表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/26

春に崩れる2

「おーい朝陽、そろそろ起きろー。今日一限からって言ってたろ」

「んー……」


 味噌汁に乾燥わかめを入れながら、ベッドから出てこない朝陽に声をかける。

 朝陽は特別朝に弱いわけではないが、昨夜も遅くまでカメラを構えていたようだ。無理はしてほしくなくても、思う存分夢を追えているのだと輝く瞳を見たら、背中を押す選択しか恭生にはない。

 ローテーブルに朝食を並べ終えた後、ベッドに腰かけ朝陽の頬を指先でつつく。


「あーさーひー。朝ごはん食べないの?」

「……んー、食べる」


 返事をしながらも、朝陽は恭生の枕を抱きしめてまた眠ろうとしている。

 朝陽の新品の布団は結局、開封されることもないまま部屋の隅に立てかけられている。どうしても一緒に寝たいと朝陽が言うのだ。ちいさい頃みたいにねだられるのを、恭生が無下にできるはずもない。

 セミダブルのベッドに大の男ふたりで寝るのは、正直狭い。それに恋人同士になったのだから、肌を寄せて眠るのは恭生にしてみれば落ち着かないのだけれど。触れるだけのキス以上のことはしないまま、毎日を過ごしている。

 今はただ、ふたりでいられることへの幸福感が恭生を満たしている。離れていた数年が、瞬間瞬間を煌めかせている。弟への愛は恋を帯びたばかりで、朝陽のペースに合わせて、少しずつ育んでいきたい。

 だが、いつの日か……と、朝陽ともっと深い恋人になれる日を夢見てもいる。過去の恋人とのスキンシップは、積極的にはなれなかったのに。今や覚えたての恋にはしゃぐ少年のようで、そんな自分に戸惑いもするけれど。

 朝陽は自分が初の恋人だ。その時が来たらリードしてやらなければ、と密かに考えている。


「あーあ、先にひとりで食べようかなあ」

「……だめ。起きる、起きた」

「はは、おはよう」


 ようやくベッドを出た朝陽と、向かいあって腰を下ろす。眠たげな目が、朝食を見ると少し見開かれて、そして弧を描く。ひとりだった時は適当に済ませた朝食だが、これを見たいがためにちゃんと食べるようになった。


「朝陽、今日はバイトだっけ」

「ううん、休み。恭兄はお店の人と飲みだよね」

「うん。夕飯、ひとりにしてごめんな」

「そんなんで謝らないでよ、ひとりでだって食べられるし。それに、俺ももっと料理できるようになりたいから、作ってみる。まあ、まだ下手だけど」

「そっか」


 ひとつの家で暮らしているから、またここで必ず顔を合わせられる。その事実を何度だって噛みしめてしまう。

 恋なんてこりごりだ。そう思ったのが嘘みたいに、朝陽への恋心が恭生を充実させている。


「ふ」

「どしたの?」

「いや、なんでもない。なあ朝陽、今度の休み、一緒に料理してみるか」

「あ、それいいね。やりたい、教えて」

「ああ、約束な」


 

 迎えた金曜日。恭生の仕事は休みだが、朝陽は大学の講義があった。とは言えバイトは入っておらず、十五時頃の帰宅。夕飯にはまだ早いが、ふたりしてキッチンに立つ。

 献立はカレーと、簡単なサラダだ。


「カレー作れるようになっといて、損はない」

「俺はなにすればいい?」

「じゃあまずは、玉ねぎの皮剥いてもらおうかな」

「了解」


 それから、朝陽にはもうひとつ頼みたいものがある。


「あとさ、一個おねだりしてもいい?」

「うん、いいよ」

「はは、即答。あのさ、朝陽にたまごやき作ってほしい」

「たまごやき? うわ懐かしい、俺作ってたね。分かった、作る」

「やった。朝陽のたまごやきが世界一美味しいからな」

「でもカレーにたまごやきって合わなくない?」

「いいんだよ。むしろ朝陽のたまごやきが主役」


 朝陽はちいさい頃、母親に習いながらよくたまごやきを作ってくれた。砂糖とミルクがたっぷりの、甘いたまごやきだ。また食べられると思うと、どうにも顔がにやける。


「よし、じゃあやるか」

「うん」


 広いとは決して言えないアパートの、ちいさなキッチンだ。男二人で作業するにはどうしたって窮屈で、朝陽にはリビングのほうで野菜の下準備をお願いすることにした。じゃがいもの皮も朝陽に頼んで、そのままその二種はカットまで任せてみようか。


「朝陽ー、それ終わったらじゃがいもな。ピーラー使えそうか?」

「できるよ、手伝いでやったことあるし。恭兄、俺のこと赤ちゃんだと思ってない?」

「おお、そうかも」

「恭兄~……」

「はは。じゃあオレはニンジン切ってようかな」


 恨めしそうな声と一緒に、細くした目と尖ったくちびるがこちらに向けられているのだろう。見なくたって分かる。こんなやり取りが楽しくて仕方ない。

 くすぐったく思いながらそれを背で受け取め、恭生は包丁を手に取った。ニンジンを左手で押さえ、包丁を当てる。


「あっ! いったー……」

「恭兄!?」


 手に力をこめる時、ちゃんと用心したつもりだったのだが。硬いニンジンの上を、どうやら刃が滑ってしまったようだ。左手の人差し指を、少し切ってしまった。


「切っちゃったの!?」


 朝陽がキッチンへと飛んでくる。左手首を掴まれ、青ざめた顔で覗きこまれる。


「うん、やっちゃったわ。ニンジンに血がつかなくてよかった」

「ニンジンなんてどうだっていいから。痛いよね。絆創膏ある?」

「こんくらい平気だって。大したことないし」

「なに言ってんの? 恭兄美容師だろ、大事な手じゃん。そうじゃなくたって、恭兄が怪我すんの嫌だよ。こんくらいとかないから」

「朝陽……」


 実際のところ、切れてしまったのは本当に少しだけだ。血もすぐに止まりそうな、些細なもの。だが朝陽は真剣で、自身の怪我を軽く扱う恭生に怒ってすらいるようだ。


「ん、そうだよな。怪我なんてちょっとだとしたって、しないほうがいいもんな。気をつける」

「うん。そうしてほしい」


 朝陽に大事に想われている。自分のためにはもちろん、朝陽のためにも気をつけなければならないと感じる。

 洗うね、と恭生の手を掴んだまま、朝陽が蛇口をひねる。朝陽の手と一緒に水に触れていると、ふと祖父のあの言葉が頭を過ぎった。


『なあ恭生、俺はなあ、ばあさんが先に死んでよかったと思ってるよ』


「あ……」

「恭兄? 痛い?」


 朝陽へ動く心に大いに振り回されて、最近は思い出さなかったけれど。朝陽と仮の恋人になったのは、この言葉もきっかけのひとつだった。

 俺と付き合えば、じいちゃんの言葉の意味が分かるよ、と。


「あのさ、じいちゃんのあの言葉だけどさ」

「うん」


 仮ではなく、本物の恋人になった。朝陽の気持ちも自分の気持ちも、本物。だからこそ感じるものが、確かにちいさく芽吹いている。


「自分になにかあったら、大切な人に悲しい想いさせちゃうわけじゃん。今、朝陽がオレの怪我を心配してくれてるみたいに」

「そうだね」

「じいちゃんになにかあったら、ばあちゃんが悲しんでたから、ってこと?」

「うん。俺はそう思ったよ。例えば親より先に死んだら、ふたりとも凄く悲しむだろうな、先に死ねないよな、って」

「なるほど……」

「俺と付き合って、恭兄に俺がいっぱい愛情表現できたら伝わるかな、って思ってさ。恋人カッコカリ、なんて提案したんだよね」

「そうだったんだな」

「まあ、恥ずかしくて上手くできてなかったし、俺のほうが恭兄に大事にされてるんだけど」

「そんなことねえよ、伝わってる。現に今、じいちゃんのこと自然と思い出したし」

「そっか」

「まあでも、相手が先に死んだほうがいいってとこまでは、さすがに分かんないな」


 完全には難しくとも、祖父の言葉の真意に近づけたような気がする。それでもやはり、久しぶりに思い出した言葉に、切なさが否めない。朝陽を想う時に、死がちらつくのは胸が潰れそうになる。

 気づけば水は止まっていて、朝陽がタオルで拭いてくれている。絆創膏も巻いてくれて、朝陽の優しさに離れがたくなる。


「これでオーケーかな。恭兄、気をつけてよ」

「うん」

「じゃあ料理再開しよ。ピーラーもらっていい? ついでに持って……」

「朝陽」

「……恭兄?」

「キス、したい」


 驚いている朝陽の首に手を回し、そっと力をこめる。丸くしていた目が眇められ、すぐに受け入れてくれたのが分かる。

 短いキスをして、今度は朝陽から口づけられて。もっと深くまでほしいと、朝陽のやわらかいくちびるのあわいに、舌先で触れてみる。


「っ、恭兄」

「駄目だった?」

「駄目じゃない、けど」

「じゃあ、嫌?」

「……その聞き方、恭兄がずるいって言ったんじゃん」

「うん、ごめん。どうしてもしたいから、ずるいこと言った」

「恭兄……口開けて」

「あ……」


 躊躇っている時は、あどけなくすらあったのに。少し腰を屈めた朝陽が、顎に指をかけてくる。翻弄されるのはすぐに、恭生のほうになる。

 遠慮がちに入ってきた舌にそっと舐められる。それに応えると、首の後ろを支えられてぐっと深くなった。口内に、自分の中に朝陽がいる。そう実感すると、頭がくらくらしてくる。


「カレー、作んなきゃな」

「うん。でももうちょっと」

「はは、朝陽がもっとって言ってくれるんだ」


 甘えるように吸いついて、甘やかすように抱きしめられて。いつの間にかふたりで床に座りこみ、熱い吐息まで絡ませ合った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ