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この作品は『輝く星になれ』の後日談であり、世界観を共有している『月の末裔』の番外編になります。

これだけでも読んでいただけますが、『輝く星になれ』をお読みでないとわかりにくい・説明的であるかもしれません。


それをご理解の上、お楽しみ下さい。

 五月の連休明けのとある日。

 早川(たける)は、最寄りの私鉄駅のプラットホームに降り立ち、ひとつ大きく息をついた。


 小波(おなみ)町。

 二十年ばかり前……尊が三歳から十六歳になる直前まで暮らした町だ。

 楽しいことや嬉しいことも沢山あったが、嫌なことや辛いことも多く経験した、愛憎半ばする町。

 彼は今日ここへ、亡き師匠から引き継いだ仕事の打ち合わせに来た。

 仕事そのものは夏以降になるだろうが、代替わりして久しい野崎(のさき)の現当主・野崎泰造氏と、尊は今日初めて、自分ひとりで打ち合わせをする予定だ。

(せやけど屋敷のメンテナンスはともかく、小波神社の改修まで頼まれるとは思わんかったな……)


 尊がよく知る野崎輝之介(きのすけ)翁は、尊が六歳の頃から『ご隠居』と呼ばれていたものの、実質的には当主だった。

 しかし彼も寄る年波には勝てず、尊が小波を離れてしばらくして、亡くなったという話だ。

 『津田興発』は翁の死後も十年ほど続いたが、どんどん規模が縮小され、最終的に廃業した。

 馴染み深い会社の廃業に伴い、泰夫は小波を引き上げて尊のそばへ来てくれた。

 そして最近では亡き棟梁の工房を継いだ尊の、事務面でのサポートをほぼボランティアで務めてくれている。

 ボケ防止の隠居仕事やなどと笑っているが、彼はまだ五十代半ばである。

 申し訳なさが募るが、楽しそうにしているのでついつい甘えてしまう。


 泰夫は結局、結婚しなかった。

 結婚したいと思う人が現れへんかったんや、と彼は言うが、決してそれだけが理由ではあるまい。

 泰夫は、尊の父であろうとしてくれた。

 場合によっては母でもあった。

 尊にとって、自分だけはそうあることが必要だと彼は本能的に察し、すべてに優先して尊の『親』であってくれた。

 泰夫は尊と陽子に人生を振り回されたのだと思い、特に若い頃、尊は申し訳なくてたまらなかった。

 だが、彼の人生が振り回されて耐え忍ぶばかりの辛い人生だったとは、今は思っていない。

 誰か……特に子供、を守り慈しむということは、それだけで喜びになり得る。

 尊も三十歳を回ってから縁あって結婚し、子供を持った。

 子供を育てるというのは『耐え忍ぶ』ような辛さがある反面、持たなければわからない、言うに言えない喜びもある。

 自分も人の親になり、尊も、泰夫の気持ちが少しわかるようになった気がするのだ。



 酒井の工房で見習い宮大工を始めて数年、尊は小波へ戻らなかった。

 やや空回りしていた部分も含め、当時尊は、早く一人前になりたくて必死だった。

 元々手先は器用な方だったし、根気もやる気もある。

 上達は早い方だったろう。

 が、彼としては不本意だったが、その頃よく、師匠である酒井棟梁にストップをかけられたものだった。

「お前は何を焦ってるんや」

 あの凪を思わせる静かな目で、尊はよくこう諭された。

「確かに技術的にはわるない。上達も早い。せやけどな、心が全然追い付いてへんで」

 尊が細工したものを取り上げ、師匠はかすかに苦笑いした。

「寸分の狂いもない。見事や。まだ十代の、見習いの仕事とは思えん。でもな……」

 師匠の凪の目が、少し悲しげな色になった。

「見てると喉元に刃物でも突き付けられてるような、異常な緊張感がただよってくるで、コレから。そもそもヒトは、神社仏閣へ癒しを求めてくるもんや。癒しを求めてるヒトを、刃物で脅してどないするねん」

 その一言は尊の中で、キツい戒めとして心に刺さっている。

 もっとも、ああその通りだときちんと納得出来たのは、そこから十年は経ってからだったが。

(とにかくヤッちゃんを、オカンの世話から解放してやりたい一心やったな……)

 早く一人前になってもっと給料が取れるようになり、少なくとも経済的に泰夫を支えたい、と。


 母の陽子はるこはあれ以来、ちゃんと現実へ戻ってこなくなった。

 一日のうち、一瞬は自分の年齢を三十過ぎだと理解していたとしても、大半の時間は十代後半から二十歳頃のつもりらしく、泰夫の顔を見ると『おとうちゃん』と呼ぶらしい。自分の父親だと思っているのだそうだ。

 また、長年の不摂生とでたらめな生活のせいで彼女はすでに、内臓から何からボロボロだった。

 稀に回復して小康状態になり、退院したこともあったそうだが、あの時以来、結局彼女は病院と縁が切れることはなかった。


 そんな母に会いたくなくて、修行に没頭していた……部分もあったのかもしれないと、尊は今にして思う。



 尊が師匠に諭され続けていた、二十歳前のある寒い日。

 母が死んだ、という連絡が来た。

 さすがに小波へ帰った。


 枯れ木が折れるような死だったと、泰夫から聞かされた。

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