第1話「カチコミ練習、始動」
その日、久留米市北野町の田園道を、一台の軽トラが埃を巻き上げて走っていた。
ハンドルを握るのは九条竜司、三十五歳。元ヤクザ。組が解散して三か月、都会の喧騒から離れ、実家の農業を継いでいた。
平穏な日々……のはずだった。
「竜司、ちょっと北野高校行ってくれん?」
夕食後、母の和枝が唐突に言った。
「女子サッカー部の監督が急に倒れてねぇ。代わり探しとるんやけど、アンタ暇やろ?」
「俺、サッカー知らんぞ」
「大丈夫大丈夫、子どもらの面倒見るだけやけん」
翌日。
竜司はなぜかスーツ姿で北野高校のグラウンドに立っていた。
目の前にはジャージ姿の女子が10人。足りない。全員が彼を見てひそひそ声を漏らす。
「え……スーツの人じゃん」「なんか怖くない?」
「監督って言われて来たけど、あの人マジで監督?」
竜司は手をパンと打ち鳴らした。
「おう、まず自己紹介だ。九条竜司。今日からお前らの監督やる。サッカーの細かいルールは知らん」
一同、凍りつく。
「でもな――勝負の世界ってのは、どこも同じだ。大事なのは“シマ”だ」
「……シマ?」と、前列のショートカットの少女が眉をひそめる。
天野紗季。中学時代に県選抜まで行った天才ストライカーだ。
「そうだ。お前らのシマはこのフィールドだ。敵が踏み込んできたら――カチコミだ!」
「か、かちこみ……?」
「簡単に言うと、全員で突っかかってボールを取り返すってことだ。やられっぱなしじゃシマを奪われる」
紗季は呆れた表情でため息をついた。
「……監督、それってただのハイプレスじゃない?」
「はいぷれす? まあ呼び方はどうでもいい」
竜司はグラウンド中央に立つと、両手で陣形を指し示した。
「まず敵の動きを読め。近くに来たら一斉に囲む。息合わせろ。迷ったら声かけろ。“裏切り”は許さん」
試しに五対五のミニゲームを始める。
開始早々、竜司の「カチコミ行け!」の声で三人がボールホルダーに殺到。相手は慌ててパスミス。即シュート。ゴールネットが揺れる。
再開しても同じだ。敵陣でボールを奪い、ゴールへ直行。
普段は押し込まれっぱなしの部員たちが、今日はなぜか主導権を握っていた。
笛が鳴り、試合終了。息を切らせながらも部員たちは興奮気味に顔を見合わせる。
「なんか……今日、めっちゃボール取れた」
「これ、意外といけるんじゃ……」
紗季も内心驚いていた。単純で荒っぽい指示なのに、相手の心を折る速攻戦術になっている。
だが彼女は口を閉ざし、タオルで汗をぬぐった。
竜司は全員を集め、ニヤリと笑った。
「よし。今日からお前らはオレの“組”だ。フィールドはお前らのシマだ。裏切りは――許さねぇ」
部員全員が唖然。
その日から、北野高校女子サッカー部は“極道監督”のもとで走り出した。