第32話 皇帝、謝る
ラーラと再会した時、俺は事前にあることを頼まれていた。
俺はその頼みごとを叶えるため、こうして闘技場に戻ってきたわけだ。
「あるじ!」
目を輝かせ、尻尾を振ったのはミィミだった。
大狼の姿から、いつものかわいい狼耳の少女に戻る。
残っていた回復薬を全部飲んで、ひとまず体力を回復させた俺は、かわいい相棒の方を向いて頷くと、観覧席で対峙するラーラと皇帝の方に向き直った。
ラーラの合図を受けて、俺は手をかざす。
〈収納〉
異空間の穴が開くと、それは波のように広がる。
それを見て、瞼を大きく広げたのは、皇帝陛下ではない。
ぼんやりと闘技場から見守っていたデーブレエス伯爵だった。
それまでガックリと肩を落としていた伯爵は、ピシッと立ち上がると、その身体とは裏腹に観覧席のある階段を駆け上がってきた。
まさしく闘牛のように鼻息を荒く吐くと、観覧席に広がったものを見て叫んだ。
「や、やっぱり! こ、これは我が輩のコレクシヨン魔導書であーる!!」
デーブレエス伯爵は「我が輩のものであーる!」と地面に広がった魔導書を拾い上げる。
その背後にラーラが立つ。いつになく冷然と笑みを浮かべた姫君はこう尋ねた。
「今、我が輩の魔導書――と仰いましたか、閣下?」
「その通りであーる、ラーラ姫。……ブラック! 今度こそ許さんぞ。いや、化けの皮が剥がれたであーるな。優勝できないからと、我が屋敷に忍び込み、魔導書を盗もうとするなどぬすつと盗人の所行であーる」
「盗人猛々しいのではありませんか?」
魔導書を胸に抱え、俺を糾弾するデーブレエス伯爵に向かって、ラーラは声を荒らげる。
無償の笑顔を振りまくラーラの顔が、この時ばかりは憤怒の形相を浮かべていた。
その迫力に、デーブレエス伯爵は目を点にする。持っていた魔導書を取り落とすと、再び地面に広がった。ラーラはそれを拾い上げ、表紙を返し、裏表紙を見せる。
一見魔法陣にも見える複雑な模様をしたサインが描かれていた。
簡単な魔法文字だ。誰の所有かを示すもので、一度付与すれば書き換えることはできない。
裏表紙には『ルーラタリア所蔵』と書かれていた。
「これはルーラタリア――つまり我が国が貴国にお貸しした魔導書になります。……どうして『我が輩の魔導書』などと言えるのでしょうか? そもそも我が国は閣下にお貸ししたつもりは一切ありません。確かに我が国は皇帝陛下ならびにティフディリア帝国にお貸ししました。しかし貴族の方といえど、また貸しは御法度なはずです」
クラスアップを促す魔導書は、武器や防具といった戦力のうちに数えられる。
現代風にいえば、魔導書の貸し借りは銃火器などを貸与することに等しい。魔導書は一回切りのアイテム魔導具ではなく、回し読みが可能なので、クラスアップが自由になれば逆に悪意を持ったものに使われる可能性がある。そのため借りたものがどこにあるかをきちんと把握する必要があるのだ。
ここまでのラーラとデーブレエス伯爵のやりとりを、我関せずといった構えで、ポカンと見ていた皇帝陛下だったが、ついに表舞台に立つ時がやってくる。
それを告げたのは、観覧席までやってきたロードルだった。
「恐れながら申し上げます、陛下。私はラーラ姫からご相談を受け、ルーラタリア王国から借り受けた貴重な魔導書の行方を探しておりました。すでに内大臣にはご報告申し上げていたのですが、何か聞いておられませんか?」
「――――ッ!」
皇帝陛下は喉を詰まらせ、激しく咳をする。
大方、剣闘試合にかこつけて、問題を放置していたのだろう。いや、皇帝のことだ。わからないならわからないままで、自国のものにしようとしていたのかもしれない。
借りパクとか小学生かよ。
「内偵の結果、デーブレエス伯爵家に持ち込まれたことがわかりました。どうやら、魔導書の管理業務を行っていた官吏が、デーブレエス伯爵に多額の借金をしていたようです。おそらく賭け事でしょうな。すでに八百長の証拠も掴んでおります」
「なるほど。魔導書の管理者にうまい話があるといって、剣闘試合の賭け事を持ちかけ、八百長試合で借金をさせる。その借金のカタとして、ルーラタリア王国から借り受けた魔導書を横流ししてもらったというわけか。これは余罪もありそうだな」
俺が話をまとめると、ロードルは神妙に頷く。すでに調べはついているのだろう。
人畜無害な顔をして、この伯爵閣下もなかなか鬼畜だったというわけだ。
「陛下……。どうやら今回の件、デーブレエス伯爵の悪行であることは明白のようですね。証拠もこうしてありますし。何よりデーブレエス伯爵自身が自白なさいました。『我が輩の魔導書』と」
最後にラーラがデーブレエス伯爵に引導を渡す。
もはや言い逃れできなくなったデーブレエス伯爵は、膝から崩れ落ち、項垂れた。
右から左に事件があっさり解決したのを見た皇帝陛下は咳払いをする。
「ごほん! う、うむ……。む、無論だ。我が国とルーラタリア王国とは五十年にわた亘り、友好的な関係を結んでいる。その一環として貴重な魔導書を貸与してきた。当然、そこに不正が行われたというのであれば、厳しく断罪せねばならん」
「ありがとうございます、陛下。……また今回、軍の管理官でもあるロードル様を介したとはいえ、内政干渉を疑われてもおかしくない言動が多々ございました。それについては謹んで謝罪させていただきますわ」
「我々の足が鈍かったことから、貴国をやきもきさせたことは事実。その気持ちは重々理解できるというもの。むしろ女性の身ながら危険を顧みず、こうして証拠を揃え、我が国の膿を暴き出してくれた、その勇気を讃えたい」
「ご理解いただきありがとうございます。そうですわ、皇帝陛下。勇気と仰るなら、どうぞブラック様のことも褒めてあげてくださいませ」
「はっ? 何故、余がこんなあやし――――ごほん。ひ、姫。この者が何をしたというのだ?」
「デーブレエス伯爵が、我が国の魔導書を不当な方法で横流ししていたことは確信しておりました。しかしながら内偵においても証拠を掴むことはできませんでした。書庫は常に厳重な警備で守られていたからです」
「な、なるほど」
「しかし、ブラック様はまさしく危険を顧みず、その身を犠牲にして書庫に侵入し、証拠品を持ち帰られた。きっと番犬も、用心棒も、とっても強い勇者様もいたことでしょう。幾多の試練に打ち勝ち、ブラック様は今、御身の前に立っていらっしゃるのです」
「い、いや……。ら、ラーラ姫……。よ、余は…………」
「陛下? 何を躊躇っているのですか? もしかして魔導書が戻らなくて良かったとお考えなのでしょうか? しかし、仮にそのようなことになっていれば、貴国は他国の魔導書を不正に取り扱ったばかりか、今後の魔導書の貸与に対して禁止、あるいは慎重にならざるを得なくなります。他国から魔導書を集め、戦争の準備をしていると口さがない者たちが噂をするかもしれません」
ラーラ、こえぇ……。
魔導書一つで、そこまで脅しをかけるか。
翻せば魔導書はそれだけ戦略的に重要ということだろう。勇者召喚によって、どんなにレアで有能なクラスが来ても、クラスアップができなければ宝の持ち腐れだからだ。
俺は死体漁りから以前、ティフディリア帝国が密かに軍備を増強しようとしていることを知った。星の導きの数が多ければ多いほど、魔導書のレアリティも上がり、数は限られてくる。戦争がしたい帝国としては、超レアな魔導書を他国から貸与できる権利をギリギリまで保有しておきたいはずだ。
たぶんすでにティフディリアが戦争に向けて準備を始めていることは、ラーラはおろか他国にも知れ渡っているだろう。だが、帝国としては今、被っている羊の皮を脱ぐ段階ではないのだ。
ここでヘタに拒否すれば、まさに疑惑は深まってしまう。
その皇帝陛下の一挙手一投足を、多くの観客が見守っていた。
ここで疑惑を晴らさなければ、国民の間にすら疑いを持たれかねない。
まさに今俺が言ったことは、すべて皇帝陛下の表情から窺い知れることであった。
眉間に皺を寄せ、誰ともわからぬ方向に視線を向けている。だが奥歯を噛みしめ、固く閉じた口の中から、その本音が漏れることはなかった。
「ブラックよ……」
「は、はい」
「近う寄れ」
言われるまま近くによると、俺は周囲からの指摘を受け、膝を突いた。
皇帝は俺に手の平を向ける。
「悪鬼・奸物どもがひしめく牙城に忍び込み、我が国とルーラタリア王国にとって重要な魔導書を回収した功績、見事であった。ティフディリア帝国第二十代皇帝フィルミア・ヤ・ティフディリアの名において、ブラック――そなたを讃える。そなたこそし、ししし、真の勇者だ」
……無茶苦茶嫌がってるじゃないか。
そもそも何が真の勇者だ。俺はあんたに追放されたハズレ勇者だぞ。今頃、真の勇者とかいわれても、もう遅い――か? 追放系の主人公の気持ちがわかった気がするよ。
それにしても面白い顔をしてるな、皇帝陛下。
半分笑い、半分怒っている。実に器用な表情だ。
この顔を見られただけでも、苦労した甲斐はあったかもしれない。
「過分なお言葉を賜り、ありがとうございます、陛下。真の勇者といっていただいた以上、勇者の手本としてこれからも精進して参ります」
瞬間、一際大きな歓声が鳴り響く。
指笛が鳴り、花火が打ち上がると、どこからか花吹雪が舞い降りてきた。
歓声に押されたのか、遅れて吹管が高らかに響く。
ブラック! ブラック! とシュプレヒコールされ、波のように闘技場全体に広がっていった。
真の勝者はお前だと言わんばかりにだ……。
「どうか、民の声に応えてあげてください、真の勇者ブラック様」
ラーラに背中を押され、俺は天幕から出て行く。
言われるまま手を上げると、さらに歓声のボリュームが上がった。
万雷の拍手が俺を包み、ブラックから真の勇者という言葉が聞こえる。
悪い気分ではないのだが、千年前を思い出してしまった。
こうやって国民にあおり立てられ、英雄に仕立て上げられたんだよなあ、俺。
まずいなあ。今回はなるべく目立たないって決めてたんだが。
魔王の次は、大国の戦争を止めるとか、絶対にイヤだぞ。ミィミと一緒にスローライフするんだからな、俺は。
すると、そのミィミが階段を駆け上がり、俺の胸に飛び込んできた。
「あるじ!」
「っと――――。ミィミ、よくやってくれた。痛くなかったか?」
「全然! あるじの方こそ大丈夫? ポンポン、痛くない?」
「痛くはないけど、お腹は空いたかな。ミィミは?」
「うん! ミィミもお腹空いた!」
ミィミはギュッと俺に抱きつき、満面の笑みを浮かべた。
メルエスに真の勇者が降臨する。その噂はデーブレエス伯爵の失脚とともに、ティフディリア帝国国内のみならず、ルーラタリア王国など列強国に知れ渡った。
後にメルエスは真の勇者ブラックの誕生地として有名になるが、そのブラックと呼ばれる勇者がその後街に現れることはなかった。
◆◇◆◇◆
完全に毒の影響がなくなったことを確認しに、医務室に戻っていたミュシャと、それに付き添ったアンジェはクロノとミィミを探していた。
通用口の方にはおらず、控え室にも帰ってきた様子もない。
「もしかして、クロノ殿。あのまま出ていったのだろうか」
「そんな! わたしたちに何も言わず出ていくことなんてあるのですか?」
「そうだな。クロノ殿はともかく、ミィミはもうちょっと義理堅いと思うが」
「そのミィミさんもいないのです」
「なに……!?」
瞬間、ミュシャとアンジェの頭の上に、よからぬ妄想が思い浮かぶ。
それを黒板の文字を消すように排除をすると、ミュシャとアンジェは捜索を続けた。
すると、通用口のすぐ側にあった倉庫からかすかに息づかいが聞こえてくる。
そっと扉を開けて、中を覗くと、壁にもたれかかっているクロノと、その肩を枕代わりにして眠るミィミの姿があった。
二人とも相当疲れているらしく、手と手を重ね、まるで恋人のように手を繋いで眠っている。
主従の固い絆が窺える光景を見て、ミュシャとアンジェの口元は自然と緩んでいった。
「よく眠っているのです」
「しー。このまま寝かせておいてやろう」
倉庫の扉をそっと閉め、ミュシャとアンジェは部屋を後にするのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「面白い!」「更新はよ!」「続きを読みたい」と思っていただけたら、
ブックマークと、下欄にある評価を☆☆☆☆☆から★★★★★にしていただけると嬉しいです。
小生、単純な人間ですのでポイントが上がると、すごくテンションが上がります。
是非よろしくお願いします。