花嫁の簪
―0―
小指をみつめては何度もさわっては、この先に通じる誰かが君であることを願ってみる。そんなことはありえないと分かっていても、願ってしまうののが恋する乙女というものだ。そう勝手に結論付けて思考を無理矢理終了させるのは私の悪い癖。何度治そうと思っても、どうにもならないことだってあると決めつけて悪い癖を発揮してしまう。でも、どうにもならないもの。
君が好きで、大好きで、でもどうしようもなくて、嫌いになれたらどんなに楽になれるかも知っている。絶対に叶わないと知っているからこそ、嫌いになる努力や君が私を嫌いになる努力だってしたんだよ。でも、無理だったの。
どうか教えてください。
私が君を、君が私を嫌いになる方法を。
―1―
私のお父さんは簪を作る職人で、いつも寝屋の奥にこもっては簪を作っていた。お父さんの作る簪はとても綺麗で、いろんな人がお父さんの簪を買い求めた。お母さんは私が小さい頃に亡くなったが、お父さんは私が寂しくないように愛情たっぷりに育ててくれた。そんなお父さんの背中を見て育った私は、簪の職人になるべくお父さんの弟子になった。明治に入り西洋文化が浸透しつつある今、簪の売れ行きも乏しくなってきたせいか親戚や近所のおばさんからそろそろ結婚しないかと言われているのが最近の悩みだ。お父さんは好きなようにしていいと言っているが、女の幸せは結婚と信じてやまない人がほとんどである。しかも、結婚を勧めている人たちは皆私が簪を作ることを反対していた人たちだから、結婚を機に簪づくりもやめさせるつもりであるから、とても面倒くさい。親戚はあまり会わないが、近所に住むおばさんは毎日のように顔を合わして、そのたびに結婚の話しを持ち込まれる。それ以外はとてもいい人で、沢山お世話にもなったからなかなか無下に出来ない。最近やっとお父さんから職人といして認められたはいいけど、悩むことが多すぎて簪づくりが進まない。
「サチちゃんいる?」
玄関から私を呼ぶ声がする。元気で透き通るような綺麗な声。そんな声で私を呼んでいるのは、近くの大きな家に住む親友の清ちゃんだ。
「いるよ。今行くからちょっとまって」
簪を作る道具を置いて私は玄関に向かった。
そこには珍しく高級な淡い紅の着物を着けた清ちゃんが立っている。
「綺麗な着物だね。これから用事でもあるの?」
笑いながら言ってみる。清ちゃんは少し困ったように笑い小さくうなずいた。
「サチちゃんは簪を作ってたの?」
「うん、最近はお父さんの仕事を少しだけ手伝っているんだ」
「そうなんだ!おめでとう!」
清ちゃんはとても綺麗な笑顔を作り、私の両手を握ってくる。私も清ちゃんの手を握り返し二人で笑った。
この時の清ちゃんは本当に綺麗だった。
ほれぼれするくらい、綺麗だった。
清ちゃんはこの後すぐに用事があると言ってすぐに行ってしまった。
ねえ清ちゃん、はっきり言ってよ。
結婚するんだって、はっきり言って…。
―2―
私の父と母は簪を集めるのが趣味の1つ。だから、家にはたくさんの簪がかざっている。また、3畳ほどの小さな簪用の部屋もあり、娘の私もため息が出るほどの収集癖がある。
でも、そんな両親がいたからこそ私はサチちゃんに出会うことが出来たのだ。
あれは私が5歳くらいのことだった。
その日は父の友人であるという簪職人のおじさんが簪を父に届けに来ていた。そのおじさんの後ろをひよこのよう付いて歩いていたのがサチちゃんだ。このころ人見知りがひどかった私は、サチちゃんどころかいつも来ているそのおじさんに近づこうともせず、遠くからその光景を眺めていた。父とそのおじさんは縁側に
座り、お茶を飲みながら雑談をしていた。そしておじさんは背負ってきた木の箱の中から、とても美しい簪を1つ取り出した。父もそれを見て感動していた。
「ほら、頼まれてたやつだ。ちゃんと大切に使えよ」
おじさんは丁寧な手つきでその簪を父に渡した。
「ありがとう…これは素晴らしいな」
父は手にもったそれをうっとりするように眺めている。私もそれが気になり、おじさんがいることなど忘れて父に近寄った。父はそんな私に気づいて、私に簪を見せて優しい顔で笑った。
「見てごらん清香、綺麗だろう」
「うん!」
私は元気よく答えてその簪をまじまじと見た。すると急に頭に重たい何かがずしんと乗った。驚いて上を見上げると、おじさんが優しい顔で私の頭を撫でている。
「お前が清香ちゃんか、お母さんに似て美人さんだな」
おじさんはそう言ってにかっと笑った。そして、近くにいた私と同じ年齢くらいのサチちゃんを私に紹介した。
「この子はサチ。確か清香ちゃんと同じ年だからこれからも仲良くしてやってくれないか?」
私がサチちゃんの方を見ると、すぐにおじさんの後ろに隠れてしまった。普通は私も人見知りを発揮して父の後ろに隠れるはずなのに、この時は違った。私は自らその子のところへ行き、手を取って「よろしくね」と言ったのだ。なぜその行動をしたのかは分からない。父もこの私の行動に少し驚いていた。サチちゃんも少し驚いていた。けれど、しっかりと手を握り返してくれた。そして可愛い顔でにっこりと笑ってくれた。私は何とも言えない気持ちになり、ただ照れることしか出来なかった。
こうして私とサチちゃんは友達、いや親友になったのだ。
………いや、もう親友とは言えないか。
もうお互いの気持ちに気づいている。
これが友情なんて甘い考えは、私も君も忘れ去ってしまった。
お互いにもってはいけない感情を捨てることも出来ず持ち続けて、そしてそれを伝えることも出来ずただその感情が腐り果てるのを待っている。
ねえ、知っているかな。
私、結婚するの。
―3―
『よろしくね』
『サチちゃんあそぼ!』
『やっぱり黄色がサチちゃんには似合うね』
『うん綺麗!』
『二人の秘密だよ』
『サチちゃん』
『サチちゃん』
私は夢の中で清ちゃんと遊んでいた。それは、無垢だった私と清ちゃんの思い出をたどっていた。つい夢の中だというのに涙が零れてしまう。それを見て清ちゃんは心配そうな顔で私を見てくる。そんな彼女が愛しく思い、つい抱き付いてみた。すると、お互いの身体が急に成長して今の私たちになった。私はただ涙を流すことしか出来なかった。
どこで私たちはずれてしまったのか。
昔はお互いのことが好きで、大人になってもこの関係が変化することはないと確信していた。しかし、今の私たちはあの頃の無垢な感情を持つことが出来なくなってしまった。好きなものを好きと言えた時間はもう過ぎ去ってしまったのだ。同じ感情を同じ空間で分かり合うことを恐れてしまってから、持っていはいけないものだと確信してしまってから、私たちはずれてしまったのだ。
だからこそ、夢の中だけでも素直でいさせて。
『ねえ清ちゃん』
『なあに?』
『私、清ちゃんのこと大好き』
『私もサチちゃんのこと大好きだよ』
そう、幸せな気分で私を目覚めさせて。
清ちゃん、昔も今も大好きだよ。ううん、大好きなんて言葉じゃ表せないくらい、あなたのことを想っています。だから、どうか、私だけの清ちゃんになってください。
「おーいサチ、そろそろ起きろ」
お父さんの声が聞こえる。
幸せな夢は終わってしまった。そして、私と清ちゃんの時間ももうじき終わるのだろう。
どうしたらこの感情を終わらせることが出来るのかな。綺麗な入れ物にそっと入れて、誰も見ることが出来ないようにふたをする。そしたら私だって、それを見ることは出来なくなってしまう。でもそれで良い。
ゆっくりと目を開けると涙でかすんだ天井が見えた。
起き上がり着物を簡単に直して布団から出た。近くに置いてある手拭いを取り、ぐしゃぐしゃと顔を拭く。力が強くて少し顔がいたくなったが、これくらいがちょうどいい。
「お父さんおはよう」
わざと大きな欠伸をしながらそう言うとわざとらしいしかめっ面をされる。これはお父さんの癖のようなもので昔から変わらない。
「ほら、ごはん出来ているから早く食べな」
そう言ってお椀の中にご飯と味噌汁を入れる。
普通の家では女である私が料理をしなければならないが、朝はお父さんが必ず早く起きる。そのせいか朝ごはんだけはほとんどお父さんが用意してくれる。前から私が作ると言っているのに頑固な性格のお父さんはなかなか作らせてくれない。たぶん、私が朝早く起きるのが苦手だからだと思う。
二人で向き合ってご飯を食べる。ご飯を食べる時は話さないという暗黙のルールが何故か存在している。なのに、今日は違った。急に手に持っていたお箸とお椀を下に置く。そしてお父さんはゆっくりと口を開いた。
「そういえば、次の仕事なんだが、それはお前に任せる。」
「え!?」
「来月清香ちゃんの結婚式がある。それに使う簪をお前が作れ」
お父さんはお箸とお半を手に取り、中断していた食事を再開させた。私もお父さんと同じようにご飯を口に運ぶ。食べる速度が速いお父さんはもうあと2口ほどで終わってしまうだろう。私はわざとゆっくり食べた。
いつも考えていた。
もし彼女が誰かと結ばれたなら、私は彼女を諦めることが出来たのかと。もし私が誰かと結婚した時、彼女への想いを断ち切ることが出来るのかと。どう考えても、答えは出なかった。彼女以上に想いを抱くことが出来る相手なんて、この世界にいるはずがないのだから。それはきっと彼女も同じで、私たちは私たち以上に想い合うことなんて出来ない。
いつの間にかこの想いを断ち切る方法から、どうしたら彼女を手に入れることが出来る方法を考えるようになった。
ねえ、あなたはこの気持ちに気づいているでしょう。
気づいていて私に簪を作らせるのね。
本当に、いつから私たちはゆがんでしまったのかな。
―4―
私が君が遠くに離れていったら、きっと私は君を君は私を絶対に忘れることは出来なくなってしまうだろう。距離が遠くなれば遠くなるほど、私たちは強く深く想い合う。いっそのこと、ずっと近くにいて、この不安定な心の距離を楽しんでしまおうか。
どんな答えを出したって、幸せな結末なんてこない。そんなこと最初から分かっている。きっと君も知っていたよね。だからこそ、最善の策をいつも探しては無いことに絶望する。そんな毎日。
だから私は君を裏切ることにした。
そして君の心に私と言う傷が深く深く残ればいいの。その瞬間に君は私のものになる。
人を想うということがどんなに残酷で非道なものか、私は知らなくて良かったのに。それでも私は君に出逢ってしまった。どんなに残酷で非道でも、君がいるだけで世界が美しく見えるの。だから、私はずっと君を想い続けるだろう。誰のものにもならずに。
「ねえ母様、式の時はこれを着るのですか?」
「そうですよ。これは私も着けたものですから。…あ、動かないでください、今丈を合わせますから」
そう言って母は長さを調節しながら針を刺していった。この部屋に鏡は無く、白無垢に身を包んだ私は今どんな姿をしているのかが分からなかった。白無垢を来た花嫁はどんなに綺麗なのだろうか。そう考えると頭痛がする。私みたいな人間がこんなに綺麗なものを着てもいいのかと。
「もう脱いでもいいですよ」
母がそう言って、私から少し離れた。それを脱ぎ、母に渡す。渡すときバチンと母と視線が混ざり合った。すると、相手は急に涙を流し「ごめんなさい」と何度も呟いた。
「どうしたの母様…急に泣くなんて…」
そう聞くと母はゆっくりと手に持っている白無垢を掛け、私に向き直った。
「ごめんね、なんだか急にあなたがお嫁に行くんだなって思って…そう思うとなんか寂しくてね」
そう言ってまた一粒涙を流した。そんな母を目の前にして私は何も言うことが出来なかった。
ああ、失敗したかもしれない。
そう思ったときにはもう遅かった。
きっとこれは君だけじゃなくみんなを傷つける。そして私自身も傷つくだろう。
でも、君の心に残るのなら…。
―5―
お父さん以外の誰にも会わず、ただ簪を前に過ごす日々が続いた。簪のこと以外を考えないように、この作業所で睡眠も食事もとった。何も考えないように過ごしているはずなのに、あなたの顔がちらついている。彼女は彼女の幸せを取り、結婚することになった。じゃあ私は?私はなんのためにこの簪を作っているのかな。彼女も私も同じ気持ちだった。同じはずだった。いつの間にか彼女の気持ちだけが私を置いて遠くに走り去っていったのか。
虚しさだけが込み上げて、なかなか簪を作ることが出来なかった。
お父さんも雑念を取り払えと言っていた。けれど、彼女への想いが大き過ぎて雑念としてはいけないように思えてしまうのだ。
ご飯は食べているはずなのに自分が細くなったように感じる。
睡眠もちゃんととっているはずなのに疲れがなかなかとれていない。
ついに腕から力が抜けて、手に持っていた道具が滑り落ちた。道具を拾おうと手を伸ばしてもなかなかとることが出来ない。自分の不甲斐無さに涙が溢れ出てきた。こんな気持ちになるのなら出会わなければ良かった。涙は止まることを知らないかのように溢れては頬を伝い地面に落ちていった。
夢の中では気持ちが通じ合っていて、昔の私たちのように言葉を交わさなくても目を見るだけで考えていることがわかった。でも、夢が覚めると辛い現実が待っていて、どうしても朝起きることが出来なくて、涙を沢山流しながらもずっと目を閉じている。涙はあなたへの想いと一緒で絶対に枯れることはないのだろう。
どうしたらいいのか自分でも分からなくなっていた。
あなたのために簪を作りたい。でも、それを拒む私がいるの。
好きになってごめんね。こんな弱い人間でごめんね。
袖で涙を拭き、道具を手に取る。
私はあなた無しでは生きられない。あなただってそれを知っているはずでしょう。
だから、これが私の最初で最後のお仕事。
もう涙なんか流さない。この簪をさして何処か遠くへ行ってもいいよ。
でも、あなたを愛した愚かな私のことを、どうか忘れないでください。
―6―
残りは簪だけだった。
サチちゃんのお父さんは簪が届いていないことに驚いて、急いでサチちゃんがいる作業場へ向かった。まだ式までに時間はあるから急がなくてもいいのに、大人たちはみんないそいそと忙しそうに動き回っている。馬鹿みたい。そう思いながら、鏡の前にすわっている。白粉をたくさん塗られて、まるで幽霊にでもなった気分でいた。
髪を結い始めて少しした時、サチちゃんのお父さんが木箱を持って現れた。走って来たのか少し息が切れている。
「はいこれ、うちのサチが初めて1人で作った簪だよ。清香ちゃんのために想いを込めて作った簪だから大切に使っておくれ」
そう言って木箱を私に渡してきた。それを受け取り、ゆっくりと箱を開けた。
そこには、綺麗な金色をしたべっこう簪が丁寧に置かれていた。サチちゃんのお父さんが作った簪より不恰好だけど、私を想って作ってくれたことが一目で分かった。愛おしい気持ちが溢れ出てきたと同時に、私は気づいてしまった。
君が死んでしまったことを。
悲しさは無かった。
ただ、空虚感が私の中に埋め尽くされていた。
鏡の前で君が作ってくれた簪がどんどん頭にのせられていく。
まるで君の命を持っているみたいに頭が重い。
「はい、出来た」
髪結いのおじいさんが、君の簪を使い私を完成させた。
「別嬪さんだねえ。これは旦那さんになる人がうらやましいよ」
にこにこ笑いながら私に話しかける。でも、私は答えることなんてできなかった。
汚れてしまった私は、どうしたらいいのかな。
「おじいさん、少しだけ一人にしてもらえませんか」
そういうとおじいさんはさっと道具を片付けて部屋から出ていった。
そう、これが最善の策なのかもしれない。
運命は決して私たちを結び付けようとしなかった。どう足掻いても、私と君は繋がることは無かった。
それに、君は死んでしまった。
なぜだか分からないけど、私はそれを分かってしまった。
なら、私がすることは1つだ。
頭にささった簪を1つ抜いた。
この簪は君が私を想った気持ちだ。
そして、思いきり喉を簪で刺した。
不思議と怖くは無かった。刺した瞬間、君が私を抱きしめてくれたように感じた。
ほら、これで私たちは1つになれたね。
勢い余って書いた作品です。
誤字脱字などがあったらご指摘ください。




