3.ブーケとぬいぐるみ
「ご結婚おめでとうございます。本日お支度をお手伝いさせていただきますメイドのアザレアとリナリアでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「アビゲイルです。よろしくお願いしますね。……それで、えーと……どうして小声なのかしら?」
祭司の控室に入るとすぐに二人のメイドさんが迎えてくれたのだけど、二人とも何故か強張った顔で声を潜めて話しかけてきたので、私もつい釣られて小声で返してしまった。
「そ、それが……私たちもどうしたら良いのか困惑しておりまして……」
リナリアと紹介された年若い――もしかしたら私と同い年ぐらいの――メイドさんが困った顔で背後のソファを示す。そこには大きなぬいぐるみを抱えた子供が横になっていた。ぬいぐるみのふわふわした白い被毛に青いボタンの瞳が室内の灯りにキラリと光る。ぴんとした三角の耳は……犬? それとも狼かしら? 子供は光沢のあるクリーム色のフードを被っていて、ぬいぐるみの後頭部に顔を埋めているのでお顔どころか髪色もわからないけれど、身に纏う衣服には繊細な蔦模様の刺繍が施されていてかなり良いところのお子様なのが見て取れる。
「あら? こんなところで寝ちゃって……迷子かしら?」
「いえいえ! あちらの御方はセシル家の末のお坊ちゃまなのですが……その、非常に気難しい御方でして……お式の前に起こして差し上げたいのですが、旦那様のお許しなく接触してはならないと私共使用人は厳しく命じられておりますゆえ、お声をかけることができず……」
「まぁ、そうなの」
「奥様さえよろしければ、このままお支度をさせていただければと」
「私は構いませんよ。式が始まるまで寝かせておいてあげましょう」
私がそう答えると、二人は安堵した顔で深々と頭を下げた。二人に促されるまま鏡台の前に座ってなるべく音を立てないように化粧直しをする。髪をハーフアップに結い直してもらいながら、鏡に映る末弟くんの様子を伺っていたけれど一向に起きる気配はなかった。大丈夫かな? もしかして、具合が悪いのかしら?
セシル家の末弟くんといえば、確かうちのアンと同い歳だったはず。アーサーは私がねだらないと弟くんたちのことを話してくれないけれど、兄弟仲は悪くないんじゃないかなぁと私は思っている。だって、アーサーが弟たちのことを話す時は『無愛想』とか『生意気』とか『我儘』とか必ずひと言以上文句を添えるけれど、そういう時の彼はとても良いお兄ちゃんの顔をしているから。
そんなお兄ちゃんが『あいつは成人まで生きられないかもしれない』と語った横顔を、私は今も忘れられないでいる。
いつも自信と活力に満ち溢れて余裕そうな彼が、そんな風に弱音や諦念を滲ませたことなんてそれまで見たことはなかった。『俺にはどうすることもできない』と、その結果をもう受け入れているように見えたのが悲しくて。自分なりに心の整理をつけようとしている彼に、私はそれ以上何も言えなくて……。ただただ、彼の隣に寄り添って、彼がぽつぽつと話してくれる弟くんたちの思い出話に耳を傾けていた。
末弟くんの写真を見せてもらったのも、その時だったと思う。
さらさらの白金の髪に少し影を帯びたエメラルドの瞳が印象的なアーサーの小さい頃によく似た面差しの男の子が写っていた。病弱と聞いていた通り、顔は蒼白くて目の下にうっすらクマがあって儚げで……確かお名前は……。
「――ルーくん? だったかしら?」
思ったことがすぐ声に出ちゃうなんて! と反省しても遅い。そんなに大きな声ではなかったけれど、静かな部屋の中で私の声は思いの外大きく響いてしまって――ぴくり。とぬいぐるみが身動ぎした。
「……うう」
小さなうめき声を発しながら、ぬいぐるみがのそりと起き上がる――背後に男の子をくっ付けたまま。
アザレアとリナリアは私の隣で直立不動で固まって、助けを求める目で私を見つめてくる。確かに、声を出しちゃった私が悪いけど……ううん、仕方ない。私はソファに座る彼の前に膝を着いて、ぬいぐるみの後ろに隠れたお顔を下から見上げた。
「おはよう。この時間なら、こんばんは。の方が正しいかしら? 私はアビゲイルよ。貴方のお兄様の……つ、妻、です」
真新しい肩書きに照れてしまうのだけど、私、妻よね? 妻って名乗って良いのよね?
私の自信無さげな自己紹介に、ぬいぐるみの向こうから半分だけ顔を出したルーくんは重そうな瞼でゆっくりと瞬きを繰り返す。焦点の定まらないとろんとした眼でしばらく私の顔を眺めると、了承の返事なのか小さく唸って、またぬいぐるみの後頭部に顔を埋めてしまった。
「アビーお姉ちゃんって呼んでね」
「……」
返事はしてくれなかったけれど、今のところ特段気難しさは感じない。そんな事より、写真で見たよりも顔色が悪くて眼の下のクマも酷い。ぬいぐるみを抱く腕は細く、同い歳のアンと比べて随分小柄で細身なことが心配になってしまう。この子、食事や睡眠はちゃんと摂れているのかしら?
妹たちなら頭やほっぺたをわしゃわしゃしたくなっちゃうんだけど、流石に初対面の男の子にそれはマズイと思って、彼が抱きしめているぬいぐるみと握手しようとしたら、ペシっと手を叩かれてしまった。あらら。触って欲しくないみたい。背後でメイドさんたちが慌てているのを感じて、申し訳ない気持ちになる。
「その子……あなたの大事な子なのね。勝手に触ろうとしてごめんね。……お詫びにお花を受け取ってくれるかしら? 知ってる? 花嫁のブーケを受け取った人はね、次の主役になるの。好きな人と幸せになれるのよ」
リナリアに「余っているリボンをいただいて良いかしら?」と尋ねれば、真っ白なレースのリボンを切り分けてくれた。ブーケの中からピンク色の薔薇を一本抜き出して、茎にリボンを結ぶ。幸いあらかじめ棘は全て落としてあったので、このまま渡せそうだ。
「はい。どうぞ」
私が薔薇を差し出すと、ぬいぐるみの後ろから小さな手が伸びてきた。ルーくんは器用にぬいぐるみの前足を動かして薔薇を持たせる。やっとぬいぐるみの後ろから顔を出してくれた彼の唇はゆるく弧を描いていた。
女の勘とでもいうのかしら? ただのもふもふの友達だと思っていたけれど、もしかして……。
「その子にあげるの?」
私の問いに、ルーくんはこくっと頷いてぬいぐるみのふわふわのお腹を抱き寄せる。ぬいぐるみの後頭部に頬ずりする様はまるで母に甘える仔犬みたいで可愛いらしい。
「ふふっあなたは優しい良い子ね。自分じゃなくて、彼女が幸せになれるようにお花をあげるのね」
その時、初めて彼と本当に眼が合った気がした。アーサーのものよりも深い緑の瞳は穏やかで、だけどどこか悲しげな色をしている。その悲しみがどこから来るものなのか、私にはわからないけれど。
「そんな良い子には、お姉ちゃんが大サービスしちゃうわよ!」
私は立ち上がると、二の腕まで覆うレースの手袋を外して、ドレスのポケットの中を探った。いくつか作った中に、良いのが合ったはず。あれでもないこれでもないと、じゃらじゃらと魔石を取り出した私を、ルーくんとメイドさんたちが眼をまあるくして見ている。まぁ、普通はウェディングドレスにポケットは付けないし、魔石を隠したりもしないもんね。
あとは何か金属があれば……と更にポケットの中を探ると、懐中時計の金の鎖が指先に触れた。これは……でも、鎖だけなら……うん。そうしよう!
「アーサーには内緒にしてね!」
言うが早いか、私は指先に魔力を集め、鎖の端を千切る。一度丸めてから花の萼と茎のような形に成形し、萼にピンクサファイアで作った魔石をはめ込んだ。レースのリボンを長めに貰ってぬいぐるみの首に巻き、蝶々結びにして真ん中に今作ったばかりの金のブローチを付ける。ルーくんと彼女を傷つけないようにブローチは針ではなく、差し込んで留めるヘアピンのように成形しておいた。仕上げに、魔石を起動して完成だ。
「どう? 可愛い?」
「…………うん」
ルーくんが初めてお返事してくれたけれど、喜んではいられなかった。彼の眼からほろりと涙が零れるところを見てしまったから。
「ど、どうしたの? 嫌だった?」
狼狽える私にルーくんは小さく首を横に振る。
「……ちがう。嫌じゃ、ない。……あったかいから。ここに、いるみたいで」
魔石に仕込んだのは、温石のように温かくなるだけの初歩的な火魔法である。薔薇を渡した時、ほんの僅かに触れた彼の手が異様に冷たいのが気になったのだ。シュセイルの冬はまだまだ長いし、冷えは万病のもとと言うし。彼女といつも一緒なら、彼女をあったかくしちゃえばルーくんもあったかくなるかな? って。嫌じゃないって言ってくれたから、作戦成功ってことで良いよね。我ながら良い仕事したなーなんて笑ってたら……。
「ルー。そういう時は何て言うんだ?」
ほっとしたのもつかの間、背後からかかった聞き慣れた声に、私はひゃっと飛び跳ねた。背中に嫌な汗をかいている気がする。今の見られちゃったかしら? 大事な懐中時計の鎖を千切り、可愛がってる弟くんを泣かせてしまうなんて流石に怒られるかも。
「ありがとう」
「どっ、どういたしまして」
「ちゃんと言えて偉いな」
弟を褒めてるだけなのに、何も言わずに鎖を引き千切った誰かさんとは大違いだ。と言われてるみたいで居た堪れない。私の隣に来て肩を抱く横顔を恐る恐る見上げれば、思った通り、いつもの意地悪そうな笑みに迎えられた。
「いつから見てたの?」
「『アーサーには内緒にしてね!』ってところからだ」
ほぼ最初からじゃないの!
「見てたなら止めてくれればよかったのに……いいえ。勝手にやった私が悪いわね。ごめんなさい。使った分の金の鎖は後でお返しするわ」
「それは別に構わないよ。必要な時に使えばいい。……俺はただ、油断も隙もないなと思っただけだ」
「えぇー?」
私の肩にあった彼の手はいつの間にか腰に移動していて、視線を逸らす私を身体ごと自分の方に向ける。
「ところで、俺はまだ君の感想を聞いていないんだが」
花婿の白い衣装をまとったアーサーは、おとぎ話の王子様そのもので、素敵過ぎて直視できない。わかっているくせに、本当に意地悪ね!
視界の隅で、空気を読んだメイドさんとルーくんが音もなく部屋を出ていく。待って! 二人きりにしないで!
「あ、あらー。私だって、あなたの感想聞いてないわよ?」
「そうだったか? それは失礼した」
綺麗だよ。俺の赤い月女神。
耳元で囁く声の甘さに、私は今度こそ失神するかと思った。
アビゲイル「ここに画家を呼んでちょうだい!!(直視できないから後でじっくり見たい)」
アーサー「やめてくれ」




