奇談散歩【59】 猫塚 有馬怪猫伝 ①
東京都港区三田、赤羽小学校に “ 有馬怪猫伝 ” の化け猫「玉」を祀った「猫塚」がある。
( 塚は小学校の中にあるので、見学を希望される方は事前に連絡をして、見学可能か御確認ください )
【 あらすじ 】
天明年間 ( 1781 ~ 89 )、筑後国は久留米藩の江戸上屋敷。
藩主の ※有馬中務候の酒宴中に、一匹の野犬が子猫を追いかけて庭から飛び込んできた。追われた子猫は殿の背後に難を避け、猛り狂った犬は、今にも飛び掛からん有様。
殿、危うし の その時、
奥方付きの侍女「関屋」が手水鉢の鉄柄杓で、犬の眉間を一撃、退治すると手早く骸を片付けた。
この関屋の働きに中務候はいたく感心され「褒美に何なりと所望せよ」と申し渡した。すると、関屋は「子猫を頂戴致したく存じます」と、飛び込んできた子猫の拝領を願い出る。
その無欲ぶりと優しさに心ひかれ、いつしか関屋は中務候の側妾となり、名も「お滝の方」と改めた。
美しく気立ての良いお滝の方は殿の覚えもめでたく寵愛されたが、そのことが他の側妾の妬みをかい、まして彼女は他藩の者であったため、久留米家 家中から上がった奥女中たちは、ことあるごとに彼女に辛くあたり、特に、老女 ( 女中頭 )「岩波」は、お滝の方を酷く苛んだ。
優しいお滝の方は、これに心を病み、ついには懐剣を自身の首に突き立て、血の海の中 事切れた。
お滝の方に仕えていた侍女「お仲」は、主人の仇を討つために老女「 岩波」に一矢報いんと、 機会を伺って老女中1人を討ち取り、老女の部屋に討ち入ったが、目指す岩波は薙刀の名手でやすやすとは討ち取れない。
あわや返り討ちか、
と、
その時、障子を突き破り子牛ほどもある化け物が現れ、岩波の喉に喰らい付き、噛み殺した。その化生は、お滝の方の愛猫「タマ」、猫もまた畜生ながら主人の仇を討たんと化け猫に変化していた。
お滝の方の自害、老女 岩波の怪死で、江戸有馬上屋敷の奥向きは上を下への大騒動となったが、その後も中務候の側妾や女中の不可解な死が相次いだ。
続く惨劇に多くの警護役が昼夜問わず屋敷を見回り、化け物を探索したが、その行方は杳として知れなかった。
そんな折、側妾の一人「お豊の方」が懐妊。
久しぶりの慶事に上屋敷は明るい雰囲気に包まれたが、お豊の方も化け物に襲われ赤児もろとも食い殺された。
そして、藩邸警護役の山村大膳が上屋敷を警戒中。
中庭を散策する中務候に、木陰から妖しい影が襲いかかった。大膳は木剣で化け物の眉間を一撃。化け物は「ぎゃっ」と化鳥のごとき鳴き声を残し、その姿は消え失せた。
屋敷に戻った大膳、
ふと見ると、老母の眉間に新しい傷が見える。
「転んだ」という話も、どこか腑に落ちない。
大膳は、よもや、まさかと思いつつも、中務候お抱え力士の小野川喜三郎に、母の身辺をそれとなく探るよう申しつけた。
すると程なく「火の見櫓に…」と宿直から知らせが、
大膳が駆け付けると、櫓の上から大膳の老母が牙を剥き、下から登る小野川を威嚇している。タマが変じた化け猫は、大膳の老母を喰い殺し、母に成り代わっていた。
山村大膳は力士小野川と力を合わせて正体を現した化け猫を追い詰め、ついに退治した。
『有馬怪猫伝』の舞台「旧久留米藩 江戸上屋敷」は、東京芝公園南側に位置する。この周辺、江戸時代には大名の江戸屋敷街であったが、今では赤羽小学校や東京済生会中央病院があり、往時の面影は薄い。
山村大膳が力士小野川と化け猫を退治する火の見櫓は、久留米藩が増上寺 ( 徳川家菩提寺 ) 守護の役目を負って造営され、当時の江戸上屋敷には4千人の藩士と家族・中間などが住んでいたという。
また、久留米藩邸に祀られている水天宮( 筑後川畔の久留米水天宮から分祀・蛎殻町にある水天宮の前身 )は、毎月5日に開門し庶民の参拝が許され、江戸中の子授け・安産祈願の善男善女が押し寄せた。その人気は凄まじく、安政年間( 1854年〜1860年 )には年間2000両もの賽銭が喜捨されたという。江戸っ子は有馬家の恩情に感謝して「情け有馬の水天宮」と地口で褒めたたえたとか、
※ 作中、有馬中務候のモデルは、第8代久留米藩主の頼貴と言われる。