死の火山
最初の冒険の転くらいです。
石造りのガラゴロンは困っていた。
苔むした常識を打ち破り、別の世界を垣間見せてくれた伝道師を見つけたは良くも、いやに滑らかな動きで山の方へ走り、こちらを置き去りにしようとするのだ。
ガラゴロンは前を行く相手に「帰るなら一緒に行こうじゃないか」と、上半身を使った操体言語で繰り返し伝えているが、その速度は緩むことがない。
それは勿論、必死に逃げる男には背後の様子が見えていないからであり、仮に見えていても理解は困難で、規則性に気付かず威嚇と捉えただろう。
「(なんてこった、振り切れねぇ!
歩幅がデカいのか? 追いつかれないだけマシか?!)」
死ぬ気で逃げ続ける男の胸中もまた、恐怖と混乱に包まれていた。
身を軽くしようとギターもスピーカーも光に還していたし、そもそも走るうちに息が上がってしまい、歌声を響かせることはできない。
追跡者の狙いが仲間の仇討ちだとすれば、助かる見込みはなかった。
「(どうするどうする、もう森を抜けるぞ、隠れる場所が……あれだ! 洞窟の入り口!)」
街に戻るはずが目的地まで来てしまった形だが、男の幸運はまだ途切れない。
視界が開けて山肌が露わになった直後、視界に捉えた横穴に向かい、最後の脚力を使って飛び込んだ。
後を追うガラゴロンはその位置を知覚していたが、高さ2mに満たない楕円形の入り口を前にして二の足を踏んだ。
「ハァ、ハァッ……どうだ、参ったかデカブツめ!
この狭さなら、入って来れないんじゃねーの!」
何とか安全地帯に辿り着いた男は、悪態をついた後、大の字になって地面に転がる。
石造りが穴の前で止まったことに安堵し、一気に疲労感が噴出したのだ。
「ゼェ……ハァ……。
だが、まぁ……参ったのは、俺もだな…」
男が寝たままの姿勢で後方に目を向けると、横穴は更に奥深くへと続いている。
出口が塞がれている以上、進む道は他にない。
冒険の山場を迎えた夢漁りは、くたびれた身体に喝を入れて立ち上がる。
この場に留まるよりはマシだと信じて、覚束ない足取りで、石造りたちの本拠地に踏み入るのだった。
ガラゴロンは再び困っていた。
新世界への鍵を握る相手を追いかけなくてはならない。
入るだけなら、体を崩して小さく纏めるだけでよい。
だが、これは恐らく天敵の巣穴だ。
もし奴に見つかったなら、自分は一欠片も残さず喰い尽くされるだろう。
山中に潜む真の支配者に怯えるガラゴロンが、意を決して潜りこむまでには、暫くの時間を要した。
「……暗くてよく見えねぇけど、どんどん下に潜ってるよな。
これ、どこに繋がってんだ…?」
窮地を脱した男は、改めて生み出したギターとスピーカーの僅かな発光を頼りに、地中深くへと進んでいた。
元々は、外から適当な段差を登って山の中腹を目指すルートを想定していたが、予期せぬ事態により大幅な軌道修正を余儀なくされている。
もっともその場合、死の火山と呼ばれるだけあって危険が満載の旅路となるため、その点で言っても男は強運だった。
「どこぞで行き止まり……ってことはないだろ。
この穴、幅も高さもずっと変わらねーし、天然モノとは思えねぇ。
誰か、先に来た奴が掘ったんじゃねーの。
灯り置いとけってんだよな、気を利かせてよ」
先の見えない不安から、姿なき先人にあたる男。
顔のチューブを呼吸器のように鼻まで覆う形に変化させ、より濃くなったガスや粉塵の吸入を防いでいるが、それも拘束されているようで気に入らない。
ここまで深くに来る前に、食料も水も使い果たしており、物資は底をついていた。
最早、何もかもこの山の中で調達するしかないが、こんな所に何があるというのか。
「ああ、クソッタレ…!
どいつもこいつも、この世はみんなクソッタレだ!
俺のどこが悪いってんだ! 何が悪いってんだ!
アンジー! ダイモン!
何故俺を置いて消えやがった!」
死の予感が脳裏をよぎり、それを誤魔化そうと世界に向けて怒りを露わにする男。
そもそも、この男が夢漁りとなった原因は、旅の仲間でもあったバンドメンバーが残り少ない資金を持って夜逃げしたことにあった。
宿の店主に事情を話し、憲兵に突き出されるのは勘弁して貰ったものの、残されたのは僅かな路銀とギターだけ。
路上で演奏すれば騒音扱いされ、お捻りの代わりに石飛礫や桶の水が投げて寄越された。
追い詰められた末に、一発逆転のネタを求めて贔屓の酒場を頼り、そこで聞かされたのが王冠持ちの噂だった。
「こんな所で終わるかよ…!
俺のサウンドで、この腐った世の中をブッ壊すんだ!
今に見てろ……つまんねー顔した馬鹿共、偉そうに威張り散らした貴族共、どいつもこいつも…!」
弱気に呑まれそうになる心を激情で支え、歩き続ける男。
その姿を憐れに思われているのか、幸運は彼の味方だった。
やがて、男は坑道の終わりに辿り着き、その先に全容の見えない広大な空間を発見した。
そこには地底湖があり、小魚やカニなどの姿があった。
「へ、へへへ……マジかよ、おい。
ツイてるなんてもんじゃ、ねーんじゃねーの!」
九死に一生を得た男は、喜び勇んで湖に駆け込んだ。
水の中に危険を感じさせる濁りがないことを確認して、手で掬い思うさま飲み干す。
外敵がいないせいか逃げも隠れもしないカニを捕獲し、平たい石の上に置いて振りかぶったギターを力の限り叩きつける。
砕けたカニの足をもぎ取り、茹でる前の身の強靭さに驚きながらも、齧って食べる。
冒険に出掛けてからここまで気の休まることのなかった男は、漸く訪れた安息の時間に夢中だった。
暗がりに隠れた別の穴から、この部屋の主が帰ってきた事にも気付かずに。
この男はいつまで名無しなんだろうか?