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リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
19/19

17 王女からの依頼



 出窓の定位置からフリーデンがチラチラと視線を送ってきているが、リーゼロッテは完璧な無視を決め込んで書類仕事に勤しんでいる。

 一人と一匹の沈黙の攻防が始まってから、今日で三日目である。おおいに反省している様子の仔竜の姿を連日見続け、あのジークヴァルトでさえも気の毒に感じていた。

 傷だらけにされた扉は修理が可能ということだが、結局は作り直すことになる。それは以前とは同じ形状をしていても、まったく別のものということになる。リーゼロッテはそれが悲しくて堪らなかったし、それ故にフリーデンへの怒りが収まらなかった。


 微妙に重たい空気の満ちる執務室に、そろそろ少し休憩にしようか、という声が出てきた頃、困惑の表情のウーヴェが伝声鵡(パパガイ)を連れて報告に来た。


「中央から親書を携えた騎士が一人、入城を求めているようです」


 ふた月ほど前に制止を振り切って突進して来たヒルデブレヒト達とは違い、その騎士は領境の関所で礼儀正しく許可を待っているらしい。

 だが、中央からの使者ということで、ジークヴァルトは片眉を持ち上げた。


「第一王女殿下の護衛騎士、カール・オーベルと名乗っているそうですが、ご存じですか?」

「あぁ……、確かにいるな」


 半年程前まで中央こと王都にいて、第二王子の護衛騎士の一人として勤めていたジークヴァルトは、その騎士の名前に覚えがあった。人相も思い出せる。


「リーゼロッテ様宛ての、王女殿下からの親書を携えて来たそうです。伝言もあるそうなので直接お渡ししたいと申しているようですが、面会を許可しますか?」

「私宛て、ですか?」


 指名されたリーゼロッテは思わず目をぱちくりとさせる。

 いったいなんなのだろう。王女殿下とは面識もないし、名前すらもよく知らない。それなのに何故、突然親書など送ってきたのだろうか。

 しかし、王家とは関わらないことにしよう、と新たに取り決めを交わしたばかりである。今回は王族のみならず、その周囲にもしっかりと周知して、不干渉を徹底する約束になっていたかと思うのだが。

 頭の中を疑問符でいっぱいにしながら、リーゼロッテは補佐役であるジークヴァルトとマリウスへと視線を向ける。


「わざわざいらした方をそのまま追い返すのは可哀想だと思うので、お手紙を受け取るくらいはしたいのですが……駄目ですか、おじ様?」


 不干渉とはいっても、交流を一切絶つわけではない。必要があれば対話もするものだ。

 手紙を受け取るのはその範疇であると思うのだが、とリーゼロッテが伺うと、ジークヴァルトはほんの少しだけ唇の端を引き下げて眉間に皺を寄せ、考え込むように沈黙したが、すぐに「そうだな」と同意してくれた。


「またなにか無理難題を押しつけてきたのならば、突き返せばいいだけのことだ」


 もしかしたらただのご機嫌伺いの手紙かも知れない、と横からマリウスが言うので、そういう可能性もあるだろう、とリーゼロッテも頷き返した。


「ウーヴェ、関所で待っている騎士の人に、これから会えます、と伝えてください」

「承知致しました」

「ヘルムート、簡易謁見室の準備をしておいてくれ。それと、ヘンドリクス様とアロイスに同席を頼もう」

「私が連絡します!」


 休憩の準備をしてくれていた側仕えに指示を出しているジークヴァルトの隣で、リーゼロッテは元気よく宣言して椅子を飛び降りた。通信の魔術具の使い方を覚えたので、使いたくて仕方がないのだ。

 慣れた手順でヘンドリクスとアロイスが拠点にしている第一文官室に通信を繋げ、王女の使者が来たので面会に同席して欲しい、とお願いする。


 ご使者と面会するのなら着替えを、と言うエッダを振り切り、簡易謁見室へ急いだ。仕事の一環なのだから、面会もこの仕事着でいいではないか。

 民からの陳情などを聞くときに使われる簡易謁見室の前に、関所当番の騎士が立っている。王女の護衛騎士を案内して来てくれたのだろう。

 ジークヴァルトに状況を軽く報告したあと、待機を指示されて扉横に控えた。


「お待たせしました」


 扉を開けてもらって中へ入ると、直立の姿勢で待っていた騎士に声をかける。振り返ったのはジークヴァルトと同じぐらいの年齢の、騎士にしては線の細い青年だった。


「とんでもございません、クラウゼヴィッツ辺境伯。突然の来訪の無礼をお許しくださり恐縮です。ご多忙の中お時間まで割いて頂き、感謝申し上げます」


 王女の護衛騎士でカール・オーベルだと名乗った。事前に聞いていた名前と同じである。

 礼儀正しく膝をついた青年に頷き返しながら、リーゼロッテは上座の椅子へと腰かける。その左右にジークヴァルトとヘンドリクスが控え、マリウスは騎士の元へと向かった。


「親書をお持ちとか。お預かり致します」

「はっ。こちらです」


 紐と蠟で封緘のされた箱を受け取り、宛名と差出人を確認したマリウスは「確かに」と頷いたあと、検閲の為に封を切った。

 その様子を見ていた騎士カールは、ちょっとだけ眉尻を下げて「あの」と小声でマリウスを制止した。


「書面はアストリット様の直筆です。書いているお姿をわたしは傍で見ていましたし、その封緘をしたのもわたしです」

「はい?」


 いきなりなんの説明を始めたのだろう、とマリウスは首を傾げながら開封の手を止めた。リーゼロッテもヘンドリクスも、カールがなにを言おうとしているのかわからなくて首を傾げる。


「アストリット様は辺境伯ご自身に直接目を通して頂きたいとおっしゃられ、子ど――お若い辺境伯でもお読みになれるように、平易な文章で書かれております」

「然様でございますか」

「はい。ですから、その……馴れ馴れしいと感じられるかも知れませんが、決して、見下しているとか馬鹿にしているとか、そういう意図はありません。断じてありません! それだけはご承知ください」


 つまり、子供のリーゼロッテ向けに書いているので、大人の文官が読むと失礼に感じるかも知れない、ということなのだろう。

 必死なカールの様子にマリウスは僅かに面食らい、手にした親書をどうしようかと困惑しているようだが、リーゼロッテはにこりと笑って手を差し出した。


「こちらにください、マリウス。私が読みます」


 確認書類はすべてマリウスに読み上げてもらっているが、子供でも読めるように書いてくれているなら、代読は必要ない筈だ。

 直接読む、と告げると、マリウスはジークヴァルトに許可を求めるように視線を向けた。


「……中身に問題がないかは、一応確認を」


 危険物が一緒に封じられていないか確認しろ、と指示されたマリウスは、頷いて封を解いた。中身は紙の束だけだ。

 筆頭文官であるアロイスも共に確認し、これといった問題はなさそうだったので、その紙の束はリーゼロッテへと渡ってきた。


「王女殿下のお気遣いをとても嬉しく思います」


 カールに向けて告げると、彼はホッとしたように頷いた。

 まず一枚開いてみると、文面は「はじめまして」という挨拶から始まっている。その一文だけで、いつもの『辺境伯宛て』に送られてくる文面とは違うものなのだとわかった。

 書体を崩さずに書いてくれているのは、文字を習い始めて間もない子供でも読みやすくしてくれているのだろう。ぐにゅぐにゅと繋がっている大人の書く文字と違って、教科書のお手本のような整った文字はとても読みやすい。


「王女殿下はなんと?」


 ふんふんと頷きながら読み進めていると、ヘンドリクスがそわそわしたように尋ねてきた。ジークヴァルトとアロイスも気にしているようだ。

 一通り読み終えたリーゼロッテは内容を要約する。


「アストリット様は、フリーデンに会いたいそうです。その為に、訪領の許可が欲しいと」

「フリーデンに?」


 首を傾げる四人に向かって頷くと、部屋の外にいたらしいフリーデンが「ギャウゥ~」と鳴き声を上げた。名前を呼ばれたことに反応したようだが、先日扉を引っ搔いたことで怒られたので、体当たりすらもせずに声だけを出している。

 リーゼロッテは軽く肩を竦め、マリウスに「開けてあげてください」と頼んだ。

 扉が開かれると、フリーデンはチラチラと周囲に視線を向けながら、そろそろと床を這うようにやって来た。

 返事を待っていたカールが「あ……っ」と小さく声を上げる。仔竜に驚いたのだろう。

 リーゼロッテはむぅっと怒りの表情を見せながら、膝の上を叩いた。フリーデンは急いで飛び上がり、示されたところにそっと着地する。


「私はまだ怒ってるんだからね」

「ギャウ……」

「でも、今度お客様が来るときにいい子にしてたら、許してあげる」

「ギャッ?」

「待ちなさい、リーゼロッテ」


 ジークヴァルトが素早く制止する。眉間に皺が寄って眉毛が吊り上がっているので、かなり機嫌を損ねたことはわかった。


「わたしはアストリット様の来訪を許可しない」


 クラウゼヴィッツ辺境伯バウムガルテン家の当主はリーゼロッテだが、まだ幼いので重要な決定権は後見人のジークヴァルトが持っている。彼の認可がなければリーゼロッテはなにも出来ないのだが、今回のことは反対される理由がないと思っているのだが、どうやら説明が足りなかったようだ。

 リーゼロッテは手紙の内容の続きを口にする。


「アストリット様は、フリーデンに会うことを希望されていて、その見返りとして、魔術研究の成果を提供すると言ってくれています」

「そのことについて、わたしからご説明をさせて頂きたく存じます」


 話に割って入って申し訳ない、と言いながら、カールが挙手して発言の許可を求めた。

 以前から魔術研究に耽溺しているアストリット王女は、今では貴重な存在となった竜種がリーゼロッテの元にいると聞き、是非とも実物の竜種を見てみたくなったそうだ。そして、あわよくば抜け落ちた鱗とか爪をほんの少し削って、研究素材として持ち帰ったりしたい、と考えているらしい。もちろん、生身を傷つけるようなことは決してしない、と言っている。

 実物の竜を見せてもらう代わりに、自分の今までの研究成果を公開することと、必要があれば術式開発などにも協力すると申し出てくれている。

 それらを誓約するという契約書が、手紙と一緒に入っていた。親書というには随分たくさんの紙が入っていると思ったら、契約書と前払いとして研究成果の一部を入れてくれていたらしい。


「今回提供させて頂いたのは、防御の魔法陣です。わたしは詳しくはないので詳細はご説明出来ませんが、微量の魔力でも永続的な使用の出来る術式で、ただ身を守るだけではなく、向けられた攻撃を倍返しするものだとか」


 その説明に目を輝かせたのは、魔術研究を行うことの多いヘンドリクスとマリウスだ。職務としても趣味としても魔術具の改良を好んでいるヘンドリクスは、食いつくように紙束を覗き込んできた。


「そちらは自由に使用されてよいとのことです。今回のお話を聞いてくれたことに対する迷惑料ですので、アストリット様の訪問を拒否されてもそのことに問題はありません。気にせずに受け取ってください」

「しかし……」

「中央とクラウゼヴィッツの確執を承知の上で無理をお願いしているので、これくらいの手土産を用意しておかなければ失礼だ、とおっしゃっておられましたので」


 どうぞ受け取っておいてください、と重ねて言われるが、ヘンドリクスは困惑の表情を浮かべている。


「便利な魔術ですか?」


 よくわからないので尋ねると、ううむ、と唸り声が返ってくる。


「リチェの護身の為に研究中だったものだ。……わたしが考案していたものよりも魔力の消費が少なくて、性能がいいと思う」

「そうなのですか? とてもよいものをもらってしまったのですね」

「……だから困っている」


 こんなにいいものをタダでもらうのは気が引ける。そうなると、王女の訪問を受け入れるしかなくなってしまうのだ。


「いいえ、このことを恩に着る必要は一切ありません。今回断られるのは織り込み済みだそうですので。いずれまた別の交渉手段を考えるそうです」


 本当に気にしないでくれ、と念押しされ、ヘンドリクスは髭の下で唇を曲げた。

 文官二人の気持ちがおおいに揺れ動いてることを確認しながら、黙って考え込んでいる様子のジークヴァルトへとリーゼロッテは視線を移す。


「おじ様、駄目ですか?」

「危険がないとは言えない。それに、また王族の来訪だ。混乱が生じる」

「それは、大丈夫だと思います」


 紙束の中から一枚抜き出し、ジークヴァルトに見せた。


「これ、誓約書だそうです。血を介して結ぶ『血の誓約』という、すごく効力の強いものだって説明がありました」


 差し出されたのは内容は空欄の誓約書だ。末尾にアストリットの署名と印章と共に血判が既に捺してある。


「内容はこちらで好きに書いていいそうです。どんな内容でも文句は言わないので、これで自分を縛って欲しい、と」


 普段はあまり動かないジークヴァルトの表情が、明らかに驚愕の様相になった。目を丸くしている顔など、リーゼロッテは初めて見たかも知れない。

 この『血の誓約』というものは、記された契約に絶対的な効力を発するものだ。違反すれば命の危険を伴うという罰がつくので滅多なことでは使われないし、使おうとする者も少ないのだが、リーゼロッテはよくわかっていない。そのことも含めてジークヴァルトは頭が痛い思いだった。


 誰から見てもとんでもない提案だと思うが、ここまでしなければ信用を得られないとアストリットは思っているのだろう。それはクラウゼヴィッツを尊重してくれているという意思表示であり、そこまでしてでも実物の竜を見てみたいという、変わり者王女の執念を感じさせる。

 その執念に、ジークヴァルトは折れた。

 魔法陣を受け取ったヘンドリクスも来訪に否やはなく、これで許してもらえるとわかっているらしい当事者のフリーデンもご機嫌だ。


「アストリット様の訪領を歓迎致します」


 リーゼロッテが許可の言葉を口にすると、カールはホッとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます。アストリット様もお喜びになります」

「いつ頃こちらにいらっしゃる予定でしょうか? 滞在予定日数なども、今の時点で決まっていることがあれば教えてください」


 フリードリヒのように突然長期滞在を申し出られたりすると困る。事前に予定を立てておきたい、とアロイスが尋ねると、カールは軽く首を振った。


「部屋の用意は必要ありません。食事はパンか携帯糧食があれば大丈夫です」

「え?」

「いや、そういうわけにもいくまい」


 ヘンドリクスも怪訝そうな表情で首を振る。私的な来訪なので歓迎の宴はしなくていい、というようなことであればわかるが、たった一日でも寝泊まりすることになるだろうに、部屋も食事もいらないと言われるのは理解出来ない。

 しかし、カールは当然のことのように「大丈夫なのです」ともう一度首を振った。


「部屋の用意の代わりに、庭先をお貸しください」

「庭先?」

「練兵場の端などでも構いません。地面が平らで、馬四頭分の厩ぐらいの広さがあれば十分です」


 馬四頭を繋いでおける厩といえばそこまで広くはない。この簡易謁見室の半分にも満たないぐらいではないだろうか。

 そんな狭い場所をいったいどうするつもりなのか、とクラウゼヴィッツ側の面々は首を捻るが、それでいいと言っているのだからいいのだろう。


「中庭でどうでしょうか? お茶会をする場所なら、丁度いいと思うのですが」


 以前は母が貴族や富裕層の女性達を招いて、定期的にお茶会を開いていた。多いときで三十人程の女性達が集まって談笑していたあの場所なら、カールが提示した広さにも十分対応していると思う。

 リーゼロッテの提案に、それが一番いいだろう、と全員が合意した。


「食事のことは本当に気にしないでください。……いや、アストリット様は興味があることに集中すると寝食を忘れる方なので、食べているかは気にかけて頂けると嬉しいのですが」


 自室に籠もって魔術研究ばかりしている人なので、食事は作業の片手間に食べられるものを好んでいるのだという。なので、スープは取っ手のついたカップに入れ、その上にパンを一切れ載せて置いておけばいいらしい。カトラリーを使うような食事は倦厭するそうで、そんなものを使っている時間がもったいない、と食べてくれないそうだ。

 携帯糧食というのはどういうものかと思えば、騎士達が遠征中に食べるもので、栄養価の高い雑穀を棒状か球形に固めたものや、干し肉などのことらしい。腰を据えて休憩出来るときには湯を沸かして粥にして食べるが、移動中などでも片手で食べられて素早く補給出来るものなのだ。

 リーゼロッテが興味を示すと、ジークヴァルトは「そんなに美味くはない」と呟いた。騎士生活をしていた彼は何度もそれのお世話になったそうだ。魔術具を作る為の素材採集で遠出したことのある文官達も食べたことがあるのか、苦笑いを浮かべて頷いている。

 そんなものを普段から食べているなんて、とアストリットの食生活がほんのりと心配になった。リーゼロッテがちょっとびっくりした顔になっていると、カールも肩を竦めた。


「わたくしどもも度々諫言させて頂いているのですが、なんとも……」


 こういう事情から、アストリットの滞在中の食事や寝床には気を回さなくていい、と念押しされた。ただ、出来ればで構わないのだが、一度か二度ぐらいは会食の場を設けて、ちゃんとした栄養の摂れる野菜や肉などを食べさせてやって欲しい、と言う。

 困ったように苦笑しているカールに、ヘンドリクスが少し同情的な表情で頷いた。リーゼロッテの祖父でもある先々代の補佐を務めていた彼は、苦言を呈しても一向に介さなかった破天荒な領主のことを思い出したのだ。


「それで、滞在期間なのですが……最低で、十日程と見ておいて頂けると助かります」

「見ておくということは、それ以上に延びるということでしょうか?」


 確認事項を書き留めていたアロイスが首を傾げると、カールは申し訳なさそうに頷き返した。


「興味があることにはとにかく没頭される方なので、こちらでも行動が読めないのです。申し訳ありません」

「いいえ、委細承知致しました」


 アロイスが頷く様子を見ながら、今度は随分と気が楽だな、とリーゼロッテは少しだけホッとした。フリードリヒが来たときは、出迎えや挨拶の仕方など覚えなければならないことがたくさんあったし、食事も会食という形になるので、いつもは仕事着のまま摂っていた昼食も着替えなければならなくて面倒だったのだ。仕事を中断させられ続けていたのも苦痛だった。

 しかし、今度のアストリットは、訪問の許可を出せば他はなにもしなくていい、というのが大前提のようだ。これは本当にありがたいと思う。

 執務に携わるジークヴァルトとアロイスも、この『なにもしなくていい』ということには安心したことだろう。フリードリヒが滞在していたときは彼等も相当振り回されて仕事が滞っていた。


 お互いに好意的な空気になったところで、アロイスは改めて「ご来訪は何日後のご予定でしょうか?」と尋ねた。王族なので当然十人前後の護衛騎士も同行させるだろうし、それに合わせて食材の調達などはしておかなければ。

 前準備がほとんど必要ないのならばこちらはいつでもいい、とジークヴァルトも頷くと、カールは嬉しそうに笑って答えた。


「それでは、三日後――いいえ、二日後で」


 耳を疑う日程だった。

 王都からこのクラウゼヴィッツまでは、馬車なら片道最低でも七日はかかる。二日などではとても無理な筈だ。


「アストリット様はご自分の騎獣をお持ちですし、今は前のめりに気が逸っていらっしゃるので、休憩もほとんどとらずに突っ込んで来られるかと……」


 なにかの間違いだろうか、と首を傾げるリーゼロッテ達に、カールは少し申し訳なさそうに告げた。

 護衛騎士も連れて来ないだろう、と言う。防御に特化した魔術具を常に身に着けているので、多少のことでは危害は加えられないし、強力な攻撃魔術もいくつも習得しているので撃退も余裕なのだとか。

 本当に単身で乗り込んでくるつもりらしいことを知り、リーゼロッテとヘンドリクスは驚いて顔を見合わせたし、ジークヴァルトは溜め息をつきながら眉間にぐりぐりと拳を当てていた。





 親書の到着から二日後の夕方近く。

 領境の門から大急ぎで騎士がすっ飛んで来た。伝声鵡(パパガイ)では駄目だと思ったのだろう。


「大変です! 空から家が!」


 リーゼロッテ達のいる領主執務室に文字通り転がり込んで来た門番の騎士は、真っ赤な顔でわけのわからないことを報告した。

 明らかに興奮している様子の騎士の姿に、ジークヴァルトは眉間に深く皺を寄せ、そこへトンと拳を当てる。苛ついているときの仕種だ。


「報告は端的にでも正確にしろ」

「はっ。ですが、あの、本当に家が……っ」


 注意を受けてすぐに頷いた騎士だが、視線が落ち着きなくジークヴァルトと外へと交互し、同じ言葉を繰り返した。

 挙動はおかしいが呂律が回っていないわけでもなく、動転して言葉に詰まっているのだろうと見受けられる。姿勢を正すこともなくそわそわとし続けていて、随分と混乱しているようだということはわかった。

 これは自分の目で確かめた方が状況を理解するのが速そうだ、とジークヴァルトはひとつ息を吐き、小首を傾げているリーゼロッテへと視線を移す。


「危険があるかも知れないから、リーゼロッテはここに待機していなさい」

「えっ!? 何故ですか?」


 驚いて尋ね返すと、ジークヴァルトは当然の顔で報告に来ている騎士を示す。


「騎士があれだけ動揺するような事態が起こっているんだ。確実に安全とは言えない」

「でも、王女様ですよね?」

「なに?」


 怪訝そうに目を細めるジークヴァルトに、リーゼロッテも首を傾げた。


「違うのですか? 今日あたりいらっしゃるのだと思っておりましたが……」


 小さな指を一、二、と折り曲げる様を見て、先日のカールの言葉を思い出した。確かに二日後と言ってはいたが、本当に来るとは思っていなかった。

 そのことに気づいたとき、ジークヴァルトの中で騎士の動転の理由が結びついた。


「――…そうか。アストリット様の研究室か」


 中央にいるときに噂に聞いたことはあったが、実際に目にしたことはなかったので失念していた。現王の第一王女は幼い頃から魔術研究に邁進していて、作業を円滑に熟す為に移動する研究室を所持している、と。

 騎士の報告にあった「空から家」という言葉は、その移動する研究室のことを指しているのだろう。

 どうやって移動するのかは知らなかったが、空を飛ぶということだろうか、と結論に至ったところで、執務中だったリーゼロッテが印章とペンを片付けて椅子から降りた。


「おもてなしはしなくていいと言われてましたけど、お客様ですし、ちゃんとお出迎えはした方がいいですよね」

「……そうだな」


 逗留場所とする中庭の位置も教えなければいけないし、と歩き出すリーゼロッテと共に、溜め息をついたジークヴァルトも外へと向かう。

 騎獣を出して中央寄りの東側の領境を目指せば、そこには確かに家が浮いていた。

 なんとも奇妙な光景に「わぁっ」と思わず声を上げると、その家の傍を飛んでいた騎士がこちらに気づいたらしく、手を振ってきた。あの赤毛には見覚えがある。


「……ヒルデブレヒト王子でしょうか?」

「だろうな。肩当てに紋章が見える」


 確認を取るリーゼロッテに、ジークヴァルトはいつもの無表情で答える。

 ヒルデブレヒトとは親しかったらしいが、その表情からも口調からも、この再会を嫌がっているのか喜んでいるのかは読み取れない。けれど、不機嫌さは見受けられないので、喜んでいる方かも知れない。

 ちょっとだけホッとしつつ、リーゼロッテはヒルデブレヒトに手を振り返した。




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