元鞘になりかけてる伯爵令嬢を全力で止めた
「んん~、このエクレア絶品だわ~」
バウスフィールド侯爵家が主催している、華やかな夜会。
そこで私は一流パティシエの手で作られたエクレアに、舌鼓を打っていた。
このサクッとした食感。
それでいて中にはとろりとした程よい甘さのカスタードクリームが詰まっており、表面にコーティングされたパリパリのチョコレートと口の中でマリアージュしている。
これぞプロの業。
やはり美味しいものを食べている時が、一番幸せね。
「お嬢様、お口にクリームが付いてらっしゃいます」
「あら」
私の専属執事のセバスが、ハンカチで私の口元を拭いてくれた。
「ふふ、いつもありがとうねセバス」
「滅相もございません。これがわたくしの仕事ですので」
セバスがいつものように、慇懃に頭を下げる。
ふふ、セバスったら。
「エイプリル、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「「「――!!」」」
その時だった。
耳障りな甲高い声が、私の鼓膜を震わせた。
咄嗟に目線を向けると、バウスフィールド家の嫡男であるダリル様が、婚約者であるエイプリル様に向かって、眉間に皺を寄せながら人差し指を突き出していた。
そしてダリル様は、男爵令嬢のキャシー様の肩を抱いていた。
こ、この流れは――!
「ど、どういうことでしょうか……」
震える声でエイプリル様が伺う。
エイプリル様は両手でドレスの裾をギュッと握り締めている。
「どうもこうもあるか! 君がキャシーに陰湿な嫌がらせをしていたことはわかっているんだ! 見損なったぞエイプリル! 君みたいな痴れ者は、僕の婚約者に相応しくない!」
「そんな……!」
「ダリル様ぁ」
キャシー様が猫撫で声で、ダリル様にしなだれかかる。
「誤解です! わ、私はキャシーさんに嫌がらせなどしておりません!」
「この期に及んでしらばっくれるというのか!? つくづく人間のクズだな君は! やはり僕の選択は正しかったようだ。今この時から、僕の婚約者はキャシーとする!」
「ダリル様ぁ、私、嬉しいですぅ!」
「あ、あぁ……」
絶望に染まった青ざめた顔をしているエイプリル様とは対照的に、ダリル様とキャシー様は人前にもかかわらず抱き合って、甘ったるい空気を醸し出している。
やれやれ、これ以上は見てられないわ……。
「セバス、この件は把握してる?」
「はい、もちろんでございます、お嬢様」
セバスはおもむろに、書類の束を差し出してきた。
ふふ、流石セバスね。
書類にさっと目を通す。
うん、これなら十分ね。
「お取込み中失礼いたします」
私は軽く手を上げながら、ダリル様たちの前に立つ。
「ん? 君は確か……、アッシュベリー男爵家のヴィオラ嬢。フン、男爵令嬢如きが何の用だ!? 無礼だぞ! 口を慎みたまえ!」
「まあまあ、これをご覧いただければ、きっとご意見も変わることと存じますわ」
「は? 何だこれは……」
私は書類の束を、ダリル様に差し出す。
「こ、これは……!」
書類に目を通したダリル様の顔が、見る見るうちに困惑の色で染まる。
「それはキャシー様が、虚言でエイプリル様を陥れようとした証拠を纏めた書類です」
「「「――!!」」」
「はぁ!? 嘘でしょ!?」
ついさっきまで猫撫で声しか出していなかったキャシー様の喉から、野太いオジサンみたいな声が出た。
あらあら、そんな声も出せるんじゃない。
むしろそっちが地声なのね。
「噓ではございませんわ。あなた様がご友人に、『もう少しでバカな侯爵令息を落とせそうだ』と自慢げに話していた証言も記載されております」
「あ、あああぁ……、ど、どうしてこんなものを、都合よくあなたが持ってるのよ……!」
キャシー様はガタガタと震えながら、この世の終わりみたいな顔をしている。
まあ、自業自得ですね。
「ふふ、私の専属執事であるこのセバスは、私が興味がありそうなものは、何でも事前に調べておいてくれる、とても優秀な男なんです。いつもありがとうねセバス」
「滅相もございません。これがわたくしの仕事ですので」
セバスがいつものように、慇懃に頭を下げる。
ふふ、セバスったら。
「う、うあぁ……」
「――ダリル様、これでもまだ疑われているようでしたら、どうぞご自分でご納得のいく方法でお調べなさってください」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぐ……!」
ダリル様は書類をグシャグシャに握りしめながら、憤怒で顔を真っ赤に染めた。
「ダ、ダリル様、こ、これは、違うんです……! これは何かの間違いで……!」
「うるせえええええッ!!!!」
「ぎゃあッ!!?」
「「「っ!?!?」」」
その時だった。
ダリル様はキャシー様の顔面を、容赦なく殴ったのである。
この人は――!!
「よくもこの僕を騙してくれたなッ!? 覚悟しておけよ! 貴様には生まれてきたことを後悔するくらいの、キツい罰を与えてやるからなッ!」
「あ、ああぁ……、ごめんなさい……!! ごめんなさいぃぃ……!!」
鼻血をダラダラと流しながら頭を抱えるキャシー様。
ふむ、自業自得とはいえ、流石にいささか気の毒ね。
「チッ……。あ、あはははは、いやぁ、参った参った」
「……!」
ダリル様はヘラヘラ笑いながら、あまりの出来事に絶句していたエイプリル様の目の前に歩いて来た。
ま、まさか……!!
「まったく、世の中にはとんでもない悪人がいるものだね。危うく僕も騙されるところだったよ」
「……」
危うくも何も、ガッツリ騙されてましたが??
「今回のことはいい勉強になったよ。君もくれぐれも気を付けるんだよ、エイプリル」
「あ…………、はい」
ダリル様は気安くエイプリル様の肩に、ポンと手を置いた。
――この瞬間、私の中の何かがブツンと切れた。
「フザけるのも大概になさいッッ!!!!」
「「「っ!?!?」」」
私は腹から声を出した。
「な、何だと!?」
「あなた今、しれっと元鞘になろうとしたでしょう? あれだけ冤罪で人を散々罵倒した挙句、浮気までしておいて、どんな思考回路をしていたら元鞘になれると思ったんですか!? その頭の中には、脳味噌の代わりに綿菓子でも詰まってるんですか? だとしたらさぞかしふわっふわで、かるーいのでしょうね」
「クッ、貴様あああああ!!!」
激高したダリル様は、茹でダコみたいに真っ赤になった。
「エイプリル様、あなた様はどうなのですか? 本当にこの綿菓子脳味噌と元鞘になってもよろしいと思っているのですか?」
「わ、私、は……」
エイプリル様はわなわなと口元を震わせながら、今にも泣きそうな顔になっている。
「いいよなエイプリル!? そもそもお前に、断る権利なんかないんだからな!?」
「う……」
まあそうでしょうね。
エイプリル様のご実家よりも、綿菓子脳味噌の家のほうが圧倒的に家格は上。
悲しいかなこの世界では、権力が上の者には逆らえないのが道理だもの。
「大丈夫ですよエイプリル様。私を信じてください。あなた様がご自分のお気持ちを正直に言ってくださっても、絶対にあなた様のことは私がお守りするとお約束いたしますわ」
「ヴィオラさん……」
「クッ、だから男爵令嬢如きが、調子に乗るんじゃねええええ!!!!」
綿菓子脳味噌は今さっきキャシー様にしたのと同じように、右の拳を私の顔面に突き出してきた。
やれやれ。
「セバス」
「はい、お嬢様」
「ぶべら!?!?」
「「「――!!!」」」
が、綿菓子脳味噌の拳が私の顔に当たる直前で、セバスの華麗なカウンターパンチが綿菓子脳味噌の顔面に直撃し、それこそ風に飛ばされた綿菓子みたいに吹っ飛んだ。
「な、ななななな、何をふぃやがる!? こんなことをふぃて、タダで済むと思っていふのか!?」
鼻が有り得ない方向にひん曲がって滝のように鼻血を流し、且つ前歯が全部根本から折れている綿菓子脳味噌は、それでも尚怒りを露わにしている。
ある意味見上げた根性ね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
セバスに目配せしただけで、セバスは私の要求を瞬時に把握してくれたようだ。
「その台詞は、そっくりそのまま、あなた様にお返しいたします」
「……は?」
セバスの言っていることが理解できないのか、綿菓子脳味噌はポカンとしたマヌケ面を浮かべた。
「ヴィオラ・アッシュベリーというのは偽名でございます。――このお方の本名は、ヴィクトリア・アシュクロフト殿下でございます」
「「「――!!!」」」
「な、なにィイイイ!?!?」
会場は騒然となった。
さもありなん。
滅多に人前に出ないこの国の第三王女が、まさか男爵令嬢のフリをしてこんなところにいるとは夢にも思わないでしょうからね。
「しょ、しょんな……! 何故ヴィクトリア殿下が、ここに……!」
「ふふ、だってお城にずっと閉じ籠っているのは退屈なんですもの。――誰だって、たまには自由を謳歌する権利はあるはずだわ。――そして、クズ男との元鞘を拒否する権利も」
「ヒッ……!」
「ヴィクトリア殿下……」
エイプリル様は潤んだ瞳を私に向ける。
「さあ、もう一度言いますエイプリル様。あなた様の正直なお気持ちを聞かせてください。あなた様はこの男と、元鞘になってもよろしいのですか?」
「私、は……」
この瞬間、エイプリル様の瞳に、確かな覚悟の光が宿るのを、私は見た。
「元鞘になりたくなんかありませんッ! こんなクズ男、絶対にお断りですッ!!」
「エイプリル……!!」
ふふ、よくぞ言ったわ。
それでこそ女よ。
「前々から、ずっとこの人のことが嫌いでしたッ! ガサツだし傲慢だしいつも自慢話しかしなくて超ウザったいし、ダンスも下手クソで強引なリードしかしなくて、仕方なく私が合わせてあげてるのに自分は上手いと思ってるところとかもマジ無理でした!」
「エイプリル???」
あらあら、堰を切ったように溢れ出てきたわね。
それだけいろいろと溜まってたってことね、うんうん。
「だそうよ。ではこれにて正式に、婚約破棄は成立したということでよろしいわね?」
「はい!」
「しょんな……!!」
「ああ、因みにそこの綿菓子脳味噌、覚悟しておきなさいよ?」
「……は?」
「『は?』じゃないわよ。知らなかったこととはいえ、王族である私に暴力を振るおうとしたのですから、然るべく処罰を与えなくてはね」
「あ、あぁ……!!」
やっと自分の立場を理解したのか、綿菓子脳味噌は顔面蒼白になった。
「精々今夜は震えて眠りなさい。――さあ、帰るわよ、セバス」
「はい、ヴィクトリア様」
「ああああああああああああああ」
「あ、あの!」
「?」
背を向けた私に、エイプリル様が憑き物が落ちたみたいな満面の笑みで声を掛けてきた。
「本当にありがとうございました、ヴィクトリア殿下!」
「ふふ、よくってよ。今度王城にいらっしゃいな。二人でお茶会でもしましょう」
「はい、是非!」
よし、これで新しいお友達ゲット。
エクレアも美味しかったし、今日はここに来てよかったわ。
「あら、見てセバス、今夜は月が綺麗ね」
「左様でございますね、ヴィクトリア様」
会場から出た私とセバスは、馬車が停めてある場所までの月明かりに照らされた道を、二人で並んで歩く。
ふふ、本当に、今夜の月は綺麗だわ。
「はぁ、私なんだかちょっと歩き疲れちゃったみたい」
私はわざとらしく、セバスに寄りかかる。
「フッ、まったく、しょうがない方ですね」
そう言いつつも、セバスはすっと私を横抱きにする。
ふふ、これが本当のお姫様抱っこね。
「好きよ、セバス」
「はい、わたくしも、お慕いいたしております」
月明かりの下で、今日も私たちは互いの気持ちを確かめ合う。
私はいつかきっと、セバスと結婚してみせる。
身分の差なんかには屈しない。
一度しかない人生なんだもの。
絶対に諦めるものですか――。
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