表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊セツ
第2章 アーサー編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/28

14 狼と狐の化かしあい

 無能な異母兄に耐えかねて街に飛び出したあの日、継母が放った刺客に重傷を負わされたライナスに手を差し伸べてくれたのは、彼女ただひとりだけだった。

 立ち居振る舞いを見るに、お忍びのお嬢様だろう。一見質素に見えるが仕立ての良い水色のワンピースが血で汚れるのも厭わず、彼女は泣きそうな顔でライナスの傷口を押さえた。


『大丈夫ですよ。腕の良いお医者さんが来てくださいます。あと少しだから、頑張って!』


 道端で倒れていた薄汚い見ず知らずの子供相手に、何故こんなにも必死になれるのか。意識を失わぬように声を掛け続ける少女の姿を、ぼんやりとした視界の中に収めながら、ライナスは彼女の髪に手を伸ばした。

 光に透ける美しい銀色の髪が、天から垂らされた救いの糸のように見えたのだ。


『気が紛れるのならどうぞ』


 止めようとする従者を笑顔で制して、彼女は髪に触れさせてくれた。儚げで繊細な見目に反して、みっしり詰まった芯のある手触りがまるで彼女そのもののようで不思議に思ったことを、昨日のことのように覚えている。


『優しい、お嬢さん……貴女の、お名前、を、教えてください。この御恩は、必ず……』


 血の味に咽せながら辿々しく問うライナスの口元を拭って、彼女は困ったように眉尻を下げて微笑む。


『わたくしは……ミラ・フルーリアと申します。ロシュフォールの領主の娘です』


 ――ミラ様。

 銀の月の女神は、きっと、貴女のような姿をしているのだろう。




 ◇◇◇




 燃え滾る欲望を体現したかのような赤い壁には黄金の燭台が掛かり、細い蝋燭の炎が妖しく室内を照らしている。部屋には大人三人が横に並んで寝てもまだ余裕がありそうな大きなベッドが設えられ、天蓋から垂れる薄手のカーテンに絡み合う男女の影が映る。


 ライナス・ガードナーが商談のために呼び出されたのは、シュセイル王国首都の玄関口にある街イスハットにある高級娼館の一室だった。裕福な子爵家の出とはいえガードナーでさえも招かれなければ入れない高位貴族の遊び場で、ここの娼婦たちは美しさもさることながら高い教養を持ち、何より口が堅い。ゆえに、密談をするのに最適な場所である。


 とはいえ、本来の使い方をする方が多いのは事実。今宵の商談相手もまたすっかり楽しんだ後のようで、両脇にほぼ裸といっても過言ではないあられもない姿の娼婦を侍らせて煙草を燻らせていた。だらしなくはだけたガウンから覗く鍛えられた鋼の鎧のような胸に滲む汗を女の赤い爪がなぞる。燃えるような赤い髪の女が二人。


 ――赤。また、赤。


 部屋に漂う甘ったるい香水と白粉の香りに、眩暈を覚えたガードナーは眉間に濃い皺を刻んで硬く瞼を閉じる。しかし瞼の裏にさえも赤がこびりついているようで、渋々痴態に目を向ける。


「報酬が足りないのなら、そう言ってくだされば考慮したものを……いや、たとえ望む以上の報酬を得ても、それ以上を望むのが()()の性なのでしょうか? ……ねぇ、ガードナー殿」


 重く苦い紫煙が揺れる。煙と共に吐き出された声音は明るくどこか愉しげではあったが、貴族のガードナーを商人と評する毒を孕んでいる。ガードナーがそう呼ばれるのを嫌っていることを知っていての発言なのだから、込められた悪意と憤りは相当なものだろう。

 足元に投げ捨てられた封筒の宛名は〝アーサー・セシル卿〟元婚約者のアビゲイル・オーヴェル男爵令嬢についての些細な報告と()()に応じるかどうかを問う手紙だった。


「私とセシル伯爵令息との間で値を釣り上げようとしたのでしょうが、彼はまだ爵位を継いでもいない青二才。今更この結婚をどうにかできる程の権力や財力があるとは思えませんが」


 恋慕う女性が赤毛狂いのフルーリア伯爵に買われたと知れば、セシル伯爵似のあの美しい顔を歪ませることができるだろう。セシル家に内紛を起こし、あの鬱陶しい要塞の如き森に隠された秘密を暴けば名誉を堕とすこともできよう。

 ――そうなれば、今度こそ。あの御方を……


「ああ、それとも私怨の方かな? 貴殿はセシル家……と言うよりは、現セシル伯爵に対して強い恨みをお持ちのようだから」


 悪意を含んだ冷笑が、胸中の銀の月女神の姿を侵す。どろりと流れ込んだ毒が胸を焼いて、背中に冷たい汗が伝う。アーサー・セシルに送ったはずの手紙がフルーリア伯爵の手に渡っていることにも驚いたが、これはその比ではない。今まで誰ひとりにも知られることのなかったガードナーの昏い欲望が、厄介な男の眼に留まってしまうとは。

 くすくすと赤い女たちの笑い声が床を這う。ここの女たちから情報を買うには金だけでは済まないと聞く。では、どうやって知ったのか。突如新星のように現れた富豪。次期大公の右腕という噂は偽りではないのかもしれない。


 ――ただの赤毛狂いだと侮ったか?


「……ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」


 今この男の不興を買うのは得策ではない。ガードナーが乾いた喉からなんとか謝罪の言葉を絞り出すと、フルーリア伯爵は吊り目がちの涼しげな目をすうっと細めた。整った顔立ちに不似合いな野暮ったい黒縁眼鏡の奥の榛の瞳は、狂気に誘う金色の月に似て見る者の胸を騒めかせる。


「ふふ……そう怯えないでください。貴殿を脅そうというわけではありません。私もセシル家には恨みがありますし、アーサー・セシルはミラ・フルーリア・セシルの息子。フルーリア伯爵家の正統な後継者のひとり……その正当性はおそらく、遠縁の私よりもね。ゆえに、私にとっても邪魔な存在というわけです。貴殿が潰してくれるなら手間が省ける」


 灰皿に吸い殻を押し付けながら伯爵は続ける。


「――だが、私は自分のものに手を出されるのは我慢ならない性質でね」


 ギリギリと音が鳴りそうなほど執拗に吸い殻を擦り潰し、唇の片端を引き上げて笑みの形を作ってみせるが、その眼は獲物を前にした猛獣のそれ。眼を逸らせば一瞬で首を引き裂かれる妄想が頭を離れない。


「私の邪魔になるなら、銀の月の女神だろうが排除しなければなりません」


 猫を撫でるような穏やかな声で告げられた言葉は、凄まじい圧を持ってガードナーの肩に重くのし掛かった。視界の端で、床に落ちた手紙が燃え上がる。甘く絡みつくような赤い女たちの笑い声が頭の中に渦巻くように響いて、冷静で在らんとするガードナーの精神を根底から揺さぶっていた。目の前が真っ赤なのは部屋の壁が赤いからなのか、それとも怒りで血圧が上がったのか、はたまた羞恥か。


 邪魔なのは、アーサー・セシルだけではない。ガードナーが月女神と仰ぐ彼女もまた、現フルーリア伯爵の地位を脅かす存在だと認識していることを仄めかしている。眠れる狼の尾を踏めば、ミラ・セシル伯爵夫人の命の保証はしないとの明確な警告だった。


 仲介者を厳選して送ったはずのアーサー・セシルへの手紙を奪われたということは、セシル家内部にフルーリア伯爵の手の者が居るに違いない。この警告はハッタリではないだろう。排他的なあの森にどのようにして潜り込み、セシル家に近付いたのか。長年隙を窺いあらゆる手を尽くして伝手を作ろうとしてきたガードナーでさえもできなかったことを、この男はたった数年の間に成したというのか。


 最早、厄介などという言葉では表し尽くせない。この不気味な男と早々に関係を断ちたい。アビゲイル・オーヴェルとの婚姻をまとめ、金さえ受け取ればもう用は無い。一刻も早くこの男の眼前から立ち去りたかった。


「……肝に銘じます」


 ガードナーが痛む頭を深く下げて殊勝に答えると、フルーリア伯爵は興味を失ったかのように顎を上げて部屋の扉を見遣る。『話は終わった。とっとと出ていけ』ということだろう。


「ええ。そうしてください」


 フルーリア伯爵は白い軟肌に顔を埋めながら、くぐもった声で億劫そうに返す。赤い女たちの嬌声に妖しい湿度が混じり始めたので、ガードナーはもう一度黙礼をしてから部屋を出ようとした。


 ――やっと解放される。

 ドアノブに手を掛けて少しだけ気が緩んだその時。


「二度目は無い、と」


 扉が閉まる直前、聞こえた声は決して大きくはなかった。しかしそれは赤い残像と共にガードナーの胸に深く突き刺さり、その後数日間苛まれることとなった。




 ◇◇◇




 ガードナーが館を出たと使い魔のユピが報告してきたので、俺は即行絡みつく赤毛の女たちをベリっと引き剥がした。


「…………こんの……性悪狐どもめ!! なんでよりによってアビーに似せて変身するんだ!」


 俺の悲痛な叫びに、アビゲイル似の赤毛の美女二人がきょとんとした顔で首を傾げる。


「なんでって……ご主人様が喜ぶと思って?」

「反応が面白そうだなぁと思って?」


 本当にわからないといった顔のカトルは許すが、ニヤニヤしだしたデイジーは許さん。

 ガードナーが(アーサー・セシル)宛に手紙なんぞ出すものだから、焦った結果がこれだ。

 下手にセシル家をつついて、俺の計画が父上にバレるのだけは避けたかった。俺がアビゲイルを手に入れるまで、セシル家には手を出すなと釘を刺す大事な場面で、アビゲイル似のほぼ裸の美女に纏わりつかれ撫で回された俺はよく耐えたと思う。

 正直後半何を話したか曖昧だが、なんかびびってたから大丈夫だろう。……たぶん。


「大事な商談中に主人を性的に拷問する馬鹿がどこに居……居たな! ここに!」

「やだなー拷問だなんて〜。最近アビーに会えてないから欲求不満かと思って大サービスしたのにぃ」


 デイジーはアビゲイル似の顔のまま身体をくねらせて、素晴らしく透けたネグリジェをぴらりとめくってみせる。本当にやめてほしい。


「黙れ! このクソ女狐! いい加減そのはみ出そうな胸と尻をしまえ!」

「ご主人様がお父さんみたいなこと言う〜……大体、アビーの裸ぐらい見慣れてるでしょうに……」

「……」


 背を向けて黙々と着替えを始める俺の背後でデイジーがはっと息を飲む。


「…………え。えっ!? 嘘でしょ!? まさかまだ何にもしてないの!? あの、アーサー様が!?」


 どのアーサー様だ? お前の主人のイメージどうなってるんだ。


「ええー……大丈夫ですか? どこか悪いんですか?」

「健康そのものだが?? カトル……お前はまともだと思ってたのに」


 やっぱりこいつら生かしてはおけない。よし、殺そう。害獣駆除ってどこに頼めばいいんだ? 第五騎士団でやってくれるだろうか?

Q、どうしてガードナー氏の目的に気付いたのですか?


A、なんとなく同類の気配がして、カマかけたら大当たりだった。俺が一番驚いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ