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恋人カッコカリ4

「あのさ、恭兄。俺と……付き合ってみない?」

「…………は?」


 たっぷりと間を置いた後、まぬけな声が零れた。朝陽がなにを言っているのか、全く理解できないからだ。

 いや、言葉の意味は分かる。ただ、そんな提案が朝陽から出てくる理由を少しも推測できない。


「朝陽、自分がなに言ってんのか分かってる?」

「……当たり前」


 朝陽のくちびるが不服そうに尖り、恭生の胸は不規則な音を立てはじめる。

 悲しいだとか怒りだとか、そういった負の感情を朝陽に抱かせてしまうのが、恭生は昔からとにかく苦手だった。朝陽の目にちょっとでも涙が浮かぼうものなら、慌てふためくのが常だった。

 朝陽の心はいつだって穏やかであってほしい。自分はどうあろうとも。

 だが、なんでもしてあげたくなるのを慌てて制す。朝陽が言うならそうしよう、なんて。簡単に飲める提案ではさすがにない。


「なあ朝陽、オレたちは男同士だぞ」

「うん」

「……それに言ったじゃん、もう付き合うとかこりごりなんだって」

「うん、分かってる」

「…………」


 幼い子に言い含めるかのように話す。だがそんなことは関係ないと言わんばかりに、朝陽は飄々と頷き続ける。本当になにを考えているのだろうか。

 男同士でキスをしている自分を見て、避け始めたのは朝陽なのに。


 ――だからもう二度と、男を好きにはならなかったのに。


 困惑する恭生とは違い、朝陽は至って真剣な顔をしている。からかわれているとはどうも思えない。

 考えこんでいると、朝陽が口を開いた。


「付き合ったらさ、いっぱい会えるじゃん」

「……え?」

「恭兄の仕事が終わった後とか、休みの日とか」


 必死な様子で、縋るような目を向けられる。

 会えないのは寂しいと、確かに言ったけれど。

 だから付き合う?

 やはり、その真意がどうしても見えない。

 付き合う、というのは本来、好き合っている者同士がすることであって。自分たちの間には、恋心なんて片道すらない。ましてや幼なじみとしての絆すら、心許ない細い糸しか残っていないのに。


「……意味分かんねぇ」

「どの辺が?」

「どの辺が、って。だって朝陽、オレのこと嫌いじゃん……」


 自分で放った言葉が、自分の胸に突き刺さる。朝陽の顔を見ているのが怖くて、深く俯く。


「……え? なにそれ、嫌いだなんて思ってない」

「いいよ、嘘なんかつかなくて」

「嘘じゃない。そんな風に思ったこと、一回もない」

「…………」


 怒っているとも取れる表情で、朝陽が強いまなざしを向けてくる。

 嫌いじゃなかった? 本当に?

 一瞬胸が明るくなるが、いやまさかと頭を小さく横に振る。もう何年も嫌われていると思ってきたから、そうすんなりとは飲みこめない。


「でも朝陽、ずっとオレのこと避けてただろ。朝陽が中学生になった夏の……あー、いや」


 思わず口から出てしまったそれを、恭生はすぐに後悔した。出来ることならあの夏のことは、もう朝陽に思い出してほしくなかったからだ。


「それは……」

「オレはさ、朝陽とたくさん会えるんなら、すげー嬉しいよ。でもそんなの、朝陽にはメリットないじゃん」


 なにか言いかけた朝陽を遮る。うっかりすれば泣いてしまいそうで、誤魔化すように捲し立てる。


「あるよ」


 だが朝陽も、負けじと目尻をとがらせる。


「……どんな?」

「それは……内緒」

「は、なんだそれ。朝陽、別に男が好きなわけでもないだろ」

「……うん、そうじゃない」

「だよな」


 話せば話すほど、朝陽が遠くなる。朝陽に寄り添いたいのに、その寄り添うべき心が見えない。

 前髪を握りこみ、ため息として届かないように細く息を吐く。すると、顔を覗きこむようにして名前を呼ばれる。


「ねえ、恭兄」

「……なに?」

「俺と付き合ったら分かる、って言ったら? 恭兄のおじいちゃんが言ってた意味」

「……は?」

「大切な人が先に死んでよかった、がどういうことなのか。俺、分かってると思う」

「は? うそ……」

「ほんと。おじいちゃんに確かめられるわけじゃないから、もちろん憶測ではあるけど。こういう意味だろうな、ってのはある」

「マジ?」

「うん。すごく幸せな意味なんだと思う」

「……んだそれ」

「付き合う理由はそれじゃだめ? 知りたいんだろ、おじいちゃんの気持ち」

「それは……」


 朝陽の真剣な表情に、嘘はひとつも見えない。

 祖父とのあの会話から、もう10年以上経っている。恭生は未だに呪縛のように囚われているというのに、朝陽には意味が分かるというのか。しかも、それを幸せだと呼べるような。

 理解できる糸口が見つかるなんて、考えたこともなかった。知りたい欲求は、抑えようにも溢れ出してくる。


「……朝陽と付き合ったら、オレにも分かるんだ?」

「うん」

「なんで?」

「それも……内緒」

「なんだよそれー……」

「全部種明かししたら、付き合ってもらえなさそうだから」

「…………」


 なぜそうまでして、自分と付き合うことにこだわるのか。朝陽の考えていることが、未だにちっとも分からない。

 だが、もうほとんど絆されかけている自分の心ならよく分かる。


「朝陽は本当にいいわけ? オレと付き合っても」

「うん」

「さっきも言ったけど、オレ男だよ」

「そんなの、生まれた時から知ってる」

「……オレ、どっちかって言うと恋人には尽くすタイプだと思うけど、恋愛に疲れ切ったとこだから。そういうの、もうできないかも」

「うん、いいよ。恭兄は受け身でいい。そのほうがおじいちゃんを理解できるだろうし」

「うわー、余計分かんねー……」

「あとは? なんか気になることある?」

「あとは? あとはー……」


 試しているようで心苦しくはあるが、質問をくり返した。だがそれも尽きてくる。観念して見上げると、不安げな顔をした朝陽が首を傾げた。


「付き合ってくれる?」

「……う、ん。分かった」


 そう答えると、力が抜けたかのように朝陽が笑った。恭生も脱力し、後ろのベッドに背を凭れ、天井を見上げる。


「朝陽と恋人かあ。なんか変な感じ」

「恋人“カッコカリ”でもいいよ」

「はは、カッコカリ」


 朝陽はずっと近くにいた弟で、大切な存在だ。かと言って、恋心を抱いたことはない。自分たちの関係に恋人という新たな名前が足されるのは、妙な心地がする。


「でもさ、付き合うってなにすんの? 仮つったって、恋人は恋人だし。今まで通りじゃじいちゃんのこと、分かんないんだよな?」


 それなりに他人と恋人関係を結んできたが、朝陽と、となるとどうもピンと来ない。

 身を起こし尋ねると、朝陽がじいっとこちらを見つめてくる。かと思えば目を逸らし、ぼそりと言葉を落とした。


「ハグ……とか?」

「ハグ」


 意外な答えについオウム返しをする。なるほど、とも確かに思いはするが、なんだその程度でいいのか、という感覚のほうが強い。

 まさか、誰とも付き合ったことがないわけじゃないだろうに。ずいぶんと初心な提案だ。


「じゃあやってみるか」

「は……? なにを?」

「なにって、ハグ」

「恭兄軽すぎ」

「えー……朝陽が言ったんじゃん。大体、朝陽とハグなんてよくしてたし」

「…………」

「はは、なんだよその目ー」


 ちいさい頃はよく、朝陽に抱きつかれていた。ぎゅっと抱き止めながら、幼心にかわいいな、守りたいなと思ったのをよく覚えている。

 両腕を広げると戸惑ってみせる朝陽に、あの頃とはまた違った愛らしさを感じる。

 会話が続く、反応が返ってくる。それだけでも心がいっぱいに満たされているからだろうか。


「朝陽ー。早く。ほら、ハグするんだろ?」

「はあ……じゃあするよ」

「うん」

「…………」

「おお、そう来る?」


 広げた腕の中に収まってくれるとばかり思っていたのだが。朝陽は恭生の腰を片手で引き寄せ、もう片手で頭を抱いてきた。髪を撫でられ、これでは子どもの頃と立場が逆転だ。

 不思議な心地がしつつも、やはり懐かしさは否めない。こうして朝陽と戯れるのが、大好きだったから。


「なんか懐かしいな。朝陽あったけー」

「え……全然嬉しくない」

「なんでだよ。でもやっぱ違うか。朝陽、デカくなったな」

「うん。恭兄よりね」

「はは、ムカつく」


 恭生からも抱き返し、軽口をたたき合う。

 仮であれ恋人になったのは想定外だが、朝陽と絆を結び直せた。隠しきれない喜びに、口角は緩みっぱなしだ。

 そっと腕を解かれ、間近で目を合わせれば、どこか不満げな顔に出会う。どうしたのだろうか。笑ってほしいな、と心情を問うように首を傾げると。朝陽の顔が近づいてきたと思った次の瞬間、頬にやわらかなものが触れた。なにか、なんて確認するまでもない。朝陽のくちびるだ。

 突然のことに頬を手で押さえ、見開いた目に朝陽を映す。


「あ、朝陽、お前なにし……」

「恭兄」

「あ、ちょ、また……」


 言葉が出てこない隙に、今度は反対の頬へとくちびるが近づく。ふわりと当たって、啄むようにくり返される。優しく触れるのに、どこかぎこちなさもあってくすぐったい。頭を撫でてくれていた手は、いつの間にか髪の中へともぐりこんでいて。地肌を這う感覚に、ついうっそりと瞳を閉じる。

 相手が朝陽だと思うと、強い拒絶がどうにも生まれてこない。でもこのままでは駄目だと、それだけは分かる。場の空気に流されてしまったと、朝陽に後悔だけはさせたくない。

 年上の自分がしっかりしなければと、朝陽の背をタップする。


「朝陽、朝陽ってば」

「……嫌だった?」

「あー、えっと……」


 なぜそんな顔をするのだろう。しゅんと下がった眉に、大いに戸惑う。

 だが、ちゃんと自分を律しなければ。仮の恋人関係になったとはいえ、朝陽の頼れる兄でありたいから。

 どう言ったものかと考えこんでいると、朝陽のほうが先に口を開く。


「恭兄、ごめん。もうしないから。恭兄の嫌がることは絶対しない」

「朝陽……そんな顔すんな。な? その、別に嫌ではなかったし……」

「ほんと?」

「うん……てかさ、お前は嫌じゃないの? 頬とはいえ、オレにキ、キスとか……」

「恭兄が嫌じゃないなら、俺も嫌じゃない」

「へえ。そ、そっか?」


 それは一体どういう理屈だ。相変わらず謎だが、悲しげな色が朝陽の瞳から引いていったことにひとまず安堵する。


「ねえ恭兄。嫌じゃなかったなら、ハグとほっぺのキスはこれからもしていい?」

「え? いやー、それはどうかな」

「嫌じゃないって言ったの、もしかして嘘?」

「っ、嘘じゃない! わ、分かった、ハグとほっぺのちゅーだけな! でもカッコカリなんだから、それ以上は駄目だぞ」

「うん、約束する」


 本当に、悲しそうな朝陽の顔にはめっぽう弱い。それをつくづくと理解する。

 上手いこと乗せられたような気がするが、ハグとキスを了承してしまった。朝陽とまた一緒に過ごせる喜びが、判断力を麻痺させている気がする。

 現に、元カノに振られたことはもうどうでもよくなっていて。明日からは気兼ねなく朝陽に連絡していいのだと思うと、今日を“いい日だった”と名づけてしまいそうなくらいだ。



「恭兄、今度一緒に出かけない?」

「お、いいな。行きたい」

「じゃあどこか探しとく」

「マジ? 楽しみにしてる」


 朝陽の横顔を眺めながら、つい顔がゆるむ。

 彼女に振られ朝陽に連絡を入れた時は、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。祖父の想いを知るための、かりそめの恋人。今のところ、糸口すらも見つけられないけれど。

 朝陽のあかるい感情が自分へと向いている。それだけでも、今は充分な気がしている。

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