③
(なるほど、パッと見はワカランけど、結構傷んでるな……)
だんじり小屋のある向かって右側から近付き、拝殿の側面の壁を確認する。
一見すると問題なさそうだが、ところどころ、壁板がスカスカになっていたり、腐り始めていたりしているようだ。
シロアリが巣食って久しいのだろう。
社殿全体の害虫駆除をしたという話は師匠と一緒に仕事に来た時、チラッと聞いた覚えはあったが、仮に虫が完全にいなくなったとしても、傷んだ建物は元に戻らない。
(まあ古いからな。国の文化財とかやったら定期的に手入れもするやろうけど、田舎町の神社の社殿なんか、そこまで丁寧にメンテナンス出来へんしな……)
メンテナンスをするとなると、当然費用が発生する。
こんな、町の小さな神社の管理は大抵、その町の自治会がするものだ。
自治会程度では神社の手入れに、それほど予算は割けない。
(野崎さん、今回は思い切ってカネ出すんやな)
野崎家は小波の自治会長を歴任していて、祭りを始め小波神社の運営は、昔からほぼほぼ野崎が取り仕切ってきたそうだ。
野崎の敷地内にこの神社の元々のご神体(神様の力で湧いたとされる泉)があるという話だから、小波神社そのものが、感覚的には野崎のもの。これが小波での認識らしい。
この辺のことは、先祖代々小波で暮らしてきた地元民でない尊にはよくわからない話だが、そのことと今回の改修は尊と直接関係ない。
仕事として請け負う限りは誠実にこなす、尊のやることはそれだけである。
背面も見たかったが、入れないようになっていた。
今回はあきらめ、いったん正面へ戻って向かって左側へ向かう。
御神木である『義昭の楠』がある方向だ。
(ヨシアキ先生……)
この楠と同じ名前だった人を、ふと思い出す。
包み込むようなふわりとした笑み。
君は私の教え子や、と、言ってくれた優しい言葉。
困っている時にはさり気なく手を差し伸べ、それとなく寄り添って慰めてくれ、尊と林の弱さの象徴でもあった『タバコの箱とライター』を真面目な気持ちで預かってくれた、当時の尊が知るほぼ唯一と言える本物の大人であり……『恩師』と言えるであろう人。
だが、彼はもう小波にいない。
十数年前に彼は、『よんどころのない事情で』故郷に帰らざるを得なくなったと、ある時野崎氏から聞かされた。
尊が知った時には、彼のライフワークであったフリースクール『寺子屋 くすのき』もすでに閉められていて、小波を去ってずいぶん経っていたのだそうだ。
せめて彼の連絡先くらい知りたかったが、残念ながら教えられないと断られた。
「悪う思わんといてな。どんなに仲良かった人でも知らせる訳にいかん事情がある……、あの人からそう聞いてるんでな」
気の毒そうにそう言う野崎氏の顔を茫然と見つめたのを、尊は寂しく思い出す。
人と人との出会いは本当に一期一会なのだと、身に沁みて思った……。
尊はギョッとして立ち止まった。
しめ縄を巻いた巨木の陰にしゃがんで何か作業をしている、ベージュのつなぎの作業服を着た青年がいたのだ。
しかし、彼のほんのすぐそばに近付くまで、まったく人の気配を感じなかった。
(おいおい、最近ボケてきてるんか?俺)
本気でのけ反るほど驚いた自分が、色々な意味で恥かしい。
中坊時代の方が余程、他人の気配や殺気に対して敏感だったと尊は思った。
その青年はこちらに気付くと、立ち上がって頭を軽く下げた。
流れるように無駄のない動き、姿勢の良い立ち姿の、尊より五つほど若いのではないかと思われる青年だ。
顔の下半分が白い不織布マスクに覆われていたにもかかわらず、優しくゆるむ目許だけで、彼のやわらかな笑みがわかる。
なんとなく、大楠……ヨシアキ先生の笑みを連想した。
「こんにちは。ひょっとして宮大工の早川さん……ですか?」
初対面の青年から、自分の職業も名前も正確に言い当てられ、驚く。
今日は打ち合わせだけなのもあり、尊は私服で来ていた。一見しただけでは、尊が何者かまではわからないはずなのに。
青年は少しばつが悪そうに目を伏せた。
「突然スミマセン。実は野崎さんの方から、今日の今時分くらいに古くから付き合いのある宮大工の方が来られるって聞いていましたので。今回、神社の改修も依頼する予定やともうかがってます。あ、ちなみにボク、こういう者です」
彼はポケットを探って名刺入れを取り出し、一枚抜き出して尊に差し出した。
樹木医
講師
小波ビオトープ保護官 結木 碧生
よくわからないが、この青年は樹木医らしい。
ここで作業服姿で何かしていたのだから、御神木である『義昭の楠』の手入れなり何なりしていたのだろう。
一応納得し、尊も自分の名刺を彼へ渡した。
青年……樹木医の結木は、例のもの柔らかなほほ笑みを浮かべ、尊からの名刺を丁寧に受け取った。
「早川さんもご存知でしょうけど、野崎さんの屋敷は近く市の管理物件になって、泉を含めた庭一帯を、ビオトープとして保護することになっています。ボクは、地元出身の樹木医で野崎さんとも古くからの知り合いやった縁で、天然記念物になってる小波の樹木と野崎さんの庭の管理を、去年から任されてます」
屋敷のメンテナンスも文化財として残す方向でのメンテナンスになるそうですね、と結木が言うのに、尊はうなずく。
今までと少し違う方向でのメンテナンスになるだろうという話は、電話で野崎からも聞いている。
「そんな訳で今後もちょいちょい、早川さんと顔合わせる機会もあると思いますんで、よろしくお願いします」
こちらこそよろしくと頭を下げた尊へ、結木が
「藪から棒ですけど早川さん。大楠先生を覚えてはりますか?」
と言うので、尊は目をむいた。