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月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊セツ
第2章 アーサー編
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12 虫除けは徹底的に

『私も金髪に生まれたかったなぁ……卒業したら髪を脱色してみようかしら』


 昔、アビゲイルがそんなことを言っていたから、従兄弟(いとこ)直伝の変装の魔法で彼女の髪を俺と同じ白金色に染めてみたのだが……うん。悪くはないが、物足りない。やっぱりアビゲイルには燃える炎のような赤が似合うと思う。


 夜会の時はいつも、しっかり髪を結い上げているから、彼女が髪を下ろしたところを見たのは学生の時以来だろうか? 解けた髪がしどけなく胸元や背中へと流れる様は彼女のプライベートを連想させて劣情を煽る。赤毛のままだったら、その辺の部屋に連れ込んでしまったかもしれない。


 追手をやり過ごした安堵からか、ふらついたアビゲイルの腰に腕を回して支えながらテラスから出た。卒業してからずっと避けられ続けてきたし、すぐに別れるのは惜しい。気不味そうに俺の肩に身を寄せるアビゲイルを見つめながら、引き止める言葉を探していた時のこと。


「アビゲイル嬢……?」


 馴れ馴れしくもアビゲイルを呼び止める男が居た。


「ふぇっ!?」


 ぐったりともたれ掛かっていたアビゲイルがシャキっと身体を起こして振り返る。ほんの数秒前までそこにあった温もりが消えて、思わず腰を抱く腕に力が入ってしまったが、狼狽するアビゲイルは気づかなかったようだ。


 アビゲイルを呼び止めた男は、シュセイル王国北東部に領地を持つ伯爵子息だった。俺たちより五つ歳上で、シュセイル人らしい金髪に燻んだ青の瞳の平凡な見た目の男だ。何か後ろ暗いものがあれば突いてやろうと思って関係各所を念入りに調べたが、悪い噂ひとつ無く、アビゲイルと縁談が上がった今までの男たちとは比べ物にならないぐらい良い相手だ。どうやって陥れてやろうかと……もとい、もう少し調べればボロが出るかもしれないと様子を見ていたところなのだが……。


 彼みたいな男と結婚すれば、アビゲイルはそれなりに幸せになれるだろう。寒さ厳しい領地を彼女の炎で明るく照らし、平凡だが誠実な夫と温かな家庭を築いて、子供や孫に囲まれて穏やかな一生を送る………………俺の隣では望めない人生だ。

 しかし、ああ、なんて退屈。反吐が出る。

 まぁ、それはアビゲイルが彼の手を取った場合の話だ。そんなクソみたいな可能性は俺がこれからぶち壊してやるんだけどな。


 釈明のために今にも彼の元に駆け出しそうなアビゲイルの腹に腕を回して抱き寄せる。手袋は先程放り投げてしまったから、素手で触れている時点でかなりの親密さを演出できていると思うが、この程度じゃ虫除けにもならない。もっと確実にへし折ってやらねば。


 より()()()見えるように、親指の先に残った彼女のルージュを唇の端に擦り付ける。こんなことになるなら、キスぐらいしておけば良かったか? タイを直すふりをして首筋についたルージュを見せれば、相手は明からさまに顔色を変えた。


 きっと、俺たちのいかがわしい噂は彼の耳にも届いているだろう。いかにも事後ですというこの状況を目にしなければ、アビゲイルの言葉を信じていられたかもしれない。だが、噂の真偽を確かめる術を持たない彼には、自分の眼で見たものが真実だ。アビゲイルがどれほど説明しようと、俺と密会するために髪を染めた。そうまでして会いたかったのだと取られても仕方がない。否定すれば否定するほどに怪しく見える。

 可哀想なアビー。君は何も悪くないのにね?


「あっ、こ、これは、違っ……」


 顔を顰めて去って行く令息に、アビゲイルはその場にぺたりと座り込んでしまった。


 もっと煽ってやろうと思ってたのに、つまらん。良物件のくせに未だに婚約者すらいないのは、その諦めの良さが原因なんじゃないか? なんて余計なお世話か。


「うう……今度こそ、今度こそ上手くいくと思ったのにぃ……」

「残念だったな」


 がっくりと項垂れるアビゲイルに、笑いを堪えるのに必死だった。わざとらしい声音が気に障ったのか、アビゲイルは立ち上がり俺を睨む。


「助けてくれたことには感謝するけど、どうして私の邪魔ばかりするの!?」


 ああ、本っっっ当にこの女は! お陰様で愉快な気分は吹っ飛んだ。この察しの悪さには辟易させられる。ただとぼけているだけか? これ以上、俺の忍耐を試さないで欲しい。


「……本当にわからなくて訊いているのか?」


 彼女の望む王子様の笑みを浮かべて問う声が、広い廊下に重く響いた。一瞬怯んだ彼女だったが、すぐに気を取り直して食ってかかってきた。


「ええ! わからないわ! 貴方は何にも教えてくれないじゃない!」

「君を愛してるからだと言えば信じてくれるか?」


 俺がどれほど君を欲しているか知ったら、きっと君は逃げ出そうとするだろう。好きとか愛してるという言葉で薄めてぼかしてようやく伝えても、君はこれが本物じゃないと俺を疑う。今だって、ほら。何にもわからないって顔をしている。


「何を、言ってるの? 婚約を破棄したのは貴方でしょう?」


 君が俺のものにならない結婚に何の意味がある? そんなものはいらない。


「確かに婚約を破棄したのは俺だが、俺を選ばなかったのは君だ」


 曇り傷ついた君の表情に下衆な昂りを覚えるのは、君のせいだ。傷つけたくなかったのに、君が俺を拒む度に残酷な欲望が強くなる。もっとなぶってぼろぼろにしてやりたい。その心から真っ赤な血が流れる瞬間が見たい。君が後悔と絶望に打ちのめされて、俺の手の中に落ちてくるのを待っている。俺を壊したのは君なんだから、君も同じぐらい壊れるべきだろう?


 アビゲイルの頬に伸ばした手を振り払われても痛くない。羊が毛を逆立ててメエメエ鳴いて威嚇したって可愛いだけだ。気にせずアビゲイルの髪を一房指に絡めて口づけを落とすと、金色に染まっていた髪は元の赤を取り戻した。――やっぱり君には赤が似合う。


「誰でもいいなら、俺にしておけば良かったのに」


 やっと俺の本気が伝わったのだろうか? アビゲイルは怯えた表情で踵を返し、その場から逃げていった。





 久しぶりに会えたのに、ろくな話ができなかったな。

 掌に少し前までそこにあった赤い光の残像を見て、動けないでいた。


「追わなくてよろしいのですか?」


 廊下の暗がりからハリスに声を掛けられて、ようやく我に返る。


「……ああ。どこまで逃げたって、もう囲いの中だ」


 ハリスは俺の顔を見て眼を丸くすると、指で唇の端を示しながらハンカチを差し出してきた。「必要ない」と手を払えば、大人しくハンカチを引っ込めて、代わりに俺の杖を差し出す。持ち手(グリップ)に金色の狼の頭が飾りについた杖は、(シャフト)の蔦の装飾にある突起を押しながら回すと持ち手が外れる。柄に剣を納めた俺専用の仕込み杖だ。護衛が付いているので、俺が剣を抜くことは滅多に無いのだが……。


「――アーサー・セシルだな?」


 先ほどアビゲイルを追いかけていた連中だろうか? 夜会の後に会うには不似合いな、黒ずくめの刺客が俺とハリスを囲んでいた。


「わざわざ確認するなんて律儀だな。何も言わずに襲えば、かすり傷ぐらいつけられただろうに」


 古くから王の隠密として暗殺や諜報を担ってきたセシル家の総領を闇討ちしようとは。舐められたものだ。


「私が処理いたしましょうか?」


 主人の手を煩わせているにも関わらず、どこか愉しげにハリスは問う。


「要らない。――今日の俺は機嫌が良いからな」


 答えて、唇の端についた彼女の赤を舌先で舐め取った。

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