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月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊世月
幕間

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30/33

閑話③ 義兄予定(以下「甲」という。)と義妹予定(以下「乙」という。)は、次のとおり秘密保持契約(以下「本契約」という。)を締結する。

「これは契約結婚だ。俺が君を愛することはない」


 努めて冷たく言い放った声が、旧生物学教室の壁に染み渡っていく。眼前の床の上にぺたりと座り込んだ少女は震えながら潤んだ眼で俺を見上げる。――ただし、恐ろしい速さで鉛筆を動かしながら。


「あああああ〜最っ高です! アーサー様〜!! 今のをもう一度! 今度はもっとゴミを見るような眼で仰っていただけると大変捗りますぅ!!」


 ゴミを見るような眼で見てくださいなんて生まれて初めて言われたが、それで喜ばれるのはなんだか複雑な気分である。ルイーズの黄色い悲鳴にずきずきと痛むこめかみを押さえながらため息を吐くと、当のルイーズは鼻息荒く、ふひひと淑女に在るまじき笑い声を溢しながらにじり寄ってくる。

 気色が悪い。アビーの妹じゃなかったら窓から投げ捨てていたところだ。


「ああー良いですね良いですね! その憂いに満ちたお顔……はぁ……何をしても絵になるって素晴らしい」


 今まさに俺の姿を絵に描きおこしながらルイーズはうっとりとため息を吐いた。一応、褒められているようだが、反応がいちいち大袈裟でどこまで本気なのかわからない。わかりたくもないが……。


「ルイーズ。確認だが、本当にアビーが見たいって言っているんだな?」

「はい! もちろんです!」


 相変わらずシャカシャカと凄まじい速さで鉛筆を動かしながらルイーズは答える。


「……俺が『君を愛することはない』と言うところを?」

「はい! この小説に出てくるイケメン俺様ヒーローのセリフなんですけど『アーサー様なら言いそうだし、似合いそう〜』って言ってました!」


 そう言って見せられたのは『初夜に「君を愛することはない」と言った俺様な旦那が別れたくないと泣きついてきますが私はもう戻りません』というタイトルの小説である。表紙に描かれた男は金髪に緑の瞳をしていて、まぁ……うん。似てないこともない。

 しかし、なんでそんな小説が流行っているんだ。新婚初夜に妻にそんなセリフを吐くくせに、のちに絆されて撤回するなんてその〝イケメン俺様ヒーロー〟とやらは馬鹿なのか? 俺に似合いそう〜って、俺が言うわけないだろ? 新婚初夜だぞ? めちゃくちゃ愛すわ。

 ツッコミたいことは山のようにあったが、アビーにとって俺は一応イケメン枠に居るらしいという事実だけを拾ってぐっと飲み込んだ。


「そ、そうか……なら良いが……」

「『私、初夜でこんなこと言われたら泣いちゃうわ〜。こんな夫、絶対許さない』って言ってました!」


 だめじゃないか。


「おい。スケッチブックを取り上げろ」


 背後に控えるカトルに命じると、カトルは笑いを堪えているのか頬をぴくぴくさせながらルイーズからスケッチブックを奪い取った。


「いやあああー! 待ってくださぁい!! お姉様が見たいって言ってたのは本当なんですー!」

「お前……アビーが見たいと言えば俺がなんでもやると思うなよ?」

「でも総領様、なんだかんだ言いつつ結構ルイーズ嬢のリクエスト聞いてますよね」


 完全に他人事のように笑って言うカトルは、俺の苦労を知れば良いと思う。


「……ルイーズ。カトルがモデルをしてくれるそうだ。脱がしてもいいぞ」

「ちょ、なんてこと言うんですか! 僕を売るんですか!?」

「ありがとうございますカトル様! 私、そろそろ筋肉が描きたいなーと思ってて」

「うわー! ちょっと、どこ触ってんですかー!」


 ルイーズに襲われるカトルを無視して、俺はスケッチブックを開いた。




 ◇◇◇




 ルイーズとの奇妙な縁は、去年の冬に遡る。

 こそこそ隠れて俺を描いていたルイーズを、ヴェイグとカトルが捕えたのが始まりだった。


 旧生物学教室の床に制圧されていたルイーズは、その時はまだ照れくさそうに愛想笑いを浮かべていた。しかし、ルイーズの持ち物から使い古された小さなナイフが出てくると、状況は一変する。


「ルイーズ嬢。このナイフはなんですか? これで、アーサー様を害そうと?」

「ち、違います!」


 刃物を持った女が伯爵家の嫡子をつけ回していたとなれば、笑って済ませることはできない。カトルとヴェイグは殺気立ってルイーズに詰め寄った。騎士見習いとはいえ身体の大きな男二人に敵意を向けられて普通なら怯えて何も言えなさそうだが、そこはあのアビゲイルの妹。肝が据わっていた。


「それは、鉛筆を削るためのナイフですー! 害したりなんてしません! 美男は世界の宝ですよぉ!!」


 ヴェイグに腕を拘束されているため、死にかけのエビのような動きでびたんびたんと床を跳ねながら意味不明な主張をするルイーズ。あまりの奇怪さに引いた二人の腕をすり抜けて、ルイーズは俺の前に正座して深々と頭を下げた。


「ルイーズ・オーヴェルと申します。アーサー様におかれましては、姉が大変お世話になっております」

「ああ、うん」


 目的のわからない変質者ほど恐ろしいものはない。俺がやや引き気味で答えると、ルイーズは床に散らばった荷物の中からスケッチブックを取り出して捧げ持つ。カトルが受け取って中を検めると、そう間をおかず「おおー」と感嘆の声が漏れた。危険がないことを充分に確認した後、ようやく俺の手元に回ってきたそれをぱらぱらとめくる。

 ルイーズの絵は鉛筆一本でよくぞここまでと思うほど上手かったが、何枚も描かれた自分の姿に居た堪れなくなってきた。特に、アビーをエスコートしている自分の絵姿は見ていられない。俺はこんな締まりのない顔をしていたのだろうか?

 俺の背後から覗き込んでいたヴェイグも感心したようで。


「すげぇな。これ全部お前が描いたのか?」

「はい。勝手に描いて申し訳ありません……最初はお姉様をモデルに描いていたんですけど、男性が描きたくなって……。うちは四姉妹と男の子ひとりで、男性はハゲぽちゃのお父様か幼児しか居ないので、モデルに適した殿方が居なくて……」

「それで、兄貴をモデルに?」

「はい……アーサー様がお姉様と一緒にいらっしゃるところを描いたら、お姉様がすごく喜んでくれたので」

「……ほう? アビーが、ね」


 興味を持った俺に、何を勘違いしたかルイーズは震え上がってまた床に額を付いた。


「お姉様は何も悪くありません! 全て私の責任です! 調子に乗ってすみませんでした! そのスケッチブックは差し上げますので煮るなり焼くなりしてください! …………あ、でも半分から後ろのお姉様の絵は返していただけると……嬉しいです」


 アビゲイルの絵もあるのかと、スケッチブックの半分から後ろのページを捲ってみると、そこには普段の彼女からは想像もつかないリラックスした姿があった。

 イライザの髪を編んでいる姿。ソファにうつ伏せで横になる姿。魔石を磨いている姿。ボールと泡立て器を持って何かを作っている姿。有名な絵画の真似をして、一輪の花を手にこちらを振り返って笑う姿。――どれも俺の知らない素の姿だ。


「これは……?」


 更にページを捲っていくと、気になる絵があった。たっぷりとしたドレープの美しい古代風の衣装に、オーヴェル家ではお眼にかかれそうにない高そうな宝飾品を纏い、火の灯る燭台を持った姿。床に膝を付いたまま腰を浮かしてスケッチブックを覗き込んだルイーズは「ああ」と声を上げた。


「これは去年の奉火神祭の時のお姉様ですね。毎年夏にマティス侯爵領にある火神殿で行われる祭典なんですけど、普段はマティス侯爵家縁のご婦人が巫女を務められるのですが、去年は体調を崩されていたそうで」


 ルイーズの話によると、幼い頃に火神殿で洗礼を受けたアビゲイルは、火神の寵愛とも言える見事な赤毛とその火魔力の強さに、神官たちから火神の巫女にならないかとしつこく勧誘を受けたそうだ。

 巫女は純潔でなければならない。俺と結婚させたいアビゲイルの母親が断固反対して連れ帰ったため、アビゲイルがその生涯を火神に捧げる道は無くなったのだが、去年アビゲイルの元に祭の間だけで良いから巫女になってくれと要請が来たそうな。マティス侯爵家から謝礼も出ると聞いて、アビゲイルは二つ返事で引き受けたらしい。


 思い返せば去年の夏、十日間ほどアビゲイルが学院を出ていた時期がある。念の為、俺の護衛のひとりを付けたのだが、火属性の者しか入れない強力な結界が張られていたため、神殿には入れなかったと報告が来ていた。帰ってきたアビゲイルに特に変化は見られなかったので、あまり重要視してはいなかったが。


「お姉様と比べたら竜とミミズぐらいの差がありますけど、私も弱いですが一応火属性を持っているので、祭典に参加できたんです」


 と、ルイーズは三つ編みにした自分の髪を掴んで指差す。俺の眼には灰色にしか見えなかったが、ヴェイグ曰くルイーズはピンクブラウンの髪をしているらしい。赤毛と言えるかは微妙なぐらいの色味だそうだが。


「行事の間の待ち時間は暇でしたし、巫女専用の豪華な宝飾品を身につけられる機会なんて無いですから、着飾ったお姉様をたくさん描かせていただいたんです」


 なるほど。アビーのことだ、謝礼よりも巫女の宝飾品に惹かれたのだろう。火神は職人の守護神でもあるので、巫女の宝飾品は火属性持ちの職人が丹精込めて作り上げた逸品に違いない。美術館級の宝飾品を間近で見て身につけられるなんて喜んだことだろう。俺もその場合に居合わせたかった。

 ぱたんとスケッチブックを閉じて、俺の前で正座したままのルイーズを見やれば、ルイーズはびくりと背筋を伸ばした。


「スケッチブックは返してやる」

「あ、ありがとうございます!!」

「言い値で買おう」

「え」

「即金で用意できるのは金貨……」

「えー!? ちょっと待ってください! 売れませんよ!」

「なぜだ」

「素人が練習で描いたものですし……ちゃんとしたプロの画家が描いたものの方が……」


 もごもごと言い訳を並べるルイーズに苛立ちが募る。ナイトドレスでだらしなく寝そべるアビーの姿や、薄い巫女装束のアビーなんて他の人間の眼に触れさせたくないだろうが。


「俺は売ってくれと頼んでいるんじゃない。買うと言っているんだ。お前の意見は聞いていない」

「そ、そんなぁ」


 視界の端で、カトルとヴェイグが頭を抱えているが知ったことか。

 俺はルイーズに嫉妬している。ルイーズの描いたアビゲイルの笑顔があまりにも可愛いから。妹の前ではこんな風に笑うなんて知らなかった。

 優しい姉の顔をしたアビゲイル。

 妹たちの前で飾らない姿のアビゲイル。

 火神の愛し子として巫女を務めるアビゲイル。

 俺の知らないアビゲイルが存在するなんて許せない。全部、全部、俺のものにしなければ気がすまない。手に入れるためならなんでもしよう。金なんて惜しくない。


 しばらく唸って悩んでいたルイーズだが、俺が引かないと知ると何かを決意した顔で「はい!」と手を挙げた。


「でしたら、提案があります!」

「なんだ。言ってみろ」

「えっと、やっぱりお売りすることはできません。ですので、金銭以外の対価をいただいてお譲りできればと」

「ほう? 面白い。俺に何を要求する?」


 これ以上ごねるようなら、肖像権で訴えてやろうかなんて考えていたのだが、ルイーズは三度俺の前に額を付いた。


「アーサー様にモデルになっていただきたいと存じます!」

「………………は? そんなことで良いのか?」

「アーサー様のような美男子なら何枚でも描かせていただきたいですし……見せるとお姉様もお喜びになるので」

「いいだろう」

「おい兄貴」

「本気ですか総領様」


 それまで黙って成り行きを見守っていたヴェイグとカトルが口を挟むが、俺の意思は変わらない。


「アビーが喜ぶなら……仕方ないだろう」


 呆れたように天を仰ぐ二人の陰で、ルイーズは痺れた足に悶絶しながら拳を高く突き上げていた。




 ◇◇◇




「ところでルイーズ。例の情報は掴んできたんだろうな?」


 カトルのブレザーを脱がそうと奮闘していたルイーズは、はっと息を飲む。名残惜しそうにブレザーから手を離すと、自分のバッグの中を漁り始めた。取り上げたものとは別のスケッチブックを取り出すと、中に挟んでいた絵を「お納めください」と俺の前に差し出す。


「デザインはこれが一番好きって仰ってました! かわいい感じのデザインとか、ゴテゴテひらひらしたのはあんまりお好きじゃないみたいです」

「そうか。アビーらしいな。ではこのデザインで作らせる」


 どうせ描くなら二割り増し美しく描くこと。俺とアビゲイルが二人で居る時は、描いても良いが近づかないこと。アビゲイルの絵は全て俺が買い取ること。俺が知りたい情報をアビゲイルから聞き出してくること。それらを条件に、俺はルイーズのモデルになることを了承した。

 今回は建国祭の舞踏会用のドレスを贈ると言ったのだが、アビゲイルが固辞するのでルイーズに希望を聞き出してもらったのだ。俺には何もねだってくれないくせに、妹の前では希望を口にするなんて気に入らないが、好みを聞き出せたので良しとしてやろう。


「ドレスの色はどうされますか? やっぱりアーサー様のお色に合わせて、シャンパンゴールドとか?」

「採用」

「わぁい! お姉様にお薦めしておきますね!」


 最初は奇怪なエビ女だと思っていたが、なかなか使えるようになってきたな。お義兄様呼びを許可する日も近いかもしれない。




 その後、『ルイーズったら、アーサーのことばかり描いているけど、もしかして好きなのかしら?』などとアビゲイルが勘違いするというハプニングがあったり、俺とアビゲイルの婚約破棄騒動があったりもしたが、ルイーズとの奇妙な縁は俺の卒業まで続いたのだった。

ルイーズ「ちなみに、婚約破棄する殿方はどうですか?」

アビゲイル「嫌よそんな人」

ルイーズ「で、ですよねー……(アーサー様早くよりを戻してくださぁい!!)」




※途中で出てきた小説は、架空のものであり存在しません。検索かけて同タイトルの小説が存在しないのを確認しておりますが、問題があったら変更いたします。

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