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結婚生活編 第八章 煙の向こうの均衡

河川敷は、炭の匂いと笑い声に満ちていた。

簡易テーブルの上には紙皿が並び、肉と野菜が無造作に置かれている。

秩序は最低限だが、不思議と破綻していない。


青山は火起こしを担当し、手際よく炭を組んでいる。

その隣で、息子の健太がうちわを振り、必要以上に煙を生んでいた。


「健太、あおぎすぎ」


青山の妻、里奈が笑い混じりに声をかける。


「だって早く焼きたいんだもん」


少し離れた場所で、優太は惹子と並び、野菜を洗っている。

水を弾くたび、服が濡れるが気にしていない。


居鴨は全体を見渡し、無意識に配置を整えそうになる。

だが今日は手を出さない。任せると決めている。


「居鴨、これ焼けそうだよ」


青山が声をかける。

指示ではなく、共有だ。


「じゃあ、そろそろ返します」


二人は視線を合わせ、余計な言葉は交わさない。

仕事とは違うが、呼吸は近い。


肉が焼ける音に、子どもたちが集まる。

優太と健太はどちらが早く取るかで一瞬睨み合い、すぐに笑いに変わる。


「仲いいな」


惹子が小さく言う。


「衝突しない距離だ」


居鴨はそう答え、自分でも意外に思う。

衝突を恐れず、調整を急がない。


煙が流れ、夕暮れが近づく。

紙皿の上の肉は均等ではないが、不満は出ない。


青山が缶を掲げる。


「こういうの、たまにはいいな」


里奈が頷き、惹子も笑う。

優太は口の周りを汚しながら、満足そうに頷いた。


居鴨は炭の赤を見つめる。

制御しすぎれば火は消え、放置すれば荒れる。

今日の距離感は、ちょうどよかった。


河川敷に残る煙の向こうで、家族と友人の輪郭が、穏やかに溶け合っていた。



帰りの車内には、炭と肉の匂いがまだ残っていた。

後部座席では優太と健太が並んで座り、シートベルトを弄りながら落ち着きなく揺れている。


「ピーマンが一番うまかった」


健太が先に言う。


「えーちがう。お肉」


優太は即座に反論する。


「どのお肉?」


惹子が運転席から問いかける。


「タレのやつ」


「それなら私も同意」


惹子が笑う。


「でも、青山さんが焼いてたソーセージ、火加減ちょうどよかった」


「そうそう。パリってした」


健太が身振りを交えて頷く。

優太は少し考え、悔しそうに唇を噛む。


「じゃあ、ソーセージが一番」


議論はあっさり収束する。

勝ち負けより、参加できたことが楽しいらしい。


信号で車が止まる。

ダッシュボードの小さなモニターでは、子ども向けのアニメが流れていた。


「あ、これ知ってる」


健太が前のめりになる。


「このロボット、最後しゃべるんだよ」


「え、しゃべらないよ」


優太が首を振る。


「しゃべるって。きのう見たもん」


「見てないでしょ」


再び小さな論争が始まる。


居鴨はバックミラー越しに二人を見る。

さっきまでの肉談義と同じ熱量で、どうでもいいことを真剣に争っている。


「どっちでもいいじゃない」


惹子が穏やかに言う。


「どっちも見たらわかる」


車は再び走り出す。

アニメの音声が、夜へ向かう車内を満たす。


居鴨はハンドルを握りながら思う。

結論のない会話も、悪くない。

今は、それを終わらせる必要がなかった。


住宅街の角でウインカーを出すと、車はゆっくりと減速した。

街灯の下に、青山の家が静かに浮かび上がる。


「今日は助かったよ」


青山がシートベルトを外しながら言う。


「こちらこそ」


居鴨は短く返す。余分な礼は要らない距離だ。


健太が笑顔で優太に語りかける。


「またやろうね」


「うん」


優太は即座に頷く。


里奈がドアを開ける前に、惹子が振り返る。


「今度はうちで」


「いいですね」


里奈は微笑み、軽く会釈する。


ドアが閉まり、家族三人の姿が歩道の灯りの中に溶けていく。

車が再び走り出すと、車内は一段静かになった。


家に着き、鍵を回す音が夜に小さく響く。

玄関に入った瞬間、昼間の熱気が嘘のように抜け落ちる。


優太は靴を脱ぎ散らかし、リビングへ駆け込む。


「まだ、おなかいっぱい」


「そりゃそうね」


惹子が笑いながら靴を揃える。


居鴨はソファに腰を下ろし、深く息を吐いた。

炭の匂いが、服の奥に残っている。洗えば消えるはずのものだが、今はそのままでいい。


テーブルの上には、持ち帰った紙皿と、使いかけのウェットティッシュ。

断片だけが、今日という一日を証明している。


居鴨は目を閉じる。

火の音。肉の焼ける匂い。子どもたちの声。

計画も評価も要らない時間が、ゆっくりと反芻される。


惹子が隣に座る。


「楽しかったね」


言葉はそれだけだ。

だが十分だった。


優太は床に転がり、眠気に抗いながら玩具を抱えている。

その姿を見て、居鴨は思う。今日の出来事は、思い出として保存する必要すらない。ただ、体に残っていればいい。


夜は静かに深まり、バーベキューの余韻は家族の呼吸に溶け込んでいった。


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