表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊セツ
第2章 アーサー編
21/28

9 3つの顔

★残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 昼は大学生、夜は家業の諜報活動。合間にセシル伯爵家嫡男として首都の夜会に顔を出し、人脈を築く。俺の日常は多忙を極めたが、どれひとつとして手を抜く気はない。善き領主になるためには、知識も資金も人脈も必要だ。今が大事な時期だというのは十分理解している。だが、恐れていたことが現実となってしまっては、御託を並べている場合ではない。

 ――アビゲイルに危険が迫っている。

 俺が動くのに、それ以上の理由はいらない。


「あぁ、アビー……数ある選択肢の中から、大ハズレを引いてしまう君の才能は素晴らしいよ」

「うわ……私の友達、男運が悪過ぎ」


 感想を溢した俺の背後で別の感想が聞こえる。振り向けば、変な臭いを嗅いだ猫みたいな顔でデイジー・シファーが俺の手元の書類を覗き込んでいた。どうやら書類に夢中で、椅子に腰掛けた主人を見下ろしていることに気づいていないらしい。

『森で伯爵様の護衛をするより、総領様について行った方が面白そうなんで』というふざけた理由で俺について来た変わり者なので、最初から期待はしていないが、それにしても主人に対する態度としてはいかがなものか。

 そもそも許可していないのだから、勝手に書類を覗き見するんじゃない。丸めた紙束で顔面をすぱんと叩いてやれば、「ふぎゃっ!?」っと、これまた猫みたいな悲鳴を上げてデイジーは仰け反った。


「なにするんですかぁ〜! 私の可愛いお鼻が潰れたらどうするんですか!?」

「よく喋る毛皮だ。尻尾は房飾りにするか」

「えーん! カトルぅ総領様がいじめるよぉー」

「はいはい。懐が深いご主人様でよかったね姉さん」

「いや、懐が深かったら今頃アビーとけっこ……」

「しっ! 本当のことを言ったらまた叱られるよ!」


 聞き捨てならない会話が聞こえた気がしたが、双子の弟に泣きつくデイジーは放っておいて、俺は再びアビゲイルの近況に関する報告書に視線を戻した。しかし何度見ても頭を抱えたくなる内容である。

 前々回の鬼畜拷問男も相当酷いが、次はよりによって奴隷商人とは。呆れを通り越して、笑いしか出ない。悪い男が君に惹かれるのか、君が悪い男に惹かれるのか……どちらでも良いが、悪い男が好きなら何故俺を選ばなかったのか。俺にはまだまだ悪事が足りなかったか? まぁ、それに関しては、今夜あたり、ひとつふたつ増えることだろう。焦ることはない。シュセイルの夜は長いのだから。


 読み終わった報告書を暖炉の中に放り込むと、ぶわりと赤金色の火の粉が舞う。一瞬明るく照らされた室内には、古い絨毯のように床に伸びた男がひとりと、その男を見下ろす三つの大きな影が物言わず佇んでいた。父の命令により、半ば無理やり預けられた護衛兼使用人たちである。


「――さて。休憩は終わりだ。そいつを起こせ」


 ガツンと杖の石突で床を叩くと、俺の背後で戯れあっていた双子の狐が居住まいを正した。三つの影のうち最も細身の影が床に伸びる男の髪を掴んで起こし、その場に跪かせる。血生臭く水っぽい咳をしながら目を覚ました男は、伸びる前と変わらぬ光景にガチガチと歯を鳴らして震えている。


「も、もう、やめ、やめてください。……なぜ、私がこんな目に。私は、何も、やっていません!」

「実家子爵家は公金横領の罪で摘発され没落寸前。路頭に迷った貴殿は、結婚相手を探すアビゲイル・オーヴェル男爵令嬢に眼をつけた。言葉巧みに彼女を誘惑して親しくなると、まだ結婚について何も話がついていないにも拘らず、自分は次期オーヴェル男爵になると喧伝し、アビゲイルの名で借金を重ねて賭博で全額失う。アビゲイル嬢が家を継がないと知るや、彼女に愛人契約を持ちかけ暴行を加えようとした。未遂で終わったが逆恨みで彼女を辱めるような噂を流して、彼女の名誉を地に落とした。それでも折れないアビゲイル嬢に、今度は男爵家領内に侵入して機密情報を売った。…………色々と手広くやっておられるようだが?」


 細身の影がつらつらと述べる罪状に、男は大きく頭を振って否定する。


「それは誤解です! ぼ、暴行だなんてとんでもない! 私たちは愛し合っているんです! あの夜、アビゲイルは……私が浮気をしてるだなんだと騒ぎ出して……よくある喧嘩ですよ」

「ふ……失礼」


 思わず吹き出した俺に、皆の視線が集まる。室内は暗く、フードを目深に被っているので獣人の眼でも俺の表情など見えないはずだが、優秀な部下たちは敏感に不穏を感じ取ったようだ。跪く男から距離を取って身を強張らせる。

 突然周囲から脅威が去ったので、男は俺に希望を見出したらしい。跪いたまま俺の方ににじり寄り必死の形相で訴えた。――それが、俺をどれほどイラつかせるかも知らずに。


「本当です! 確かに疑われるようなことをした私も悪いですが、アビゲイルもろくに話を聞かずにいきなり火の魔石を投げつけてきたのです。むしろ私の方が被害者ですよ! しかし、恋人同士のことです。他人にとやかく言われるようなことでは……」

「ふふ……そうですか。アビゲイルが、貴殿を、ねぇ?」

「え、ええ、私たちは結婚の約束をしているんです! ですから、私に何かあれば彼女が悲しみます。ご理解いただけたなら、そろそろ縄を解いて……」

「はははっ! いやぁ、本当に…………」


 ――救い難いな。


 椅子の肘掛けが俺の手の中でばきりと砕けた。黒革の手袋に付いた木片を払って、懐からシガーケースとライターを取り出す。煙草を一本咥えてライターの蓋を弾くと、キンと涼やかな良い音がする。中央に赤い魔石が嵌め込まれ、オクシタニアの森にしか咲かない月光花が浅浮彫された金のライターは、アビゲイルの作品だ。


 ――なぁ、アビー。俺はこいつをどうしたら良いと思う?


 彼女の髪を思わせる赤い魔石を指でなぞりながら問うても、答えが返ってこないことは分かりきっていた。





『そのだらしない下半身、爆破されたくないなら、二度と近づかないで!』

 スパパパパパンと景気の良い音を鳴らし花火が弾ける。情けない悲鳴を上げて逃げる男の背に、更に花火の魔石を投げつけると、アビゲイルは毅然とした表情でその場を後にした。


 いくつかの角を曲がって、周囲に誰も居ないところまで歩くと、アビゲイルは壁に手を突いてずるずるとしゃがみ込む。震えを抑え込むように自分で自分を抱きしめて、嗚咽が漏れないように歯を食いしばって堪えていた。


 怖かったね。

 よく頑張った。


 かけるべき言葉、かけたい言葉はあった。今すぐ出て行って、震える彼女を抱きしめたかった。しかし、こうなる前に彼女を救えなかった俺が、どんな顔をして彼女の前に出られると言うのか。


 俺が逡巡する間に、アビゲイルは何事もなかったかのように立ち上がる。自分の両頬を叩いて気合いを入れると、いつもの強気な表情で夜会へと戻って行った。悪意と嘲笑に満ちた囁きの中でも凛と顔を上げ、颯爽と歩く彼女の姿は眩しいほどに美しい。その強さ、美しさがどれほどの忍耐と努力で作られているのか、俺は知っている。





 もう二度と、あんな目には遭わせない。君は俺の獲物。君を追い詰めて良いのは俺だけだ。


「――愛し合う二人を引き裂くなんて、野暮なことをしましたね」


 煙と共に白々しい言葉を吐いて、カトルが差し出した灰皿に吸い殻を押し付ける。男の期待を寄せる視線が鬱陶しい。


「ですが、私は疑り深いのでね。愛し合っていると仰るのなら、証明していただかないと。――なに、簡単なことですよ」


 席を立ち、火かき棒で暖炉の中から赤々と燃える薪を引き出す。革手袋をつけているとはいえ、素手で拾い上げた俺に、男は眼を見開いた。


「アビゲイルの愛が貴殿に在れば、何の問題もないのだから」


 薪を膝の上に放ってやると、男は悲鳴を上げてのたうち回った。必死に床の上を転がって身体を包む火を消そうとするが、室内には人の油が焼ける嫌な臭いが漂い始める。炎は床を這い、俺の足元にも届いたが、俺の靴も服も髪も何ひとつ燃やすことなく優しく撫でるだけ。

 アビゲイルの加護()は未だ俺の元に在る。――その事実が、震えるほどに愛おしい。確認させてくれたこの男にハグしたいぐらいだ。

 手中で弄んでいたライターの蓋を弾くと、炎は忽ちライターの魔石に吸い込まれていった。


「安心したまえ。そう簡単に死なせはしない。傷でも火傷でも、完璧に治してあげよう。何度でもな」


 オクシタニアの薬草で作った魔法薬を頭から掛けてやると、黒煙を上げていた皮膚が元通りに再生される。杖の石突で顎を上向かせると、俺の金眼が見えたのだろうか、男は唇を振るわせながら「化け物め」と呻いた。


「ああ、そうとも。お前はその化け物の獲物に手を出したのだ」


 あれは俺の獲物。俺のもの。愛でるのも、なぶるのも俺だけだ。お前が傷つけていい存在ではない。

 何よりも度し難いのは――。


「アビゲイルの愛を騙った罪は重い」


 引き裂く程度じゃ生ぬるい。消し炭にしてもまだ足りない。

 顎で部屋の扉を指し示すと、三つの影が男の足を掴んで引き摺って行った。それからしばらく悲鳴が聞こえていたが、朝陽を迎える頃には何も聞こえなくなった。




 ◇◇◇




「それで? 有用な情報は聞き出せたのか?」


 逗留する宿へ向かう馬車の中、向かいに腰掛ける細身の影に問うと、影はフードを脱いで左眼に片眼鏡を掛け直した。俺の執事兼護衛のひとり、山猫の獣人ハリスである。


「ガードナーから金を借りたのは間違いありません。かなりの金額でしたが、オーヴェル家の領地や領主一家についての情報を売って返済したようです。ガードナーは特にアビゲイル嬢に強い興味を示していたとのことです」

「ほう。没落寸前の男爵家に旨みなどあるはずがない。だが、オーヴェル家の領地はオクシタニアと隣接している。奴の目的はセシル家の情報を得ることだろうな」


 学院の元同級生に酒を奢れば、俺とアビゲイルが恋仲だったことなど簡単に聞き出せるだろう。双方いまだに婚約も結婚もしていないし、未練があると推察されてもおかしくはない。アビゲイルを使って俺の弱みを握ろうとしているのか、あるいはセシル家への繋ぎに使うつもりなのか。


「オーヴェル家を唆して領地争奪戦を起こすつもりでしょうか?」

「真っ向から攻めてくるような輩であれば、話は簡単なんだがな」


 オクシタニアには血に飢えた獣しかいない。今は特に長引く冬にストレスが溜まっているので、領地を守るためなどという大義名分を与えようものなら、嬉々として暴れ回るだろう。勢い余ってオーヴェル家の領地を占領してしまうかもしれない。

 ――そうなったら、捕虜としてアビゲイルを手に入れる手もあるなと一瞬欲が出たが、すぐに蓋をしておいた。

 それに、オクシタニアの森は今もなお月神が住まう神域。森の道は神の気まぐれで頻繁に変化する。匂いや光、音で方角が分からないただの人間は、森に入ったが最後、死ぬまで……いや、死んでも出られない。


「まずは、件の奴隷商人を片付ける。その後、俺は首都に行く。ガードナーが尻尾を出したんだ。薔薇が摘まれぬように忠告してやらないとな」


 シュセイルは夏の社交シーズン真っ只中だ。首都に行けば、従兄弟(いとこ)に会えるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ