ドラムロールのビートにのって、オレは缶コーヒーの中で営業スキルを武器に戦う 009
「う~ん」
阿蘭は後部座席で横になり、うめき声をあげていた。
「変なところを触ったら、私が今、この瞬間息の根を止めるからね」
莎等は膝枕をしていた阿蘭の耳元で声をひそめて声を掛けた。
「う~ん」
阿蘭はやはりうめき声をあげるだけだった。
「大丈夫かね?」
運転する自動車に阿蘭に飛び込まれた不運な老紳士は、ハンドルを握り、前を向いたまま、莎等に尋ねた。
「息は・・・しています」
老紳士にそう返答した後、莎等は頭を垂れ、髪の毛で自分の顔を隠した。
そうしないと、飛び込んだ瞬間の阿蘭の姿が滑稽で、思い出し笑いをしているのが、老紳士にバレてしまうと思ったからだった。
阿蘭が自転車に飛び込んだ姿はためらいのない見事なものだった。
きっと経験値の浅い阿蘭は、この異世界で発動する技能を過信していたのだろうと思った。
自転車に乗ったまま、阿蘭は走ってくる自動車の前に飛び出した。
接触する瞬間、阿蘭は自転車の車体を蹴って、飛ぼうとしていた。
はねられた振りをしたかったのだろうと思った。
しかし、阿蘭の意図とは異なり、自転車はたまたまあった、ぬかるみにタイヤを取られた。
そのせいでタイヤは自動車の進行方向に向き、後方に飛んで逃げようとした阿蘭は接近してくる自動車の方に自ら向かっていくかたちになった。
「あ、死んじゃった」
莎等は瞬間的にそう思った。
技能発動のせいか、阿蘭の跳躍には高さがあった。
しかし、それでも走ってくる自動車の車高を超える高さまでは及ばず、自動車のフロントガラスに足が当たり、足を軸に風車のようにクルクル回りながら地面に落ちた。
自動車は急ブレーキを踏んだが、運転手は降りてこなかった。
莎等が悲鳴をあげて、ようやく運転していた老紳士は状況を飲み込めたのか、降車し、阿蘭の方に歩み寄ってきた。
「君の方から飛び出してきたんだぞ!」
降車してきた運転手は怒っていた。
「そんなことより、お医者様を」
莎等も倒れたままの阿蘭の側に駆け寄った。
「医者と言っても・・・」
「この車に一緒に乗せて下さい。この先に私の知り合いのお医者様のお家があります。そこに運び込みます」
老紳士は狼狽していた。
「君はこの人の知り合いかね?」
「いいえ」
莎等は即答した。
「では、なんで君みたいな若い女の子がこんなところにいるんだ?」
「それは・・・」
莎等は言い淀むふりをした。
「この男に襲われかけたんです」
「なんと!」
「抵抗して、私が大きな声をあげたから、この人、慌てて車道に飛び出して・・・」
「では、この男は悪党か」
「はい。でも、どんな悪党でも死んでいい人間なんていないはずです」
「君は若いのに敬虔な信仰を持っているんだな」
老紳士は感心したように言った。
「わかった。では、この男を乗せるのを手伝ってくれるか。君も一緒に乗ってくれるんだな?」
「ええ」
こうして、今、莎等は阿蘭の目論見通り、さらわれた姉を追跡する手段を得た。
「待ってて」
莎等は胸の内でそう思った。
舗装されていない道の上を老紳士が運転する自動車はどんどん先を急いでいた。