 白一色だった部屋は、いつのまにか『外』になっていた。

 しかも、ただの『外』ではない。森の木々が足許に見えるので、空中に浮いているのだろうとわかった。

 視界は上空からのものではあるけれど、足の裏には確かに床を踏みしめている感触があって、核の部屋から外に放り出されたわけではないとすぐにわかった。触れている魔石もそのままだ。


 前後左右上下すべての方向を見れるようになっている様子に、リーゼロッテはただただ目を丸くした。これなら窓のないこの部屋からでも外の様子がわかる。通信用の魔術具を持ち込んでいれば指示も出せるだろう。


「すごい……」


 これは何処の森だろう、と足許を見下ろして考えてみるが、そんなことを知るわけがない。わかりやすい目印などなにもなく、鬱蒼と茂る森は森だ。

 なにかもっとわかる場所、と頭に思い浮かべれば、パッと景色が切り替わる。


「あ、お城の上だ!」


 今度はわかった。居城の南塔から市街地を見る方角の景色だ。

 核の魔石に触れながら望めば、求めた風景を見られるらしいことがわかり、リーゼロッテはかなり興奮した。魔術の勉強を始めたばかりの自分が、こんなにも簡単に魔術を使っているのだ、と。


 しかし、その興奮はあっという間に萎える。

 せっかく溜まり始めていた魔力がどんどん消えていくではないか。慌てて景色を映すことを取り止め、魔力を送り込むことに集中する。


 要塞を稼働させるのには魔力を大量に消費する、というジークヴァルトの苦々しげな言葉を実感し、当初の目標通りに足首ぐらいの高さまで水を満たした。

 下の方に揺れる液体を確認して手を離すと、少しくらくらとした。強めの眩暈と、視界の揺れるような感覚に吐き気を感じてその場に膝をつき、座り込む。


「一気に流し込むと具合が悪くなるって、こういうことなの……?」


 茫然と呟き、目が回るのが治まるのを待つ。これでは立って歩いて行くこともままならない。

 なにかを視認していると目が回るので瞼を下ろし、両手で目許を覆って蹲っていると、いくらもしないうちに肩を叩かれた。誰かと確認しなくても、領主以外が入れない場所に入って来れるのは代行証を所持しているジークヴァルトだけなので、彼だとわかる。


「必要最低限でいいと言ったのに、無茶をしたな?」


 少し呆れたような声音で言われてしまい、リーゼロッテは慌てて首を振った。その為にまたくらりとしたが、堪えて「調子に乗りました」とだけ答える。

 ジークヴァルトが小さく息を吐く。

 呆れられたかな、と情けなく思っていると、ふんわりと抱き上げられた。


「初めてにしては上出来だ」


 そう言って、頭を撫でられた。




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