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恋人カッコカリ3

 恭生が暮らすのは、専門学校への入学を機に借り始めたアパートで、就職してからも住み続けている。四階建て、三階のワンルーム。決して広くはないが、ひとりで住むのになんら問題はなく、気に入っている。

 もっといいところに住んでほしい、と元カノに言われたこともあったけれど。


「適当に座ってて。あ、コーラあるけど飲む?」

「あ……うん、飲みたい」

「了解」


 ふたつのグラスにコーラを注いで、ローテーブルへと運ぶ。

 朝陽とふたりでコーラを飲むなんて、いつぶりだろうか。懐かしさについ顔が緩む。ジャンクなお菓子やジュースは親から禁止されていた朝陽との、秘密のおやつの定番だったからだ。


 恭生の両親は、かわいい子には旅をさせよ、がモットー。あの頃は自由を謳歌していたが、もっと愛情を感じたい欲求があったように今となっては思う。

 打って変わって、朝陽の両親は息子を大切に思うあまり、言ってしまえば過保護なタイプだった。

 対照的な両親を持つふたりは、不思議と相性がよかった。自分がそうされたい欲求を満たすかのように幼なじみを構いたがった恭生と、愛され上手の朝陽。ひとりっ子同士だったのも、お互いを兄弟のように慕うようになった要因かもしれない。

 今も神奈川の実家から都内の大学に通う朝陽は、ひとり暮らしの部屋が珍しいのか、きょろきょろと辺りを見渡している。

 本棚にはファッション誌やヘアカタログがたくさん詰まっていて、壁には海外アーティストなどのポスターが数枚。キッチンにはそれなりに調理道具が揃っていて、窓際でパクチーを育てている。

 恭生は小さい頃から、物が多いタイプだった。


「あ……これ」

「ん? あー、それな」


 背後にあるベッドを振り返った朝陽は、ヘッドボードに置いてあるぬいぐるみを手に取った。ちいさい子が胸に抱けるほどのサイズのそれは、小さい頃から持っている柴犬のものだ。ずいぶんくたびれているけれど、実家を出る時、置いてはいけなかった。


「朝陽は覚えてないかもしれないけど、うちのじいちゃんが買ってきたヤツでさ。朝陽くんにも、って言ってふたつ。でも同じもぬいぐるみじゃなくて。そしたら朝陽が――」


 祖父が買ってきたものは柴犬と、もうひとつはうさぎのぬいぐるみだった。なんだお揃いじゃないのか、とがっかりしたのを覚えている。

 だが、朝陽は違った。


『恭生の名字、兎野の“兎”は、うさぎって意味なんだ。朝陽くんの柴田の“柴”は、柴犬の柴だからな。どうだ? ふたりにぴったりだろ?』


 得意げな祖父に、恭生はダジャレじゃんと思ったものだけれど。朝陽は瞳をキラキラと輝かせ、こう言ったのだ。


『あさひ、こっちがいい。きょうおにいちゃんの、うさぎさん!』


 そう来たかと祖父は笑っていたが、朝陽の言葉が恭生にとってどれだけ嬉しいものだったか。なんの変哲もないぬいぐるみを、がっかりすらしたそれを、朝陽は一瞬にして宝物へと変えてしまったのだ。朝陽がうさぎを抱きしめていることも、自分の手元に柴犬がやってきたことも、とびきりになった瞬間だった。


「そんなこと言ったっけ。んー、覚えてない……」

「だよな。朝陽、こーんなちっちゃかったし」

「でも、ぬいぐるみのこととか、恭兄のおじいちゃんにもらったことはちゃんと覚えてるよ。……中学くらいまで、飾ってたし。あと、おじいちゃんがいい人だったのも覚えてる」

「……いい人、ねえ」

「恭兄?」


 恭生の脳裏にふと、胸の詰まるような思い出が蘇る。

 祖父がなにを考えているのか分からず、恐ろしくなった日――そうだ、先ほどみていた夢もそれだった。


「あー、さっき嫌な夢みたの思い出した」

「さっき? 定食屋で寝てた時?」

「うん。じいちゃんさ……ばあちゃんが亡くなった時に言ったんだよね。『ばあさんが先に死んでよかった』、って」

 

 祖母が他界した時、恭生は十歳だった。告別式を終え、言いようのない喪失感に打ちひしがれた。優しくて、いつもあたたかい笑顔で“恭くん”と呼んでくれる祖母が大好きだった。

 もう幾度目かも分からない、まぶたを熱くする涙に、ぐすんと鼻をすすった時。隣にしゃがんだ祖父が、恭生の頭を撫でながら言ったのだ。


『なあ恭生、俺はなあ、ばあさんが先に死んでよかったと思ってるよ』


 あんなに仲がよかったふたりなのに、一体なにを言っているのか。思わず体が震え、固まったのを覚えている。だが怯える恭生をよそに当の本人は、震えるくちびるを必死に堪えるようにして、微笑んでいた。確かに恐ろしいことを祖父は言ったのに。

 寂しい、つらい、もっと一緒にいたかった――

 苦しい感情で祖父はいっぱいなのだと、伝わってくる表情だった。だからこそ、余計に祖父のことが分からなくなった。

 それからほどなくして、祖母を追いかけるかのように、祖父も天へと旅立ってしまった。

 

「なんであんなこと言ったんだろうな。オレ、すげーショックでさ。じいちゃんのこと大好きだったけど、なんか怖くなって……結局、最後まで意味を聞けなかった」

「…………」

「オレはじいちゃんとは違う。絶対に、この人を失いたくないって思える恋をするんだー、って……思ったりしたんだけどな。それももう無理だなあ」


 じいちゃんは間違っている。大切な人を失ってよかっただなんて、そんなことあるわけがない。

 それを証明しようと、躍起になっていたのかもしれない。だから、告白されれば必ず付き合ってきた。自分の中に恋心なんて、芽生えていなくとも。

 だがそんなことはもう、続けられそうにない。


「なんで?」

「だってマジで懲りたもん。オレ、恋愛向いてないわ。いつも同じ理由で振られるし。私のこと本当に好きだった? って。まあ始まりはさ、両想いってわけじゃないけど。オレなりに誠実だったつもりなんだけどな。そうは見えないらしい。もう疲れた」


 少しぬるくなってしまったコーラをぐいと呷る。

 これから先、ひとり寂しい瞬間があるとしても、きっとこれが最適解だ――と、本当にそう感じたのだが。

 この決断で失うものは、恋人だけではないことにふと気づく。


「あー……でもそしたら、朝陽とも会えなくなるのか」

「え?」

「だって朝陽とは、オレが振られた時しか会えないだろ。それはちょっと、いや……かなり寂しいなあ」

「恭兄……」


 眉尻を下げた朝陽の表情に、胸の奥がツキリと痛む。

 そりゃそうか、嫌っている相手にこんなこと言われたって困るよな。

 身勝手な感傷で、大切な幼なじみを苦しめたいわけではない。


「あー、はは、ごめん。今のは忘れ……」

「なあ、恭兄」

「うお、どうした」


 これ以上嫌われるのは絶対にごめんだ。話を終わらせようとした恭生を、けれど朝陽が遮った。

 ぐっと寄せられた顔につい距離を取ると、その分また詰められる。手にあったグラスは奪われ、テーブルへと戻されてしまった。

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