Ⅰ『Worker』
某年 2月
夜、輝く都会にいくつもあるマンションの内
高くもなく低くもない灰色の
11階のベランダに一人の少年は立っていた。
少年は浮かない顔をして、手摺りにより掛かっている。
ずいぶんと前から付き合いがあり、とても親しかった女の子に
交際を申し込んだ途端に態度が急変し、フラれてしまったのだ。
「なんでかなぁ・・。」
二人は明らかに互いを想い合っていた。
しかし、彼女は人が変わったように少年を突き放し
「何か分かんないけど無理っ!ごめんっ。」
と、全く意味の分からない言葉で去っていってしまった。
少年は立ち尽くすしかなかった。
そして今、少年は何かがおかしいと思いながら、
かといってどうすることも出来ずにいる。
「はあぁぁぁ。」
一際大きくため息をつき俯く。
少年が部屋に戻ろうと顔をあげると
「・・・え?」
ベランダの手摺りに人が立っていた。
星の見えない都会の暗闇に溶け込むように
黒いコートを着てフードで顔を隠し、佇んでいる。
少年は訳の分からないことだらけで頭が一杯になり、
逆にコートの人間に対するはっきりとした疑問が思い浮かばなくなってしまった。
「あ、あのー・・?」
少年がとりあえず恐る恐る声をかけると
「・・・。」
フードの中から返答はなく、
コートの人間はそのままの状態で手摺りから降り立った。
コートの人間がフードを外すと、
そこには精悍な少女の顔があった。
少年が未だ状況を飲み込めないでいると、
「あの・・。荒木、佑さんですよね?」
少女は口を開き、少年に聞いた。
「え?あ、はい。まぁ」
少年は少女の声に驚きながらも答えた。
少女は英国紳士のようなお辞儀をして、こう言った。
「初めまして。“Worker”です。貴方の運命『治し』ませんか?」
「荒木佑、荒木佑っと・・あった。」
鎮まり返った住宅街の中で、
先程の少女は街灯を頼りに手帳のようなものをめくっていた。
手帳には顔写真とともに個人情報が載っている。
そして『荒木佑』と先頭に書かれたページに少女は大きくバツを書いた。
すると"バツ"は生きているかのように動き出した。
伸び縮みしながら器用にページを手帳から切り離し、
一部を羽根に変えて飛んでいった。
「よし、今日の仕事終わりっ。帰ろうルー。」
少女がそう闇の中に呼びかけると、
背景に同化していた猫がオッドアイを輝かせて出て来た。
右目はブルー、左目は灰色になっている。
ルーは差し出された主人の手から腕、肩へと登った。
「ふ・・っ。」
少女が自ら自分の肩を抱き、力を込めると、
コートにはりついていた翼が顔を起こした。
少女はそのまま地を蹴り、漆黒の翼を羽ばたかせ舞い上がっていった。
「ただいま。」
「おかえり~。」
少女はさも当たり前のように返ってきたその言葉に無茶苦茶驚いた。
「る、る、ルシフェルさんっ!?何でここにっ?」
ルシフェルと呼ばれた男はソファーに座ってニコニコしている。
白い肌に銀の髪、そしてルーと同じオッドアイである。
「何って、琉來に会いに来たんだよー?」
ルシフェルはそういって立ち上がり、
少女、琉來を抱えて再びソファーに沈み込んだ。
「きゃぁ?!」
突然のことに琉來は思わず悲鳴をあげた。
ルシフェルは琉來を後ろから抱きしめる。
琉來は顔を赤らめ、もじもじしている。
「お仕事お疲れ様。今日もちゃんとノルマ達成した?」
耳元から聞こえる声がくすぐったいのか、
琉來は目をぎゅっとつぶったまま早口で答えた。
「当たり前じゃないですかっ
まだFクラスなのにサボってなんかいられませんよっ。」
「ふーん。
俺なんか仕事なさすぎてつまんないよ。琉來いないし。」
ルシフェルは甘えた声をだして琉來の頭にほお擦りをした。
「だってルシフェルさんはNクラスのトップじゃないですか。
仕事が少なくて当然ですっ。」
琉來はむっとして言い返した。
“Worker”には
仕事を始めて一年以内の
Fクラス
そして通常の
Nクラス
最後に数人しか所属することができない
Sクラスが存在している。
クラスはF・N・Sの順にランクが高くなり、
仕事の難易度もあがる。
そして人数の多いNクラスだけはその中でさらにレベルが分けられる。
「それにルシフェルさんに仕事が増えたら、
この世界が間違った運命だらけになっちゃいますよ。」
琉來が不安そうに呟く。
ルシフェルは琉來の頭を撫でた。
―Workerの仕事は悪魔・魔王によって変えられてしまった運命を治すこと。
よってWorkerになれるのは特殊な能力を持つ
人から天使と呼ばれる存在、
そして超能力者の類に入る人間だけである。
「俺はこれだけの力を持っていられたことが嬉しいよ。
トップじゃなけりゃ琉來に会えなかった。」
ルシフェルは琉來を向かい合わせに自分の膝に座らせて
優しく笑いかけた。
言葉通り、琉來本人もルシフェルに運命を『治し』てもらった一人である。
本来、治された当人はWorkerとの記憶を忘れるが、
琉來はある事情からそのまま記憶を無くすことなく、
そのうえWorkerになるという異色の存在であった。
琉來はじっと見つめてくるルシフェルを直視出来ず顔を反らした。
それをごまかすように琉來はルシフェルに問い掛ける。
「ルシフェルさんはそれだけ実力があるのにどうして上にはいかないんですか?」
「・・いかないんじゃなくて、いけない、かな。俺ほら、これだし。」
ルシフェルは目と灰色の翼、“なりそこない”の証を示した。
ルシフェルは天使と人間の間に生まれた禁忌。
そのため天使と同じ翼を持つが色はくすみ、
劣性遺伝の証拠のオッドアイをしている。
「あっ・・そうか・・ごめんなさ・・っ!?」
しゅんとしてしまった琉來の言葉を遮るようにルシフェルは琉來の口を自分の口でふさいだ。
「謝ることなんてない。今は琉來がいる。
俺はもう一人じゃないんだから。」
その言葉を聞いて琉來は笑顔になった。
「私も、貴方のおかげで一人じゃ、ない。」
琉來は事故で家族を亡くした天涯孤独の身にある。
ルシフェルは琉來の笑顔を見て、再び唇を重ねた。
「ん・・。・・っ?
んんっ!
ん・・っ、はぁっ!」
琉來は突然侵入してきた湿った柔らかいものに驚き、
ルシフェルを突き放した。
「もぅっ!まだし、舌はダメって言ってるじゃないですかっ!」
琉來は顔を真っ赤にさせながら怒った。
ルシフェルは不服そうな顔をしている
「へー『まだ』なんだ?じゃあいつからいいの?」
ルシフェルがニヤニヤしながら聞くと、
琉來は返答につまり、何も言わずベッドに潜ってしまった。
ルシフェルがあとから入ろうとすると
「入ってきたら家から追い出します。」
背を向けたまま淡々と言った。
「何にもしないよー。」
「ダメです。」
「絶対何にもしないから。」
ルシフェルが真剣な顔で言うと、
琉來は渋々シーツの端を持ち上げ、ルシフェルはそこに滑り込んだ。
「・・何かしたら即刻ベランダ閉めだしますからね。」
琉來は顔をしかめて、背中を向けた。
ルシフェルはそんな琉來の態度を見て微笑み、
後ろから琉來の体に腕を回して力をこめた。
「なっ・・!」
琉來は必死に抵抗するが腕ごと抱かれていて、
なす術がない。
「これだけだから。」
ルシフェルの声が真面目なのに驚き、
琉來は抵抗を止めた。
そして二人はお互いの暖かさを感じながら眠りに落ちた。
―次の『仕事』が大きな変化をもたらすとも知らずに
~つづくー。