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月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊セツ
第2章 アーサー編

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10 偽悪女は黒を纏う

「惜しいなぁ。実に惜しい」


 夜会が始まって二時間が経つ頃、とある貴族子息が階下を眺めながら嘆いていた。

 ここは伯爵家以上の家門の者たちが集まる特別室。今この部屋に居る六名はどれも伯爵家の出身である。年齢も家門の勢力もバラバラで、特に親しいというわけではない。しかし階下の有象無象の来賓たちとは違うという自負がある彼らは、自然とこのような場所に集まって、退屈な夜会が終わるまでを怠惰にやり過ごすのだ。

 手すりにもたれて嘆く彼の視線の先には豪奢な赤毛の美女が居た。彼の肩越しにその姿を認めた別の子息は、露骨に顔を顰める。


「惜しいって何が……あぁ、()()()()()のことか。まぁ、確かに美女ではあるが、ちょっとケバくないか?」


 シャンデリアが落とす光にさざなみのような細やかな光を返す黒のぴたりとしたドレスは、彼女の身体の曲線をより強調している。ざっくりと開いた白い胸元には、彼女がデザイン・製作した魔石のジュエリーが光る。

 まるで流行りの恋物語から抜け出てきた魔女か悪女のような装いだが、赤毛に鉄色の瞳という強い色彩を持つ彼女にはそれが絶妙に似合っているのだから仕方がない。


 ――俺のアビゲイルは、今夜も憎たらしいぐらい綺麗だ。


「いや、あれは化粧とドレスで変わるタイプだよ!」


 力説する子息に、『よくわかっているじゃないか』と、俺は胸の内で深く同意して、グラスの中の氷をカラカラと回す。

 あの装いは仕事のためだ。彼女は自分自身を広告塔として、ジュエリーを目立たせるために黒一色のシンプルなデザインのドレスを着る。まだ成人したばかりの若い女性なので、商談相手に侮られないように、わざと化粧を濃くして年増に見えるようにしているのだ。

 だからケバいとか言うんじゃない。彼女が一番気にしているのだから。


「あの()、学院時代はもっと自然な感じで可愛いかったよな? あの頃みたいにすれば、婚約者なんてすぐに見つかるだろうに……」

「しかも赤毛。気に入らない男を爆破できる程の火の魔力の持ち主。……俺だって、婚約者がいなけりゃ立候補してたかもしれない」


 テーブルを挟んでカードゲームに興じていた別の子息たちが口を挟む。

 こういった集まりでの話題といえば、金か女の話になりがちだが、今夜の話題は彼女に決まったらしい。となれば、次に話が向けられるのは、彼女の相手と決まっている。


「学院といえば……」


 と、それまで黙っていた最後の一人が芝居がかった様子で、ウィスキーを啜る俺に視線を向けた。灰色の夜会服に身を包んだ彼の名はオスカー・クロフト。シュセイル王国南部のロシュフォールの隣に領地を持つクロフト伯爵家の次男だったか? 俺の従兄弟(いとこ)の事業を妨害している政敵陣営の家門出身である。


「アーサー、君は学院時代に彼女と交際していたね? ……まさか、爆破されたのって君じゃないだろうな?」


 オスカーが貴族らしい冷笑を浮かべて、持っていたカードをテーブルに開いてみせると、対戦相手の二人から苦しげな呻き声が溢れる。キングが二枚に、ナイトが三枚のなかなかの手だ。親しい仲でもないのに随分と不躾な問いだが、対戦相手の賭け金を巻き上げて気が大きくなっているのだろうか? 態度が気に入らないが、その問いは俺にとっては()()()()()ので、答えてやることにした。


「残念ながら俺ではないよ。……引っ掻かれたことならあるが」


 どこをとも、どんな状況でとも言わなかったが、既に多量の酒が入っている若い男たちは勝手に下世話な方向に解釈してくれる。顔を見合わせてニヤつく彼らにげんなりしながら、俺はグラスの中身を飲み干した。

 実際のところ、引っ掻かれたというのは比喩で、婚約破棄した時に平手打ちを喰らっただけだが、わざわざ説明する必要はあるまい。存分に誤解するがいい。そして、酸っぱい葡萄を指を咥えて眺めていればいい。


「爆破されたという奴は余程よくなかった……いや、やめておこう。()()()()()の悪口は品性に欠ける」

「ははは! そこまで言っておいて品性も何もないだろう」

「くそ……モテる奴はいいよなぁ! 君、この前の銀髪美女はどうしたんだよ!?」

「あいつはただの仕事のパートナーだ。どうもこうも無い」


 そもそも、あれは男だしな。と言いかけて飲み込む。

 夜会に潜入するにあたってパートナーが必要だったのでデイジーに命じたのだが、『友人を裏切りたくない』などと駄々を捏ねたので、デイジーの双子の弟カトルが変身魔法を駆使して代役を務めたのだ。よって、〝ただの仕事のパートナー〟という俺の言葉に嘘は無い。奴隷商人の眼を欺くのが目的だったが、俺に対してあかの他人のように接しようとするアビゲイルの表情を崩せたのは良い誤算だった。


 あの時のせつなげな彼女の顔を思い出すと、胸の奥からじわじわと熱が込み上げる。君が俺を避けているのは、気不味いからだけではないと自惚れてもいいだろうか?

 緩んだ口元を見られてしまったのか、カードに負けて不機嫌な令息に見咎められた。


「こいつ、笑ってやがる! 性格は最悪なのに! みんなこの顔に騙されてるんだ!」

「そう。顔が良くて才気に溢れ、貴族で金も持ってる。性格の悪さは相性さえ良ければどうとでもなるさ」


 居並ぶ面々からブーブーと不満が漏れる。これで話が落ちたと思いきや、冷ややかな声が滑り込んできた。


「そんなによかったのなら、なんで別れたんだ? 君にとってアビゲイルは退屈だった?」


 じっとこちらを見据えるオスカーの青灰色の視線は鋭い。なんとなく言動に棘を感じていたのは気のせいではなかったようだ。学院時代のアビゲイルを知っているということは、こいつも彼女を狙っていたのだろう。まぁ、こいつも名家の子息だ。今更、爆弾魔令嬢などと不名誉な名で呼ばれて、俺と肉体的な関係があったかもしれないアビゲイルに手を出すなんて軽率な真似はしないだろうが、お前には一欠片の希望も無いと教えてやるべきか。


「いや、彼女と居て退屈したことなんてなかった。――あのまま結婚すると思ってたんだ。俺も、彼女もな」


 言葉に出したのは嘘偽りの無い俺の本音だった。しかし、オスカーは鼻で笑い飛ばす。


「だが、しなかった。あれだけ周りの人間を遠ざけて、彼女を孤立させておきながら、飽きたら捨てたじゃないか」


 遠く聞こえる舞踏曲がほんの一瞬途切れ、グラスの中でカランと音を立てて氷が傾ぐ。給仕が慌てて、酒の入ったグラスを持ってきたが、口をつける気にはなれなかった。

 似たようなやり取りを前にもした気がする。誰から何を聞いたのか知らないが、フラれたのは俺の方だと何度言えばいいのか……。


「おいどうした? 君たち落ち着けよ」

「ちょっと飲み過ぎじゃないか? そろそろやめとけよ」


 重い空気に耐えかねた令息たちが間に入って、ようやく黙ったオスカーだったが、正義感に燃えるその眼はまだ『納得いかない』と主張している。俺は億劫にため息をついて、テーブルを挟んだオスカーの対面に席を移った。


「カードを寄越せ、オスカー。聞きたいことがあるなら、俺の口を割らせてみろ」


 俺の挑戦に、呆気に取られていたオスカーは数秒の後に覚醒して、慣れた手つきでカードをシャッフルする。


「……ふん。今夜のツキは俺にある。洗いざらい吐かせてやるさ」

「やっちまえ! オスカー!」

「丸裸にしてやれ!」

「どっちが勝つか賭ける? 俺は……」


 盛り上がるテーブルを尻目に、アビゲイルを爆弾魔令嬢と呼んだ男が静かに部屋を出ていった。





 夜会の終わり、特別室から出た俺を待っていたのは執事兼護衛のハリスだった。抱えていたコートを広げて、俺の肩に掛けながらひそりと耳打ちする。


「狙い通り悪名を広めていた令息がガードナー卿の下男に接触しました。カトルとスヴェンが追跡しています」

「そうか。ご苦労」


 コートに袖を通し、杖を寄越せと手を差し出したが、ハリスは俺の杖を握りしめたまま困ったように眉尻を下げた。


「万事、ご主人様の手の上と申し上げたいところですが……一点、お耳に入れたいことが……」


 ハリスの報告を聞いた俺は、武器も持たずに走り出すことになる。




 ◇◇◇




 酒と煙草のにおいで嗅覚が制限されているが、夜会が終わって人が(まば)らとなった今なら、彼女の香りを辿るのは容易い。馬車寄せから人気(ひとけ)の無い廊下を戻り、会場のあった建物の三階に駆け上がる。ここまで来れば、彼女がどこに居るのかすぐに分かった。三階の廊下の一番奥にあるテラスに隠れているようだが、こういう場所がどう使われるのか、彼女は知っているのだろうか? まさか、待ち合わせている男が居るのか?


 俺は軽く身なりを確認して、何事も無かったように息を整えてからテラスに続くガラス戸を開けた。――果たして、そこには愛しい赤毛の羊が蹲って震えていたのだった。


「あ、えっ……なん、で貴方が、ここに?」


 驚きすぎて声が出ないのか、口をはくはくさせていたアビゲイルだったが、すぐに我に返ったようで、姿勢を低く這ってテラスから出て行こうとする。


 ――逃げるのか? 君のためにここまで走ってきた俺を残して、別の男に会いに? そんなの許すわけがないだろう。


 俺の中で、何かがブチっと切れた気がした。


「………………この、火を吹く暴れ羊め!」


 彼女の腕を掴んで無理やり立たせて、テラスの奥の手すりに追い詰めた。両手で手すりを掴んで、なおも逃げようとする彼女を閉じ込めると、彼女は壊れた人形のようなぎこちなさで恐る恐る俺の顔を見上げる。

 そんな姿さえ愛らしく見えてしまうのだから、いよいよ俺も末期かもしれない。本当にどうしてやろうか、この女。

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