不安はひた隠しにして
朝から、東雲は何とも微妙な表情をしていた。なんでも、あの人は狂ってるわね、と自分の姉から言われたらしい。
彼女は僕の姉を悪く言われたことで不満そうな顔をしていたけれど、僕はすごく納得できた。
彼女の姉さんはとても人をみる目があると思った。あの暴虐の限りを尽くす王にどんな感想を抱いたのか、ぜひとも聞いてみたかった。
「あ、ちなみに彰くんのことは合格点だって。ぜひ今度家に連れてきてほしいって言われちゃった」
「それは……喜んでいいの?」
「もちろん」
と東雲は胸を張って言った。
「自信を持っていいよ。お姉ちゃんが人を褒めるなんてめったにないんだから」
「う、うん。光栄に思います」
「でも、彰くんは私のものだよ」
そのセリフは激しくデジャヴだった。
東雲と付き合うようになってわかったことだったが、彼女も大概ずれていた。姉と比べたらもちろん常識の範囲内だけど、それでも言うことなすことが全体的にあさっての方向だった。
「彰くんっていい香りするよね」
と彼女は僕の肩に顔を寄せて言った。
彼女も大概臭いフェチだと、僕は思った。
僕の周りにいる女性はみんな臭いに強い関心を抱いている。
まともなのは母だけか。や、母も父の香りに惹かれたって言ってたな。血はつながってないはずなのに、母と姉は変なところで気が合っている。
「僕って、どんな匂いがするの?」
「ジャスミンの香りっていうか、アロマの香りっていうか、ミントの香りっていうか……」
「ばらばらだよ、それ」
「あ、安心できる香りって言いたかったの!」
頬を上気させて、東雲は言った。
「揚げ足をとるなんて、彰くんらしくないよ、もう」
ごめん、と僕は素直に謝った。
「東雲からは、女の子の、すごく清潔なシャンプーの香りがするよ」
「ほんと?」
と茜は嬉しそうに言った。
「彰くんに私のにおいを好きになってもらえたら嬉しいな」
「東雲は、僕の何が好きなの?」
「いい匂いがするところかな」
「……本気?」
「冗談に決まってるでしょ」
と朗らかに笑って言った。
「理由なんてないよ。私を助けてくれたことがきっかけだけど、それから私を特別視しないで普通に話してくれて……全部としか言いようが無いよ」
「――僕も、東雲が好きだよ」
「え」
信じられないものを見たように、彼女は何度もまばたきを繰り返した。
それから、なぜか急に慌てだした。
「も、もう一度言って! 録音するから!」
「これから何度でも言うよ」
僕は呆れて言った。
東雲のスマホが、僕の目の前にあった。
「東雲茜が、好きです」
スマホの録画が終わると同時に、彼女が僕の胸に飛び込んできた。
僕はそっと彼女を抱きしめた。
これからも僕は姉のことを嫌いになれない。
でも姉を頼りにしない。茜がそばにいるうちは、きっと大丈夫だと思う。
逆光に遮られ、屋上にいるはずの姉の姿は見えなかった。