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まだあげない2

 先ほどからどうしたのだろうか。理解できていないはずなのに、縋るような腕と声色に、鼻がツンと痛む。肩口にすり寄る朝陽の髪を後ろ手に撫でつつ、振り返る。背中に腕を回したら、もっととねだるように抱きしめられた。


「どうしたー、朝陽。甘えんぼか?」

「恭兄」

「ん……」


 ちいさい頃のように、可愛い弟を甘やかすように。また髪を撫でつつ尋ねたら、不服そうに一瞬尖ったくちびるがそのまま押し当てられた。思わず一歩後ずさったのが許せなかったようで、抱擁は強くなってキスも止まらなくなる。


「あ、さひ」

「恭兄、好き」

「ん……」


 朝陽からの想いは、ちゃんと分かっているつもりだ。それは日々の生活の中に、凛とした瞳の奥にいつだって見えていた。だがこんなにストレートに、愛情をぶつけられたことはなかった。

 いつの間にか背は壁につき、朝陽の腕に囲われている。止まないキスに体が熱くなるのを感じながら、朝陽の名を呼ぶ。


「朝陽、なあ、どうした?」

「なにが?」

「なにがって、こんな……」


 シャツの上から腰を撫でられ、思わず上擦った声が出た。こんな風に触れられるのは初めてで。驚いて見上げると、頬にひとつキスをされた後、額同士がくっついた。腰にある指先でゆったりとそこを撫でながら、もう片手は恭生の手を絡めとる。


「俺、恭兄と付き合えてすごい嬉しくて」

「うん、オレもだよ。なあ朝陽、腰の手……」

「本当は……触ったりとか、したいのに。初めてだからどうしたらいいか分からなかったし、一緒にいられるだけで嬉しくて、ゆっくりでいいなとも思ってた。でも……」

「あ、朝陽、手……」


 おずおずとながらも、朝陽の手がシャツの裾から潜りこんできた。撫でられ続けていたところに、今度は直接触れられる。


「昨日、あんなことがあって。恥ずかしがったりしてる場合じゃないな、って思った。俺、恭兄に触りたい」

「朝陽……」


 直球の懇願に、頬に熱が集まる。その一方で、昨日は気丈にしていた朝陽だが、様々なことを考えたのだなと切なくなる。


「恭兄、部屋上がろ」


 促されるままに靴を脱ぐ。改めてただいまと言う朝陽に、おかえりと返事をする。部屋の中へと進むと、また背後から抱きしめられた。


「おっと」

「恭兄~」

「はは、やっぱり甘えんぼじゃん」


 甘ったるく呼ぶ声に、ちいさい朝陽を思い出さずにいられない。よくこんな風に呼ばれて、こんな風に抱きつかれていた。

 だが今は、あの頃のような戯れとは違う。抱きつかれたままふたりで進む足は拙くて、どこかペンギンみたいでくすりと笑みが出るのに。昔と同じようで同じじゃない、それが無性に照れくさい。

 ベッドまで進み、朝陽がそこに座った。ここに来て、と促されるのは朝陽の足の上だ。されるがままに、向き合うかたちで朝陽の太腿に腰を下ろす。


「座っちゃって重くないか?」

「全然」

「全然ってことはないだろ」

「いいから。恭兄」

「あ……」


 朝陽の親指が、ゆっくりと恭生のくちびるを辿る。思わず開いてしまったくちびるの中に指がもぐりこんできて、腹の奥から上がってきた熱い息で濡らしてしまう。


「えっちなことしたい、って言ったら、ひく?」

「……っ」


 直接的なワードが朝陽の口から出てきて、恭生はつい慄く。

 だって、こんな感情は知らない。たったひと言、そう言われただけなのに。体中が沸騰するように興奮して、この先を期待してしまっている。付き合ってきた元カノたちに求められても、こんな風になったことはなかった。

 朝陽だからこそ欲情するのに、それを朝陽に知られるのが恥ずかしい。狼狽えて少し体を離す。


「ひくわけない、けど」

「けど?」

「その、朝陽はこういうの、興味ないのかなって思ってたから、心の準備が……」

「……俺が恭兄を好きだっていつ気づいたか、覚えてる?」

「それは……オレが高校の時、家の前で、その……だろ?」


 橋本の名前も、キスを見られた時だとはっきり言うのも憚られる。口籠りながらも答えれば、朝陽は頷く。そして恭生を抱きしめて、耳の下に口づけながらささやかれる。


「俺、あの日に精通した」

「……っ! ……え?」

「だから、恭兄のことが好きって気づいた瞬間に、自分のことがはしたないとも思った。それで、恭兄の顔まともに見られなくなって。だから避けてた。ごめん。でも、だから……俺はあの時からずっと、恭兄のこと、そういう目で見てた。触りたい、したい、って――思ってたよ」

「あっ、やば……」


 避けられていた理由は、そういうことだったのか。まさかの事実に体中に血が巡る感覚が走る。恥ずかしいのか、朝陽の頬は淡く染まっていて。それも堪らない。

 変な声が零れそうで、慌てて手で口をふさぐ。


「恭兄、触っていい?」


 朝陽の手が下に伸びて、思わずそれを掴む。不服そうな目が向けられるけれど。

 こういう瞬間が来たならリードしてあげたいと、前々から考えていた。四つ年上の人生の先輩として、いいところを見せたい。なにより心配だから、朝陽には今はなるべくじっとしていてほしい。


「オレがする」

「え……恭兄?」

「お兄ちゃんに任せろって」

「いや、でも……」

「退院したばっかりなんだし、朝陽はじっとしてろ。な?」



――


 お互いの体に初めて触れ合った。熱い瞳を向けてくる朝陽はかわいい弟なんかじゃなく、ただひたすらに恭生を求める男だった。

 ひと息つくと、朝陽が遠慮がちに恭生の顔を覗きこんでくる。


「恭兄はさ、その、男同士でどうやって最後までするか……知ってる?」

「そ、れは……朝陽は知ってんのか?」

「知ってるよ。恭兄としたくて、いっぱい調べたから」


 思いも寄らない質問に、危うく咽そうになった。

 恥じらっていたという朝陽は、一体どこに消えてしまったのか。

 男同士のそれを知っている、だなんて。


「お、オレも知ってる。けど……」

「じゃあ、したい。だめ?」

「それは……だめ、だろ」

「なんで? 俺とそこまではしたくない?」

「違う、そうじゃなくて……」


 恭生だって、いつか朝陽と、と夢見ていた。だがそれはもっと遠いことのように思えて、深くまで考えていなかった。例えばポジションをどうするか、ということだ。

 だが今、恭生の中にたしかに芽生えている感覚がある。


「あ、あのさ、朝陽はどっちがいい、とかあんの? 抱きたいか、抱かれたいか」

「それは……」

「オレは……はは、どうしよ。オレ、朝陽に抱かれたい、みたい」

「っ、恭兄……」


 口に出したことで、欲望がくっきりと形を持ってしまった。

 経験があるのは自分だけだから、リードしてあげたい。だとしたら自分は抱くほうになるのだろうか、なんてぼんやり考えたこともあったのに。

 だが朝陽に触れられる幸せを知ってしまった。自分はずっと、こうされたかったのだと気づいてしまった。

 男が好きで、いや、朝陽が好きで。そうされたいのだと魂だけは、きっと分かっていた気がする。


「え、っと。朝陽、嫌だったらごめんな。でも、オレは……」

「嫌じゃない」

「っ、朝陽?」


 朝陽がきつく抱きしめてくる。首筋の薄い皮膚にそっと吸いつかれる。その感触に震えると、くちびるにキスが落ちてきた。


「恭兄とちゃんと相談するつもりだったよ。でも俺は、出来れば……恭兄のこと抱きたい、って。思ってた」

「朝陽……」


 またひとつ想いが通じ合って、緩みっぱなしの涙腺から涙が落ちる。それを啜っていると、シャツの中に手が忍びこんできた。

 だが恭生は、服の上から朝陽の手を掴む。抱かれたい、今すぐに。でも拒まなければならない理由があった。


「朝陽、だめ」

「っ、なんで?」

「退院したばっかだから、じっとしてろって言ったろ。まだお預け。な?」

「……っ。いつまで?」

「ちょっと調べたんだけど、スポーツ選手が脳震盪になったら、一週間は休むらしい」

「俺はアスリートじゃないし、問題なしって先生も言ってた」

「そうだけど。でも頼む、心配だから。朝陽も一週間はなるべく安静にしててほしい」


 朝陽の膨らんだ頬にキスをする。しぼんでくれなくてもう片方に、それからくちびるにも。

 朝陽の言い分は分かる。恭生だって、昂ぶった想いを今すぐここでぶつけ合いたい。

 でもそれでも。朝陽の体以上に大事なものなんてない。


「一週間経ったら、抱いてほしい」

「……恭兄はずるい」

「うん、ごめん」

「ううん、わがまま言って俺もごめん。大事にしてくれてるんだって分かってるよ。ちゃんと待つ」

「うん、いい子だな。その間にさ、オレちゃんと、準備……したりしとくから」

「準備?」

「うん、その……知ってるだろ。すぐ入るわけじゃないって」

「……自分でほぐすってこと?」

「そういうことだな」

「……そういうこと言われたら堪んないって」


 ぎゅっとしがみついて、首筋を甘噛みされる。跡がつかない加減なのに、そんなことをされては恭生だって堪らない。


「あ、バカ。朝陽……」


 再び強く抱きしめあって、深く舌を絡めて。

 一週間後を切望しながらふたりで高みを目指すのは、胸が震えるほどに切なくて幸せだった。

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