②
駅舎を出、野崎邸へ向かって歩く。
駅周辺の町並みは、二十年前とはまったく違っていた。
駅すぐそばの大きなスーパーマーケットが、いつしか別資本が経営するスーパーに変わっていたのには驚く。
少なくとも五年前、師匠と一緒に野崎の屋敷のメンテナンスで来た時は、尊が中学時代にゲームコーナーで遊んだ、あのスーパーの看板がかかっていた筈。
(変わらんのは……スーパーの向かいにある津田高校だけか)
良くも悪くもこの府立高校のたたずまいだけは、二十年経っても変わらない。
正門から続く桜並木、そして校舎よりもはるかに背の高い、メタセコイヤの巨木が風に枝をゆらす様も。
強いて言えば、壁の改修か耐震補強工事かで校舎の一部に足場が組んであるくらいだろうか。
(……田中)
懐かしい名を胸でつぶやく。
足場鳶を目指し、実際、一人前の職人としてしばらく働いていた、古い友人のひとりだ。
田中は、いつもどこかに昏い不穏を抱えているような男だった。
あの頃の自分の心情と、一番近しいのが田中だったろうと尊は思う。
ヤツが、やり場のない怒りや哀しみ、一方的に親に『捨てられた』という慟哭を抱えているのが、肌でわかった。
だからこそヤツの危うさが、尊にはよくわかっていた。
『林をシメてくる』と言って、ぬっと立ち上がったあの日の田中。
もちろんあわてて止めたものの……田中がそう言わなかったのなら、翌日に尊が、林をボコボコにシメたかもしれなかった。
田中があの時、尊の代わりに怒ってくれたからこそ、あの問題はアレで収まったのだとずいぶん後に尊は思った。
その田中が傷害事件を起こしたと川野から聞いたのは、二十五、六歳頃のある日だ。
詳しくはわからないが、田中は仕事先で色々と理不尽な目に合い、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろうと、知らせてくれた川野が暗い声で言っていた。
事件そのものは不起訴になったらしいが、以来、田中の行方は杳として知れない。
身内にも自分の行き先を告げず、携帯電話の番号も変え、どこへとも知れない場所へ流れていったようだ。
田中、生きていてくれと、尊は心の隅でいつも思っている。
死に急がないでくれ、人生は捨てたものじゃない、と。
昏い目をして闇へ歩き去ろうとする友へ、尊は心で、一生懸命話しかける。
いつか……爺さんになってからでもいい。
お前と笑い合って、一緒に酒を飲みたい、から……。
それに引き換え、川野の活躍は目覚ましかった。
三十歳で実家の弁当屋を継いだ後、宅配弁当の方へ比重を移し……折からの情勢に乗り、大成功をおさめている。
支店も五つばかり増やしたという話だ。
ヤツ自身の先見の明もあっただろうが、外出自粛を求められた昨今の社会情勢のお陰もあるのは確かだ。
忙しいのはありがたいが素直に喜べないと、電話の向こうで困ったように愚痴っていたが、声は明るく、力強い。
ツレの中で、社会的に一番成功しそうなのは川野だろう、と尊は思っている。
この男がどこまでのし上がるのか、実は密かに楽しみにしている。
様々な思いが胸の中でないまぜになり、息苦しくなる。
が、小さく首を振って彼は、感傷を散らした。
小波はやはり、彼の精神の根元をゆさぶってくる町だ。
今は仕事で来ている。
余計な感傷は邪魔になるだけ。
言い聞かせるようにひとりごち、尊は足早に駅前から離れた。
駅前の喧騒を離れ、野崎邸へ近付くにつれて昔の雰囲気が残る町並みになってくる。
何故か、どんどん時間を遡っているような不思議な錯覚に陥る。
ふと、声をかけられたような気がした。
思わず立ち止まり、尊は辺りを見回した。
……小波神社だ。
鳥居をくぐり、尊は思わず笑ってしまう。
たたずまいから何から、まったく変わっていない。
(いやでも、改修を頼まれとったな……)
社殿が老朽化しているという話だったが、少し離れて一瞥した程度ではわからない。
尊は職人の目になり、ゆっくりと社殿へ近付いた。