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月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない  作者: 小湊セツ
第2章 アーサー編
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7 迷子と迷走

 父の『森から出さない』宣言から早一週間。俺は視察と称して領内を巡りながら打開策を考えていた。

 このまま策が見つからず、父の説得ができない場合に備えて、森からの緊急脱出ルートを探ろうとしていたのだが、護衛という名の監視を付けられてはなかなか思うように動けない。また、領内を巡れば嫌でも森の現状を見ることになってしまい、この地に未だ君臨し続ける月神の影響を思い知らずにはいられなかった。


 母からお茶会の誘いが来たのは、そんな折のことだ。




「デニスとヴェイグも誘おうと思ったのだけど、デニスは朝から診療所のお手伝いに行っていて、ヴェイグは騎士団の方々とお稽古で忙しいみたいで……」


 真冬でもじんわり暖かい領主の城の庭園の一画。つる薔薇が絡み付いたガゼボで、女主人は消沈した様子でため息を吐く。

 暇そうなのが俺しか居なかったってことですね? とは言えないので、林檎の香りのする紅茶を一口含んで、「薄情な息子どもですね」と頷いておいた。


「ええ、ええ! 本当に。特に長男なんて、わたくしにも内緒で結婚しようとしているんですもの。一番の薄情者だわ!」

「まぁ薄情なのは否定しませんが、その長男にもなかなか言い出せない事情があったのですよ」

「もう知られてしまったのだから、隠さなくて良いのではなくて?」

「と、仰いましても、今は特に報告できることがございませんので」


 ティーカップをソーサーに戻して、ガゼボの柱の陰に立つ()()を睨むと、察した母が護衛を遠ざけてくれた。相変わらず監視は続いているので、つる薔薇に魔力を流して防音の魔法をかけておく。これで、ガゼボの中の会話が漏れることはないだろう。


「わたくしが聞きたいのは報告じゃなくて、恋バナですよ。アーサーが結婚したいってお父様に反抗する程のお嬢さんですもの。どんな方なのか教えてくださらない?」


 母はテーブルに身を乗り出して頬杖をつくと、青い瞳を夢見る少女のように輝かせた。我が家も、伯母が嫁いだクレンネル大公家も男ばかりなので、母は常々『女の子が欲しかったー!』と嘆いている。その手の話題に飢えているのだろう。


「お話するのは構いませんよ。しかし、息子と恋バナして楽しいものですか? 俺は母上の恋バナは聞きたくないですが」

「あら、お父様の若い頃のお話聞きたくない?」

「ないですね」

「とっておきのお話があるのだけど」

「結構です」


 何故か不満げな母に苦笑しながら、どこから話そうかと記憶を遡る。今、アビゲイルの話をしたら、会いたくなってしまいそうなのだが……。


「――俺が学院に入る前の話です。末っ子がモルヴァナの街で脱走したことがありましたね。その時に、末っ子を保護してくれたのがアビゲイルでした」




 ◇◇◇




 眠る子供は、あったかくて重い。

 俺は今にもずり落ちそうな仔狼を抱え直して、冬の川縁を吹き抜ける風から守るように身を竦める。狼姿なら歩けるのだから自分で歩いて欲しいのだが、ミノムシのようにぐるぐる巻きになったマフラーを剥ぎ取ろうとすると、きゅうきゅう哀れな声で哭かれてうるさいので仕方なく抱えている。甘えるなら最初から脱走なんてしなければいいのに。


 ぴすーぴすーと鼻を鳴らして眠る仔狼には威厳もへったくれも無いが、こんななりでも我がセシル家の祖神の器として生まれた神の子。〝森の王様〟と尊ばれるセシル家の真の主人である。多少の我儘は許されるが、今回は度が過ぎた。帰ったら、父からのきついお叱りが待っているだろう。


 ()()()()()を抱えて川縁の道から街の中心へと続く石畳の道に出ると、我が家の紋章が描かれた馬車が停まっていた。俺が馬車に辿り着くより先に、御者が俺たちに気付いたようで、馬車の中に声をかける。待ちきれないとばかりに開いた扉から、青い顔をした母が顔を出した。


「ああっ……良かった! 見つかったのね!」

「お待たせしました」


 馬車に乗り込んでからマフラーを解いて母の腕に仔狼を渡すと、母はほろりと零れた涙を指で拭って仔狼を抱きしめた。仔狼が脱走したのは初めてではないが、今回は獣人以外も住む街中での脱走だったので母は気が気ではなかっただろう。もし見つからなかったら、父に報告が行って捜索隊が組まれる大騒ぎになっていたに違いない。


「見つけてくれてありがとう、アーサー」

「いいえ、俺は大したことはしていません。それより、此度こそは、こいつを首輪で繋ぐよう父上に進言いたしましょうか? こうも何度も脱走されては、母上もお心が休まらないでしょう」

「それはだめよ! 子供が外の世界に好奇心を抱くのは悪いことじゃないわ。わたくしがこの子から目を離したからいけないのよ」


 母はクッションを敷き詰めた移動用の籠ベッドに仔狼を寝かせる。毛布を掛けて魔石の温石を入れてやると、仔狼は夢の中でまた脱走しているのか、毛布の下で空を掻くように足を動かした。微笑ましげに見つめる母の横顔には疲労が色濃く浮かんでいる。毛布の上から撫でる母の手は、一層痩せ細って見えた。


「寒かったでしょう? ……あら? そんな可愛い色のマフラー持っていたかしら?」


 さっきまで仔狼を巻いていたサーモンピンクのマフラーを見て、母が首を傾げる。うちの兄弟には、こんな派手な色を好んで身につける者は居ない。母になら似合いそうな気がしたが、俺は手早く自分の首に巻きつけた。


「俺には似合いませんか?」

「ふふふっ。可愛いらしいわ。でも……いただいたのなら、お礼をしないといけないのではないかしら?」


 マフラーが年若い女性用なのは明らかだったので、母がそう言うだろうことは予想していた。母は俺が家族以外の誰かと関わると嬉しそうな顔をする。母を失望させたくないとは思っているが、交友関係に関しては期待に添えそうにない。

 所詮、狼と羊。羊に心を砕けば、喰う時に困るだけだ。


 元は人間として生まれ、父との結婚の際に後天的に狼になった母には、そのあたりの感覚がまだ曖昧なようで、隙あらば外の者と関わりを持たせようとする。接点を持たせて、親しくなって友人に、相手が女性なら婚約を……などと企んでいるのだろう。貴族の母親としては、それが正しいのだろうが……――正直、煩わしいと思うことの方が多い。相手があのオーヴェル家ならば、尚更だ。


 仔狼を拾ってマフラーをくれたのは、我が家の隣の領地を治めるオーヴェル男爵の長女アビゲイルだったが、我が家でのオーヴェル家の評判はすこぶる悪い。

 オーヴェル男爵夫人はセシル家に取り入ろうと、茶会などで顔を合わせる度に両親に付き纏い、四人の娘のいずれかを嫁入りさせようとしつこく絡んでくる。何度、あの眼がチカチカしそうなほど飾り立てられた娘と無理やり引き会わされたかわからない。


 男爵夫人自慢の娘だけあってアビゲイルの見目は眼を見張るほど美しかったが、母親同様に俺の顔と財産しか見えていないのか、曇りきった空のような灰色の瞳で見つめられる度に嫌悪を抱いた。そんな相手に、友情も恋情も生まれるわけがない。強欲で身の程知らずなオーヴェル家には、両親も俺も辟易していたのだ。


 だから、アビゲイルのことを話せば『マフラーは、お父様からお礼を添えて返していただきましょう』なんてことになりかねない。


 それは、だめだ。

 誰にも渡さない。これはもう、俺のものなのだから。


「必要ありません」


 ぴしゃりと切り捨てると、母は困ったように眉尻を下げて「そう……」と悲しげに溢した。

 きつい言い方をしてしまったが、母上にはご理解いただきたい。あの家と関わっても碌なことはない。あの生意気な女にお礼なんていらないのですよ。

 何故ならあの女は、俺の世界に土足で踏み込んで、『かわいい』だなんて言って笑いながら、無遠慮に撫で回した不敬者なのだから。


 ――許さない。


 お前が触れたのは、畏敬を持って(かしず)かれるべき神獣の末裔だ。俺はセシル家の次期当主として厳しく育てられ、父母兄弟の他には乳母にしか触れられたことはないのに。あの小さくて柔らかい、いい匂いのする温かい手の感触を教えて、もっと欲しいと思わせておいて、俺が許す前に勝手に手を離したのだ。


 ――許さない。俺が満足するまで撫で続けるべきだろう?


 神聖な存在を穢したのだ。お前は罰を受けなくてはならない。


「アーサー? ねぇ、大丈夫? 風邪を引いたのかしら……貴方、お顔が真っ赤よ?」

「……っ、問題、ありません」


 気遣わしげな母の視線を避けて、マフラーに顔を埋める。

 顔が熱い。彼女に触れられた場所が狂おしく寂しい。

 甘く煮詰めた林檎のような彼女の残り香が俺の理性を侵して、彼女の笑顔が脳裏を離れない。

 狼の眼には赤色が認識し難いのに、彼女に触れられた瞬間、世界が鮮やかに色付いてしまった。


 あの真っ赤な髪は毒を持つ生物が発する危険色に似ている。触れたものを灼き焦がす猛毒を持つのに、その実態は毒を持たねばすぐに食べられてしまう蕩けるように甘くて美味しい脆弱な存在。危険だとわかっているのに、味わってみたい。あの細い首筋に牙を立てたら、どんな声で啼くのか。その血は、甘いのか。

 自分の中にこんな浅ましい欲があった事に絶望する。こんな俺じゃなかったのに。


 ――許さない。許さない。俺をこんな風にしたお前を許さない。絶対に報いを受けさせてやる。


「……アビゲイル」


 マフラーに顔を埋めたまま、声には出さずに彼女の名を口ずさむ。

 俺の世界に赤を齎したひと。

 アビゲイル。俺の胸に火を灯したひと。


「アビゲイル……逃がさない。絶対に」


 呪うように、確かめるように。何度も口にするうちに、獲物に対する執着とは違う別の何かが籠り始めたことに、その時はまだ気付かなかった。




 ◇◇◇




 我ながら拗らせ過ぎたマセガキだと思うが、温室で純粋培養されエリート街道爆進していた貴公子にとって、彼女との邂逅は刺激が強すぎた。多少、癖が歪んでも致し方ない事だと思う。

 俺は悪くない。悪いのは野生の狼に餌を与えて手懐けてから手放したアビゲイルだ。最後まで面倒が見れないのなら、手を出してはいけなかった。そんなだから、俺みたいな男に好かれてしまうのだ。




「ううん……なんだか……思っていたのと違うわ。もっとこう……甘酸っぱい可愛らしいものだと思っていたのに」


 だいぶ端折ってマイルドに仕上げたはずだが、夢見る少女のようだった母の眼は困惑に揺れていた。


「もっとドロドロしたのがお好みでしたか? それならば……」

「いいえ、充分よ。ありがとう。………………アビゲイルさん、今のうちに逃げ切った方が良いのではないかしら」

「聞こえていますよ母上」


 逃げたくても、何処にも逃げられないでしょう。叶わぬ希望を持たせるのは酷というものです。俺がそう続けると、母は自分を抱きしめるように両の二の腕を摩って震える。セシル家の男の愛の重さは、母上が最もよくご存知だろうに。


「あまり乗り気ではありませんでしたが、してみるものですね、恋バナ。お陰様で良いことを思いつきました」


 俺はすっかり冷めた紅茶を飲み干して、暇を告げるべく母の手の甲に口づけた。顔を上げた俺を見て母は眉尻を下げた困り顔で頷く。


「まぁ、悪いお顔をして。アビゲイルさんに酷いことをするつもりじゃないでしょうね?」

「まさか! ……末っ子の話が出たので思いついたのですよ。森の領主が説得できないのなら、()()()()に直談判すれば良いと」


 八歳のガキを言いくるめるのなんて造作もない。

 相手がただの子供ならば、そうだっただろう。

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