2.今度は殴ろうとしないでくれよ?
先に馬車を降りた彼が、当然のように手を差し出してくれる。学院を卒業してから二人で出かけたことなんてなかったから、こんな風に貴婦人として扱われると戸惑ってしまう。気後れして彼の手を取れない私に焦れたアーサーは、私を抱え上げて馬車から降ろした。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。お望みとあらば、このままお運びしましょうか?」
「いい! いいです! 大丈夫! 自分で歩きます!」
「遠慮するな。暴れないでしっかり掴まってくれ」
アーサーが私を抱いたまま歩き出したので、私は慌てて彼の首に腕を回してしがみ付いた。貴族の馬車から結婚式から逃げてきたみたいな二人が降りてきたら、目立つに決まっている。しかもお姫様抱っこで運ばれるなんて! 小さい頃からの憧れではあったけれど、実際にされると結構恥ずかしい。照れを覚られないように綺麗な夫の横顔から目を背けて周囲を見回してみると、連れて来られた場所はモルヴァナの街の郊外にある礼拝堂だった。
針葉樹の林の中にぽつんと建つ白い木造の建物で、白木の壁に嵌め込まれたステンドグラスから明るい光が漏れていた。エントランスに入るとほんのり暖かい。壁も床も扉も柱も、礼拝に訪れた人たちが座る長椅子も、全て木でできていて温もりを感じる。正面には祭壇があり、その向こうには番の狼神の彫像が寄り添っていた。狼を祀っているってことは、ここは月神に祈りを捧げるための礼拝堂みたい。
――こぢんまりした素敵な礼拝堂だけれど、どうしてここに?
声に出さなくても私の疑問が伝わったのか、アーサーは目線を天井に向ける。私も彼に倣って天井を見上げると、そこには太陽を撃ち落さんと弓を引く黒翼の女神――月女神ルーネと、動物たちに囲まれ梨型の弦楽器を奏でる男神――月神セシェルの神話の一幕が描かれていた。
「セシル家をはじめ、オクシタニアの住民は皆、月の夫婦神を信仰している。セシル家の者の結婚式はオクシタニアの森の中にある月神殿で行う慣わしだが、俺はセシル家を出た身だからな。とはいえ、俺にはセシルの血が流れているし、この歳まで月神の加護を受けて生きてきた。結婚するなら月神にも祝福して貰わないとと思ってね」
頼るべき時に頼らず、拗ねられると面倒だからな。と私の耳元で不遜な言葉を添えながらアーサーは意地悪そうににやりと笑う。私の守護神である火神様は身も心もマッチョで豪快な神様なので、神様が拗ねるなんて私には想像もできないけれど、いただいた加護に対して筋を通すのは大事なことよと頷いておく。なんだかんだと言いつつも月神様を大事にしているというのはわかったけれど……。
「結婚に際して祝福をいただくってことは……その……もう一度結婚式をするってこと?」
「誓いのキスを拒まれてしまったからな」
「そ、それは貴方が変装してたから……!」
「俺を愛している君なら、すぐに気づいてくれると思ったんだがなぁ」
ため息混じりに言われてしまえば、返す言葉が見つからない。私の愛への信頼が厚過ぎる!
「うぅ〜〜……わかったわ! やり直しましょ!」
結婚式のやり直しなんて太陽神様には申し訳ないけれど、ケチがついたままではいられないのは私も同じ。祝福はいくらあってもいいもんね! 月神様の祝福を受ける結婚式なんて滅多に経験できないことだし!
「君ならそう言ってくれると思ってたよ」
覚悟を決めた私に、アーサーはしたり顔で頷く。自分の意思で決めたはずなのに、彼の手のひらの上でころころ転がされてる気がするのは気のせいかしら?
「中にメイドが居るから、式用に身を整えておいで」
普段は司祭が使う控室の前でようやく私を降ろすと、アーサーは寝癖のついたままの私の髪に口づけを落とした。やや吊り目がちの色っぽい眦をすうっと笑みに細めて囁くのは、私を翻弄する悪い男の甘い声。
「今度は殴ろうとしないでくれよ?」
「うっ……」
殴ろうとしてたのバレてた……。
結婚式の前に結婚相手が貴方だってわかってたらそんなことしなかったんだからね! と弁解したくても、口にしたらまた『俺を愛してるんじゃなかったのか?』って被害者みたいな顔をするのが目に見えてる。言い返せなくて悔しげに唸る私を残して、アーサーは控え室から出ていった。
◇◇◇
あれでバレてないと思っていたのだろうか?
結構強めの殺意を込めた眼でブーケを大きく振りかぶっていたのに?
悔しそうに奥歯を噛み締めるアビゲイルの顔を思い出すと、つい頬が緩んでしまう。しばらくはこのネタで揶揄えるだろう。俺の妻は渋い顔をしていても可愛い。
アビゲイルが居る司祭の控室から礼拝堂を挟んだ反対側、領主家のための控室には俺の執事兼護衛のハリスが衣装を手に待っていた。その両隣には騎士の制服姿のカトルとスヴェンが控えて、恭しく頭を下げる。
シワを伸ばして身なりを整えれば別に着替えなくてもいいのだが、ここでの結婚式はフルーリア伯爵としてではなく、アーサーとして行うものだ。アビゲイルにはフルーリア伯爵に変装した俺ではなくて、この俺の姿を記憶に残して欲しい。嫌な思い出を上書きするには、アビゲイルの王子様らしく着飾るのが一番だろう。
ハリスとカトルに世話をされながら着替え終えて、髪を整えているところへ今回のゲストたちがやってきた。
「鼻唄なんていいご身分だな」
「兄貴が白い服着てると変な感じだ……」
恨めしげな声に振り返ると、礼服に身を包んだデニスとヴェイグの姿があった。
「ご挨拶だな。兄の門出を祝ってくれないのか?」
「何が門出だ。学院にいた時と大して変わらないだろうが」
デニスはこの春、俺と同じ王国立大学に進学する。学部も学年も生活リズムも違うが、俺が首都での拠点としているセシル家のタウンハウスで共に過ごすことになるので、デニスの言う通り今後も何かと顔を合わせることになるだろう。
後でアビゲイルに紹介しないといけないが、流石は俺の弟、こいつもまあまあ顔が良い。美形の弟が増えればアビゲイルも喜ぶだろうが、妹たちを思い出して里心を付かされては困る。なるべく接触させたくないのだが……。
「お前が呼んだくせに、なんて顔してやがる」
おっと、顔に出てしまったらしい。デニスの舌打ちに我に返る。浮かれてるのか、顔が緩み過ぎだな。
「なんてことを言うんだ。お兄ちゃんの結婚を祝いたいだろうと思って呼んでやったのに」
「俺たちよりも先に両親を呼ぶべきだろう」
「太陽神殿での結婚式には呼んだぞ」
俺は変装していたし、式の終わり間際だったけどな。と、胸の内で付け加えておく。
「ところで、あいつは? ルーも来てくれたのか?」
「ああ。もう礼拝堂に居るよ。準備万端だ」
俺の問いには、「母上が嘆く姿が目に浮かぶ」と嘆息するデニスに代わってヴェイグが答えた。
心身共に不安定な末の弟を父の許可なく森の外に連れ出すのは禁じられていたが、父の他に月神の祭司として儀式を行える者がルーしかいなかった。最悪、祭司無しでも良いかと考えていたが、本人がやる気を見せたというから駄目元で招待したのだ。まさか本当に来てくれるとは思わなかったが。
「俺は先に礼拝堂に行ってるよ。あいつが逃げないか見張っておく」
「ああ、頼む」
あいつには前科があるからな。まぁ、そのお陰で俺はアビゲイルを見初めたのだが。
ヴェイグが控室を出ていくと、支度を終えた護衛たちも退出する。後に残ったのは、俺とデニスだった。
「どうした? まだ祝い足りないか?」
お兄ちゃんがハグしてやろうか? と両腕を広げて見せたが、「やめろ気色悪い」とすげなく断られてしまった。失礼な奴である。
「父上から、これを預かっている」
そう言ってデニスが取り出したのは、帽子が入りそうな大きさの円筒の箱。蓋を開けてみれば、そこには月光花を模した銀色の冠が入っていた。これは、月神殿での結婚式で花嫁に贈られるもの。――セシル家の嫁となった証である。
「ガードナーの後処理を全て押し付けて、父上を出し抜いた気でいるようだが、父上は全てお見通しのようだぞ」
「……」
今更こんなものを送りつけてくるなんて、どういうつもりだ? アビゲイルの目に入る前に、踏み砕いてやろうか。投げ捨てようとした俺の手をデニスが止める。
「これは義姉上に必要なものだろう?」
掴んだ手は強く、いつになく真剣な眼差しだった。
――できることなら、月光花の花冠を彼女の髪に飾りたかった。君は望まれて花嫁になるのだと示したかった。それがこんな形で叶うなど、俺は望んではいなかった。
だが、アビゲイルはずっと引け目を感じている。自分がセシル家の嫁として認められなかったこと、結婚するために俺がセシル家を出たことを。
この花冠が父からの贈り物だと知ったら、きっと彼女は素直に受け入れるだろう。父と俺の和解の兆しとして。
「ふん……アビゲイルの嫁入りを拒否し、傷つけたことには変わりない」
愛する妻を傷つける者に対してセシルの男がどう反応するのか、同じセシルの男ならば父も理解しているはずだ。その上でこんな贈り物をしてきたとすれば、俺の度量を試しているとしか思えない。ここで俺が拒めば相手の思う壺だ。――本当に厄介なクソ親父め。
箱をテーブルに置き、花冠を取り出す。精巧に作られた銀の花に真珠とダイヤモンドの露が散りばめられている。入手した経緯は気に入らないが、彼女の赤毛に美しく映えるだろう。
「だが、俺の妻は寛大だからな。妻が許したら……いつかはロシュフォールに招こうと思っている」
「……そう言っていたと伝えても?」
「好きにしろ」
緑が蘇り、在りし日の姿を取り戻したロシュフォールへ。それは、そう遠くない未来の話だ。




