表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/26

愛の言葉

 電話を切ってすぐ、タクシーを呼び止めた。乗りこんだ車内でも、心臓が嫌な音を立て続けている。

 電話で知り得たのは、朝陽が事故に遭い、救急車で運ばれたということ。事故の程度もなにも分からないままで、恐怖が恭生を支配する。

 仕事が終わったら脇目も振らず、すぐに駅に向かえばよかった。そうしていたら、こんなことにならなかったのではないか。

 自分の選択が、朝陽を危ない目に合わせてしまった。そんな気がしてならない。


「着きましたよ」

「あ……ありがとうございます」


 タクシーが停車し、運転手に声を掛けられる。車内ではずっと頭をかかえていたから、どこを走っているのかも分からなかった。

 タクシーを降りると、玄関前に立っていた若い女性が走り寄ってきた。


「あ、あの! さっき電話させてもらった方でしょうか。このスマホの……」


 その手には、見覚えのあるスマートフォンが握りしめられていた。


「はい、兎野です。さっきはご連絡ありがとうございました」


 言葉にならない様子で深く頭を下げた女性から、朝陽のスマートフォンが手渡される。うさぎのキーホルダーが付いていない。どんな事故かまだ聞いていないが、相当の衝撃があったのではないか。血の気が引く。


「…………」


 状況を把握しなければと思うのに、尋ねるのが怖い。青ざめた女性を見ていると、悪い想像ばかりしてしまう。

 朝陽になにかあったら。朝陽がもし――

 頭に浮かぶ最悪の結果に、そんなことあって堪るかと首を振る。


「朝陽のところに連れていってください」


 森下と名乗った女性の案内で、病院内を急ぐ。


「うちの子が、道に飛び出してしまったんです。抱き止めてくださって、その時に転んで、頭を強く打ってしまったようで……気を失われていたので、すぐに救急車を呼びました」


 待ち合わせの駅前での出来事だったらしい。

 子どもは母の手を繋いでいたけれど、よほど興味をひくものがあったのか振りほどき、車道に飛び出してしまった。そばにいた朝陽が駆け寄って抱き上げ、一緒に道を転がった。車との衝突は運よく免れたが、近くの生垣に頭をぶつけてしまった――とのことだ。

 気を失うなんて、普通に生きていればそうそう経験することではない。

 朝陽、朝陽――頭の中で連呼する。


「それで、朝陽は……」


 胸の部分のシャツをぎゅっと握りこむ。心臓が軋んで嫌な音を立てている。先を急ぐ足はもつれそうだ。額には冷汗が滲む。喉が狭い。

 朝陽、朝陽――


「救急車の中で目は覚まされました。ぶつけたのが頭だったので、すぐに精密検査を。ついさっき、病室に……」


 そこまで聞いたところで、ひとつの病室の前で森下が足を止めた。室内へ目をやると、奥のベッドに横たわる朝陽が見えた。

 恭生は、一瞬息が止まった。震えるくちびるを強く噛み、一秒が惜しいと中へ駆ける。


「朝陽!」

「……恭兄」


 恭生に気づいた朝陽が、目を見開いた。ベッドの脇に崩れ落ちるように膝をつき、朝陽の手を取る。両手で握り、額に当てる。

 ああ、生きている。朝陽が生きている。


「朝陽、よかった、朝陽……」

「恭兄……心配かけてごめん」

「いい、謝らなくていい。それより、どこか痛むか?」


 朝陽に不安を悟られまいと、震える口角を無理やりに上げ、気丈なふりをして尋ねる。


「ううん。ちょっと腕擦りむいたけど、全然平気」

「どれ? 見せて」

「ここ」

「痛そうじゃん」

「ちょっとだし」

「ちょっとの擦り傷だって、ヒリヒリして痛いだろ」

「まあ、確かに」

「うん。無理すんのはナシな」


 会話ができる。今朝まで当たり前だったことに、一秒ごとに心が打たれる。

 朝陽がちゃんと、生きている。

 ひとまずの安堵につく息が、ひどく震える。

 恐怖はまだ少しも去ってくれないが、大事なことを聞かなければならない。問いかけるのについ躊躇ってしまうが、引き伸ばした分だけ悪い結果を導きそうで恐ろしい。


「朝陽……それで、検査の結果は?」

「それはまだ……」


 朝陽の視線がふと背後へ移った。恭生もそちらを振り返る。そこには医師と看護師の姿があった。朝陽のベッドへとまっすぐ歩み寄ってくる。

 恭生は立ち上がり、頭を下げた。


「ご家族の方ですか?」

「いえ。オレは……朝陽と一緒に暮らしている者です」


 看護師に答えると、手元の紙を見ていた医師が顔を上げた。繋いだままの朝陽の手を握り直す。

 怖いけれど、一秒一秒に気が遠くなりそうだけれど。いちばん不安なのは朝陽だろう。なによりも朝陽の心を守りたかった。


「脳震盪を起こしたようですね。頭に目立った外傷はありませんし、検査の結果も特に異常はありませんでした。大丈夫ですよ」

「は……っ、あ、よかったー……」


 大きく息を吸った後、それを吐くのと同時に安堵の言葉が口をついた。力が抜け、へなへなとしゃがみこむ。朝陽も強張っていた肩がゆるんだのが分かる。

 手を伸ばし頬をそっと撫でると、潤んだ瞳がそっと弧を描いた。病室の入り口に立っている森下も、顔を覆って泣いているのが見える。


「ご心配なら一日入院もできますが、どうなさいますか」


 看護師の提案に、ふたり同時に返事をする。だが、内容は全く真逆のものだった。

 お願いします、と強く頷いた恭生と、帰りますと気丈な朝陽。思わず顔を見合わせたが、こればかりは引くことはできない。


「だめだ朝陽。入院させてもらえ」

「異常はないんだから平気だよ」

「だめ」

「やだ」

「朝陽……頼む。心配だから。な?」

「……恭兄が、そこまで言うなら……ん、分かった」


 朝陽の入院の意思を確認して、医師と看護師は病室を出ていった。

 すれ違い際、医師たちに頭を深く下げた森下が、おずおずと恭生たちの元へとやって来る。いつの間にかその右手には、ちいさな男の子の手が握られていた。


「あの……」

「……ママ?」


 言葉に詰まる森下を、男の子が不思議そうに見上げている。首を傾げた顔が、少しずつ不安に染まっていく。大好きな母親がなぜ辛そうにしているのか分からなくても、その気持ちが乗り移ったように悲しいのだろう。


「なあ、名前なんて言うんだ?」


 恭生は男の子と目線を合わせる。大きな瞳がちいさく揺れ、繋いでいる母の手にもう片手を添えた。それでも、恭生に答えようとする健気さが伝わってくる。


「……ゆうや」

「ゆうやくんか。オレは恭生といいます。ゆうやくん、いくつ?」

「よんさい」

「四歳か。お兄さんはねー、二十四歳」

「よん? ゆうやとおなじだ」

「え? はは、そうだな」


 つい笑うと、ゆうやと名乗った子もふわりと笑ってくれた。

 息子の安堵が伝わったのだろう。森下はそっと息を吐いた後、朝陽に向かって深く頭を下げた。朝陽が上半身を起こそうとするので、恭生は背中を支えるように手を貸す。


「柴田さん。この度は本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

「いえ。あの、頭上げてください」

「…………」

「ゆうやくんは怪我してないですか?」

「はい。念のため診て頂いたのですが、擦り傷ひとつありませんでした」

「よかったです」

「っ、柴田さんのおかげです。柴田さんも、大事に至らなくて本当に、本当によかったです」

「ママぁ? どうしたの? いたい?」


 我が子の無事を喜ぶだけではいられない、その気持ちがひしひしと伝わってくる。泣きだしてしまった母親を見て、ゆうやの顔がくしゃりと歪む。


「ゆうやくん、ママにぎゅってしてあげて」


 恭生がゆうやに耳打ちすると、ぎゅう、と口に出しながらゆうやは母の足にしがみついた。

 ひとしきりゆうやを抱きしめ返した森下は、入院などの費用は全て出すと朝陽に伝えた。朝陽は申し訳なさそうにしたが、受け取ってあげたほうが森下さんのためにもなる、と恭生が助言すると、森下も強く頷いた。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「はい。明日の朝、またここに伺いますので」


 時計を確認すると、もう十九時も半を過ぎる頃になっていた。自分からは言いだしづらいかもしれないと、恭生は口を開く。


「森下さん、あとは大丈夫ですから。ゆうやくんもお腹空いてるだろうし」

「あ……はい。そうですね。ではすみません、私たちはそろそろ帰りますね」


 病室の出入り口まで、ふたりについて行く。もう一度お辞儀をする森下に恭生も会釈をし、ゆうやに手を振る。


「救急車の手配とか、本当にありがとうございました」

「いえ、そんな……お礼を言われるようなことはなにも」

「連絡頂けたのも本当に助かりました」

「こちらこそ、ご連絡がついてよかったです」

「あれ、そう言えば……なんでオレに連絡できたんですか?」


 朝陽のスマートフォンにはロックがかかっている。履歴からかけようにも、顔認証かパスワードを入力しなければそれもできないのではないか。


「それは……柴田さんの持ち物を一旦預かったのですが。どなたかに連絡しなければと、スマホを拝見して。緊急連絡先に登録されていた番号にかけたら、兎野さんに繋がりました」

「ああ、あのロック画面から見られるやつ……」


 朝陽が自分を緊急連絡先に登録しているなんて、ちっとも知らなかった。朝陽のほうを見ると、はにかんだ顔を逸らされる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ