十三 真相
見てすぐにゲームのラストダンジョンだと分かった。暗雲に包まれた冥凶城だ。紫煙で全貌が見えない。
耳奥が痒かったので耳を小指でかっぽじっていると、いつもの気持ち悪さが出てしまい、僕は両膝に手をやり下を向いた。
「どうしました?」とすぐ耳元で聞かれる。
ワープするとこんなに気持ち悪くなるんだな。
「何でもない」
何となく弱みを見せない方がいい気がした。
グレムリンらしき石像が壁面の窪みに鎮座して埋まっている。見覚えがあった。ドットの記憶だけど。幼かった僕はあれが動くとは思っておらず驚いたのだ。
ゲームでは入城の際に、急にグレムリンの石の皮膚がパリンと割れて、バサバサと急降下して来て戦闘になるのだが、あのグレムリンは動く気配がなかった。こちらは奴が生きていることを知っているのだが、バレていないと思って石化を解かないのかもしれない。いや、カラウスの連れと認識されているから、追い払う必要がないということか。
この城の特徴として、上下左右があべこべになっていて、部屋によって蝋燭立てや敷絨毯、暖炉が天井やら壁面に配置されるという気持ち悪い造りになっている。敵もやたらと強くて、とても面倒なダンジョンだった。
しかし、フロアを見てみると、何の変哲もない石造りな空間だったので、あのダンジョンとは別の城なのかもしれない。
裏口のドアからカラウスに伴って入場していく。こんな広い建物に入ったことがなかった。部屋から部屋へ抜けていく造りで、何もない伽藍どうの部屋を抜け、通路に出たと思ったら、また向かいの部屋を通る。広すぎるとこんな造りになるんだなと思ったが、そういえばここはダンジョンなのだと思い出し、なるほどなと納得した。ゲームならエンカウントするはずのモンスターも今はどこかへ消えている。
また部屋を抜け廊下に出る。別の部屋を覗くと何匹かの多種多様な形をした魔物とチラチラ目が合った。
ここに人間がいることがよっぽど異様なんだろう。カラウスはさらに別の部屋へ入って進んだが、部屋を出て左側に開け放たれた一際巨大な扉があり、赤絨毯の螺旋階段の一部が見える。その階段の傍の壁面に水族館で見るような馬鹿でかい横長の水槽が埋め込まれてあった。中をよく見て度肝を抜く。黒い服の人物があんぐりと顎を開き、水中に浮かんでいた。
水槽の上部からは、とんでもなくでかい氷柱のようなものが男の口の中に突き刺さっていた。海藻のように漂う長い黒髪で顔はほとんど覆われていて、首の皮膚が薄い青緑だから遠目にも人型の魔物なのだと分かった。ホラー映画の気配がするから見なかったことにしよう。目が合うと怖い夢になりそうだからこれ以上見ちゃだめだ。
水槽は大広間の景観には当然溶け込んでいないのだが、あまりにも周りが水槽を無視しているせいで、不思議な感覚だった。僕もここに住めば、慣れてしまうんだろうか。
というか、あの水槽の長髪はもしやメデューサの長兄ではなかろうか。名前は忘れたが考えてみれば黒い長髪の男といったらムンレスではあいつしかいない。
倒したと思ったら変体を二度も重ねる嫌らしいラスボス手前のボス。いっこうに倒せなくて、中ボスでこんなに強いならラスボスどんだけ強いんだよと幾人ものプレイヤーを絶望たらしめたはずだ。そして死んだら最初からやり直しという鬼畜仕様。何が鬼畜って、戦闘前の会話がやけに長く、スキップなんて概念もない為に毎度そのやり取りを見なければならないことだ。何度も殺され、何度もその会話シーンをボタン連打で流していく内に、むしろこれは意図的な嫌がらせなんじゃないかという気がしてくる。そんな苛立ちは何としても倒してやるという意気込みとなってプレイヤーに貢献する、なんてことは一切ない。そこでゲームを止めるやつは止める。
あの長髪が中ボスでなかったにしろ、何であんな猟奇的なオブジェにしているのか分からなかった。まさか鑑賞用なのだろうか。
悪趣味な。とは思いながらも、一方で僕はこれが自分の夢の産物という点で、底知れぬ負の深層心理に慄いていた。
こんなことを平然とやってのける魔物への恐怖は、そっくりそのまま自分自身への心の闇に対する恐怖へと置き換わる。自分はこんなにも残酷なんだろうか。
よくない、考えないようにしよう。僕は特定のものを考えないようにすることに慣れている。考えるだけ無駄なのだ。
「どうかなさいましたか?」
声をかけられ、声を上げそうになって口を抑えながら「あ、いや」と指の間で洩らす。自分が場違いな存在だと分かっているので、あまり敵陣で目立たない方がいい。襲われたら、どう考えてもこちらが不利なのだ。自分が食い殺されるような悪夢は見たくない。
「こちらへどうぞ」
そう促されたカラウスの手は、なぜか小さく震えていた。何を考えているのか分からないので警戒は解けない。
再度、案内され入った部屋は、白で統一された清潔感のある部屋だった。見たことのない変わったソファが中央に置いてある。白い藤のような蔦で編まれた三人がけのソファだ。千切れないのだろうか。壁面も床もソファとほとんど同じオフホワイトなので、ソファは背景と重なって少し透明に見えた。
「あぁ……」
カラウスは目をおどけるようにパチクリと瞬きをして、口はムグっとつぐむ。なぜか軽く手を合わせた。
何か話したいことがあるが、どう切り出せばいいものからといった時の洋画とかで見る外国人風な素振りだった。
ソファの前の白いテーブルに女神像が置いてあった。これ見よがしに置いてある。罠か何かなのかと疑えるほどだった。
持ち運びができるのかと思わず手に取る。ゲームの中でもこんなことはなかった。ゲーム内で持ち運びできるのなら、いつでもセーブ出来ることになる。夢の中でも。
「あの……」と像について聞こうと声をかけると、魔物の肩がビクッとなる。
もしかすると、さっきからこの子は僕に怯えているのか?
どうして? さっきまでは普通だったのに。
カラウスは僕が手にした像を見て、「お、お好きなんですか?」と尋ねてきた。
「何でこんなとこに置いてあるの?」と返す。
「魔物達が私がいない間にどこかで拾って来たのでしょう。いつもそうしています。あ、そうだ。しばしお待ちください」
何かを思い出したのか、カラウスは少々急いだ様子で出ていく。
何を持ってくるのだろうか。クッキー? いやまさか。クッキーなら紅茶味のが好きだ。ほうじ茶でも可。お茶系の味のお菓子が僕は好き。どうせなら紅茶味のクッキーを持ってきてくれ。
紅茶味のクッキーが載った皿を持ってくる魔物をイメージしようと目を瞑ろうとしたけど、自分が像を手にしていることを思い出して、手元に目をやった。
この像を割るべきか否か。それはつまり今セーブすべきかどうかということだ。
ここまでの経過を思い起こしてみる。
ハッパから話を聞いて、魔物達が村にやってきた。魔物がやって来るのは姉ちゃんの言ってた通りだった。ただ、やっては来たけど、村は襲われず被害は出ていない。セーブするならここか。セーブせずにハッパとのやりとりを再度繰り返すほうがしんどい。ゲームの会話なら適当にボタンを連打すればいいけど、もし今夢から覚めてしまったら、またあれをやり直すはめになる。
というかここに女神像があるってことは、ボス前のセーブポイントに他ならないんじゃないか。
特に今のところ失敗はないはずだ。
割ろうか。割ってから、もしこの先よくないことが起こるなら、窓から逃げよう。村の像はもう使ったし、割るタイミングがここしかない。僕は思い切り床に投げた。
衝撃に脆いようで、大した音は鳴らず、粉々になった。
サーンと破片が滑っていく音が滑稽に聞こえる。
そのタイミングでノックがされた。
「お待たせしました。実は私もこの通りコレクションしていまして」
颯爽とドアを開け、大きな木箱の載った台車を載せて入ってくるカラウス。ちょうど割れた破片が台車の下に隠れる。台車が僕のバイト先のものと同じ気がする。
「人間たちのあいだでこの女神像信仰があることは知っています。信仰というのは違う世界でもありました。私自身には信仰はありませんが、私が集めているのは信仰心ではありませんよ。これをよく見てください」
カラウスは木箱に並んだ女神像の中から迷いなく一つを抜き取り、僕の前へ見せる。ゲームでは分からなかったが、確かに女神像はどれ一つとってもポーズや顔の角度がまるっきり違う。
「何?」
「この女神像は薄目を開けています」
「……はぁ」
「色々な物がありますが、目を開けているのは滅多にありません。まさか同じ趣味をお持ち、とは……え」
そこでカラウスは割れた像の破片を視認した。
「え、あれっ、なんで?」
めちゃくちゃ早口だった。
ごめん、と素直に謝る僕をきょとんとしたカラウスが見る。そうしてしばらく僕たちは固まる。
「ごめんね、これ大事だった、よね?」
「あぁ……いや」
感情のこもらない声。
そんなに大切にしているとは思いもしなかった。かといって、割らない訳にもいかなかった。魔物があんなのコレクションするなんて。しかも、カラウスは割らないように丁寧に岩面からくり抜いたに違いない。怒るだろうか。
……まさか水槽の魔物は女神像を壊してしまったんじゃないだろうか。
僕は逃げ道確保の為に窓の位置を確認した。
「……ハ、ハハッ」
カラウスが乾いた声で笑う。『ハ』という口の形で力なく咳き込んでいるような笑い声だった。同調するように僕も笑ってみる。
その時、ドアの外でバリンと厚いガラスの割れる音がした。
直後にキェーッという怪鳥の潰れ鳴きみたいな声がした。そして食器棚か何かの倒れる音がして、複数人の走り回る足音がした。
急にけたたましい。
さすがに気にするようで、彼がドアの方を向いた時、ちょうどドアが開き、ビリジアンのような顔色の悪い魔物が顔を出した。梅干しに似たしわくちゃのまん丸顔だった。
「カラウス様よろしいですか」
梅干しがカラウスの側まですり足で寄って、耳元で何かを告げる。
「ちょっと失礼」
カラウスは颯爽と部屋から出て行った。
取り残された僕は何が起こったのか分からず、所在ない気持ちで立ち上がった。
あの水槽が割れたんだろうか。とするなら、長髪が出た? ここから、どうなる。
待ちながら床に散らばる像の破片をスニーカーで掃くように集めた。ピカピカに磨かれた床が擦れて、キュッキュッとスニーカーが鳴る。自分が登校時のスニーカーを履いていることに今気付いた。服装もパジャマでなくてよかった。パジャマというかタイツか。
ややしてから、今度は壁面を大きな鉄球がぶち壊すような爆音が響いたので、さすがに僕もドアを開けて様子を伺った。
廊下には誰もおらず、螺旋階段のある広間を覗くと、魔物たちが集まり、全員で別の部屋を見守っていた。あの巨大水槽は割れておらず、中の長髪にも変化はなかった。僕からは魔物たちの横顔だけが見えた。そこに魔物はいないので、部屋の中にいるのだろう。
一番前に立っていた魔物が部屋の方を向いたまま一歩引き下がるのに続いて、ゾロゾロと他の魔物も後退し始めた。赤い鳥が宙にいたが、後退の時に翼が二メートル近くある一つ目の大きい魔物の頭に当たったようで、鬱陶しそうに後ろ手に払われていた。
何が起こっているのかと近づこうとした時、驚いたことに部屋からケルベロスが飛び出してきた。
「あっ!」
コペルニクスだ!
思わず発した僕の声に魔物たちが一斉に振り向くと同時に、僕に気付いたコペルニクスがこっちに駆けてきた。右の前足を庇うようにして、ボロボロになりながらも尻尾を左右に振っている。だけど尻尾の毛は血が泥かに塗れて所々固まっていた。
僕を追いかけて来たんだ。
カラウスが悠然と出てきて、僕たちを見つけるとそのままこちらに歩いて来た。
「優秀ですね」と微笑み、右の手の平をゆらりとコペルニクスに向けて、近づいて来る。
「待って!」
僕はコペルニクスの胴を抱えるようにして盾になり庇った。
目の前まで来るとカラウスは「いえ、治癒するんですよ。まったくここまでどうやって来たんだか」
手を当てたまましばし静止する。
恐るおそる僕が身体をどかすのと、カラウスが手を戻すのは同時だった。コペルニクスを見ると既に血糊や泥のベタベタが消えていた。尻尾のフサフサも綺麗になっていて、尻尾の毛が揺れると根本だけ白くなっているのに初めて気付いた。
僕らはそのまま他の魔物達を残して再び、さっきの白い部屋まで戻った。あの不気味な水槽は気にしないようにした。
コペルニクスはすっかり元気になって、僕の後から部屋に入るなり、ソファ辺りの匂いを嗅いでいた。三頭それぞれがクンクンと念入りに確認している。僕の為に安全を確かめているようにも見えた。
この子たちったらなんて健気なんだろう。僕の身を案じて、こんな所まで来るなんて。健気が過ぎるぞ。そうだよな、一度は一緒になった仲だ。僕らは物理的に離れてもやっぱり一心同体なんだ。
と、ここで姉ちゃんの言っていた事を思い出した。
ケルベロスは途中からいなくなってた。
村からここまで僕を追いかけて来たからいなくなったんだろうか。
違う。ゲームではあのまま村が襲われて……もしかしたらケルベロスは橋の所で村を守ろうとしていたとか?
そしてステンノーに殺されたのかもしれない。プレイヤーにも分かんない所で。
僕はコペルニクスたちの胸に抱きついて顔を埋めた。生きていて良かった。ふわふわで気持ちいい。やっぱこいつらが好きだ。
僕は地べたに座り直して、「カラウス、こいつ回復してくれたんだよね。ありがとう」とコペルニクスを撫でながら心から感謝する。
「い、いえ、お礼を言われる程では。あの、そんな所に座らずに」
カラウスって本当に悪い奴じゃなさそう。他の魔物と違って悪意がしない。
「……ちなみに聞くけど、もしかして、あの水槽のさ、氷柱の刺さった彼は像を壊したから罰を受けてるの?」
「違いますよ」
一先ず安心する。この子は残忍とは思えない。
「私は平穏に暮らせればそれで良かったのですが、どうにも彼がうるさかったので、数日間あぁして矯正しています」
「矯正?」
「いや、別にあんなことをするのが趣味ではないので誤解なさらないでください。初めは彼の尻尾を引きちぎったんですよ」
全く前後の話が違う。物騒すぎる。
この子、必要とあらば平気で残忍になれるタイプか。
僕が言葉を失っていると、カラウスは、僕が詳しい話を聞きたいと思い違いしたようだった。
「しかしね、いくら引きちぎっても半日もすればしつこく生えてくるんです。だから、あぁやって再生を阻害する液体に付けて二度と生えないようにしている最中なんです。尾が無ければ見た目が人間に近づくでしょう? どうすれば彼の憎しみを消すのかを考えた結果、ああする他になったんです。私を残酷とは思わないでください。ただの消去法なので」
「それって彼の余計に憎しみが強くならないの?」
「……それで私への憎しみが強くなったならなったで構いません。私はここで静かに平穏に暮らせればそれでいいんです。しかし彼が見せしめになったおかげで他の魔物達も以前より素直になってくれました」
そりゃ周りの魔物は何も口出しできないだろう。
「そんなことより」とカラウスは背を向けて言った。「そろそろ本題に移りましょう。あなたをお呼びにしたのは他でもありません」
言われてから、自分がここにいる理由を思い出した。
カラウスはこちらに向き直ると、言いづらそうに口を開いたが僕と目が合うと、なぜか躊躇って、さらに数秒間、沈黙した。
「……あの、何かな。本題って」
そして意を決したように言った。
「つまり……そ、ソレについて、です」とこっちを指差す。
僕は指先の向いた自分のお腹を見たけど、もちろんよく分からず「え?」と返した。
カラウスは仕方ないというような、かすかに諦念のような笑みを浮かべ、右手を上げた。
まさか魔物達への何かの合図かと、僕は背後を振り返ったが、そこには何もなく窓があるのみだった。意図が掴めなかったが、カラウスの手をよく見ると人差し指に見覚えある物があった。
自分の指も見てみる。やはり僕のと同じ琥珀の指輪だ。
「そういうことです」
「へ? 指輪?」
尋ねるも、カラウスは黙って見返してくるので、こちらもだんまり返した。
なに、お揃いってこと?
「知らない訳ではないでしょう? 私だってお仲間なんです」
……お仲間? 何かの会員の証なのか。
「知らない訳ないって、知らないよ。なに、仲間って」
同じ指輪だから一体なんだというのだ。カラウスはまた微笑む。
「やはり、用心深いようですね。分かりました。私のほうから明かしましょう」
そう言うや、カラウスは僕の前のテーブル板に座ろうとしたが、僕の膝と膝が当たるので、少し足をずらして座り直した。何故近くに来たのか分からなかった。
「私の場合は隠しても仕方ない。というのも私はすでに夢送元を離れ、夢送りを完遂しています。なので私はただこの世界の住人と変わりはない。元々こちらの世界には魔力法則があったので、自分の身を守る為に必要なだけなだけの力は設定しています」
そして一拍置いて、「んー」と吐き出すように鼻で言った。
「しかしまぁ、それもあなたの前では無力と言っていい。私からお願いすることはただ一つです。どうか」
と膝を突き合わせ対面になるよう尻を滑らせこちらへ移動してきた。
「どうか、このまま私が平穏に暮らすことをお赦しください」
いったいこの子は何の話を、何を勘違いしているんだろう。
指輪がどうのといっているが、僕には何の覚えもないことだ。指輪という装具自体は、ムンレスでもアクセサリー装備として出てきはしたが、彼の意図していることがよく分からなかった。
分からないまま、「平穏に、ね」と返す。
「……どうかお願い致します」
カラウスはそう言って、僕の指輪をチラッと見た。
やたらと指輪のこと気にしている。
カラウスとの距離が近いので僕は斜向かいになるよう、ソファの空いたスペースにズレた。カラウスは僕が何を考えているのか気にしていて、僕の顔をチラチラと見はするものの、何も言わず、というか僕が何かを言うのを待っているようだった。そういうつもりじゃなかったんだけど、カラウスは僕の隣に座った。そして横目で見てくる。
カラウス側の、ソファの脇で毛繕いをしていたコペルニクスがソファの後ろを回りこんで僕の側に寄ってきたので頭を撫でてやる。身体を舐めて毛繕いをし始める。両隣のコペルとニクスが担っていて、真ん中のやつは何もしていなかった。三つ分の頭を平等に撫でながら、真ん中の頭だけ名前がないなと思った。カラウスに回復してもらったからか、彼らは緊張感がなく、目を閉じて気持ち良さそうに撫でられている。
「指輪のことだけど」
「はい」
「僕は本当に何も知らないんだ。一体なに?」
「その指輪は世界線によって呼び名が違うんです。アンバーリング、バフォメットリング、チャイルドリング、ドリームリング、エスケープリング」
「カラウスは何て呼んでるの?」
「ンンカリング」とカラウスは呟いた。
「え? ……う、うんかりんぐ?」
「ンンカ」
「んーか、リング。んーか」
発音したことのない単語を練習するように何度か口にしてみる。
「……まさか、本当にご存じない?」
カラウスは上半身を少し反らせ意外な風に尋ねる。
「だから知らないよ」
当然のように返す。そんな『ん』から始まるどこの国の言葉とも分からない名称なんて知る訳がなかった。もちろんムンレスのゲームでも聞いたことないし。
「知らないなら、どうしてそれを嵌めているんです?」
「何故って……あれ?」
何でだ?
理由を僕は知っているはずなのに、分からない。不思議な感覚だった。
あれ?
本当に何でだっけ?
言われてみれば僕はどうしてこんな指輪を嵌めてるんだろう。ファッション? いやいや、いくら流行っていても、こんなのするキャラじゃないのは自分が一番知っている。いや、待て、なんなんだ? この指輪をどうやって手に入れたのか覚えていない。
「……思い出せない。何だ、これ」
こんな指輪を自分が持っているのは違和感しかない。だってこんなの買わないから。いったいどうやって手に入れたんだろう。勝手にいつのまにか所持していた。どこで買ったか覚えていない引き出しの文具のように、その指輪がいつの間にか身近にあった。
ちょっと怖くなって、外そうと指輪を摘んでから、これを外すとこの夢から覚めるかもしれないと思ってやめた。
いやぁ、こりゃかなり不気味過ぎる。この指輪のことを何も思い出せない。
「あなたが何も知らないとなると、どうやってその指輪を手に入れたのです」
「どうって……だからそれが分かんないんだ」
自分で買わないとなると、どこかで拾ったんだろうか。
「誰かに譲り受けたのでしょう?」
カラウスにそう言われると、誰かに貰った感覚が一番しっくりきた。
「……確かに誰かにもらったような気がする」
「誰に貰ったか覚えていますか? 覚えているか覚えていないか、それが重要です」
あれ? 誰かに貰ったのは確かなのに、どうして思い出せないんだろう。
「いや、おかしい。誰に貰ったか思い出せない」
「その方はあなたに指輪のことを何も話さなかったのですか?」
「指輪のこと? 聞いてないと思う。指輪なんてあまり気にしてなかったから。でも何で急に思い出せなくなったんだ。たぶん最近貰ったはずなんだけど」
「最近ですか。だったら、まずいですね」
「……何が?」
カラウスはいかにも含んだ言い方をして、一度ソファから腰を浮かして座り直した。
「おそらくあなたに指輪を渡した人物はすでに消滅しています」
「消滅?」
「だから思い出せないのでしょう。何か別の存在に成り代わっている可能性が高い」
「別の存在? 成り変わってるってどういう……え、今、何の話してる? 現実の話のことだよね?」
「あなたは何度この世界へ来ました?」カラウスは僕の質問を無視して尋ねてきた。
「この世界って、ここのこと?」
と人差し指を下に向ける。
「はい」
カラウスは僕が夢を見ていると知っているんだろうか。そういえば、さっきのいくつかある指輪の呼び名の中にドリームリングというのがあった。
……どういうことだ。
「三回、かな。……今回のを入れて」
「ここの食べ物は食べましたよね、もちろん」
「食べ物? いや食べてないよ」
カラウスは一瞬止まって、
「いや、食べているはずです」ときっぱり断言する。
「え? 食べたっけ? ……あ、そっか、そういえば食べた。餌をもらったんだ」
「餌?」
「いや最初はこのコペ……ケルベロスだったんだ。その真ん中の顔」
「……あぁ、なるほど、そうだったんですね。……えっと、ですからつまりそういうことですよ。別の存在に成り代わるというのは」
カラウスはくつろぎモードのコペルニクスを見やる。
「あなたは何者かからその指輪を受け取った。そのことは確かなんです。にも関わらず覚えていないということは記憶の改ざんの可能性が高いです」
僕は黙ってカラウスを見ながら、今言われた事を頭で反芻してみる。
記憶の改ざん……。
僕が覚えていないのは改ざんされているから?
「どういう……こと?」
「タイタン様は誰に指輪をもらったのか覚えていないのでしょう? それこそが証拠ですよ。この世界があなたにとって夢であるように、あなたの現実世界も、その人物にとっては夢なんです」
「僕の現実世界が、その人物の夢……」
繰り返しても、まだ把握しきれなかった。
「じゃあカラウスは、僕が今、夢を見ていることを知ってるんだね?」
「もちろん、リングをしてここにいるのですから、そうでしょう」
この指輪は現実でも僕がしていた物だ。ムンレスの夢を見る時と見ない時、それは指輪を嵌めた状態で眠りにつくか否かの違いだったってことか。確かに今回、指輪をして眠った。こんなのいちいち意識なんてしていない。おそらく前回もそうだ。指輪の大きさがぴったりで締め付けないし、重さも感じないし、濡れても錆びないから着けている時は、身体の一部のような気がしていた。
「……カラウス、この夢はただの夢じゃないのかな」
「もちろん違いますよ。現実濃度も単なる夢の比ではないはずです」
そんな聞いたこともないワードを言われても。根が現実主義なのか、いまいちカラウスの言葉を素直に受け入れていなかった。当然だろう。にも関わらず……、それなのに、妙に腑に落ちるのは何故なんだろう。
「この指輪ってそういう力があるの?」
「逆にタイタン様はこちらに来た時に、おかしいなとは思わなかったのですか?」
「思ったよ。おかしいなとは思ったけど、まさかこんな指輪が関係しているなんて。え、ちょっと待ってよ。怒涛の展開過ぎて、カラウスが言ってることが、頭が全然追いつかない」
「私としてもお伝えすることが非常に困難なのです。説明するには問題があまりにも多すぎます。説明というのは相手に理解させるという前提がありますが、あなたの理解度も、生物種としての相対的な常識レベルすら私は分かっていません。問題は複雑ですし、伝えても無駄だろうと思いながら、そんな自分との折り合いを付けながら話しているのです」
「う、うん」
「それにタイタン様に説明すべきかどうか、私の方も考えなければなりません。知らなくていいこともあるので。ですから、お伝えするのがかなり下手だと思います。しかし、まさか本当に何も知らないとは……困りました。リング所持者と初めての遭遇でまさかこんな事態になるなんて思いもよりません。こんなケースは極めて稀です」
「僕だって」
こんな展開になるなんて思わなかった。さっきまでゲームの夢でしかなかったのに。
「ん? ……ちょっと待って、ここがただの夢でないことは分かったんだけど、じゃあ、この世界も実際に存在しているってこと?」
「タイタン様の言う実際とはどういう意味合いで仰っていますか?」
「実際っていうのは、だから、現実かどうかっていう……」
「今、私たちがいるこの世界をタイタン様がどう捉えるかによりますね」
「ゆ、夢……なのか」
ん、そうすると、僕の現実世界も夢になるのか? 分からん。……ってことは、現実か。現実にあるのか、このムンレスの世界が。
……いや、流石にそれはなくない?
「え、カラウスも別の世界から、ここに来たってこと?」
「そうです。私は平穏を求めていました」
また平穏か。カラウスのいた元の世界はどれほど不穏だったんだ。
「タイタン様は何故この世界に来たんです? 何か夢を見る時にイメージしていたのでしょう?」
「この世界? あぁ、ここは僕にとってテレビゲームなんだ。子どもの頃にやった」
「テレビゲームとは何ですか?」
「遊びだよ。娯楽」
「なるほど」
だから本当にこの世界が存在しているなんて、俄かには信じられない。だってゲームと同じ人が出てくるんだから。
「ちょっと頭の中で整理していい?」
「私は?」
「え?」
「私もそのゲームにいましたか?」
「いや……カラウスはいない」
「……なるほど」
え? いたと答えた方が良かっただろうか。
でもカラウスは特に気にする風でもなかった。ふんふんと頷き、何かを考えていたので、僕は小声で独り言を呟きながら、頭の中で整理していく。
「……僕は今、指輪をして夢を見ているから、このムンレスの世界に来ている。……そして現実で僕にこの指輪を渡してきた人物がいる」
そうです、とカラウスは僕の独り言の合間に返答した。
「そしてリングを受け取った現在、タイタン様のいる現実世界は、リング所持者の内面が少なからず反映されているはずです」
「ん? ……なんで?」
「現実でのタイタン様は、今の私と同じ立場なんですよ。タイタン様の現実は本質的にはそのリング所持者の夢ということです」
僕の世界が、夢?
「嘘だぁー」とは言いながら、カラウスの今の立場を自分に置き換えてみると、ようやくカラウスの言っていることが理解できた。それでも現実離れしていることに違いはないので、むしろ他人事のような感覚になった。他人事のような感覚のまま、受け入れているのか、まだ信じきってはいないのか、自分で分からない。
「じゃあ、僕の現実世界はその人物が作り上げたってこと? そうなるよ?」
「もちろん完全に一から作ったものではありません。程度の差はあります。少しこの辺りの話は複雑なので、現段階ではお話ししかねます。そもそも私はタイタン様の世界がどんなものか知らないので」
「まさか、僕の現実もゲームだったりして」
「私はそのゲームという物を知らないので何とも。ただ生活、芸術、文化などの流行にリング所持者が影響を与えることはよくあります。その人物像は分かりませんが、リング所持者の共通項であれば例えば『願望』や『リング』という一般的になりがちですが……どうでしょうね」
「ふーん……リングねー」
ピンと来ないな。リングというか、指輪は割とファッションとして日常的に浸透しているし。
やっぱり、ちょっとにわかに信じられない。まだ頭のどこかで、この子、変という思いが拭いきれないでいる。
こうしていると無性にコーヒーが飲みたくなってきた。この白い空間と座り心地の良いソファ、傍らでくつろぐ大型ペットと訳のわからない話の全てが僕にコーヒーを飲ませたくさせる。
カラウスは鼻で大きく息を吸って、ため息を吐く気配があったけど、彼はそのままゆっくりと鼻から息を出した。
「他にも『輪』『輪廻』『並行世界』『異界』だとか『転移』、もしくは『異星人』などの概念が実生活において増え、やたらと文化干渉され始めます」
カラウスの話を聞きながら、僕は前に見た幽体離脱のサイトを思い出していた。あの怪しい空気を。
ん? ……ていうか待てよ。
「は、流行ってるかも。転生って……た、確かにかなり前から流行ってる!」
ピンときすぎて僕の声はうわずっていた。
「えぇ、大抵はリング所持者の概念が新たな波紋となり時世に反映され、流行という形で顕現されるのです」
「すごい! だってここ何年かずっと異世界とか転生系のアニメとかやってるもん! え、そういうこと?」
そういうことだよな?
映画や小説などのタイムスリップ物は昔から存在している。転生も概念自体はあったけど、確かにこの数年で異様に転生系の作品が流行っている。その原因がこんな指輪なんかに起因していた、ってこと?
「……アニメ?」
カラウスが角で重そうな頭を傾げる。
「うん、アニメ。知らない? ほら、漫画の、テレビバージョンだよ」
分かっているのか、分かっていないのかカラウスは曖昧に何度か頷いた。
「あなたが言っているのは、おそらくアメットのことなんでしょうね」
「……アメット?」
お互い相手が何を言っているのか分かっていない。違う世界線ではアニメをアメットというのだろうか。
いや、そんなことどうでもいい。今のカラウスの話をどこまで信じるかだ。だってカラウスの言っていることが単なる僕の夢の産物である可能性だってあるんだ。転生ものが現実世界で流行ろうが、そんなの僕の記憶が作り出した物だから当たり前なんじゃ? 卵が先か鶏が先かの因果性と同じで、僕がアニメの影響で似たような夢を見ただけに過ぎないのかもしれないし。
「まぁ、でもよく考えてみたら、ありきたりな文言だよね。転生だとか、リングだとかって」
「ありきたりと思えるほど、浸透しているのです。しかし信じられなくても構いませんよ」
「ん?」
「私はタイタン様が信じないという意思をもつことに関与致しません。それにこの辺りの真実を否定する人間はおそらくタイタン様の世界の構成には一定数必要となるので、私はそれで良い思います」
僕は何と返していいか分からず、横のコペルニクスを見下ろした。三匹とも顔を並べて伏せていたが、コペルが耳をピクンとして僕を見る。他の二匹は眠っていた。
「それより、ちょっと貸して下さい」
「なに、指輪?」
頷くカラウス。
僕は指輪を摘んで、指を抜こうと手を左右に捻りながら尋ねる。
「なんで? 何かするの?」
「試したいことがあります」
何するんだろう。
……ていうか、これを簡単に渡していのだろうか。とても自然な流れだったから貸しそうだけど。
「……カラウスは僕に来てほしくないんでしょ? 平穏が邪魔されるかもしれないから。この指輪があるから下手に出ている訳で」
ダメだ。この子に渡したら、自分があの水槽の長髪みたいになるかもしれない。
「貸せないよ、悪いけど。怖いから」
「……分かりました。では私が抜きます」とカラウスはすぐに諦めて、自分の指輪を抜き取った。
「タイタン様はそのままでいいです」
カラウスが指先で摘んだ指輪を僕の指輪に近づける。
「何?」
カラウスは答えない。
何をしようというのか。
僕は咄嗟に腕を逸らして、指輪を離す。
「……私の指輪は必要ないので、そちらに吸収させるだけです」
「吸収? 何でわざわざそんなことすんの?」
「私はこの指輪を誰かに譲渡してこれ以上増やすつもりはないのです。妙に詮索して警戒しないでください」
渋々、指輪を嵌めたまま拳をカラウスに向ける。
カラウスが指輪同士をくっつけると、融解した金属のようにカラウスの指輪が僕の指輪に吸われた。
それを確認した後、
「……チッ」
なぜかカラウスは小さく舌打ちした。
「え? なに?」
「気にしないでください」
「いや気にするよ、普通に。……もしかして僕の指輪が溶けるかもしれなかったの?」
……否定なし。
カラウスが物欲しそうに僕の指輪を見てくるので、反対の手で隠した。
やっぱこの子、信用しきれない。
見計らったように、そのタイミングでコンコンとノックの音がした。明らかにこの部屋のドアをノックする音だったが、カラウスがドアの方を向かずに完全に無視をしているので僕も無視する。
「あのさ、あとちょっと聞きたいんだけど、もしかしてこの指輪をしていると、現実で変な感覚になったりする?」
またノックがされた。
「というか僕はずっと現実で変な感覚があるんだ。これって何か関係しているのかな。すっごい変な感覚、現実感がもてないというか、自分の周囲に違和感があって、たまに吐き気がする位、頭が痛くなることもある」
「指輪のせいでしょう。その大きな違和感が所謂、現実感の消失の正体です。現実濃度が変化している上に、リング所持者による世界改変のせいで肉体記憶とずれているのです」
僕は背中をソファに深く預けて座った。
こんな所に、原因があったんだ。
またコンコンとノックがして、とうとうドアが開かれた。ドアの隙間から梅干しが顔を出し、「カラウス様」と声をかける。
「……何でこんなことになったんだろ」
「ですから指輪を受け取ったからですよ」
カラウスは冷たい声で即答した。
また「カラウス様」と梅干しは顔を出したまま、先ほどより強くノックした。
直後、カラウスが「うぅう」と唸りながら立ち上がって、
「うるっさあぁぁぁーい!」と怒鳴り散らした。
僕もその怒声にびっくりして立ち上がった。
コペルニクスまで吠え始める始末だ。
カラウスは滅茶苦茶イラついていた。着火マンみたいに瞬間的に怒りを爆発させた。なんだっけ、ムカ着火ファイヤー? って死語を思い出した。この言葉も何らかの影響を受けて流行ったんだろうか。
僕はコペルニクスを宥めるように撫で続け、それ以上吠えさせないようにした。
「申し訳ございません」
梅干しは自身の身を案じてか、今回は中には入らず、その場で謝罪した。
「何なんだ」
カラウスはズレたテーブルを戻しながら尋ねる。
僕は死語という言葉から死後を連想して、一瞬ここが死後である可能性を感じたが、目の前のやり取りがリアルだからか、あまり不安には感じなかった。もう自分の中で夢とリアルとか一緒になっている。
「先ほどステンノー様がディボズィラ様にご注進された模様です」
「フンッ、ステンノーが何を告げ口するのだ。村から手を引いたことか? あ、僕にいじめられたことかな。構わんから、ほっておけ。好きにさせればいい」
カラウスがふいに僕という一人称を使いだしたのでこの子は男なんだなと思った。いやハッパの件があるから分かんないけど。まあ、もはやそんなのどうでもいい。
「……はぁ」
梅干しはまだ何か言いたそうに曇った表情で俯いていて、カラウスがひとたび睨むと、僕がさっき割った像の頭が床から浮いて、猛スピードでドアを目掛けて吹っ飛び、ドアの木板を貫通した。梅干しは目をむいて顔を引っ込めると、静かにドアを閉めた。ドアの中央にそれこそ小さな梅干し大の穴が空いていた。梅干しに当たらなかっただろうか。梅干しの顔の皺はもしかするとカラウスへの気苦労が絶えないが為に増えていったのかもしれない。
「それで僕はどうすればいいの? 指輪を受け取ったらもう現実世界では違和感をなくせないのかな」
「指輪を返すしかないでしょうね」
「返す?」
「返さないんですか?」
「だって誰か分からないのに、返しようがなくない?」
「おそらくあなたの生活近辺にいるんだと思います」
「会ったことあるってこと?」
「えぇ、おそらく。指輪を渡しているということはそういうことでしょう」
「でも返したらムンレスに来れないんじゃないの?」
「もちろん、ここには戻って来れませんよ」
やっぱりカラウスは僕に戻って欲しくないようだ。そんなに僕がいることはカラウスにとって脅威なんだろうか。だけど、その脅威は現実での僕にもいえることだった。ここでのカラウスの立場は、現実での僕の立場でもある。しかも僕の場合は相手が不明というおまけ付き。
「返すしかないなら、返すよ。……でも、その人は何で僕に渡しんだろうね」
「それは分かりませんが、もし譲渡者が判明した暁には相手に悟られない方がいいかもしれませんね。最悪の場合、あなたを消す可能性もありますから」
「消す?」
「あなたどころか世界そのものまで消しかねません。まずもって、タイタン様は相手に比べて圧倒的に不利なんですよ」
「世界……?」
消される。世界を? 僕を?
いやいや、なんだこの突飛な話。あり得るか? いや、突飛だけど辻褄が合うんだ。そう、合ってしまう。だから信じるしかなくて……。いや、僕はもうこの話を信じ始めている。自分で信じているのかどうなのか分からない。そういった現実を受け入れるスイッチのようなものが、知らず知らずのうちにバカになっているんじゃないだろうか。そうしないと生きられなかったから。
自分が消される瞬間を一度想像すると、途端に怖くなってきた。
もし本当に消されてしまうのなら、それはきっと唐突に訪れるんだろう。そんな気がする。何の心の準備もなしに、何も信じられないまま消されるんだろう。
「消すってさ、じゃあ僕が消えたら、今いるムンレスの世界はどうなるの?」
「ムンレスの世界?」
「今いるここの世界のこと。ムンレスはゲームの名前なんだ」
「……なるほど。ようやく理解しました。その娯楽とはスポーツの一種なんですね。タイタン様の消滅は、この世界は特に影響はありません」
僕が消えても、関係ないと。……スポーツ? え、何の話?
「もう訳分からん!」
僕は文字通り頭を抱え、髪の毛をぐしゃぐしゃした。いっぺんに色んなことを言われ過ぎてるし、突拍子もないし、けど思い当たる節はあって、じゃあ本当に自分が消されるのかもしれなくて。
ソファに座りながら、膝と膝の間に頭を挟んでじっと考えてこんでいると、コペルニクスが濡れた鼻を何度も肘に当ててくる。
「消すって何……? 消す、消えるって」
もしそれが真実なら、普通に考えてヤバくない? 何、その人。どんな人なんだ。全然見当がつかないんだけど。
「あ、余計なことを申しました。あまり消えることについて固執しないでください」
カラウスの声色が焦っていた。僕はその姿勢のまま返す。
「……いや、ちょっとどうしようって。頭が追いつかなくて」
「落ち着いてください。やはり話すべきではなかった。今、混乱しないでください」
カラウスが立ち上がったのが、声だけで分かった。落ち着くべきはそちらも同じだ。
僕は手で顔を覆いながら指先で瞼を強く擦る。
「いや、混乱はするよ、そりゃ。なんか整理できないや、本気でおかしくなりそう」
だって、現実感が薄れていくことも絶対関係あるもん。おかしなことなんて、もうとっくに始まってたんだ。
いきなりパンッ、と乾いた音が鳴った。
カラウスが手を叩いたのだ。
この世界にも蚊がいたのかと顔あげると、なぜかカラウスが立ち上がって僕に向けてまたパンッと手を叩いた。
「え、なに、なに」
魔除け的な何かの風習だろうかとも思ったが、ここにきてのまさかの裏切りかと、勢いよく背後を振り返ってみるも誰もいない。
「と、とりあえず落ち着きなさい」
カラウスは繰り返した。初めての命令口調。
無論、落ち着くべきはカラウスの方だった。彼は自身に言っているのだろうか。軽く開けた口をワナワナさせて、明らかに焦っていた。何でカラウスが焦っているのだ。大変なのはこっちだと言うのに。
「ちょ、あのさ、ただでさえ訳分かんないから、そういう変なこと今やめて、こっちまで焦ってくる」
余裕がないので、本当に焦りが伝染しそうだった。おまけに立ち上がった僕らにコペルニクスが興奮して犬みたいに吠えまくる。その吠え声も三匹分なので、室内はかなりうるさく、音だけでもカオスな状況となっていた。
「手を叩いて」とカラウスは自分でも叩きながら、またしつこく僕に促す。
この騒ぎが聞こえたようで、今度はトントンと強いノックが聞こえた。
「早く! 手を叩きなさい」
「カラウス様、どうかされましたか?」
「……手? 何で?」
「いいから! こうやって!」
パンパン。
何か魔法でも起こるのか。
「もっと強く!」
トントン!
「カラウス様?」
ワンワン!
パン!
「もっと続けて!」
「へ……何で?」
「覚める為です。早く!」
僕は言われるがままに拍手する。
「違うっ! こうやってパンパン!」
ヴァン!
言われた通りに手を叩いた。
パン!
思いの外、甲高い音が響く。でも、覚めなかった。
ヴァン!
ワン!
「もっと!」
ヴァン!
トントン!
ワン!
「カラウス様」
トントワンワパンパドンドン!
「カラウス様、入ってもよろしいでし——
「う、う、うううるさぁあああいッ!」
腕を振り乱して、ついに限界を超えたカラウスが叫んだ。
結局、城中に響くその怒声によって僕は目が覚めた。




