9 後見人と婚約者
フリードリヒが軽く手を振ると、扉のところにいた護衛騎士がドロテアの背後に移動した。
「短絡的なことをせず、わたしの言うとおりにした方がいいと思いますよ」
なにをするつもりなのか、と警戒していると、おっとりとした口調で言われる。
「わたしはクラウゼヴィッツの利になる提案をした筈です。受けておく方が賢明ではないですか?」
「領地に関わることなのですから、私一人で決めていいお話ではないと言っているのです」
さっきから何度も同じことを言っているのに、どうして聞いてくれないのか、と少し苛立ちを込めながら言うと、聞き分けのない子供を見つめるような顔つきで首を振られた。
まったくの堂々巡りだ。こちらは一人で決めるわけにはいかないし、あちらは保護者を呼ばせたくないので、平行線になる。
ジークヴァルトがこの異変に気づいて捜しに来てくれればいいが、少し遅くなるとエッダが連絡してくれているから、それはもう少し先になるだろう。それまでに業を煮やしたフリードリヒが、リーゼロッテかドロテアのどちらかになにかするかも知れないという危険性は十分にある。ドロテアの背後に騎士が移動したのがその懸念の元だ。
(領主だって認めてないって言ってたくせに、急に領主扱いするんだから……)
なんとかこの場を切り抜ける方法を探して頭の中をぐるぐるさせていると、ふと、領主の証の指輪に目が向いた。
子供の手には不似合いなほどに大きな魔石がついたこの指輪には、対象者の魔力が登録されているらしい。使用者の限定されている魔術具などを利用するときは、この指輪が嵌まっている手で触れることで、その認証が容易になるのだ。
そして、この指輪が、この城の本鍵でもある。すべての開錠施錠はリーゼロッテの意思ひとつで行える筈だ。
更にいうならば、要塞と同様に、この城自体も巨大な魔術具の一種なのだと聞いている。要塞と違って多くの魔力供給を特に必要としていないのは、魔力で稼働させる兵器が少なく、守護の結界が張られているだけでそこまで魔力を必要としないということと、指輪から常に装着者の魔力が流されているからなのだという。
指輪に魔力を大量に注ぎ込めば、城中の魔術具が共鳴して異変を起こしてくれるのではないか、と考えついた。見張られていない窓も開けられるし、隙が出来れば逃げ出せるような気がする。
その為には物凄くたくさんの魔力が必要になるのは確かだ。魔力はあまり使いすぎると目が回って動けなくなるのはわかっているので、さすがにそれだけは避けたい。
イチかバチかだ。リーゼロッテは指輪に向かって一気に魔力を動かした。
直後、ドン、と大きな音と共に建物全体が揺れる。
「! なんだ!?」
驚いた護衛騎士と従者達が声を上げる傍らで、魔力の余波を受けた照明の魔術具が砕け散った。傍にいたドロテアが悲鳴を上げ、降りかかってくる硝子から慌てて顔や頭を庇う。
悠然としていたフリードリヒも焦った顔で腰を上げ、突然の異常現象に動揺している。
その隙に、リーゼロッテは開いた窓へ向かって駆け出した。たくさん魔力を使ったけれど、まだ少しだけ余裕が残されているようで助かった。
急いで飛びついた窓の外は、しかし、とても飛び降りられる高さではなかった。
この城内で待合室と呼ばれる場所は大きく分けて二ヶ所ある。ひとつは正面玄関に近い場所で、来客が迎え入れや帰宅時の準備の間に待機する為のものだ。もうひとつは城勤めの者達が帰宅時の馬車や馬の用意を待ったり、軽い打ち合わせをする為の部屋で、正面玄関とは別の出入り口に近い場所にある。商人などが出入りする地階への搬入口もある方なので、表からは一階の地続きであっても、裏に回れば二階部分に相当する。
「そこからは出られないでしょう?」
窓枠によじ登った状態で固まったリーゼロッテに向かい、フリードリヒは余裕たっぷりに語りかける。落ちたら危ないから戻って来なさい、と。
この口振りから、この部屋を面会場所に選んだのも彼のような気がしてきた。用意周到で嫌になるし、マリウスを連れて来なかった自分の迂闊さに後悔がじわじわとしてくる。
「さあ、お話の続きをしましょう」
手を差し伸べられるが、もちろんリーゼロッテは首を振る。
「嫌です。結婚はしません」
きっぱりとしたその答えに、フリードリヒは冷え冷えとした笑みを浮かべながら、小さく「強情ですね」と呟いた。
従者がじりっと距離を詰めて来るのが視界の端に見えた。下手に飛びかかると窓の外へ落ちてしまうので、慎重に近づいて来ているようだ。
じっと周囲の気配を窺いながら、マント留めに嵌め込まれている魔石に触れる。騎獣を動かす為の魔力はたぶんぎりぎり残っている。先程の振動で城内の人々が状況を確かめようと動き出している気配があるので、こちらに来てくれることを願って待つのがいいのか、そんな期待をせずにさっさと逃げる方がいいのか――答えは後者だ。
リーゼロッテは魔石をこっそり外して握り込みながら、ゆるく首を振る。
「だって、無理なんです。私には、お父様が決めたお相手がいるのですから」
更に隙を作る為に、咄嗟に口から出まかせを言った。
既に結婚相手は決まっているから、勝手に変更することは出来ない、と言われれば、フリードリヒもさすがに面食らったような表情になる。
「どういうことです? リーゼロッテには既に許婚がいるのですか?」
尋ねる先は縮こまっているドロテアだ。
そういうことだったのか、と納得だ。彼女はお遣いのついでに伝言を預かってきただけではなく、協力していたのだ。
どうりで手際よく面会準備を整え、エッダと引き離して連れ出してくれたわけだし、フリードリヒの後押しも強烈にしてくれているわけだ。
繋がりを確認しながら、リーゼロッテは窓の外へ飛び降りる。
あっ、といくつも上がる悲鳴を背中で受けながら、するりと顕現させた騎獣に跨って上空へと舞い上がった。
「騎獣!? なんでそんなものを……!」
窓から顔を覗かせた従者の声が聞こえたが、逃げ出すことに成功したのでもう気にしない。さっさとジークヴァルトと合流して、フリードリヒの卑怯な行動を報告しなければ。
だが、このまままっすぐ執務室に向かっていいものだろうか。部屋の場所はフリードリヒ達に知られてしまっているし、報告している最中に乗り込まれて言いがかりをつけられるのは嫌だ。ジークヴァルトはリーゼロッテを信じてくれるだろうが、あの様子だとドロテアは味方になってくれないだろうし、一人で立ち回れるほどには弁が立たない。
取り敢えずは何処かに避難だ。ぐるりと建物を回り込み、ヘンドリクスがいるだろう第一文官室を探す。
「確か、このあたり……」
微妙な記憶と勘を頼りにうろうろとしていると、窓際で作業していた文官の一人が気づき、ぎょっとしたような顔で慌てて窓を開けた。
「リーゼロッテ様!? なにをなさっているんですか!」
「わあ、オスカー。丁度よかった。そこから中に入れてください」
目を白黒させているのはマリウスと同期の文官だ。
見知っている人がいてよかった、と安堵して、開けてもらった窓から中に入る。書棚がみっしりと並んでいるここは、文官室ではなく資料庫だったようだ。
「騎獣で外からいらっしゃるなんて、いったいどうされたんですか?」
「緊急事態だったのです」
呆れたように尋ねるオスカーに、声を潜めて告げる。
「どうにかこっそりと、おじ様と大叔父様を呼んで来ることは出来ませんか?」
「可能です。少々お待ちください」
リーゼロッテの様子からなにか不穏なものを敏感に感じ取ったオスカーは、出入り口から死角になる場所を教えてくれてから、素早く出て行った。
教えられた場所にしゃがみ込んで待っていると、いくらもしないうちに人が入って来る。資料を取りに来た文官だったようで、書棚をいくつか確認して何冊か抱え込むと、足音が遠退いた。
ホッと息を吐くと、今更になってなんだか恐くなってきた。あまり馴染みのない大人達に囲まれ、こちらの意見をまったく聞いてもらえない中で大きな決断を迫られる状況は、とても恐かったのだ。
「リチェ」
少しドキドキしつつ小さく丸まっているうちに、ヘンドリクスの声が聞こえた。
小さくかけられたそれの元を確かめるように、そろりと書棚の影から覗く。あたりを見回していたのは間違いなくヘンドリクスだった。
「大叔父様!」
安心して隠れ場所から飛び出し、駆け寄って抱き着く。受け止めたヘンドリクスはちょっと驚いたようだったが、宥めるように大きな温かい手で頭や背中を撫でてくれた。ホッとして涙が出そうになる。
「オスカーに呼ばれて来た。いったいなにがあったのだね? 先程の揺れと関係が? あれは其方がやったものだろう」
「わかるのですか?」
「ああ。わたしも領主の子のうちだからな、城の結界に異変があれば多少感じる」
領主と近い血縁者として登録されていると、城でなにか異常があったときに感知出来るらしい。知らなかった。
「ごめんなさい。だったら驚きましたよね?」
「大丈夫だ。だが、ジークヴァルトは血相を変えて飛び出して行ったな」
領主一族として登録されているのはジークヴァルトもだ。先程の揺れに危険を察知してしまったのだろう。
あとで叱られるだろうか、としょんぼりしつつ、まずはヘンドリクスに事情説明だ。
話していくうちに、ヘンドリクスの表情は険しくなっていった。
「……そのようなことを、本当に王子が言ったのか? あまりにも卑劣ではないか」
ただでさえ今まで任命書を楯にいろいろ要求してきている。その上で、こんな幼い子供を脅して婚約などという重大な約束を取りつけようなどと、卑劣極まりない。いくらなんでもこれは王族の振る舞いではない。
「まさか、あの王子は偽者か……?」
「残念ながら本人ですよ」
忌々しげに零れたヘンドリクスの呟きに、ジークヴァルトの否定が重なった。
マリウスと共にやって来たジークヴァルトの眉間の皺が、いつもより随分くっきりしている。口の端もぐっと下がっていた。
「リーゼロッテ。なにをやった?」
明らかにお怒りだ。リーゼロッテは震え上がりながら、フリードリヒが強引に結婚の承諾を迫ったことと、そこから逃げ出す隙を作る為にやったことだと説明した。
「王子のお供に見張られているし、連絡手段もなくてどうしようもなかったんです。持ち歩けるような通信の魔術具とかってありませんか?」
通信の魔術具は便利だと思うが、部屋に固定されているものしか知らない。もっと小さくて身に着けておけるようなものだったなら、さっきみたいなときに助かるのに、と呟くと、ヘンドリクスが少し考えるようにしながら頷き返した。
「確かに、そういうことに遭遇した場合は必要だな。魔法陣の改良くらいなら一晩あれば出来る。やってみよう」
「わたしにも作ってください。必要な素材は提供します」
ジークヴァルトが即座に依頼した。彼が持っていてくれればいつでも連絡が取れて安心だ、とリーゼロッテも思う。
「――…それで、逃げ出せる隙を作ろうと思って、つい、お父様が決めた人がいるから、フリードリヒ王子とは結婚出来るわけがないって答えてきてしまったんです。どうしましょう?」
嘘だとバレたらさすがに不味いと思う。
不安げに保護者達の様子を窺うと、驚いたようにこちらを見ていた。
「なんだ。知っておったのか」
ヘンドリクスの言葉に今度はリーゼロッテが驚く。
「え? 本当に、お父様が決めていた相手がいるのですか?」
「確かにいる筈だ。誰かまでは聞いておらんが……。ジークヴァルトは聞いていたか?」
いろいろと取り決めをしていたお前ならば知っているだろう、と話を向けられたジークヴァルトは溜め息をついた。
「……知っています」
「誰だ? 時期が来たらとしか、わたしは聞いておらん」
もったいぶらずにさっさと言え、と迫られ、ジークヴァルトは嫌そうにしながらも唇を開閉させたが、言葉が出て来ないまま、非常に言いにくそうに顔を顰めた。そんな様子にヘンドリクスは眉を寄せる。
「ジークヴァルト。ことはリチェのみならず、このクラウゼヴィッツの将来にも関わることなのだぞ」
時間がない、早く言え、と更に強く言われ、ぐっと奥歯を噛み締めてきつく目を閉じたあと、観念したように口を開いた。
「ラウレンツの考えが以前と変わっていなければ――わたしです」
予想もしていなかったその答えに、ヘンドリクスもマリウスも言葉を失ったようにぽかんとしたし、当事者のリーゼロッテもこてりと首を傾げた。
そんな反応は想定内だったのか、ジークヴァルトは溜め息をついて話を続けた。
「仮の話です。すべてはリーゼロッテの弟が生まれてから、はっきりさせる予定でした」
「弟!? どういうことですか?」
リーゼロッテに兄弟はいない。ずっと一人っ子だったのに、弟とはいったいどういうことだろうか。
「お前の母親は妊娠していたんだ。この夏の終わりには生まれる予定で、今度はたぶん男だろうと言われていた」
知らなかったのか、と言われ、こくりと頷く。全然知らなかった。
「まあ、オフィリアは元々少しふくよかだったからな。腹が膨れてきても、幼いリチェは気づかなかったのだろう」
親子といっても生活環境はそれぞれの部屋に拠点があるので、触れ合いもほとんど食事のときぐらいにしかない。気づかなくても不思議ではない、とヘンドリクスは慰めてくれるが、リーゼロッテには十分に衝撃的な話だったし、生まれる筈だった弟と会うことなく死に別れたことが悲しい。
「下の子が男だった場合、わたしには万が一の中継ぎとしてこちらに戻ることと、女だった場合は、次期領主であるリーゼロッテの伴侶として領地を支えていくこと――それがラウレンツから伝えられていたことでした」
領地を出る際に示された『リーゼロッテが成人する頃に戻って来る』という条件は、そういう事情からだったのだ。
「そうだったのか……。ラウレンツからは、リチェの成人前に自分になにかあったときの為に、其方に後見人の役目を託していることは聞かされていた。わたしはもうこの年だし、代行をしろと言われれば引き受けるが、正直、もっと若い者に任せるべきだとは思っていた。そして、それは其方が妥当だとも思っていた」
だから、後見人証明書の作成にも立ち会ったのだ。ジークヴァルトも自分が署名したときのことを思い出したのか、小さく頷き返した。
「でも、ジークは……」
黙って話を聞いていたマリウスが、少し言いにくそうに口を挟んだ。彼が言いたいことはヘンドリクスにも通じたのか、僅かに表情を歪める。
そんな二人の様子に、ジークヴァルトは眉間に拳を当てながら溜め息をつく。
「そうだ。わたしの出自に関しては、家臣達の反発が大きい。だからラウレンツは、わたしを次期領主候補にするのではなく、次期領主の伴侶か補佐とすることで、今と変わらない身分を守ろうとしてくれたんだ」
その説明に二人は納得の表情を見せているが、リーゼロッテにはまったくわからない。ジークヴァルトの出自というのは、ドロテアの言っていたことと関係があるのだろうか。
そこでハッとした。こんなに悠長にしていては駄目だ。
「おじ様、私に結婚相手がいたことはわかりました。まだはっきり決まっていなかったことだとしても、お父様が前から考えていたことなら決まっていたも同然です。それをフリードリヒ王子にちゃんと話しましょう」
その場凌ぎの出まかせではないのなら、それで納得してもらうべきだ。
既に親から決められた婚約者がいるのだから、新しい婚約者など立てられるわけもないし、きちんとした理由も事情もなく王族命令で一方的に解消などもさせられない筈だ。それぐらいの分別はさすがに持っていて欲しい。もちろん、命令を下すことになるだろう国王にもその認識でいてもらいたいものだ。
淡い期待を込めて見上げると、ジークヴァルトはゆっくりと首を振った。無理だろう、ということだ。
「どうしてですか? フリードリヒ王子がお婿に来られるより、おじ様がお婿の方が私は安心です。みんなも安心ですよ、きっと」
言いながら、ドロテアの嫌そうな表情を思い出した。出自を気にして反発があるということは、ああいう人が他にもいるのだろうか。もしそうだったら、ジークヴァルトが嫌な思いをすることになるだろうから、あまり強引には進めにくい。
それでも意気込むリーゼロッテに「落ち着きなさい」と静かな言葉と溜め息が零されたあと、指を二本立てられる。
「王子は恐らく二つの理由を挙げると思う。まずひとつは、提示していたように王族の後ろ盾を得られる利。これは確かに幼いお前にとっては大きな力になるが、バウムガルテン家にとっても、クラウゼヴィッツ領に対しても、たいした利ではない」
幼く不安定な立場の当主が王族という大きな庇護者を得ることは、他領からの悪意を簡単に撥ね退ける強大な守護だ。理不尽な目に遭うことは一切なくなると思っていい。
しかし、隣国との緊張地帯であるクラウゼヴィッツにとっては、遠く離れた中央の王族からの庇護が得られても、たいして役に立たない。戦火が交わったときに即座に援軍を送ってくれるのならばいいが、中央にそんなことをするつもりがないのは騎士であるジークヴァルトにも、長年上層部にいるヘンドリクスにもわかっている。はっきり不要だ。
「寧ろ、横槍を入れられるようになるかも知れんな」
領主の伴侶の実家であることを理由に、領政や要塞の運用に口出ししてくる可能性の方が強い。そんなことになれば面倒に他ならない。
その懸念にジークヴァルトも頷いた。
「ふたつめは、年齢差のことだ。魔力の質が似ている方が強い子が生まれることからも、近親者同士での婚姻は推奨されている。だが、わたしとお前は十二歳も離れている。八歳差の王子と比べれば、釣り合いが悪いと見えるだろう」
政略結婚と考えるならば、大きな権力を持つ者で、年齢が釣り合っている方が好ましく思われるだろう。
「八歳上も十二歳上も、たいして違いはないと思いますけど」
リーゼロッテにとってはどちらも年上に違いない。大雑把なその答えに、笑うのを堪えながらマリウスが同意してくれた。ヘンドリクスもくつくつと笑っているので、ジークヴァルトは嫌そうに三人を睨み、軽く咳払いする。
「ラウレンツが死んだのをいいことに、わたしが幼いお前から実権を毟り取る為の婚約だと言われる可能性もあるな。誰が見てもそのように感じるだろうから仕方がないが」
公表されていなかった口約束の話を持ち出すのだから、そう指摘される可能性は十分にある。その場合は証拠もなにもないので引き下がるしかない。
「それは……フリードリヒ王子の方が、そうお考えなのではないですか?」
十二歳での婚姻という特例を利用としているくらいなのだし、リーゼロッテがまだ幼いうちに入り込んで来ようとしていると考えるのが妥当な気がする。
「ああ。その可能性が一番高いな」
ジークヴァルトもあっさりと同意した。
だが、ヘンドリクスとマリウスには理解出来なかったようだ。怪訝そうにしている。
「フリードリヒ王子は第四王子だ――と言えば、おわかりになりますか?」
そのひと言で、二人は納得の表情を見せた。
「形骸化している任命書の授与の使者としてフリードリヒ王子がおいでになると聞いたときから、いったいなにが狙いなのか、ずっと考えていたのです。あの方は以前からそういう公務には不熱心で、既に形骸化しているとなれば書類を転送するだけでいいではないか、とおっしゃるような方なので」
しかも、王都から何日もかかるようなこんな遠方まで、自ら動くようなことをするわけがない。手間を省けるなら省こうとするし、自分でなくとも問題ないことなら、なんでも他人に任せてしまう人だ。
そんな性格の人間がわざわざ出向いて来るなど、裏があるに決まっている。なにかの思惑がない筈がない。
第四王子という地位は、王座に届きそうでいて届かない位置だ。王太子である第一王子は少し病弱だが人望厚い好人物で、彼が次期王であることに否を唱える者はいない。その彼になにかあったとしても、学識に明るい第二王子もいるし、騎士団に出入りするほどに武芸に通じて健康な第三王子もいる。魔術研究に耽溺している代わりに強力な魔術を使うと噂の第一王女もいる。未成年の弟妹もまだ三人いる。有力な後継者はフリードリヒ以外に大勢いるのだ。
特になにが秀でているわけでもないフリードリヒは、兄王子に代替わりしたとしてもなにか重要な役職を得られる要素は低い。王の兄弟は領地を分け与えられて統治することもあるが、成人前に決まることだ。現に第三王子は十二歳になったときに所領を賜っている。
王宮の中で兄王子達の命令に従うようなことも出来る性格ではないので、何処かで統治者として立てる場所が欲しかったのだろう。
「婚姻によって何処かの領地に入り込み、領主に納まる計画だったのでしょう。その為には未婚の女性領主、若しくは次期領主候補であり、成人したばかりの自分でも籠絡出来る相手が望ましい。……リーゼロッテはその条件のすべてを満たしている」
言い包めて婚約を取りつけるつもりだったのなら、初対面から嫌味や意地悪をしないで優しげに微笑んで甘い言葉をかけ、心を開かせるのが一番簡単で手っ取り早かったのだ。それが出来なかったのは、因縁のあるジークヴァルトの姿を見て、無意識に感情が揺れた所為だろう。そういうところが駄目な人なのだ。
厄介な相手に目をつけられたものだ、とそれぞれから溜め息が零れた。
「取り敢えず、リーゼロッテは身を隠した方がいい」
許可なき者は近づけないように結界がある領主一族の私室だが、絶対に入り込めないわけではない。やりようによっては潜り抜けられるものなのだ。
「わたしに反感を持つ者達を味方につけるような工作をしているとなると、家臣の半数はあちら側だとも考えられる。特に文官達には嫌われているからな」
このあとは要塞に行け、と言われた。騎士見習いとして訓練していた経緯があるので、騎士達の方が反感を抱いている人々は少ない。その騎士達ばかりがいるのが要塞だ。
「それに、核の部屋は領主しか入れない。今はお前と、代行証を持っているわたしだけが入れる。あそこに籠もっている限りは指輪を奪われる心配もない」
「はい」
「マリウス、護衛につけ。武器は取り敢えず、わたしの剣を貸す」
普段は文官として働いているマリウスは、基本的に武器を携行してはいない。剣帯ごと外して剣を渡す。
「駄目だ、ジーク。きみが丸腰になる」
「だが、手持ちの魔術具だけでは心許ないだろう?」
「問題ないよ。魔法陣をいくつか書いて行く。ヘンドリクス様、手伝って頂けますか」
「無論だ」
頷いたヘンドリクスはすぐに隣の文官室へ行き、魔術具の紙をどっさりと抱えて戻って来た。使いやすい大きさに手早く切り分けると、いくつも魔法陣を書き散らしていく。
「リチェもいくつか持っておきなさい」
魔力を込めながら敵に向かって振れば火の玉が飛び出す魔法陣と、雷撃が放たれる魔法陣らしい。服にはしまうところがなかったので、一枚ずつ、左右の靴に押し込んでおいた。
城中を揺らすほどに魔力を使ったのだから、魔石の騎獣は危険だということで、移動にはヘンドリクスの騎獣を借りることになった。要塞に送り届けたら勝手に戻るらしい。
行け、と窓を開かれ、リーゼロッテは青い毛並みの熊の背にしがみついた。