第7話「天才の葛藤」
紗季は夜の病室で、母の額に乗せた冷却シートをそっと押さえていた。
弱々しい呼吸の合間に、母が笑う。
「ごめんね、紗季……あんたにはサッカー、続けてほしいのに」
「いいの。私の一番大事なのは、サッカーじゃなくてお母さんだから」
その言葉は強がりではなかった。紗季は中学時代、県選抜にも選ばれ、強豪・東峰学院からスカウトを受けていた。
だが、母の病状を考え、家から近い北野高校を選んだ。弱小サッカー部でも、母のそばにいられる方が大事だった。
地区予選二回戦を三日後に控えた放課後、紗季は竜司に頭を下げた。
「監督……すみません。明日からしばらく練習休ませてください。母の体調が……」
竜司は何も聞き返さなかった。ただ短く言った。
「家の用事が最優先だ。サッカーなんざ、いつでもできる」
その声に叱責も苛立ちもなく、ただ事実だけを告げる重みがあった。
試合当日。紗季の姿はベンチにない。
相手は技術こそ平凡だが、走力と根性で粘るタイプ。エース不在の北野は押し込まれた。
前半20分、GK美咲の好セーブで失点を免れるも、全員の顔に疲労が滲む。
ベンチから竜司が声を飛ばす。
「いいか、今日の仕事は一つ――“紗季がいなくても勝てる”って証明しろ!」
梨花はセンターバックながら前線にまで顔を出し何度も競り合いに勝ってポストプレーを、舞は中盤でパスコースを読み切ってカットを繰り返す。
新入部員の心愛はサイドを駆け上がり、クロスを放り込むが、ゴールは遠い。
後半残り10分、舞がインターセプトから縦に速いボールを出す。
梨花が走り込み、「カチコミだー!」と叫びながら魂のダイビングヘッドでゴール!
1-0。会場が沸き、竜司は笑みを浮かべた。
残り時間、相手は総攻撃を仕掛けてくる。
美咲が飛び出してシュートを弾き、梨花がカウンターを潰す。
そして試合終了の笛。
北野高校、辛くも勝利。
試合後、部員たちは肩で息をしながらも笑い合った。
「紗季がいなくても勝てた……!」
舞が呟くと、竜司は静かに頷いた。
「いいか、紗季が戻ってきたら、もっと強くなる。それがチームってもんだ」
その頃、病室のテレビでは試合結果のテロップが流れていた。
紗季は母の横で、スマホに届いた舞からのメッセージを見つめる。
《勝ったよ。アンタがいなくても、私らやれる。だから安心して戻ってこい》
画面が滲み、紗季は唇を噛んだ。
「……私、戻る。絶対に」
天才と呼ばれた少女は、改めてチームと戦う理由を胸に刻んだ。
次は、全員で――。