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リーゼロッテの後見人  作者: 秋月 菊千代
1章 幼女領主と後見人
12/19

11 繋がるもの



 マリウスが戻って来たのは、西の空がほんの僅かに茜色を残すような時間だった。

 ぐったりした様子で抱えて来た荷物を下ろす。


「エッダ様が非常に心配されていて……」


 寝るときに使っている枕やぬいぐるみを持たされたらしい。

 心配性な乳母に少々呆れてしまう。一時的に避難しているだけなのだから、別に枕だとかそんなものは必要ではないのに。


「毛布があれば寝られますよ?」


 フロイデンタールは温暖な国だ。そして今はもう初夏の気候であり、深夜から明け方に少し肌寒い程度で、そんなに冷え込むものでもない。毛布が一枚あれば十分なのだ。


「ご自分は同伴出来ないからでしょう。とにかく体調を心配されていましたよ」


 病み上がりだから、と言われてしまえば黙るしかない。床を離れてからもうふた月以上経っているとはいっても、死にかけて何日も意識がなかったのだから、心配されて当然なのだろう。

 そして、竜の卵まで持たされたらしい。最近、毎朝晩どころか日中でも気がつけば撫で回しているし、一緒に寝ているのだから気を遣ってくれたのかも知れないが、運んで来るマリウスは大荷物になって物凄く大変だった筈だ。

 エッダに対する呆れと、マリウスに対する申し訳なさで苦笑しながら、枕とぬいぐるみと追加の毛布を抱えて核の部屋に持ち込む。今夜はここで寝るように言われているのだ。


「フリードリヒ王子は、まだお部屋から出て来られていませんでしたか?」


 確かまた体調不良を理由に客間に籠もって、ジークヴァルトの面会依頼も無視していると言っていたような気がする。

 布鞄の中から卵を取り出して撫でていると、溜め息と共に頷きが返された。


「本当に、なにをされたかったのだかわかりません。引きこもって次の作戦を立てているのか、実はもう別の行動に移っているのか、とジークも警戒していました」


 相手は一応王族で賓客であるので、無理矢理部屋に乗り込むことも出来ない。

 なにか決定的な犯罪行為の証拠でもあれば別だが、彼がしていたことは待合室で領主と話をしていただけで、特に問題と指摘することも出来ないことしかやっていないのだ。今の状況では手も足も出せなくて、ジークヴァルトはかなり苛々しているらしい。


「そうですか……。他にはなにかありましたか?」

「ヘンドリクス様が通信機の作り変えに必要な素材が足りないので、完成は明日になるかも知れない、と」

「それまでにお城に戻れるといいのですけど」

「そうですね。安全が確保出来たら、ジークが迎えに来てくれるそうですよ」


 さすがに何日もかかることはないだろう、と笑みを向けてくれるが、そんなに上手くいかないのではないか、とリーゼロッテは微かに不安を感じていた。


「それから、ドロテアのことですが……」


 こんな面倒な事態を引き起こす原因になった名前だ。姿勢を正して報告を聞く。


「彼女は、揉め事になるとは一切思っていなかったそうです。王子から面会の場を設けて欲しいと依頼されて、理由も幼い領主の後ろ盾になりたいと申し込みたいというものだったので、素晴らしいことだと本気で思っていたようですね」


 リーゼロッテの立場が領内ではそれなりに安心出来る状況ではあるけれど、他領から見ればその幼さを不安視されているのはわかっていることなので、王族の後ろ盾を得られれば払拭出来ると考えたのだ。それはフリードリヒから提示された利のひとつでもあるので、ドロテアが納得して協力したのだとしても不思議はない。

 それでも、ドロテアの勝手な行動に因ってリーゼロッテが迷惑を被ったのは事実だ。


「エッダ様はもちろん随分とお怒りで、彼女を解任するつもりだと言っておられました」


 実際に解任を決めるのは主であるリーゼロッテなので、城に戻ったらどうするか判断して欲しい、ということだ。

 ドロテアの代わりに側仕えに召し上げる候補も幾人か選んでおいてくれるようなので、今の件が片付いたらまずは側仕え選びをすることになる。少し気分が重いが、ドロテアは以前からジークヴァルトになにか思うところがあったようだし、頼りにしている彼に対して悪感情を抱いている人が身のまわりにいるのは嫌なので、遠ざけるきっかけが出来たのはよかったことなのかも知れない。


 それからいくつかの確認事項を話しているうちに、すっかり夕食の時間になっていたようだ。ノックの音に扉を開けてみれば、昼のときにも食事を運んで来てくれた騎士見習いの少年が、二人分の食事を運んで来てくれた。


「食器はあとで下げに来ますので、廊下に出しておいてください」


 そんな言葉にちょっと申し訳ない気持ちになりつつ、部屋からなるべく出なくて済むのはありがたいので、きりっと敬礼する少年に礼を言った。

 食事を終えたらマリウスにお手水に付き添ってもらい、早々に寝支度をしてしまうことにする。どうせここではなにもすることがないのだ。


 毛布を被りながら、ついでとばかりに魔術具に魔力を注入しておく。今日はこのまますぐに横になれるのだし、いつもより多めに、気分が悪くなる寸前まで魔力を送り込んでみる。一晩眠れば魔力も体力も回復するのだから問題ない筈だ。

 少しくらくらしたところで手を離し、枕を引き寄せて横になる。

 今日はこの部屋の中でずっと手持ち無沙汰だったこともあり、気が向いてはちょろちょろと魔力を注ぎ込んでいたので、全体の四分の三以上の量が満ちている。満杯まで本当にあと一息だ。

 目に見える結果を確認すれば、なんだかすごく頑張ったような気がした。


「おじ様、褒めてくれるかなぁ……」


 ぬいぐるみと竜の卵を抱き寄せてそんなことを呟いているうちに、ふあぁっと小さく欠伸が零れた。ちょっと疲れたので眠くなったようだ。

 また頭を撫でて欲しいな、と卵を撫でながら、睡魔に抗わずに身を委ねた。




 いつ来るのか、と朝から待っていたジークヴァルトは、とうとうやって来なかった。

 西の空に随分と沈んでしまっている夕陽をがっかりと見つめながら、リーゼロッテは張りついていた窓からそっと離れた。


「もう夜になってしまいます」


 魔術具の手入れをしているマリウスに向かって呟けば、申し訳なさそうに首を振られた。


「王子の行動に関して、王宮に質問状を送ったそうですから、その回答を待っているのかも知れません」

「お手紙を送るのなんて、一瞬なのではないのですか?」


 行政機関のある王宮と各領主の居城には、書状のやり取りが出来る魔術具があるのだ。

 毒薬や爆発するような危険物が送られて来られないように、転送出来るのは書類だけという制限つきではあるが、ほんの少しの魔力で稼働するという優れものだ。担当の文官が交替で常駐していて、真夜中でも早朝でもすぐに対応してくれる筈だ。

 そんな素晴らしい発明品を使っているというのに、返答待ちだなんておかしな話ではないか、とリーゼロッテは首を傾げる。


「王宮はとても広いですし、勤めている人がたくさんいますが、処理するべき仕事もたくさんあるんですよ。なにせ領主だけでは決められないと定められている条項などもありますから、王族直轄地以外の案件も常に抱えているんです。緊急の書状だとしても、担当者が複数いたり、検閲に検閲を重ねたりしなければならないので、送ってすぐ回答を得られることは稀だと思いますよ」


 回答を用意するにも協議したり、なにをするにもとにかく時間が必要なのだ、とマリウスは言う。

 リーゼロッテに届けられる書類でも、何度も何人もの人が確認などをしてからになるので、朝一番で提出された書類が午前中に届けられることなど滅多にない。きっと王宮ではその倍以上の時間が必要になるのだろう。

 それでは仕方がないな、と納得して溜め息が零れた。


「そういえば、まだちゃんと聞いていなかったですけど。今回のことはどう決着つけるのか、おじ様やマリウス達の間ではもう決まっているのですか?」

「ええ、一応は。質問状の回答によって対応が変わりますが、二通りの仮結論は出しています。もちろんヘンドリクス様やアロイス様にも承諾は頂いていますよ」


 フリードリヒの提案してきたリーゼロッテへの求婚に関して、国王の許可を得ているものであるというのなら、正式な手順を踏んで申し入れるべきだという抗議と、丁重にお断りを伝えることになっている。


「リーゼロッテ様の婚約については、七歳のお披露目の宴で発表する予定になっていて、相手にも既に内々に打診と承諾は済んでいた――ということになっています。発表前であったのだから無効である、破棄せよ、と言われるかも知れませんが、先代様がお亡くなりになってしまっているので、これは最後のご遺志、ご遺言ということとして、クラウゼヴィッツの臣民としては遂行すべきものだと言って撥ね退けるつもりです。ヘンドリクス様達との口裏合わせも整えてあります」


 また、国王の認識するところではなく、フリードリヒの個人的な暴走行為だということだった場合は、その行動自体に対して厳重に抗議をする予定らしい。


「王子の行動に因って領主は精神的苦痛を受けましたし、臣民も混乱を強いられました。クラウゼヴィッツという土地の性質をまったく理解されていない王子と、我々を蔑ろにする王家に対して最後通牒を突きつけます」

「最後通牒?」


 なんだか物騒な言い回しが出てきたので目を丸くすると、マリウスは硬い表情で頷いた。


「王家の方々から婚姻関係の話で混乱を与えられるのは、これで二度目なのです」


 以前のときも大変な騒動になった、とマリウスは厳しい声音で言う。

 当時はマリウスもまだ生まれたばかりのことで実際には見聞きしていないが、少し上の世代になるとみんな知っていることで、家臣の結束理由のひとつでもあるらしい。

 そこでリーゼロッテは、中央や特に王族を信用してはいない、とニコラウスも言っていたことを思い出す。以前に生まれたらしい禍根の原因がその騒動なのだろう。


「以前は国王直々の謝罪と多額の見舞い金が支払われたことで、こちらが折れて収めたそうです。けれど、二度目はない、と先々代様ははっきりお伝えしていたのです」


 これで二度目です、とマリウスは言う。


「誠意ある対応をして頂けない場合は離別も考える、とヘンドリクス様は仰っています。もちろん、そのような重大な決断は領主の許可がなければ叶いませんし、すべては不利益を被ったリーゼロッテ様のお心次第です。リーゼロッテ様が王子を許すと仰るなら我々は目を瞑りますし、許すつもりがないと仰るなら相応の手段を講じます」


 各地の領主というのは、国王に忠誠を誓った臣下だとリーゼロッテは認識している。それが主君に対して怒りも顕わにして、その主君が直々に謝罪をするに至るほどの出来事が過去にあったのだということに驚いた。しかもそれは、忠誠に揺らぎが生じるほどの大きなことだったのだ。

 これはもっと詳しく訊いてもいいことなのだろうか、とリーゼロッテは首を捻る。今後の為にもちゃんと確認したい気持ちもあるが、マリウスが原因についてははっきり口にしないのだから、あまり追及しない方がいいのかも知れない。落ち着いてから詳細を知っていそうなヘンドリクスあたりに訊いた方がよさそうだ。


 フリードリヒに嫌な目に遭わされはしたが、それを領地すべてを巻き込んでの離反などという大規模なことにはしたくない。マリウスの口振りからだと家臣達は受け入れてくれそうだが、そこまでしなくてもいいと思う。

 とにかく、すべての結論は、質問状に回答が来て、フリードリヒへの扱いがどうなるかと決まってからだ。


 因みに、国王の許可が出ていてもいなくても、回答が届いたら即座にフリードリヒには退去してもらうことになっているらしい。これは質問ではなく決定事項として、はっきりと書き添えておいたそうだ。フリードリヒの行動はそれぐらいされて当然のことだった。


「夕食をお持ちしました」


 フリードリヒが起こした行動は後にも先にも面倒臭くて仕方がない、と唇を尖らせていると、いつもの騎士見習いの声がした。部屋の中には相変わらず結界が張ってあるので、廊下から声をかけるように言ってあるのだ。

 すぐにマリウスが受け取りに出て行き、城からの届け物という小箱もついでに受け取って来た。


「お届け物はなんですか?」


 ほかほかの食事を受け取りながら、机の端に置かれた小箱を見遣る。外側からはなにもわからない。


「ヘンドリクス様の紋章がついていますから、例の通信機だと思います」

「小さくしたものですね? 無事に出来たのですか?」

「たぶんそうです。でも、先に食事を頂いてからにしましょう。せっかく温かい料理を運んで来てもらったのですから」


 それもそうだ。リーゼロッテは美味しいご飯を作ってくれている料理人と、毎食運んでくれている少年に感謝しながら、今日も大盛りの夕食を一生懸命食べた。食べきれなかったお肉はパンに挟んでおき、マリウスの夜食とする。


「じゃあ、箱を開けて見ましょうか」


 いつもどおりに食器を廊下に出して来たマリウスは、小箱をリーゼロッテの前に置いた。

 中には魔石がついた鉤型の金属と、説明書のようなものが入っていた。


「えーと……、耳に引っかけるようにして使うらしいです」

「こうですか?」

「いや、たぶん、後ろ側にかかるように……こう、じゃないですかね?」


 リーゼロッテには少し大きかったが、一応耳の形に添うようになっている。このまま使えるのなら、手が塞がらなくて勝手がよさそうだ。


「本来なら使用者に合わせて寸法が変わる機巧も入れ込む筈だったが、小型化することに特化させた為にまだ研究途上である――だそうです。通信機能を損なわずに小さくすることを最優先にしたので、通信相手も限定的だそうです」


 まだ試作品の段階ですね、と言いながら、説明書を見せてくれる。魔石ひとつにつき一人と通信出来るようになっているらしく、リーゼロッテのものはジークヴァルトとマリウスに繋がるようになっているそうだ。二つ以上取りつけると重くなってしまうので、耳が痛くなってしまう懸念がある、と書いてあった。


「使い方はお部屋にあるものと同じですか?」


 同じように耳に引っかけているマリウスに尋ねると、そのようだ、と頷かれた。

 リーゼロッテは核のある部屋に入り、マリウスへ通信を試みてみる。


「マリウス、聞こえますか?」

『――…はい、聞こえました』


 返答があったことに安堵して部屋に戻ると、マリウスはなにか考え込んでいる。文官の中には魔術具の研究開発を専門にしている者がいるらしいので、マリウスも文官として、改良案を考えているのかも知れない。

 魔術具どころか魔術の仕組みについても習い始めたばかりのリーゼロッテには、難しいことはほとんどわからない。質問してもきっと理解出来ないだろうから、余計なことはなにも言わず、今日も早々に寝てしまうことにした。


「もう寝ます。おやすみなさい」

「はい、おやすみなさいませ」


 昨日と同じように毛布と枕を用意したあと、核の魔術具へ魔力を注ぎ込んでいると、いつもと違ってビカッと落雷の瞬間のように眩しく光った。

 驚いて悲鳴を上げ、頭を庇うように両手を上げて蹲った――が、なにも起きなかった。

 恐々と目を開けて腕を下ろし、あたりを見回す。部屋の中に特に変わったところは見受けられなかったが、大きな魔石のまわりをくるくると飛んでいた小さな魔石が、いつもより素早くぴゅんぴゅんと回っているし、大きな魔石は虹色に光っていた。


「……あっ! 満杯になったんだ」


 閉じ籠もっていて暇だから、とちょこちょこと魔力を注ぎ込み、なにか食べて満腹になって魔力が回復してはまた注ぎ込んでいたのだが、大きな魔石の中に揺らめいていた光る液体は天辺にまで到達していた。

 これでもういっぱいですよ、という主張なのか、今までは淡い黄色に近い白っぽい発光だったのが、いくつもの色が複雑に混じり合う虹色になっている。

 上から下までじっくりと何度も眺め、本当に満杯なのだということを確認すると、達成感が込み上げてきた。思わずにんまりとする。


「うふふふっ。すごい、すごーい」


 込み上げる笑いを隠さずにによによとしながら毛布に潜り込み、ジークヴァルトに褒めてもらえることを想像しながら、竜の卵をいつも以上に撫でる。

 竜の卵を持っていると願い事が叶うのだといい、なにか願いながら撫でるのが癖になってしまっている。だが、こんなにいくつもお願いしていたら、全部は無理って怒られるかも知れない、と思い至る。


(いっぱいお願いしてごめんね。でも、なにかひとつでも叶うと嬉しいな)


 取り敢えず、いまの最優先は「王子様がさっさと帰ってくれますように」という願いだな、と思う。その次は「クラウゼヴィッツのみんなが平和に暮らせますように」ということだ。リーゼロッテが褒めてもらうのはその次の次の次くらいでいい。


 褒めてもらうのは嬉しい。頑張ったのならそれを認めてもらいたいし、いっぱい褒めてもらいたい。

 けれど、リーゼロッテはこのクラウゼヴィッツの領主だ。領主というのは、領民の無事と平和を一番に考えなければならない。自分のことなど一番最後で構わないのだ。


「お前はよくやっているよ、リチェ」


 うとうとしていると、誰かの声が聞こえた。

 とてもよく知っている男の人の声だ。大好きな人の声だ。

 驚いて飛び起きようとしたが、身体が動かない。瞼も開かないのに、その人の姿だけははっきりと見えるような気がする。


「すごいな。上までいっぱいじゃないか。大変だっただろう?」


 虹色の光を放つ大きな魔石を眺めたその人は、嬉しそうに弾んだ声を向けた。


「リチェ。こんなに頑張り屋さんのお前を、わたしは心から誇らしく思う」


 横たわっているリーゼロッテの額に、温かい掌が乗せられた。

 大好きなあの手だ、とすぐにわかったリーゼロッテは嬉しくて嬉しくて、同時に寂しくて、涙が溢れてくる。


「お前には苦労をかけてしまったね。……至らない父を、許してくれるかい?」


 指先で涙を拭ってくれながら、僅かに苦しそうな声が呟く。

 そんなことない、とリーゼロッテはその言葉を否定したかったが、相変わらず身体は動かないし、声も出ない。

 こんなにもはっきりと、失ってしまった筈の人の温もりと気配を感じるというのに、その温もりに縋ることが出来ないのがもどかしいし、悲しい。リーゼロッテは必死に手を伸ばそうとしながらも、それが叶わないこの状況に更に涙を溢れさせる。


(お父様、お父様……!)


 呼びかける声にならない声は、届いているのだろうか。


「リチェ……すまない」


 僅かに震える声音で呟かれた謝罪に、リーゼロッテは首を振りたくて仕方がない。謝らなくていい。謝らなければならないのは、なにも出来ないでいて、まわりの人々に迷惑をかけている自分の方だ、と言いたかった。

 ややして、傍らに在った気配がゆっくりと遠退く。


(お父様!)


 行かないで、と呼び止めたいのに、やはり声は出ない。


「こんなに早く死ぬ予定じゃなかったから、お前にはなにも伝えられていないのが心残りでね……。クラウゼヴィッツの領主にとって大事なことを教えるから、よく覚えておきなさい」


 出入り口とは反対の方から声が響いている。その声に含まれる緊張感に、仕事中の父の声だ、とリーゼロッテは思った。

 優しくおおらかで、少し子供っぽいところがある明るい父の声が、公務に携わっているときはどっしりと強く響くのだ。物心ついたばかりの頃はその変化が少し恐かったが、今では仕事中のきりっと厳しい姿勢の父をとても格好いいと感じていた。


「ここにある額飾り(サークレット)は、この核と、その指輪と繋がっている。部屋から出るときは必ず身に着けておきなさい。額飾りと指輪を持つ者ならば、外からでも要塞を動かせる」


 戦中の領主には必要な装備だそうだ。リーゼロッテは心の中で頷いた。


「それから、城のわたしの部屋に、その指輪でなければ開錠出来ない文箱が置いてある。今後、王族となにかあるかも知れない。判断に必要な情報を纏めておいたので、お前一人で――は、無理だろうから、ヘンドリクス叔父と一緒に中身を確かめなさい」


 クラウゼヴィッツは少々特殊な土地なのだ、と足された呟きが、少し苦々しげな響きを含む。これはニコラウスやマリウス達と同じ言い方だ。やはり王族とは、なにか大変なことがあったのだ。


「文箱の中に魔術具もひとつ入れてある。代々の当主が継ぐもので、領主として稼働させなければならない魔術具に関する情報の塊のようなものだ。決して誰にも触れさせてはいけないよ。確認したら、すぐに文箱に戻しておきなさい」


 頻繁に隣国との戦闘が起こるクラウゼヴィッツの領主は、その性質から短命な者が多かった。それ故に、自分にも万が一のことがある場合を想定して、家督を継いだときから準備していた引き継ぎ資料だったらしい。それがこんなにも早く役立つことになるなんて、と言う声に苦笑が混じる。

 そこまで話し終えると、ふう、と小さな溜め息が漏れた。


「リチェ――わたしの愛するリーゼロッテ・フラウリーゼ」


 今度は領主としての声音ではなく、父としての言葉で話しかけてくる。


「お前は、闇と光の両属性を持って生まれた、かなり特殊な子だ」


 その言葉にリーゼロッテは驚く。普通はどちらか片方の属性を持っているもので、リーゼロッテは光属性だと教えられていたが、両方持っているとは聞いていない。ヴィレゼーレの魔石も光属性を表す白色だ。


「それ故に、豊富どころか、膨大ともいうべき魔力を有している。人の子として扱いきれるかどうかわからないような、とても強大な力だ」


 生まれた時点で既に、一般的な成人貴族に並ぶぐらいの魔力量だったらしい。

 あまりにも大きい力だったので、暴走させないように、成長に合わせて魔力の正しい扱いを教えていく筈だったのだという。自己流で覚えてしまう前に、一般的な子供達よりは幾分早いが、お披露目を終えたら教育を始める予定だった。


「優秀な文官であるヘンドリクス叔父に、魔術関係の教育は頼んではある。自分に合った魔術具を作れるようになれば、魔力を上手く扱えるようになるし、暴走させるようなことにはならない筈だ。きちんと学びなさい」


 ヴィレゼーレの腕輪が嵌まった右手首をそっと撫でられた。


「強い力は大きな武器であり、守護でもある。正しい使い方を学び、皆を――このクラウゼヴィッツを護れる人となって欲しい。父の願いだ」


 リーゼロッテは心の中で頷き返す。

 思いがけない形で自分のことを知ったが、それを知れたことで、どうするのがいいのか目標が出来た気がする。まずは魔術の教育係になってくれる予定だった大叔父と、今現在の教師役であるジークヴァルトに相談しなければ。


 リーゼロッテが決意を胸に秘めたところで、父の気配が急に揺らいだ気がした。

 先程のように何処かに離れて行くのではなく、その場ですうっと消えていくような、空気に融けて薄らいでいく感じだ。


(お父様!?)


 慌てて引き留めようと手を伸ばそうとするが、手も足も身体もみんな、変わらずにぴくりとも動かない。気持ちだけが焦燥していく。


「リチェ」

(お父様!)

「それから、ジークヴァルトのことを――」


 父が言いかけたそこで、世界は暗転した。

 寝台から落ちたような衝撃を感じてぱちっと目を開けると、そこはすっかりと見慣れた淡く光る魔術具の部屋だ。

 のっそりと起き上がり、あたりを見回す。眠りに就く前と同じように部屋の中は静かで、魔力がたっぷり蓄えられた大きな魔石は虹色に光っている。


「…………夢、かぁ……」


 ぽつりと零すと、あれは夢だったのだ、という認識が急に現実のものとなってしまった。

 けれど、頭を撫でてくれた優しい手の温もりも、嬉しそうに弾んで褒めたり、苦しそうに謝っていた声も、はっきりと伝わっていた。夢だと思えないぐらいに実感的だったのだ。

 零れていた涙を拭いて立ち上がる。眠気はすっかりと遠退いてしまっていた。


 夢の中で父が教えてくれた場所へ行けば、箱が置いてあった。白っぽい石のような材質で作られたもので、白く光っているこの部屋の中では同化して見えにくかったのだ。

 箱の上をそっと撫でると、指輪が光り、カチンとなにかが擦れてぶつかったような音がする。それで箱が開いたのだとわかり、小さな隙間に指先をかけて上に押し上げると、中身は指輪と同じ色の石がついた金属の輪っかだ。父が言っていたとおりの額飾りだった。

 それから急いで部屋を出る。ひとまずは補佐官であるマリウスに相談だ。


「マリウス、起きてますか?」


 常に淡く光っている部屋の中では時間の経過がわからない。まだ夜は明けていないだろうが、と思いながら小声で静かな部屋の中へ声をかける。

 灯りは消えている。けれど、月明かりが丁度窓から入ってきていて、歩くのに困らない程度には明るかった。


「マリウス?」


 昨日は、核の部屋への入り口付近で寝ていたのに、今日はそこにいない。

 別のところだろうか、と部屋の中を見回せば、窓に近いところで横になっているのが見えた。

 だが、様子がおかしい。

 椅子が不自然に引っ繰り返っているし、寝ているのに毛布も被っていない。


「マリウス?」


 なんだか倒れたような姿勢だ、と不安を感じながら駆け寄り、肩をちょっと揺すってみる。返事はなかったが、代わりに呻くような声が聞こえた。


「マリウス!? マリウス、どうしたのですか!?」


 慌てて身体を仰向けさせれば、月明かりの下に苦しげな表情が浮かび上がる。びっしりと浮いた汗に額や首筋が光っていた。





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