第3話「親分の奇行トレーニング」
朝の北野町。田んぼのあぜ道に女子高生たちの悲鳴が響き渡っていた。
「監督ー! これマジでやるんですかぁ!?」
「当たり前だ!」
軽トラの荷台から降ろされた巨大なトラックタイヤ。その中央にロープを通し、部員たちの腰へ括りつける。
竜司は腕を組んで言った。
「まずは田んぼダッシュだ。足腰鍛えりゃボールの取り合いも楽になる」
「いや、ぬかるんでるし……スパイクが泥まみれに……」と、GKの園田美咲が半泣きになる。
「泥は勲章だ。ほら、紗季、お前先頭走れ」
「……非効率すぎる」
そうぼやきながらも、紗季は一歩踏み出した瞬間、ズブリと足が沈んだ。
ズル、ズル――。泥と格闘しながら前に進む部員たち。
「ひぃー……!」と頭脳派のボランチの岸川舞が顔をしかめる横で、村瀬梨花だけがニヤリと笑っていた。
「こういうの嫌いじゃねぇな。ケンカの足場が悪いときの練習になる」
タイヤ引きが終わると、竜司はさらに口笛を吹いた。
奥から駆けてきたのは、黒光りする毛並みのドーベルマン二匹。
「ぎゃあああああ!!」
「心配すんな、ちゃんと躾けてある。ただしボールは容赦なく奪いに行く」
部員たちは一斉にボールをドリブルしながら逃げ出す。犬たちは嬉々として追いかけ、ドリブル中のボールを鼻先で突き飛ばす。
「わぁっ! 返せー!」と皆が必死に追うが、四足のスピードに勝てるわけもない。
竜司はサングラスを押し上げ、悠然と腕を組む。
「これが“奪われない感覚”を叩き込む特訓だ。犬に取られねぇなら、どんな敵選手にも取られねぇ」
さらに休憩もそこそこに、今度は倉庫から米袋を抱えてきた。
「一袋30キロだ。これを持ち上げてトラックに乗せろ。上半身も鍛える」
「監督、それ筋トレっていうか……農作業じゃ……」と紗季が呆れる。
「農作業をなめんな。農家の腕力は半端ねぇぞ」
午前中いっぱい続いた“極道式練習”に、部員たちは完全にぐったり。
グラウンドに戻る頃には、ユニフォームは泥と犬の毛と米粉でボロボロになっていた。
「はぁ……二度とやりたくない……」と舞が倒れ込む。
「親分、マジで鬼っすね……」と梨花が笑いながらも肩で息をしている。
「泣き言言っても無駄だ。試合で勝つためなら何でもやる。それが“組”だ」
そして数日後、練習試合の日。
竜司は試合前、部員たちを集めて低く告げた。
「今日は走れ。最後まで足を止めるな。泥の中でやったことを思い出せ」
笛が鳴る。
開始直後から北野高校はハイプレスで相手を押し込み続けた。走力とスタミナが以前とは段違いだ。相手が足を止めても、北野の選手たちはなお前に出る。
後半、相手のエースが突破を仕掛けた瞬間、紗季が後方から猛スプリントで追いつき、スライディングでボールを奪う。
「……あれ?」紗季は息がほとんど乱れていないことに気づいた。
試合後、スコアは惜しくも負けだったが、全員が最後まで走りきった。
岸川 舞が笑って言った。
「監督、あの練習……意外と効果あったみたいですね」
「言ったろ。泥と犬と米は裏切らねぇ」
紗季は黙って監督を見る。
“非効率”と思っていた練習が、確実に自分たちを変えている――そう気づき始めていた。