最愛
「うおおおおおおお!」
光の咆哮が三十階のフロアにこだまする。狭いフロアはやまびこのように反響した。光の手はなおも充の左手を握りしめていた。
––––頼んだぞ……。
充は最期に光に言った。
昨日の出来事が一瞬光の脳裏にフラッシュバックする。
––––明日、決行だ。
充兄さん……。
おいらの、一番大好きな兄さん。
いつもは母ちゃんと喧嘩していた兄さん。
いつもはおいらに暴力をしていた怖い怖い兄さん。
でも、おいらはわかってた。
兄さんはおいらの事も、母ちゃんの事も好きだった。
兄さんは言っていた。
この家の方が苦しいけど、幸せだって。
おいらは意味がわからなかった。
苦しいと幸せは違う言葉。おいらもわかってる。
おいらは頭に障がいを持っていた。
その事で父親はおいら達を捨てたって事も母ちゃんから聞いた。
おいらはおいらの事が大嫌いだった。
けど、兄さんはそんなおいらの事も愛してくれていた。家族として。
おいらは聞いた。
苦しいけど幸せってどういう事?
兄さんは少し困ったような顔をして笑っていた。
兄さんは言った。
お前もわかる時がくる。
結局おいらがそれをわかったのはオトナになった時だった。
おいらは学校というのを知らない。
お金がたまらず、おいらも家族全員で働いて生活していた。兄さんはおいらのためにって自分の臓器というものを闇ルートで千万で売ってきた。
おいらは聞いた。
そんな事したら兄さんが死んじゃう。
兄さんは言った。
臓器ってのは二つあって片方が無くなっても大丈夫なんだ。多少身体に影響はあるけど。
おいらは聞いた。
ほんとに?
兄さんは言った。
ああ。ほんとさ。
けど、おいらは嘘だってわかってた。
それからしばらくして兄さんは風邪をひいた。
顔は真っ赤になり、今にも死にそうだった。
お金を稼がなくちゃいけないから母ちゃんはそれでもパートに行った。
おいらが必死でタオルに水をつけたりして看病した。
その二週間後、兄さんはあの元気な笑顔を見せた。
おいらは嬉しかった。
けど、おいらは知っていた。
まだ風邪は充分治っていなかった。
母ちゃんも知っていた。
けど、兄さんは大丈夫と言い働き始めた。
そして風邪をよくひくようになり、兄さんはクビになった。
おいらは聞いた。
兄さんが風邪をひいたのは、おいらのせい?
兄さんは言った。
違うよ。お前らは何も悪くない。俺が弱いだけだ。
おいらもそれ以上は何も言わなかった。
その後、兄さんが自分の臓器を売ってまで稼いだお金は無くなった。
母ちゃんはおいらたちにお金を託して首を吊った。
兄さんは母ちゃんが冷たくなっている身体に触りながら言った。
このままではお金は降りない。俺たちで山に埋めるんだ。
おいらは言った。
でも……。
兄さんは言った。
このままじゃ母さん犬死にだ。自殺では保険金は出ない。殺された事にするんだ。
おいらたちは必死で母ちゃんが殺されたように偽装した。そしてお金がおり、おいらたちは二人で一緒に暮らしてた。けど、こんなお金は冷たすぎる。冷たい冷たい身体の芯まで底冷えするような金だった。
けど、それがなかったらおいらたちは生きていけない。
そして、それからしばらくして兄さんは言った。
父親、知りたくないか?
おいらは頷いた。
兄さんは俺の父親とお前の父親は同じ。俺たちは兄弟だって言った。けど、おいらはなんとなくわかってた。そして兄さんから父親の全てを聞いた。
初めておいらは殺意が湧いた。
兄さんとおいらは誓った。
必ずあいつらをぶっ殺そう。
それから兄さんは必死で勉強し、今日行動した。
兄さんは優しい人。優しい優しいおいらを愛してくれる人。
さっきも、おいらがこの男を掴んでたから兄さんはおいらに当たらないように撃たなかった。けど、この男は撃った。
「く……ぐ……」
光は充の身体を抱きしめ、顔を擦り付けていた。
「うわああああ。あああああ」
光の嗚咽が聞こえてくる。
剛はニヤリと笑いながら立ち上がった。
「おい、帰るぞ。クズとはいえお前らは今回の事件の首謀者じゃ。一応警察に餌を撒いておかねば。いつまでそんなゴミにしがみついておる」
と、剛は充の顔を思いっきり蹴った。充から、ゴキと骨が折れる音が聞こえた。
その瞬間、プツンと光の何かが途切れた音が聞こえた。
こんな……こんな形ってあるか……。
西本は充の遺体を見てしゃがんでいた。
救いたかった。
これ以上人殺しなどやめて、立ち直って欲しかった。
充は一瞬西本の事を信じかけていた。
それを実の親が撃ち殺した。
悪夢としか言いようがない。
剛は充の顔を蹴っていた。充から、ゴキと嫌な音が聞こえる。その瞬間、光が剛の足首を掴んでいた。それを一気に上に持ち上げ、剛を転倒させる。老人で骨が弱い剛はこれで何箇所か骨折し、苦しげな表情を浮かべていた。それでも構わず光は剛の身体を何度も何度も蹴った。
「お前が……! お前が殺した!」
剛は鼻血を出し、唇を切って血が飛び散った。それが何滴か光の服に付着する。
「もうやめろっ!」
西本はたまらず光の所へ行き、光の足を止めた。そしてその殺意は今度は西本に向く。
「お前もだ……。お前も殺した!」
「うぐっ」
光の鋭い拳が西本の鼻先を突く。衝撃で鼻血が垂れ、それが口元まで流れ落ちた。一瞬の出来事で反応が遅れてしまった。
「お前も……お前も許さない……」
光の目は焦点が合っていなかった。ジリジリと西本との距離を詰めていく。
戦うしかないのか……戦うしか……。
西本は覚悟を決めた。




