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月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊世月
幕間

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閑話② 敏腕護衛デイジーの記録♡

 私の主となるアーサー様に初めてお会いしたのは八歳の頃のこと。月神を祀る祭典でのことである。祭司を務める伯爵様のお手伝いをしているアーサー様を遠目から見た時は、こんなにキラキラしたキレイな御方にお仕えできるのか! とワクワクした。

 見た目はとんでもない美男子だし、なんと言っても我ら森の獣人にとって王族にも等しいセシル伯爵家の嫡男である。是非とも仲良くなりたい。そしてあわよくば主従以上の関係になれたらいいなーなんて淡い期待もしちゃう。……今なら『絶対無いわー』と思うけど。あの頃は私も若かったのだ。


 アーサー様は月神の血を引く月狼一族の嫡子で、セシル伯爵家の総領となる御方。眉目秀麗で頭脳明晰。まだ幼いにもかかわらず伯爵様から直々に領地経営を学ぶ将来有望な貴公子……と言うのが世間一般の評価で、私もそれを信じてた。

 だから、『シファー家のデイジーです! 立派な護衛になれるよう頑張ります! よろしくお願いします!』と差し出した手を鬱陶しそうに払われた挙句、汚いものを触ったとばかりに目の前で手を拭われた時はショックで呆然としてしまった。


 綺麗な貴公子様の真のお顔は、貴族らしい傲慢で底意地の悪い嫌なやつ。狼以外は獣にあらずみたいな血統主義で他者を見下し、家族以外の他人に触れるのも触れられるのもよしとしなかった。そんなのつゆとも知らずに勝手に期待して、いきなり手を握ってしまった私が悪いとはいえ、いたいけな女の子にしていい態度じゃない。

 以来、私の中でアーサー様はいつかギャフンと言わせてやりたいやつリストの第一位となったのだった。


 最悪の初対面から、一時は護衛になるのをやめようかなーなんて考えたりもしたけれど、セシル家総領様の護衛という地位と名声とお給料の魅力には勝てなかった。双子の弟のカトルと一緒に、アーサー様の側近に登り詰めようと訓練に励む日々。白狐のシファー家が得意とする変身魔法も瞬きするぐらい簡単に使えるようになった頃、私たち姉弟は正式にアーサー様の護衛として学院に送り込まれることが決まったのである。


 そして、その事件は、私たちが学院に出発する直前に起きた。


 その日、モルヴァナの街に奥様とアーサー様と末のお坊ちゃんが馬車でお買い物に出かけたんだけど、昼過ぎに帰ると言って出て行ったのに、お三方がお帰りになったのは十九時を過ぎていた。心配した伯爵様が『一体何があった? なぜこんなに遅くなったんだ?』と奥様を問い詰めたんだけど、こういう時いつもなら口が上手いアーサー様が煙に巻くように伯爵様を宥めてくれるのに、その時に限っては無言だったのだ。


 行く時には持っていなかったド派手なサーモンピンクのマフラーで顔の下半分まで覆うようにぐるぐる巻きにして、何を言われても上の空。気難しそうに眉を寄せて、けれど耳は真っ赤で。潤んだ眼で窓の外、遠くの空に浮かぶ月を睨んでいた。

 明らかに異常な主人の様子に、大丈夫ですかと声をかけようとしたのだけど、わけ知り顔の奥様に止められてしまった。

『今はそっとしておいてあげて』そう仰って唇に人差し指を当てて優しい眼で微笑む奥様は、多分アーサー様がああなった理由にピンと来ていたのかもしれない。


 結局何があったのか私には知らされなかったけれど、アーサー様の世界を激変させるような何かがあったことは確かだ。その日を境に、完璧貴公子アーサー様の様子がおかしくなったのだから。




 ◇◇◇




 その理由は、すぐに知ることになる。


 学院に到着し、荷物を持って寮に向かう途中、ひとりの女子生徒とすれ違ったその瞬間、アーサー様は彼女の手首を掴んでいた。何も言わずに女性の手を掴むなんて、普段の貴公子然としたアーサー様からは想像もできない蛮行である。少し離れて護衛していた私とカトルも突然のことに冷や汗をかいた。


「アビゲイル。……久しぶりだね」

「えっ、あ……ご機嫌よう。アーサー様」


 アビゲイルと呼ばれた赤毛の御令嬢は片手を掴まれていたので、もう一方の手でスカートを摘んで軽く膝を曲げた。略式のカーテシーだけど、学院内は身分を考慮されないから失礼には当たらない。御令嬢の手を取ったなら、手の甲にキスするとかなんとかしないといけない。アーサー様がそれを知らないはずがないんだけど……。できる限りの礼を尽くした彼女に対して、アーサー様はといえば、冷たく彼女を見下ろしているだけだった。


「君もこの学院に入ったのか」

「え、ええ」


 それきり何も言わずじっと見つめるアーサー様に、アビゲイル嬢は笑顔を引きつらせ始めた。

 いや、気まずっ! 何この地獄の時間は!?

 とりあえず手を放しましょう? アビゲイルさん困ってるから! 

 私とカトル、どっちが止めに入るべきか小声で相談していると、沈黙に耐えきれなくなったアビゲイル嬢が裏返った声を上げる。


「あ、あの、私、別に貴方のことを追いかけてきたわけじゃないんですよ? 私はほら、見ての通り赤毛なので。生まれつき強い火の魔力を持っているんです。学院には魔石作りと加工を学ぶために入ったので……ほ、本当に貴方とは関係無いですから!」


 アビゲイル嬢が必死に否定する度に、なぜだかアーサー様の眼が剣呑な光を帯びてくる。めちゃくちゃ機嫌が悪そうで、見てるこっちがハラハラしてしまう。


「お母様がセシル家の皆様にご迷惑をおかけしているのは謝ります……学院に居る間、なるべく顔を合わせないようにしますから……あの……そろそろ手を放してもらえませんか?」

「……」

「うう……」


 アビゲイル嬢は困り果てて周囲を見回すけれど、運悪く他に誰も通らない。仕方なしに、手首に食い込むアーサー様の指を剥がそうとその指に手をかけると、今度はその手も捕まってしまった。丁度、向かい合う男女が手を取り見つめあっている形である。ただし、二人の間の空気はとんでもなく冷えているけど。


「アビゲイル」

「は、はい?」

「もっと気楽に話してくれ。俺たちは幼馴染みたいなものだろう?」


 ようやく口を開いたかと思えばこれである。不審を通り越して怖いと思うんだけど……アビゲイルさん泣いてない? 私のご主人様、こんなにポンコツだったっけ?


「えっ、いや、でもアーサー様は」

「様なんてつけなくていい。アーサーと呼んでみろ。さぁ」

「…………あ……アーサー?」

「ああ。それでいい」


 そう言って満足げに笑うアーサー様を見た時、私は脱力してしまった。

 言うなれば、鼻持ちならない嫌なやつが、目の前で顔からすっ転んだところを見てしまって慌てる感覚に似ている。あまりにも見事に顔から行ったし、なんかヤバめな音がしたので、ざまぁよりも心配が勝ってしまうような……そんな感じの気まずいような気恥ずかしいような感覚。


「所属する科が違うから、授業で会うことはほとんど無いだろうが、同じ学院に居れば顔を合わせる機会が増えるだろう。親同士のことは関係無く、君とは親しくなりたいと思っている。……よろしく頼むよ」


 ずっと掴んだままだった手首から指先へと手を滑らせ、今やっと思い出したかのように彼女の手の甲に口づける。髪と同じくらい顔を真っ赤にしたアビゲイル嬢は蚊の鳴くような声で「こちらこそ」と呟くと、すっと手を引いて深々とお辞儀をしてから脱兎のごとく逃げて行った。

 あーあ。完全に怖がらせちゃったよ。


「デイジー・シファー」


 去っていくアビゲイル嬢の後ろ姿を見つめながら、アーサー様が私の名を呼ぶ。この状況で呼ばれるって嫌な予感しかしないんだけど、呼ばれちゃったんだから仕方がない。私は諦めてアーサー様の背後に跪いた。


「俺の護衛なんて暇だろう? お前に任務をやろう」

「はぁ」

「オーヴェル男爵令嬢のルームメイトになり、彼女を監視しろ」

「はいぃー!?」


 確かに、学院内で危険なんて滅多に無いし、アーサー様が本気になれば私たちが束でかかっても勝てないだろう。セシル家の皆様には本来は護衛なんて必要無い。実は私たちの護衛任務というのは建前で、私たち姉弟がアーサー様と同じ学院で上質な教育が受けられるようにという伯爵様の計らいの意味合いが強い。勉強以外に仕事らしい仕事は無い。暇と言っちゃあ暇である。できないこともないけれど、相手が悪過ぎる。強欲と悪名高いあのオーヴェル家の御令嬢だなんて。


「確かに可愛い()でしたけど、オーヴェル家に関わるのはマズイですってぇー。バレたら私、伯爵様に毛皮にされちゃうんですけどー?」

「バレなきゃいいんだろう? お前がヘマをしなければ良いことだ」

「横暴過ぎません?」


 私の抗議に、アーサー様は鬱陶しそうに舌打ちする。側仕えしてみてはじめてわかったことだけど、この人本当に高慢ちきで口も性格も悪い。


「……やるのか、やらないのか、どっちだ? 返答によっては、護衛を交代させる」


 選択肢のフリをした脅しをかけられるのも日常である。

 今護衛を外されたら、森に帰ってこいって言われそうだし、着任一日目で解任だなんて不名誉過ぎる! 私が絶対断れないのを知っていてこんなことを命じるなんて、本当に酷いご主人様である。これってパワハラに入りませんか?


「やりますよ! 起床から就寝までしっかり監視して、スリーサイズからほくろの数まで報告してやりますよー!」


 私の自棄な返答にアーサー様は鷹揚に頷いたあと、少しの間を空けて「そこまで望んではいないが、お前がどうしても報告したいのなら、聞いてやらんこともない」と宣ったんだけど……冗談だったのに、眼が本気だったんだよねぇ。


 いつかあの()密告し(ちくっ)てやろうと、忘れないように日記に書いておこう思う。

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