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「ああ、早川さんにとっては『ヨシアキ先生』という名ァの方が馴染み深いかもしれませんね」

「ヨ、ヨシアキ先生をご存知なんですか!」

 思わず怒鳴るようにそう問うと、結木は驚いたのかちょっと身体を引いたが、再び柔らかな笑みの気配を目許にたたえた。

「ええ。ボクはおそらく、彼の最後の教え子のひとり……になると思います。実はあの方がおらんようになる直前、預かったものがあるんです」

 そう言うと彼は、足元に置いている丈夫そうな黒いキャンバス地の鞄から、大きめの手帳ほどの白いボール箱を取り出した。

「今後もし小波に、宮大工の早川尊さんが仕事で来はったら、ぜひこれを渡してほしい、そう託りました。その頃にはきっと、私がもう預かる必要ないやろうから……、そう聞いてます」

 ある予感を持ちながら受け取り、尊はボール箱を開けた。

 まず目に飛び込んで来たのは、色の褪めた紳士物のハンカチ。

 それをそっと除けると、香りすらほとんど飛んだ紙巻が数本ずつ入った、つぶれた古い、タバコの箱がふたつ。

 そして古くて安物くさい、ふたつの使い捨てライター。

(……ああ)


『わかった。そういうことやったら、預からせてもらう』

『だけど、君の言うた言葉に一ヶ所、事実と違うことがあると私はおもたで』

『君は決して弱くはないで。自分の悪いところ・弱いところと向き合うのは、大人でも難しいことなんや。でも君は、そうやってちゃんと自分と向き合えてる。……弱い人には出来へんことや』

『君はこうやって自分で考え、自分でより良いと思う行動を、自分の責任で取る子ォやった、初めて会った六歳の頃から。遊びひとつでもそうや、君は私の指導を待つんやなく、自分から色々と提案して進めてゆく子ォやった。私の目ェから見て、君は、光り輝く才能の塊やった』

『これは、君たちのケジメの象徴として私が預からせてもらう。だから君は後顧の憂いなく、新しい道を歩んで下さい。……いつかはウチの神社の改修をお願いしたいとおもてますから、エエ職人さんになるよう、頑張ってね』


(ヨシアキ先生……)

 あの日の彼の言葉が、尊の中で鮮やかによみがえった。

(やっと小波神社の改修をやらせてもらえるようになりました、ヨシアキ先生。……遅くなってしまいましたけど)


「あの方は()うてはりました」

 結木の声が静かに耳朶を打つ。

「色々な人……子供から大人まで、数多く指導してきたけど。早川尊くんほど印象的な教え子はいてへんかったって。彼はまるで、冬の空に輝く明けの明星か宵の明星みたいな、鮮烈な子ォやったって」

 あまりにもすごい褒め言葉に、尊は絶句した。



「アオイさーん!」

 爽やかな呼び声が境内の空気を切る。

 思わずそちらを見ると、車輪の大きな三輪のベビーバギーに赤子を乗せた、つばの広い帽子をあみだにかぶった小柄な女性がいた。

 手製らしい布マスクがなかなか洒落ている。

「アオイさん、ソッチの仕事が終わったら一度野崎さんの方へ……あ」

 尊に気付き、彼女は会釈する。

「……妻と娘です」

 今までとちょっと違う、どこかはにかむような感じに目許をゆるめ、結木は荷物を持ち上げた。

「ほんなら。また後でお会いすると思いますけど、その時はよろしくお願いします」

 一礼すると、彼は早足で妻子の元へ向かった。


 ウチの息子よりちょっと小さいかな、と、遠目にバギーの中の赤子を見て尊は思った。

 夜泣きが大変な頃かもしれないな、とも。



 風が一陣。

 大樹はうなるような葉ずれの音を響かせた。


 尊は『義昭の楠』を見上げた。

 はらはらと、新葉と入れ変わる古い葉が舞い落ちてくる。

(……尊くん)

 葉ずれの音が、何故かヨシアキ先生の声のような気がした。

(尊くん、輝く星になれましたか?)

「なれた、とは、とても言えませんけど」

 つぶやき、尊はマスクの下で微苦笑を浮かべる。

「なりたい、と……今でもずっと、そう思ってます、ヨシアキ先生」


 葉ずれの音と共に、木洩れ日がきらきら輝く。

 ヨシアキ先生がそこで、ゆったり座って笑っているような気がした。



               【おわり】

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読んでいた物語の主人公がちょっと大人になって帰ってくるって、ファンとしては嬉しい限りです。 しかもこれは最初から計画してたんじゃ……と思える話。 尊が真っ直ぐ育ってくれてよかった! [気に…
[良い点] やっぱりこのヒューマンドラマ好きですね。 尊も父親となって、ギラギラ感も薄くなり、責任感のある大人になったところがステキです。 いろんな主要メンバーに会えませんでしたが、時間とはそういうも…
[良い点] 完結おめでとうございます! [一言] いやいや、いいお話でした (*´▽`*)
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