まだあげない
気が急いて、九時には病院へ到着してしまった。病室には森下の姿があり、すでに会計は終えたとのことだった。
私服に着替え終えベッドに腰かけた朝陽は、ゆうやの遊び相手をしていて、それを眺める森下の目にはまた薄らと涙が浮かんでいる。
「何度も噛みしめてしまうんです。あの子も柴田さんも無事だったことを」
「オレもです」
玄関まで四人で一緒に出て、バスで来たという森下親子とバス停まで向かう。先を歩いていたゆうやが、こちらを振り返る。手はしっかりと、母親と繋いだままに。
「おにいちゃんたちと、またあそべる?」
その言葉に、朝陽と顔を見合わせる。出逢ったきっかけこそ災難ではあったが、ちいさな子に慕われてしまったようだ。
「ゆうや。お兄ちゃんたち困っちゃうでしょ? ね?」
「あの。実はオレ、美容師やってて。よかったらゆうやくんと来てください。もちろん、気が向いたらで構いません」
捨ててくれても構わないと言い添えて、財布に忍ばせてあった名刺を取り出す。
朝陽は大怪我をすることもなかったが、それは結果論だ。また必ず遊ぼうと約束すれば、森下が気負ってしまうかもしれない。自分たち親子のせいで、他人が危ない目に遭った、と。顔を合わせたらきっと、強い罪悪感に苛まれる。想像に難くない。
だが、ちいさな子のキラキラとした瞳を無下にもできなかった。
躊躇いがちに名刺を受け取ってくれた森下は、静かに長く息を吸って顔を上げた。
「私が行ってもいいのでしょうか」
「はい、もちろん。気軽な気持ちで来ていただけたら」
「おにいちゃん、ゆうやも? ちょっきんしてくれる?」
「おう。もっとかっこよくしてあげる」
「ひゃー! ママ! ゆうや、かっこいいなるって!」
「……うん、うん。そうだね」
また涙ぐんだ顔を見せた森下は、けれど最後には微笑んでくれた。
バスが到着し、乗りこむふたりに手を振る。泣き顔ばかり見てきたが、また会う日が本当に来たなら、笑顔だといいなとそう思う。
「オレたちも帰るか」
「うん」
病院まで戻り、タクシー乗り場へと向かう。朝陽は電車でいいと言ったが、絶対にタクシーだと恭生は譲らなかった。
精密検査の結果は異常なし、今朝の診察でもお墨つきをもらえたと聞いている。それでも、だ。
気を失うほど頭を強く打ったのだと思うと、慎重にしていたかった。朝陽が大切だからだ。
「朝陽んちのおばさんに今日も連絡するって約束したんだけどさ。朝陽からする?」
「うん。そうしようかな」
「そっちのほうが安心するだろうしな。じゃあ頼んだ」
タクシーに乗りこんで、朝陽はすぐに電話をかけ始めた。朝陽は終始落ち着いていて、少しだけ漏れ聞こえてくる向こうの声も、穏やかなのが窺える。
ふたりの様子に安堵しつつ、その実恭生の心境と言えば、やけに騒がしい。森下親子と別れてからずっと、朝陽がべったりだからだ。救急車で運ばれ一晩入院して、心細いのかとも考えたが。繋がれた手には指が絡んでいて、時折なぞりあげてくるものだから参っている。顔が赤いだろうことを自覚して、窓の外へと意識を逸らす。だが電話を終えた朝陽が、そうはさせまいと指でくすぐってくる。
「朝陽……」
バックミラー越しに見られはしないかと、タクシーの運転手が気になる。それでもおずおずと朝陽のほうを振り向くと、熱っぽい視線で見つめてからあっちを向いてしまった。それでいて、離すもんかと言わんばかりに手には力がこもる。
一体どうしたのだろう。そう思いはしても、恭生も離れたいわけではなくて。朝陽の手の甲に当たる親指で、ゆったりとしたリズムを打った。
アパートに到着し、鍵を開ける。ドアノブに翳した手に、背後から朝陽の手が重なった。
「朝陽? どうし……」
恭生が振り向くより先に、ドアが開かれ中へと急かされる。驚く暇もないまま、玄関で背後から抱きしめられる。
「恭兄」
「……朝陽?」




